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竜狩り叙事詩

 スカルドラゴンがその体を躍動させながらこちらに突っ込んで来る。そして、骨の右腕を持ち上げて、俺に向けて振り下ろした。その一撃の速さ、力の向き、角度を計算して、俺なりの最適解を以て受け流す。盾に触れた骨が軽く削れて、火花と共に空に舞う。


「隙をつけ!」


「チャンスだ!」


「それはいいがこっちにも増援よこせ! また囲まれるぞ!」


「わかった! そっちに行く!」


 二発目は頭突き。白く、ねじくれた角が素早く俺の胴体に風穴を開けんとするが、単調で一本筋な攻撃だ。俺にとっては絶好のチャンスと言っていい。


「せー……のっ! 『ダークボール』」


 タイミングを合わせて攻撃を右下に流し、隙だらけの体にダークボールを放つ。HPを確認しても、それほど削れていない。俺の攻撃を受けたスカルドラゴンは苦しげに体を揺らして、もう一度攻撃の態勢を作った。


「そこそこタフネスもあるのか……でも、力一辺倒じゃ俺は飛ばせないぜ?」


 咆哮の一つも上げず、竜がその体を力強く躍動させる。腕の振り下ろし、噛みつき、頭突き、尻尾の一薙ぎ、体当たり。全ての攻撃には確かな質量が乗っていた。しかし、それだけで吹っ飛ばされるような柔な経験はしていない。体全体を使う体当たりには若干苦戦を強いられたが、殆ど普通のモーションは攻略したと言っていい。


「残り五割……か。やっぱロードもカルナも居ないってなると時間がかかるな……」


 地面を抉り取りながら突き上げられる角を上手く逸らして呟く。表示されているHPバーはようやく半分。俺が隙を作り、剣闘士達は全力で各々の武器を突き立てているが、いかんせん火力が足りない。かといってロードの魔法をこちらに撃ち込んでしまっては、多くの剣闘士が巻き添えを食らうことになる。


 板挟みな状況に歯噛みしながら、スカルドラゴンの攻撃を受け流す。やはり力はあるが単調だ。


「それが唯一の救いってところか……ん?」


 受け流されてよろけた竜の体に、容赦なく武器が突き立てられる。先程までなら大声を上げて怯むところだったが、スカルドラゴンに怯む様子は一切ない。こちらに向けられた翡翠の瞳の炎が、嵐のごとく渦巻いている。

 ゆらり、とひどく緩慢な仕草でスカルドラゴンが上体を起こした。そして、今まで折りたたまれていた巨大過ぎる骨の翼を、ゆっくりと広げた。


 真紅の月を背負い、翼膜の無いスカスカの翼の隙間から幾百の流星を覗かせながら、スカルドラゴンはゆっくりと口を開いた。

 瞬間、俺の体にぞわりと悪寒が走る。スカルドラゴン、つまり相手は竜だ。大空を支配する翼を持った覇者。その代名詞といえば……あぁ、ブレスだ。


「嘘だろ……受け切れるか……?」


 周囲の大気がスカルドラゴンに集まっていく。空っぽの胸骨がゆっくりと膨らみ始めた。そこでようやく事の重大さに気づいた剣闘士達が、慌てふためきながらスカルドラゴンから離れていく。

 以前、一度だけこのブレスを食らったことがある。このブレスは、かすっただけで盾を持った腕ごと溶かすふざけた火力をもっている。間違いなくエリアボスの切り札であるこの一撃……VITがどうとか以前に、鎧が持つだろうか?


「触れただけでレベル10代後半が溶ける威力……ちぃ、出来れば食らいたく無いが」


 シールドバッシュとかで逃げるにも、どうやらスカルドラゴンの目当ては俺だけのようだ。試しに左に一歩踏むと、ゆっくりとブレスの矛先がこちらにズレた。スカルドラゴンの口元の大気が蜃気楼のごとく揺らめき、闇の塊が不規則に集まってきている。逃げるには、ちょっとばかし遅すぎるようだ。


「『フォートレス』『ディフェンススタンス』『硬化』『ダークフォロー』……やるしか、無いか」


 背中向けて走るなんて、格好悪いことはしたくない。仮にそうしてもAGI的に普通に背中を撃ち抜かれるだろう。なら、腹をくくって受け止めるしかない。深く呼吸をして、ブレスに相対するように盾を構える。


 一瞬だけ、俺の周りが静かになった。


 本当に一瞬だけ、戦場から戦いが消えた。あるのは全力の吐息を繰り出さんとする骸の竜と、死力でそれを迎えうたんとする伽藍堂の騎士。あとは地面に倒れ伏す物言わぬむくろだけが、曇った網膜にその景色を映し出していた。御伽噺の英雄叙事詩のような景色が、その一瞬にはあった。


 竜が、息を止めた。直後、限界までその体がしなり、闇の濁流が轟々とその口からあふれ出した。盾の向こう側でそれを視認したと同時に、盾に強烈な圧力がかかる。視界の隅に映るHPバーが凄まじい勢いで消失していく。


「ぐぬぅぅぅ……うぉ」


 全身に力を込めて、濁流に押しつけるように盾を突き出して耐えようとするが、その抵抗を嘲笑うように、ブレスはHPを削り取っていく。ブレスに包まれ、視界は黒一色。あたりからは凄まじい破裂音と破壊音だけが聞こえる。

