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不滅の愛を、君に捧ぐ。

めでたく百話を更新できました。

これも皆様のお陰です。本当に、ありがとうございます。

 満身創痍の体を引きずって砂漠を走る。砂嵐が消えた砂漠は空っぽの水槽のようで、西の地平線へと体を傾ける太陽が空に壮大なグラデーションを放っていた。藍、青、橙、赤。異なる色が入り交じる空はこんな状況なのに見惚れるほど美しく、思わず空を見上げてしまって転びそうになった。

 空っぽな空気のお陰で限りなく透明な空に浮かぶ色彩は、どこまでも広がっているように感じられる。


 こんな状況でなければみんなで腰を下ろして談笑したいくらいの光景だが、あいにく地面は白い砂。下ろした腰が削られてしまう。不滅の加護の宿る右腕を激しく振りながら、砂漠の果てを目指す。テラロッサを信用していないわけでは無いが、この砂漠に居るだけで攻撃を受ける可能性が存在するのだ。

 俺たちは全員満身創痍。リエゾンなんて右腕から出血しており、それをなんとか片手で圧迫している。


 カルナは脇腹を深く抉られており、苦い顔をしながら走っているし、コスタなんて自慢の兜がド派手に凹んでいる。唯一無事なシエラも、MPと集中力が底をついているらしく苦しげな表情を浮かべていた。


 それでも、俺たちは全員生き残っている。あの『破滅』から逃げ延びている。一歩一歩踏みしめる度にその実感が体を満たし、生還の喜びが沸き上がってくる。状況を見て、ぐちゃぐちゃな鎧を走りながら修復した。あまりにも走るのに支障が出ていたからだ。足から順にキットを使用していくと、白い光が防具を包んだ。それが波のように消えていくと、新品同様の白い輝きが夕日を反射して放たれた。


「なんとかこれで元通りだ……」


「あら、防具を直したのね」


「あのままでは見れたものでは無かったからな。良かったよ」


「うわぁ……カッコいい鎧だ……!」


「なんか負けた気分です……」


 墓守の鎧は最初に受け取った時のような煌めきを放っていた。緻密な細工や、関節部分の駆動が改善されて擬似的に体が軽くなったような気分になる。そのままの勢いで盾も修復した。ああ、これだこれ。盾に傷がついていても盾職からすれば勲章のようなものだが、ロードから貰った物なのでやはり大切にしたいのだ。

 シエラが初めて見た墓守の鎧に目を煌めかせる。鎧を褒められるのはとてつもなく嬉しいので、新しくなった兜の奥でニヤリと笑みが浮かんだ。


 アイテムボックスの中を漁っていると、修復キットのついでに買ったHPとMPのポーションがあった。これは確実に使うべきだな。カルナ達には回復の手段が無い。唯一カルナだけがHPの自動再生を持っているようだが、リエゾン達は未だに怪我をしたままだ。

 それを確認してからポーションを取り出して全員に渡す。


「ボックスの中にあったポーションだ、使ってくれ」


「助かります……」


「あ゛ぁ……生き返るぅ」


「これで満足に動けるわ」


「すまないな……何から何まで」


「気にするな。俺が勝手にやってるんだ」


 全員の回復を見届けて、時刻を確認した。今の時刻は5時半。太陽が赤く燃えたぎり、昼という時間が最後の輝きを放っている。一応の確認ということで、北の不滅についてリエゾンに聞いた。


「リエゾン、北の不滅は……」


「大丈夫だ。シエラが持っている」


「しっかり回収したよー!」


「攻撃から花を守りながら綺麗に摘むのは大変だったな」


「私がやったら引きちぎってしまうもの。シエラは触れない、コスタは対応で手一杯……リエゾン以外に花を摘める人は居なかったわ」


 良かった、しっかり回収できたようだ。リエゾンは晴れやかな笑顔を浮かべているし、他の面々もははは、と笑っている。シエラがじゃーん、という掛け声と共にアイテムボックスから北の不滅を取り出した。そのとたんに地面に落ちそうになるのをリエゾンが素早く受け止める。


 山茶花のような花達が少しだけ揺れた。若々しい葉、白い砂漠で唯一の色彩を放つ花が一輪咲いており、砂漠という過酷な環境でも関係ないとばかりに大きく花開いていた。両腕でそれを支えるリエゾンは、柔らかく目を細めている。

