世界は大きく一巡する
ジリジリと朝を知らせるアラームに目を開けると、視界いっぱいにいつも通りの天井が映っていた。
「全身がくっそ怠い……学校行きたくねぇ」
目覚めた俺の体は、俺史上最高に怠い。頭の中心は鉛に変わってしまったように重く、体も中に石と砂を詰め込まれてしまったようだ。最悪な事に、頭痛までしている。
「完全に限界超えてやり過ぎたな……」
昨日の夜の激戦……月紅を超える戦いは、こちらの完全勝利という形で幕を下ろした。朝日は今まで見た中で最高の煌めきを放ち、その場にいた全員の血と煤塗れの顔すら美しいと感じるほどの彩を、世界に撃ち放っていた。
その場面を想像するだけで、限界突破した脳みそが表情筋に笑顔の信号を送る。本当に、最高の戦いだった。
だが、リアルはそう綺麗に締まるとは限らない。限界を超えた脳の行使により、体は普通なのに脳みそが疲弊しているという状態が生み出された。俗に言う『VR明け』という奴だ。慣れない脳で長時間のダイブをすると、脳が疲れて重くなる。
夕食は早めに済ませたから両親に見られずには済んだが、見られていたら確実に叱言を貰っていたに違いない。
メルエス戦後にも似た怠さに押しのけられ、機器も片付けずに寝入ってしまったが、結果は二日酔いのような状況で朝を迎えることとなっている。
「あー……学校、行くか」
正直休みたいところだが、前日ゲームにかまけて頭が重い、などとうちの母に言ってしまった場合、確実に叱られるどころではなくなる。重い頭に叱咤を送って、ゆっくりと朝の支度をし始めた。
――――
「マジでやばかったわ、月紅」
「エルドウルフの無双具合な」
「フルメタさんとかが居なかったら街がやられてたかもな……」
「まあでも、流石にその後はなぁ……」
「あれは無理だろ。フルメタさんが守り固めても雑巾みたいに吹き飛ばされてたし」
「俺エルフの里近くに居たんだが、余裕で二桁の敵来て笑ったわ」
「取り敢えず王都まで行けるようになったし、拠点変えよーっと」
楽しそうな会話が教室に満ちているが、俺の頭にはあまり入ってこない。原因はお察しの通りゲーム疲れだ。なんで彼らはあんなにピンピンしているのだろう?……まあ、超大人数のレイド戦となれば、必然と一人にかかる負担は少なくなるから、そういうものか。
「本……いや、もういいわ。寝るか」
先週から一切読み進められていない推理小説は、またもや栞の位置を更新する事なく閉じられた。確か探偵が推理を披露するシーンだった筈……もうしばらくネタばらしは待ってもらおう。ひさびさに机の上に突っ伏して瞳を閉じると、すぐに睡魔は襲って来た。穏やかなそれに身を任せて――
「シンジー……って寝てる」
「……眠い」
「夜勤明けって感じだな」
優しく教室の扉が開けられ、晴人が入ってきた。眠いが、流石に放置というわけにもいくまい。お互い積もる話もあるだろうしな。
「お前らがフィールド解放したって通知きてから興奮が冷めなくてな」
ニヤニヤ笑いとセットの小声で晴人は言った。……ん?フィールド解放? 確かにフィールドのすべてのエリアボスとフィールドボスであるメルエスを眠らせたが、その言葉は初耳だ。空気を読んだ通知が隠してくれたのだろう。俺の表情でそれを汲み取ったのか、晴人は困った顔をした。
「おいおい、その顔したいのはこっちだぜ。死にかけでボス撃退したと思ったらフィールドが解放されました、なんて言われてよ」
「……悪いけど、さっぱり心当たりないわ。通知ごと無視したと思う」
全く以て耳馴染みがない。だが、戦いの後のあの虚脱感の最中で回りを気にする、というのはいささか難しい物がある。取り敢えず俺たちはメラルテンバルとメアトリアスとやらを眠らせ、イベントクエストをどうにかクリアした。この先に待ち受けているのは本番……防衛イベントだ。正直あの戦いが前座だとか本当に信じられないが、駄々をこねても来るものは来る。
じんじんと痛む頭を押さえながら晴人に向き直った。
「こっちは完全に戦争だったけど、そっちはどんな感じだった?」
「こっちも同じようなもんだよ。いやー、マジでヤバかった。RTAさんが居なかったら里が消えてたかもしれないわ」
「凄まじいな……で、里の方にはどんなボスが来たんだ?」