 必死に食いしばる俺に対して、今までの経験が走馬灯じみた様子で告げる。曰く……無理だ、と。


 10秒もしないうちにHPを全て削り取ったブレスは、未だ勢いを衰えさせていない。どんな肺活量だよ、と小言の一つを口に出すこともできない。

 このまま、やられるのか。先程とは逆に、心より先に体が音を上げようとしている。これ以上は本当に無理だと悲鳴を上げている。


 全身から、体温と感覚が奪われていく。意識も、視界も混濁し始めた。

 ――そんな限界ギリギリな俺の耳に、周囲の破壊音をかき消して、野太い声が聞こえた。幾重にも重なった音の世界で、それでもそれらを塗りつぶして轟く唸り声が聞こえた。


 同時に、車と車がぶつかるような音が響き、ブレスが急に途切れる。そのことに喜び、原因を探るより何倍も早く、ズタボロの鎧の両膝が地面に付いた。白い兜の奥から外へ、肺の底からの空気が飛び出す。

 そのまま前のめりに倒れて、盾を落とさなかったのは、単なる俺の意地だ。


 混迷する脳をなんとか説き伏せて、視線を上げると、そこにはオルゲスの姿があった。隆々とした右手を高く打ち上げ、歯を食いしばって全身を強張らせている。その右拳の先には、空に向かってブレスを吐くスカルドラゴンの姿……。


 弱った脳味噌でも、少し時間をかければその景色の意味くらいはわかる。つまり、オルゲスがブレスを吐くスカルドラゴンの顎に、強烈な右アッパーを繰り出したのだ。

 頭では理解できる。だが、それよりも大きな問題があるだろう。鉛のように重い体を揺らして、声を絞り出す。


「オルゲス……お前、なんでここに……」


 防衛対象であるオルゲスの暴走に俺は助けられた訳だが、それとこれとは話が別だ。収まってきたとはいえ、ここは戦場のど真ん中。しかも敵の大将とも言えるスカルドラゴンの真ん前に現れるという狂行を嗜めるように言うと、オルゲスは頼り甲斐のある大きな笑い声を上げながら言った。


「残り30分を切ったからな。こうして戦場に飛び出したのだ」


「おま……確かに『せめて30分くらいにしろ』とは言ったが……」


 言葉を間に受けて本当に敵の真ん前に出てくるとは思わなかった。せめて後衛でサポートがてらに少し暴れるくらいかと思っていたのだが……当てが外れたな。

 俺の言葉に、オルゲスは適当に頷いて、何かを言おうとしたが、それより先にスカルドラゴンが右腕を振り上げた。


「む? ……ふん! ……確かに重いが、生前の慧眼けいがんは無くなっているようだな、メラルテンバル」


「グルル……」


 スカルドラゴンの振り下ろしを、左腕の一本で受け止めて、オルゲスは悲しげに呟いた。憎悪に染まった竜の頭蓋骨には、先程の一撃で左目を縦断するような深いヒビが入っていた。下顎は一部が砕けている。されど、その目に宿る殺意に陰りは見えない。

 理性を失った旧友に、オルゲスは悲しげな表情を浮かべた。


「悲しみに身を横たえたか」


「……」


「真の敵は己の内にある、といつかお前は言っていたな。ああ、今ならばその言葉の意味が、本当に分かる」


 体重をかけてオルゲスを押しつぶそうとするスカルドラゴン……いや、メラルテンバルに、オルゲスの体が地面を抉りながらずり下がる。だが、オルゲスの霊体の瞳は、確かに竜の瞳の奥を射抜いていた。


「我はお前と違って知識も慧眼も無い。だから、言葉でお前を説き伏せることは出来ぬ。故に、我が育った場所……コロッセオ式でお前を説き伏せてやろう!」


 そう言うなり、オルゲスは空いた右腕を握りしめて、もう一度頭蓋骨に深々とアッパーカットを打ち込んだ。目を疑うほどにメラルテンバルの体が仰け反り、打ち倒される。メラルテンバルは直ぐにその体を起こしてオルゲスを睨むが、その巨体はダメージからか震えていた。


 間違いなくメラルテンバルと一騎打ちをする気満々のオルゲスに、だるい身体で待ったをかける。水を差すようで悪いが、流石に一対一はよろしく無い。ちらりと確認したメラルテンバルのHPは残り四割。対するオルゲスのHPはきっちり十割だが、相手方は第二形態を残している。タイマンは分が悪いと言わざるを得ない。


 ……というのは、唯の建前だ。本音はもっと単純なもの――俺も、戦いたい。

 もうそろそろ夜は白む。朝が来る。俺はこの夜を精一杯生き抜いてきた。朝を目指して走ってきた。その一番最後の花形を、ゴールテープを切る瞬間を、遠くで見つめているなんて……真っ平御免だ。


 体はボロボロ。戦うなんて暫くは無理だ。だが、見ているなんて出来ない。最後くらいは……誰だって格好をつけたいだろう?


「なぁ、オルゲス。そのコロッセオ式ってやつに、タッグマッチは含まれてるか?」


 傷と疲労塗れの体をゆっくりと起こしながら、立ち上がる。膝は震えているし、盾は異常なほど重い。だが、俺の中で熱い何かが脈を打っているのを確かに感じるのだ。それは闘争心とか、競争心だとか、いくつもの名前を持った感情。俺の奥底で、慣れないそれらが鼓動している。

 立ち上がった俺に、オルゲスは大きく目を見開いたが、すぐに頼り甲斐のある笑顔を浮かべ、言った。


「勿論のことだ。……さて、夜をツマミに朝を見よう」


「片手間に、な」


 どす黒い真紅の空の、その隅に……僅かに銀の光が揺らめいた。嗚呼、朝が来る。

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