 ようやくだ。ようやく彼の願いは叶う。彼の中で彼女を本当に弔ってやれる。


 砂漠で死にかけ、俺達や不滅と出会い、砂漠をもう一度駆け回って……一度は完全に心が折れそうになりながらも、こうして彼の腕の中にお伽噺の不滅は咲いている。あとは……彼がこの花を添えるだけで、彼とリアンの長い悲恋は幕を下ろすのだ。きっと長い月日を跨いだ、切なくも甘い恋は……終わってしまうのだ。


 彼にとってもしかしたら、それは受け入れがたい事かもしれない。一生彼女に恋をし続けていたいのかもしれない。けれど、同時に彼は分かっている。


 リアン・ディブリスは、もうこの世に居ないのだ。


 どれだけ熱い恋をしようと、彼女はもうそこには居ない。残るのは空回りした過去への恋慕だ。故にこそ彼は恋を絶ち切って、彼女の想いを胸に彼女に恥じないように生きてほしい。


 ……そして、彼に知ってほしいのだ。彼女が言わなかった言葉を、一言だけ。もう居ない人間が残した最後の言葉……つまり、最後に彼は一言だけ彼女と会話ができるはずなのだ。相槌でも、嗚咽でも何でもいい。本当に一言だけ、過去の彼女に触れられる。

 その言葉を胸に抱いて、俺はリエゾンに言った。


「帰ろう」


「ああ、早く帰ろう。……墓地に」


 もう『どこに帰るんだ』なんて言わないリエゾンに頷いて、墓地のある方角へと一直線に走った。



 ――――――――



 行きと違って帰りは砂嵐の影響もなく、素早く帰ることが出来た。しかし時間はしっかりと過ぎ去っており、太陽は既に西の空に沈んでしまい、淡く光る月光と星の光だけが俺達を照らしていた。

 太陽が沈んだことで、ひとつだけ変わった事がある。北の不滅が、ぼんやりと光を放っていたのだ。それはまるで消えない灯火のようで、か細いはずの光は砂嵐の中でならばきっと灯台の光のように見えるだろう。


 優しく光る花を抱えて墓地に戻ると、そこには心配そうな顔をしているロードたちが居た。破滅の登場を誰かが察知したのかもしれない。彼らは俺達が無事に戻ってくるとほっとした表情を見せ、リエゾンの腕のなかで光る北の不滅を見て目を見開いていた。


「ただいま」


「お、お帰りなさい……もしかして、その花が……」


「オレ達が探していた北の不滅だ」


「凄いです……! おめでとうございます!」


『良かった……見つけられたんだね。ロード様が嫌な気配がするって言っていたから、心配だったよ』


 笑顔で花を掲げるリエゾンに、メラルテンバルが瞳を細めた。彼なりの安堵の笑みなのだろう。ロードも両手を合わせて祝福してくれている。にしても、ロードが破滅の気配を探知してたのか……一応彼女は神の括りに入るからな。何かしらの第六感を持っているのかもしれない。

 安堵の表情を見せるロードに破滅の事を言うか迷った。言って不安がらせたりしないだろうか。


 だが、隠していて良いことよりも言わなくて後悔することの方が多いと思ったので、正直に破滅の事を話した。


「何て言うか……言いづらいんだが、俺たちは『破滅』とやりあってたっていうか……ボコられてた」


「『破滅』ですか!?」


「よく生き延びたな、ライチ!」


「嘘だろ!? そんな……破滅と戦って……なんで装備が新しくなってるんだ!?」


「メルトリアス。カルナ殿が武器を何かしらで直していたから、それと同じではないか?」


 装備についてや破滅と戦って歯が立たなかった話、不滅が助けてくれた事を順に話すと、ロードは微妙な顔をしていた。話を聞くと、無理はしないで欲しいが今回はしょうがないので怒るにも怒れない。そもそも自分が何も出来ていないことが情けない、と言っていた。

 確かに今回砂漠を探索する際、破滅への対策なんてものは絶対に取れなかった。とったとしてもあいつは全部破壊して俺達を破滅させようと迫るだろう。


 実質台風などの自然災害と同じく避けられないものであり、それに巻き込まれたことに対して怒ることなど出来ないだろう。それだけ心配してくれているのだなぁ、と暖かい気持ちになってロードの頭を撫でると、何やら不服そうな顔をしていた。


