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眠れぬ夜、月に吠ゆる

「オルゲスさん、左側は取り敢えず大丈夫そうです」


「そうか。今のところは継続して消耗戦を強いられているが、最初と変わらず拮抗している。まずまずといったところだ」


 中央部に着いた俺たちに、オルゲスが戦況を報告してくれた。そこそこ場数を踏んだオルゲスがまずまずと言うなら、押されてはいないという事だろう。戦いに関しては戦場を渡り歩いたレオニダスの方がより詳しく分析できるだろうが、オルゲスとて戦いに生きる者。場の良し悪しは分かるのだろう。


「レオニダスの方は大丈夫か?」


 カルナを一人置いてきたレオニダス方面は、槍と盾を持った戦士達が何百人も居たはずだ。相手がレイスやリッチなどの魔法系統だが、移動中にロードから確認したところ、数はこの墓地の中で一番少ないらしい。数で言えばレオニダス陣営とエリートリッチ陣営では、差が二倍近いと言っていた。


 霊体の彼らなら物理無効も関係ない上、リッチ系統は魔法に強い代わりに物理に弱いと言う点を持つ。カルナも十分活躍できるだろう。

 しかし、オルゲスは遠くに見える戦士達のファランクスを見て苦い顔をした。


「……相手が悪いな。消耗が激しい。数の利で押さえ込んでいるが、戦士達の体力が最後まで持つかどうか……」


「そんな……カルナさん」


 遠くに小さく見える戦場では、闇魔法や氷魔法の弾幕が薄く張られており、遠距離攻撃という点において負けている戦士達がひたすらにそれを盾で凌ぐ展開となっている。

 偶にこちらの右翼に飛ぶ魔法で何人かやられている、とオルゲスは付け加えた。


「魔法と剣……どっちが強いかの話だよな」


 ロードの魔法を見れば、自然と魔法に体を傾けてしまう。銃と剣、どちらが強いかという論争にも似たそれは、片方の圧倒という結果を迎えている。

 防衛成功まで残り1時間と少し。状況によってはレオニダス方面への手助けも視野に入れなければなるまい。


「我が前に出れば、前線は安定するだろうが……」


「防衛対象が残り1時間ちょいで動いてどうすんだ。せめて最後の30分とかにしないとマズイぞ」


「うむ……ここはレオニダスの手腕を信じるとしよう」


 オルゲスは苦い顔で頷いた。……カルナ、その鎚は神をも砕くんだろ? なら、魔法くらいは簡単に砕いてくれよ。

 遠くの戦場にいるカルナに、小さくエールを送った。このゲームは、基本的にフレンド同士の「ささやき」などを送れない。人間陣営は、お金を払って伝書鳩を飛ばしたり、大金を支払って相手に文字を送れるようになる『ルーン』を使って意思疎通を図っているらしいが、基本的に遠距離の相手に言葉を伝えることはできない。


 本当に不味くなったら先程の約束通り走って逃げる事ぐらいしかできないだろう。もう少し俺たちのAGIが高かったら助けに行けるのだが、俺の移動は一般人の徒歩レベルの代物だ。助けには行けない。


「……まあ、取り敢えず中央の負担を軽くしに行くか」


「そうですね。僕たちには、僕たちの戦いがありますから……」


 ロードはボソリと呟くと、近くの林檎の木に向かって歩き出した。俺も、ゆっくりと前線に向かって歩みを進める。HPとMPは満タンだ。疲労を見せず、文字通りゾンビアタックを仕掛けてくる相手方に、前線は大分疲弊している。だが、今はまだ折り返し地点だ。ここからが真の戦いになるだろう。


「『四重捕捉(クワトロロック)』『(ポイズン)』」


 ギリギリ射程に入った魔物達に呪術をお見舞いする。俺のリソースはほぼ無尽蔵、消耗戦には滅法強いはずだ。呪術を辺りに撒き散らしつつ、時折突撃してくるスパルトスやゾンビレイヴンを闇魔法で叩きのめしていると、銀の光が戦場を一の字に切り裂いた。それだけで敵がごっそりと消失する。

 さすがはロード、殲滅力の塊だ。


 ロードの殲滅力に負けぬように、俺自身も何とか前線で暴れまわる。偶に倒されそうになっている剣闘士を助けつつ、戦場を俯瞰する。前線は安定している。今のところはどこも問題はない。もうそろそろ1時間が経とうとしているが、この調子なら大丈夫そうだ。