「んーとな、レベル24の狂酔木人間ってやつ。馬鹿デカイ木のゴーレムだな。全属性の範囲攻撃魔法をバラまくやべえヤツ。その癖、近接格闘がえげつないのなんのって……フルでバフ積んだ第一線のガチタンクがワンコンボで鉄屑だからな」
ボスの様相を思い出したのか、晴人は珍しく苦々しい顔をした。レベル24となると、いくら二次ステージらしき場所にいるプレイヤーとて、赤子の手を捻るように虐殺されるだろう。回りに敵がいる状況で、レベル差が10以上開いている敵と戦うなど、正直馬鹿馬鹿しいと笑いたくなるくらい絶望的だ。
散々レベル差を体感させられている側の俺は、その絶望が手に取るようにわかる。
「草原の方は、フルメタさんとかクラウンさんとかが暴れてたらしい……レベル15の古狼が相手だったそうな。古狼はなんとかなったらしいけど、その後のゲリラのボスがヤバすぎたらしい。その場の全員でフルメタさん守ろうとして固まって、全員まとめてドカーン……」
「あー……。まあでも、その前のボスは普通に行けちゃう感じかぁ。めんどいな」
「何でって言いそうになったけど、レベルが上がったからか」
「お、珍しく勘が良い」
珍しくぅ? と怪訝な顔をする晴人に苦笑いして、重い脳細胞を結集させてこれからを演算する。東と西が開いた、西はいいとして東は通知を聞いた晴人曰く商国ではなく王都とやらがあるらしい。確実に二次職や新コンテンツが山盛りだろう。何なら敵を倒した素材で武器防具の類いが強化されていたって可笑しくはない。全体的な地力の底上げと、装備の新調。更にこれから2日で開拓されるであろうコンテンツは、明らかに防衛戦に際して毒となりうる。
――出来れば
「滅茶邪魔してえ……」
「おい、心の声が漏れてるぞ」
呆れたように晴人が笑うが、この呟きは割りと本気な物である。いくら俺が進化し、強化されていたって数には勝てない。味方だ、味方が一番大事なのだ。今回の戦いで学んだ事前知識の中で一番大事なもの。
大声を上げ、戦意を滾らせる剣闘士の姿が脳裏にちらついた。圧倒的な敵を前にしても怯むことなく吠える彼らは、味方としては最上位に位置するだろう。
詰まるところ、俺たち魔物陣営が人間相手に良い勝負をするには、確実に陣営を挙げたレベリングが必要なのだ。集結し、力を合わせ、人間のように結束しなければ待っているのは蹂躙だ。
人員が足りない。少なくとも、イベント時にレベル二十台に乗っている者が二桁は要る。
「掲示板で……そうだな、いや……」
「げぇ、俺置いてきぼりかよ~。まあ、疲れてるっぽいし、話は後にするかー」
予鈴がガンガンと頭に響いて思考を中断されるまで、俺は思考を繰り返していた。
――――――――――
「うーわ……音がくっそ頭に響く」
「VR明けってそんな感じか。俺はなったことないから分からんわ」
「ナチュラルに自慢するな……」
時間は過ぎて昼頃。相変わらず破壊力のある予鈴に耳朶を苛められながら、晴人と一緒に食堂に進む。普段は駆け足だが、足裏から伝わる振動で頭が痛くなりそうだったので、歩いている。
もちろん歩けば好みの席を先にとられるし、望んでいた物を買うことも難しくなる。だが、隣の晴人は何も言わずにのほほんと歩いている。そういうところから女子にモテるのだろうか、と若干感心した。
「ち、窓際はもう取られてるか」
「まあ、綺麗な中庭が見えるしそもそも人気だからな。寒いけど」
「中庭はどうでも良いんだけどさ、シンジを窓際に置いたら体調よくなるかなってな」
「自然なイケメンムーヴに賛称を送ろう」
「どんだけ上から目線なんだ、よっと」
「うわ、馬鹿。頭は止めろ」
寸前で止められた手刀が頭にクリーンヒットした場合、俺は確実に死に絶える。冗談だってー、と笑う晴人に胸を撫で下ろしつつ、俺たちは適当な座席についた。
「ようやくフィールドのボス全部が沈んだわ」
「殆ど一人で倒してるしな。さすがだわシンジ。俺も頑張ってフィールド解放しなきゃなー」
「……勘弁してくれ」
マジでやりかねない晴人に苦笑いを送る。俺の苦笑いに、なぜか気分を良くした晴人は、心の底からの喜色を目に浮かべて笑った。どことなくキラキラとしたエフェクトが見える気がする。
「東開いたし、絶対これから楽しくなるぜ」
「こっちは戦々恐々としてるがな」