「心配してくれてありがとな」


「むぅ……やっぱり撫でれば全部解決みたいに思ってますよね?」


「嫌か?」


「いいえ、それは無いです。でも、やっぱり納得がいきません。……これは何か作戦を立てないといけませんね」


 むぅ、と撫でられながら作戦とやらを考えるロードに対し、謎に満足げな笑顔を浮かべているリエゾンが声をかけた。


「オレたちは結果として全員生きて帰ってこられた訳だ。そんなに気負うことはない。……反省はまた今度で良いだろ?」


「それもそうですね……」


 メルトリアスやレオニダスも俺達に祝福の言葉を投げ掛けてくれた。それらを笑顔で受け止めているリエゾンを見て、心が軽くなった。最初の血と灰にまみれた憎悪の視線を思い出すことは、もはや難しいことだ。暗い無表情ばかりだった彼の笑顔は朗らかで、見ているとこっちまで笑顔になってくる。片方しかない耳と、跳ねた黒髪。尖った八重歯で笑う彼は、しっかりと『今』を見据えているように思われた。


 全員が声を掛け終わると、奇妙な静寂が墓地に満ちた。これからどうするのか、この場にいる全員が恐らく理解している。このクエストの最後……花をリアンの墓に手向けるのだ。全員が分かっているからこそ、何も言えない。気軽なジョークも、世間話も今はいい。


 この墓参りは今の彼にとっての全てで、終焉でもあるのだから。重い静寂の中で、ロードが俺に目で合図を送った。


 ――お願いします。


 ――任せろ。


 確かに俺が頷くのと同時に、リエゾンが曖昧な表情を浮かべながら口を開いた。その顔は笑っているようでもあり、泣く寸前のような顔でもある……どっち付かずの微笑であった。


「ライチ、ロード、カルナ、シエラ、コスタ、メラルテンバル。それにレオニダス、オルゲス、メルトリアス……全員のお陰で、俺は北の不滅は見つけれた。……本当に、ありがとう。一生かかっても返せない借りが出来た」


 リエゾンは深く腰を折って続けた。


「オレは……この花を、リアンに送るよ。リアンに、ただいまって言って、さようならを……言ってくる」


 リアン・ディブリスは最後にこう言った。『またね』と。

 同じく、リエゾン・フラグメントはリアンにこう言った。『またね』。


 たった三文字の糸が、二人を長い間結んでいた。彼女への愛を胸に抱いて、彼はそれにさようならを突きつけるのだ。しん、と静まり返った墓地で、メラルテンバルがゆっくりとリエゾンに背中を向けた。


『道案内はよろしく頼むよ』


「すまないな、メラルテンバル」


 リエゾンはゆっくりとメラルテンバルに歩み寄る。カルナも、シエラも、ロードも……誰もついていかない。当たり前だ。俺たちは彼の墓参りの隣に立つべきではない。静かに見送って、帰ってきた彼に笑い掛けてやるのがベストなんだ。

 彼にとって一番デリケートな場面で部外者である俺達が突っ立っていることなんて、英雄譚にケチをつけるのと同じくらい『不粋』だ。


 ――けれども、俺はこのまま彼を送ることは出来ない。


 メラルテンバルの背中に登るリエゾンに、声を掛けた。


「リエゾン……俺も着いていっていいか?」


 途端にカルナやメラルテンバルから、正気か? といったニュアンスの視線が飛んでくるが、真っ正面から大丈夫だ、という視線でねじ伏せる。端から見れば不粋極まりない俺の言葉に、リエゾンは少しだけ考えて、小さく頷いた。


「ライチ。お前が居なかったら、オレは今頃脱け殻同然だった。お前はオレの命の恩人だ。だから、お前なら……オレは許せる」


「無理なことを言ってすまない……」


 ゆっくりとメラルテンバルに近づいて、俺も背中に登る。さっきまで怪訝な顔をしていたメラルテンバルは、俺の行為に何かしらの意味があることを察してくれたらしく、視線を俺からはずしていた。未だにカルナが困惑したような様子を見せているが、ロードが上手く説明してくれるだろう。


「メラルテンバル、取り敢えず樹海に向かってくれ」


『分かった』


 リエゾンの指示に、メラルテンバルが大きな銀翼を動かした。途端に浮遊感が俺の体を襲うが、恐怖は微塵もない。それよりも強い感情が……決意が、俺の心を隙間無く埋め尽くしていたからだ。


 さあ、リエゾン。ようやくだ。ようやくだな。今までリアンに借りてきた全てを……ようやく返せる。 


 メラルテンバルが空を飛翔する。地面のロードたちが小さくなっていき、やがて点になって見えなくなった。目の前に広がるのは巨大な樹海。そのどこかに、リアンの墓があるのだろう。