 ……だから、だからこそなんだ。


「おかしい……絶対に何かおかしい」


 見上げた赤い月は、余裕綽々にこちらを睥睨している。空の玉座に踏ん反り返り、(あざけ)りを含んだ笑みを撒き散らしている。破滅と、狂騒と、終焉を(もたら)す真紅の月。それが、こんなに甘い訳がない。簡単に沈む訳がない。被害妄想的だが、きっと何かが、何かが起こるはず――


 見上げた視線を、元に戻す。疲労を見せずに敵に突撃していく剣闘士の姿が見える。しかしその奥で、敵の増援に異様な影が見えた。形がいびつで、酷く多い。ゆっくりとそれらが姿を現した時、空から通知が降り注ぐ。


【赤い月は怪しく煌めいた】


【ねぇ? 夜はまだ、始まったばかりでしょう?】


【夜が深まる。覚めぬ悪夢が牙を剥いた】


「まだまだ夜は終わらねえって言いたいのかよ……」


 形の無い自分の顔に、酷く歪な苦笑いが浮かんでいるのがわかる。思わず見上げた空には、赤い月と……血のような流星群。空を引っ掻いた流血のようなそれらは、赤い空を埋め尽くすように縦横無尽に飛び交っている。


「な、なんだこいつらは……!?」


「クソッ! 一旦下がれ! こっからが本番だ!」


 剣闘士達が酷く毒づいた。彼らは盾を構えつつ後ろに下がる。霧の中から姿を現したのは、数多くの魔物。そのどれもが眼孔に赤い光を灯している。さらに言えば、先程は見なかった魔物がいる。


腐肉大蛇(ゾンビスネーク)

骸骨獅子(スカルシャープ)

腐肉大鷲(デスホーク)

骸骨飛龍(スカルワイバーン)


 どれもレベル15以上のモンスターだ。最悪な事に、複数体出現している。折り返しで本格的に詰ませに来たか……。

 ゆっくりと戦線を後退させた剣闘士達の顔には、疲労と緊張がありありと浮かんでいた。それでも恐怖は一切見せず武器と盾をしっかりと構えているあたり、とても頼もしい。


 赤い光を灯した不気味な魔物群が、ゆっくりと霧から抜け出し、こちらに近づいてくる。不気味なまでの静けさが戦場を覆った。見れば左翼も右翼も同じように敵と味方で見合っている。いかにも戦争前と言った景色に、無意識に唾を飲んだ。


【まだまだ夜明けには早すぎる】


【月紅の狂騒曲(カプリチオ)が始まった】


小夜曲(セレナーデ)はお嫌いか……?」


 無駄口を叩いて精神を落ち着かせようとしたが、あまり効果は無い。目の前の魔物達は腐った喉の奥底から歪な音を鳴らして威嚇してくる。

 パキリ、と誰かが地面の小石を踏みしめる音が聞こえた。その瞬間、もう待ちきれないと咆哮を上げて、魔物達が飛びかかって来た。途端に背後から銀の光が飛びかかった魔物達を消しとばす。ガチャリ、と鎧を軽く鳴らしながら盾を構え直した。ここからだ。ここからが真の戦いだ。敵の数はこちらと殆ど同じ。


「気張っていくぞ! 『四重捕捉(クワトロロック)』『混乱(コンフューム)』!」


 ォォォォォォ!! と戦場が脈動する。戦士達の血が滾っている。恐ろしいほどの殺意のぶつかり合い。最前線の勇ましき者どもが盛大に魔物の前線とかち合った。途端に入り乱れる戦場に、薄い砂埃が舞う。またもや銀の光が、今度は左の戦場を浄化していく。


「『四重捕捉(クワトロロック)』『吸収(ドレイン)』!……っ! 『シールドバッシュ』」


 MP確保の為にドレインを撃つと、空からゾンビレイヴンとデスホークが左右から同時に急降下して来た。僅かにスピードが速いデスホークのせいで僅かにテンポがずれて、うまく受け流せなかった。再び空に戻ろうとするデスホークを盾の体当たりで地面に落とし、その隙を突こうと乱入して来たゾンビドッグにダークアローをお見舞いした。