「……シンジが一人でプレイヤー全抜きするから大丈夫だろ」
「いや、どや顔で言われても1番説得力感じないの俺だから。何万人居ると思ってんだ……」
全抜きの最後に俺との一騎討ちが……などと呟いて、晴人は架空の俺とシミュレーション戦闘を始めた。食事中に歴戦の傭兵みたいな視線をされても食べづらいので、デコピンで正気に戻す。
「ったぁ!」
「実はそんなに痛くないんだろ?」
「ちぇっ、バレたか」
「……あー、マジでこれからどうしよう……」
「これまでのノリで町の回りに居るクラウドラゴンとマッドゴーレムを倒してもらって……」
「誰が好き好んで敵の手助けをするんだ。逆の立場だったら敵に塩を送る的な感じで理解できたが」
更に言えば北が開いてしまうと、墓地にプレイヤーが雪崩れ込んでくることになる。……正直、必死こいて解放した場所を不特定多数に晒すのは気分が良くない。更に言えば敵方にとってジョーカーである俺の存在が日の目を見ることになるのだ。
死者の憩うあの場所は、贔屓目に見ても絶景だ。晴れた空、艶めいたリンゴの樹木、草花に花蜂が群れ、蝶が優雅に飛んでいる。
銀色の死霊の戦士たちと、朝露に香る新緑の大地。
そして――ロード。
はっきり言えば、ロードは可愛い。間違いなく、フードをとった姿を第三者が見れば一目で惚れても可笑しくはない。プレイヤーとて一枚岩ではない。分別の無いプレイヤーの悪意や煩悩が、ロードに迫らないかが酷く心配なのだ。
不思議なことだ。ゲームの中のNPCを本気で心配して、付き合ってもいない相手のこれからに苦い顔をするなんて。まるで本当に――騎士みたいじゃないか。
唐突に沸き上がったその考えに焦って舌を噛んでしまった。口の中に血の味が広がる。いってぇ……。
「……? どったの、シンジ」
「んや、舌噛んだ」
「ほーん。……そういや、王都だとPvPとかあるらしいぜ」
「あんま対人戦好きじゃないし、そもそも行けるかどうか怪しいから興味無いな」
えー、と晴人は不満げに声を出した。だが、誰が好きでボッコボコにされること確定の対人戦に挑むものか。VRならまだ勝機は有るかもしれないが、確実に苦戦する。いずれは避けて通る事もできなくなる道だが、今はまだ避けられる。
「俺はそれよりも他のプレイヤーと交流を図りたいな……」
「掲示板で……あー、遠いかぁ」
魔物プレイヤーを集めて実質的なクランの様なものを作ろうとしたが、そもそもそれぞれが遠すぎるのが問題だ。俺らが動いてそれぞれ拾ってくか……? いや、レベリング混ぜたら確実に時間が足りなくなる。……うーん。
悩む俺に、晴人は面白そうに笑って言った。
「まあ、そんなに悩まなくてもいいんじゃないか? 言い方悪いかもだけど、所詮ゲームってかさ、楽しんだやつが勝ちみたいな……うーん、まあ言いたいことわかるだろ?」
白い歯を見せて笑う様子に、不覚にも感心してしまった。そうだな、そうだ。結局はゲームなのだ。楽しめれば良いのだ。その延長線上にあるのが戦いであって、結局は楽しさを感受できれば満足なのだ。
あまりにゲームがリアルすぎて、それを少し見失いかけていたのかもしれない。恐らく常日頃から、健全なプレイヤー精神を持っていたのであろう晴人にあたらめて感心した。
「……お前すごいな」
「なんだよ、藪からスティックに」
「いや、何でもない。……そうだ、これからどうするか決めたわ」
「ほほう、晴人おにーさんに聞かせてみーしゃい」
ニタニタと粘着質な笑顔を浮かべてふざける晴人に、事もなさげに言い放つ。本当に、普通の事だから。当たり前で、たまに忘れてしまう事だから。自分でもわかるくらいの微笑が、顔に浮かんでいる。
「どうあろうと、このゲームを楽しみ尽くす……ってことで」
「はは、それが1番良いよな。やっぱり」
「ホントだよ……ん? げぇ! 時間やべえ!」
微笑混じりにちらりと食堂の時計を見てみると、昼休みの終了まであと二分……二分!?
「うっそだろ……? いや! マジじゃん! 次何!?」
「知らん!」
「ちょっ! ……走りながら食うか。待てってシンジー!」
しばらくしてなり始めた予鈴と共に浮かぶ頭痛は、心なしか収まってきていた。体の怠さは健在だが、それよりももっと別の場所……恐らく心とか言うやつが、ふわふわと軽く躍っている気がした。