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朝焼けは銀に燃えているから

 咆哮を上げながらこちらに突っ込んでくるスカルドラゴンの体当たりを真正面から受け止めてしまえば、俺とて無視できないダメージを被るだろう。レベル差ではなく、質量差。このゲームは魔法やステータスなんて不思議なもので溢れているくせに、きちんと物理法則はその存在を主張している。


 ならば、後ろに下がるか、横に受け流すか。……否。ここは戦場だ。既に多くの剣闘士が距離を取っているとはいえ、俺がここでこの破壊力を後ろに丸投げしては、二次災害で幾人かの被害が出るに違いがない。ならば、答えは一つしかないだろう。


「『硬化』……真正面から()()()()()()()。かかって来いよ!」


「グルァァァ!!」


 まるで壁が突っ込んで来ているようだ。スカルドラゴンが地面を踏みしめるたびに、地面が揺れる。そして、その巨体が恐るべき質量を持ってして、俺の盾にぶつかった。

 瞬間、メルエスの魔法を食らった時に近しい衝撃を受けた。世界がぐらつくような、体がバラバラになってしまうような破壊の渦。ダメージだとか、踏ん張るだとか、そういった事柄を丸々全部忘れるほどの重さが、真正面から叩きつけられた。


 やはり、無謀だったか、と後悔が湧く。いくらVITを上げていても、このレベルの質量攻撃は受け止めきれん。このまま俺の体は小枝の如く吹き飛ばされ、しばらく戦線から離脱することになるのだろうか。鎧の足が地面に跡を残して、そのまま宙に――


「……チさん!」


「……イチ!」


 叩きつけられた衝撃に、あえなく吹き飛ばされる数秒前、空の向こうから声が聞こえた。甲高い、悲鳴にも似た声と、大地に根を張ったような太い声が。それが聞こえた瞬間、無意識に四肢へ力が籠もった。踵が地面に下りて、重心が、腰が、両肘が、無理矢理に動いた。


「負けないでください!」


「踏ん張れッ!とどめろ!」


 ああ、視線を向けずとも、この声の主が誰なのかは見当がつく。ぶかぶかのローブを着込んだ墓守と、隆々とした肉体をもつ拳闘士の声だ。その二人が、必死に声を荒らげている。負けるなと叫んでいる。


「ぐぅぅ……っ!!」


 だから彼女に、彼に、かっこ悪い姿を見せないために、つまらない意地を張るために、せめて吹き飛ばされるとしても数秒は持たせなくては、と思いっきり歯を食い縛って――俺の背中に、何かが触れた。


 浮いていく体を抑えるように、飛んでいってしまう四肢を繋ぎ止めるように、誰かが俺の背中を押していた。次の瞬間、俺の背中を押す力が増える。誰かが、誰かが吹き飛ぶ俺を止めていた。

 何もなければ、そのまま棒切れのように吹き飛んでいたはずの俺は、竜の突進を相手に競り合っている。


 一体、何が起きているのか。突進の衝撃で霞む聴覚に、雷のような怒号が響いた。


「お前らァ!! 騎士様にだけ背負わせんなァッ!!」


「俺たちで支えろ!!」


「グゥァァァァ!!」


 ああ、そうかと理解した。俺がドラゴンの突進を正面から受けて吹き飛ばない理由が分かった。いくつもの腕が俺の背中を、足を、腰を、肩を支えていた。衝突の瞬間の膨大な衝撃を、俺一人に背負わせないために……何人もの剣闘士がその場から逃げず、俺を支えているのだ。


 叫び声が聞こえる、雄叫びが聞こえる。そのたびに俺を支える力が増えていく。何人も何人も、俺の体を支えていく。それなら、俺が――一番前で盾を構える俺が、最初にくたばってはいられないだろう。


「ォォオオぁあアァァ!!!!」


 両腕に力を込めて、前に構え続ける。踏ん張れば踏ん張るほど、足甲の底が削れ、地面に深々と跡を残していくのを感じる。だが、たしかにこいつの一撃を受け止めている。吹き飛ばずに止めている。

 最初の衝撃さえ凌ぎ切れれば、正面からの押し合いにさえ持ち込めれば……俺のVITでも勝負が出来る……ッ!