「『ダークアロー』! ……『ランパート』、『ダークアロー』。『四重捕捉(クワトロロック)』『盲目(ブラインド)』」


 息をつく暇もない。空を我が物顔で飛ぶスカルワイバーンはなんと毒のブレスを吐いている。霊体の彼らと俺には毒は効かないが、システム的な処理で、純粋なブレスダメージが飛んでくる。なにぶん数も多く、ゾンビレイヴンやデスホークのように急降下せずとも攻撃できる為、わざわざこちらの得物の間合いに入ろうとはしない。


 剣闘士は大体が剣や槍を主軸として構成されている。少数は弓を使っているが、彼らだけでは奴らから制空権を奪うには足りない。同じことを思っていたのであろうロードは、空に魔法を撃っているが、しっかりとスカルワイバーンは攻撃を避けている。


「あれは線じゃなくて面の攻撃じゃないと無理そうだな……『四重捕捉(クワトロロック)』『盲目(ブラインド)』」


 空を駆けるワイバーン四頭に向けて盲目の魔法を撃つと、ワイバーン同士で衝突したり、地面に墜落してくれた。ワイバーン一体は遠目で見ると分かりづらいが、成人男性一人分くらいの大きさはある。それが地面に落ちると落下地点が大分混乱するが、その死骸を利用してブレスなどを回避している剣闘士もいる。


「ぐぅぅ!!」


「大丈夫かエスピオス! どうした!」


「足元に目立たないがゾンビスネークがいる! 足元に気をつけろ! 組み付かれると足の骨を折られるぞ!」


 慌てて俺も足元を確認すると、積み重なった死体の間を縫って、アナコンダサイズの蛇が地面を這っていた。腐ったその体は地面と保護色になっており、空を警戒する事の多い戦場では厄介にも程がある相手だ。速攻で見つけた一体をダークアローで射抜く。幸い耐久は高くないようで、一発で消滅した。


 視線を地面から戻すと、今の戦場の様子が飛び込んで来た。


 空から吐かれるブレスを歯を食いしばって耐える剣闘士。

 気を抜いたところをスパルトスの体当たりを食らって吹き飛ばされる剣闘士。

 骨のサーベルタイガーにのしかかられ、苦悶の表情を浮かべる剣闘士。

 必死にデスホークの啄ばみを剣先でいなす剣闘士。

 足をスカルサーペントに固められ、喉元を食いちぎられて消えていく剣闘士。


 足元には夥しい数の動物の死骸が戦場の端から端まで転がっており、空には不気味な赤い月と、流星が燦然と輝いていた。

 猛々しい雄叫びも、今は苦悶の悲鳴に変わっている。野太い苦痛の声が、戦場に深く共鳴した。まさに狂騒だった。圧倒的な破滅だった。これこそが、月紅。


「……地獄かよ」


 地獄を一枚の絵画にしたら、こんな様子が出来上がるのだろう。悪夢を現世に呼び覚ませば、こんな様相が呈されるのだろう。圧倒的な殺戮と、絶望的な暴力が戦場に撒き散らされていた。

 また一人、野太い断末魔を上げて喉元を食いちぎられた。また一人、毒に蝕まれて両膝をついた。


 俺の脳裏に『敗北』の二文字が過る。駄目かもしれない。押し負けるかもしれない。そんな予測演算が徐々に重みを帯びていく。


 目の前で死んでいく仲間の様子に、赤い月に、俺はようやく遅い緊迫を覚えたのだ。煮立つ思考を振り払うために目線を動かしてカルナの居る方面を見つめると、戦士達のファランクスはぐちゃぐちゃに打ち破られており、必死に立ち向かう戦士達の体に、無慈悲に魔法が降り注いでいた。

 正面からマシンガンを食らったように体を蜂の巣にされて、一人、また一人と散っていく。


 ――あと、一時間?この戦場で、この有り様で?耐えきれるか?無理じゃないのか?