「おぉら、よッ!!」


「グォォ……!」


 脳裏にレオニダスの動きをちらつかせながら、力の指向性を真下に流す。盾を斜めに構えて、スカルドラゴンの頭骨を地面に押し付けた。背中に背負った剣闘士たちごと押し込みながら、ド派手に地面を削りながら、竜の一撃は俺を屠らんとしている。


「ッ……! 『シールドバッシュ』!」


 地面に押しつけるようにシールドバッシュを打つと、途端に突進の速度は遅くなり、やがて完全に止まった。距離で言えば二十メートルは引きずられたが、たしかにスカルドラゴンの一撃は止まった。地面に押し付けられた頭蓋骨に灯っている緑の双眸が、恨みがましくこちらを見つめる。


 止めた。止めたぞ。突進は距離を置かなければ打てまい。つまり、今が最も無防備で、最高のチャンスというわけだ。それを見逃すような柔な者は、この場に一人として居ない。


「今だッ!!」


 真後ろから、雷のような怒鳴り声が聞こえて来た。それに合わせて、背後に控えていた剣闘士達が一斉に飛びかかる。角に、背骨に、腕に、足に、尻尾に。群がり武器を振りかぶって、堂々と振り下ろした。ダメージエフェクトが花火のように散らばった。


 唸り声を上げて、大きく竜の体が仰け反る。そして、全身を波のように捻り、剣闘士を振り下ろそうとした。がしかし、剣闘士はそれぞれスカルドラゴンの体に武器を突き立て、両手両足でしっかりとしがみつき、決して離れない。せっかく手に入れた反撃の機会を、そう易々と逃してたまるものか。


「『ダークアロー』、『ポイズン』。よし、掛かったな」


 剣闘士達の隙間を縫って魔法を打ち込み、呪術を掛けると、なんとも珍しいことに状態異常に掛かった。

 それを軸に、更に剣闘士達は暴れまわる。


 高台から飛びかかって骨に刃を突き立て、足場から太い弓矢を続けて撃ち放つ。竜が腕を振り上げれば蜘蛛の子を散らすように逃げて、他がその隙を突く。見事に完成された、対大型の集団戦闘だった。

 全動作を後衛が確認し、前衛は恐れもせず、前に進む。回復の隙を一切与えず、人海戦術で有利を取り続ける。


「尻尾来るぞっ!」


「了解!」


「クソッ、足が!」


「掴まれっ!」


「左の足場空いている!」


「分かった!オオオォッ!!」


 槍で突け、剣で切れ。手足の関節を射抜いて行動を阻害し、懐数センチまで潜り込む。圧倒的にこちらが有利で、士気も凄まじく高い。


 しかし、やはりというか疲れという大敵は、たしかに俺達の体を蝕んでいた。指示を出されるものの、避け切れない者や、避け切れないものを庇おうとして噛みつきをモロに食らった者など、疲労は見えずともそこにあった。

 更に言えば、スカルドラゴンに人口が集中したせいで、守りや包囲が手薄になり、結果逆にこちらが敵に囲まれて不利な位置に立たされていた。スカルドラゴンに飛びかかろうとした背中を、スカルシャープに引っ掛かれ、油断した隙にスパルトスに轢き殺される。スカルドラゴンは仲間度外視で体をのたうち回らせて、地面を深く削っている。


 戦いは完全に沼と化し、混沌を極めていた。二、三度呼吸を深め、ステータスを確認する。よし、ようやくさっきの突進のダメージが抜けた。戦況は局所的有利、あとは若干不利といったところだろうか。戦力過多と不足の差がある。まあ、そこはオルゲスがなんとかしてくれるだろう。

 俺がやるのは周囲のお掃除兼スカルドラゴンのヘイトを限界まで取り続けること。


「……さて、行くか!」


 手始めに四重捕捉で吸収、盲目、衰弱の三コンボを周囲に撒き散らし、スカルドラゴンに近づく。視界の隅では銀の光が、赤の空を裂いて飛んでいた。目の前は血湧き肉躍る混戦。竜狩りと防衛戦の混じり合った戦のどよめきが、ひしひしと傷まみれの銀の鎧を揺らした。


「さあさあ、寄ってこいよ! 『フォートレス』、『ディフェンススタンス』。……あと、『ダークフォロー』!」


 ヘイトアップ、フォートレスのコンビで周囲の目を奪い、セルフバフを掛ける。新しく覚えた闇魔法のダークフォローは、闇魔法に対する耐性を上げる魔法だ。……正直ここらの敵は闇魔法なんてかけらも使ってこないが、以前見たスカルドラゴンのブレスは深淵にも似た深い闇の吐息だった。耐性が適応されてもおかしくないだろう。


 空から、地面から、正面から、全ての敵がこちらに押し寄せる。あぁ、来いよ。雑魚MOBの攻撃なんざかけらほども痛くない。問題なのはスカルドラゴンだが、見ている限りしっかりと踏ん張りさえすればなんとでもなりそうだ。レベルが俺とほぼ変わらないからか、覚醒前のレオニダスと殆ど変わらないダメージぐらいしか食らわないだろう。


「……『シールドバッシュ』! 『ダークアロー』! ……ッしょ。『四重捕捉(クワトロロック)』『吸収(ドレイン)』。『血塗れの一閃(ブラッディスタブ)』『ランパート』……危ねぇ」


 空から飛び降りる鷹を真正面から撃ち落とし、視界の隅から奇襲をするゾンビドッグの頭をダークアローで砕く。すかさず突っ込んできたスパルトスの突進をうまく流した上で足を引っ掛けて転ばし、呪術を四方に展開。その際に背中を何かに引っ掻かれたので、振り返らずに血塗れの一閃で減った分のHPを回収した。


 視線を振ればスカルドラゴンがこちらに大きく腕を振り上げている。それが振り下ろされる前にランパートで壁を貼って攻撃を止める。途端に雨霰と剣闘士達の攻撃の雨が降り、スカルドラゴンは苦痛に大きくいなないた。


「よし……っぶねぇ! 助かった……」


 とりあえず一息をついていると、空からブレスの前にする呼吸音が聞こえて、慌てて空を見上げると、ロードの魔法が動きの止まったワイバーンを撃ち抜いていた。本当に頼りになる墓守だ。後で礼を雨霰と降らそう。

 周囲の雑魚は少しすると急に事切れたように倒れこんだ。HPとMPが非常に美味しいが、流石にスタミナと集中力がカツカツだ。


 無意識に額の汗を拭おうとして、鎧の兜を撫でた。HPとは無縁の疲労に、酷く息が切れる。が、まだまだ夜は終わらない。骸の竜は堂々と吠えている。俺の知らぬところで、不死身の女が槌を振るっている。銀の墓守が空を切り裂いている。金の槍が赤い月を穿たんとしている。

 明日を目指す意思が、きっとこの戦場で燃えている。


 ゆらり、とスカルドラゴンがこちらを睨んだ。多くの剣闘士達に群がられ、傷つけられ、されどもその死した翠の瞳に満面の殺意を込めて、こちらを食いちぎらんとする。

 ああ、そうかい。俺をぶっ飛ばしてやろうってか。この際周りの奴は放って俺から仕留めることにしたってか。ああ、そうか。


「その選択、後で絶対後悔させてやるぜ」


「グルォォ!!」


 太く、長ったらしい尻尾が凄まじい速度でこちらに迫ってきた。圧倒的な質量のそれを、盾の真ん中で受け、斜めに傾けて空に流す。スカルドラゴン自体には、技量という概念が欠落しているようで、レオニダスのように盾をどうこうしようという発想ではなく、持ち前の質量で押しつぶす戦略をあくまで取り続けるようだ。

 長らく格上と戦い続けていた俺のプレイヤースキルはそこそこ上昇している……と信じたい。なかなか様になった受け流しで、大質量を凌ぎ切った。盾と骨が擦れあって、摩擦で橙の火花が咲いた。


「……ふぅ、様子見か? ダメージが足りて無いぜダメージが!」


「グォォォォッ!!」


「隙ありっ! 『ダークボール』!」


 俺のナチュラルな挑発に、完全に怒り心頭と化したスカルドラゴンは、骨の体を荒ぶらせて、大きく吠えたが、そんな無駄な行為を見逃せるわけがない。口の中にダークボールをぶち込んでやる。突如現れた超質量の球体に、大きく口腔を蹂躙された竜は、されど消えぬ憤怒でこちらを睨んだ。本格的にこっからが勝負か。


 鎧を軽く鳴らして盾を構え直すと、カルナの居た方の戦場から、キン、と軽い鉄の音が聞こえ、同時にとてつもない雷鳴が響いた。


「射貫けぇッ!! テルモピュライッ!!」


 否、それは声だ。現在に蘇りし英雄の、全力の咆哮だ。今度こそ本当に響いた雷鳴に、鎧の奥でほくそ笑む。全力だ。全力で全員が戦っている。戦場が踊っている。


「あぁ、燃えてきた!」


 心の底からの声に、竜がその体を躍動させた。



 月紅の終わりまで――残り20分。終焉(おわり)は近い。

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