「いや、考えるな……駄目だ。考えたら駄目だ」


 脳は酷く冷静だ。これでは無理だろう、と答えを出す。酷く怯えた自分が、一旦前線から引こうなんて甘い弱音を吐いている。足が一歩後ろに下がってしまうのが分かった。

 一度俯瞰した場所での確認が必要だ。一旦下がって態勢を――


 戦場を、銀の光が切り裂いた。圧倒的な絶望を前にして、それでもロードは引いていなかった。何故だ、どうしてだ。思わず後ろを振り返って、はっと息を飲んだ。


 そこには、俺の知らない戦いがあった。俺の知らない目があった。俺が……初めて見る、執念にも似た意地があった。後衛から、剣闘士達が戻ってくる。剣を、盾を、槍を、弓を握りしめ――一切の翳りを見せぬ戦意を滾らせて。


 その瞳は燃えていた。まだ終わる訳がないだろうと、ギラついた眼光が並んでいる。さらに奥を見れば、墓石の隙間から必死に地面に這い出す剣闘士達の姿があった。あれだけ手酷く殺されて、喉元を掻き切られ、心臓を止められて尚、墓場の土をその太い腕で突き破っていた。


 赤い月を、空を握りつぶすように地面から腕が生え、ゆっくりと地面を掴むと、血管が浮くほど力を込めて墓から這い出る。その顔は牙を剥いており、目は怒りを湛えていた。武器を握る手には青筋が浮かんでいた。


 まだ、まだなのか。


 戦場に居ながら、後ろを振り返った俺の体は、今を忘れるほどに硬直していた。


 あなた達は、まだ諦めていないのか。


 林檎の木の上に仁王立ちしたロードが、白い歯を剥いて魔法を唱える。後衛に居るオルゲスは、ワイバーンの死体を使って壁を作れ、中央はもう少し下がれ、左翼は固まって前線を上げろ、と精一杯の指示を送っている。


 ――視界の隅で剣闘士がスカルシャープに右腕を噛まれた。その剣闘士は歯を食いしばって痛みに耐え、残った左腕を空っぽの頭蓋骨の中に突っ込む。スカルシャープを倒す代わりに右腕を失った彼は、地面に落ちた自分の剣を左手で拾うと……ゆっくりと戦場を見つめ、咆哮を上げながらゾンビドッグの群れに突っ込んでいった。


 そうか。まだなんだな。まだ、終わらないんだな。なら――


 ロードは肩を激しく揺らしながら息をして、それでもゆらりと左手を宙に掲げた。

 オルゲスは圧倒される戦場を俯瞰して、それでも喉から血の出るほど大きく声を張った。


 そして、この戦場で幾度となく切り刻まれ、貫かれ、殺され――打ち倒された剣闘士達は、ゆっくりと戦場に歩を進める。己が挑む戦場を見定めると、今度は駆け足で、そして瞳に鮮やかな色の意思を(ほとばし)らせて、一斉に息を吸った。


 ――嗚呼(ああ)。まだ俺も、諦めるわけにはいかないんだろう。


 ――オオオオオオオォォッ!!!!


 顎が外れるほど牙を向いて、雄叫びを上げて、死も苦痛もかなぐり捨てて……彼らは誰よりも勇ましく吠え、誰よりも勇ましく走った。


 質量を含んだ猛々しい咆哮に、先程まで捕食者の目をしていた魔物達は気圧され、怯え、後ろに下がった。戦場に轟く声に合わせて、銀の光が動きの止まったワイバーンを切り裂く。


 魔物の目には、狂騒の赤い光が浮かんでいた。しかし、雄叫びを上げながら突撃するすべての剣闘士の瞳にも、確かに光が灯っている。


 それは色とりどりで、揺らめいていて、されど全てを焼き焦がす程の熱を秘めた灯火だった。勿論、ロードやオルゲスの瞳にも、その火は灯っていた。終わらない命の炎、或いは煌々たる戦意の炎。


 思わず目を奪われて……そして俺はゆっくりと戦場に振り返る。


「……みんなで朝日をツマミに飲み明かそうって(のたま)ったんだったな」


 魔物達に振り返って盾を構える。ギリリ、と盾を持つ手に力を込めた。いつも通り格好をつけて、少しでも怯えてしまった弱い心を押しのけるように、いつも以上に気障なセリフを吐き捨てる。


「さあ、夜はまだまだなんだろ! ……夜更かしの一つとでも行こうじゃあないか! なぁ!」


 そう吠える俺の瞳にも、炎が灯っていて欲しいと、心の底から思った。

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