「あっちの方角に進んでくれ。しばらくしたらオレが合図するから、その時に止まって貰えればいい」


『分かったよ。……さぁ、しっかり捕まって』


 リエゾンの指示した方角へ、メラルテンバルが進んでいく。強い風がリエゾンの跳ねた黒髪を押し上げて後ろに流している。彼の手元の北の不滅は相変わらず小さく光を放っていた。星の絨毯と鬱蒼とした樹海が形作る地平線を見つめるリエゾンは、俺に背中を向けながら言った。


「ライチ」


「ん?」


「ありがとう」


「……礼を言うにはまだ早い」


「それは前にも言ってなかったか?」


「そうだな」


「……」


「……」


「……オレは、これからどうすればいいんだろうな」


「お前の好きにすればいいさ」


「だったら取り敢えず寝たい。ここ最近は、殆ど寝てないんだ」


「いいんじゃないか?墓地の寝心地は最高だと思うぜ?」


「ははは……それは楽しみだ」


「……」


「……ライチ。オレはリアンのことを大切に思ってる。……でも、それを言葉に表せないんだ。リアン以外に言葉なんて絶対に聞かないって、そう思ってたけどさ……教えてくれないか?」


「……二通りの言い方があるな。いや、二通りじゃないか。色々な言い方があるんだよ、その感情は。でも、敢えて言うなら――愛してるとか、好きとか、大好きとか……結局気持ちが伝わりゃいいと思うんだ。誰も……俺も伝えられないだけで、言えるときに言うべきなんだと思うよ」


「『愛してる』……か。オレは、リアンが……『大好き』なんだな」


「そうだ」


「……あのとき、リアンはオレに……聞き間違い……か? それとも――」


 背中を向けていたリエゾンはゆっくりと顔を上げた。視線の先には綺麗な星がある。彼が顔を上げた意味は……ああ、星を見てんだよな。当たり前のことだ。

 鼻を小さくすすって、リエゾンはぼそりと呟いた。


「愛してるよ、リアン」


「……」


「君が、好きだ」


「……」


「もう、どこにも居なくても」


「……」


「君も、そうならいいな」


 空に向けて放たれた言葉は、ぶれず曲がらず、真っ直ぐに空に吸い込まれていった。誰も、彼が放った愛の告白に答える者は居ない。けれども、リエゾンは満足したようなため息を吐いた。長い間無くしていた物を見つけたような、安堵のため息を。


 しばらく、メラルテンバルの翼が空を切る音が続いた。流れ星がひとつだけ空を裂いて、リエゾンの方へと向かって消えた。


「……メラルテンバル、ここでいい」


『……分かった』


 リエゾンが、視線を一本の樹に移して言った。その木は暗闇の中でも特別目立つ大きさで、周りに比べて頭ひとつ大きかった。あれがリエゾンとリアンの出会った場所で、リアンの墓がある場所なのだろう。ゆっくりとメラルテンバルが地面に降り立った。


 真っ暗な樹海の中は、不気味なほどに静まり返っている。本来なら生き物の鳴き声や環境音が聞こえるはずだが、メラルテンバルに驚いて逃げてしまったか。

 暗い世界、音もなく静まり返った森にリエゾンと俺は入り込んだ。メラルテンバルは俺達を下ろすと、それ以降何も言わず置物のように口をつぐんだ。


 リエゾンは何かを探すように地面を見回した。少しすると何かを見つけたらしく、こっちだ、と俺に声を掛けて暗闇の中を迷わず進んでいく。後を着いていって地面を見ると――そこには廃れた獣道のようなものがあった。


 獣も通らないのか道に草は生え、よく見なければ道ともわからないような道だ。けれども、確かに途切れ途切れの道は続いていた。幾日も、幾日も……リアンが歩んできた道のりが、確かに残っていた。



 彼女はどんな気持ちでこの道を歩いたのだろう。


 彼は、どんな気持ちでこの道を歩いているのだろう。



 俺には分からない。分かるはずもない。だから、何も言わずにリエゾンの後を追いかけた。細い獣道を進んでいくリエゾン。その足が、ある場所でぱったりと止まった。


 ちらり、と体を傾けて先を伺うと、そこには巨大な樹木と小さな墓石があった。力強く成長した樹木の根本に置かれた墓石は、樹海の葉っぱの隙間から差す月明かりに照らされて、神聖な物のように思われた。


 墓石は墓地の物に比べれば、角は丸いしヒビが入ったみすぼらしい見た目の筈なのに、月光を浴びて屹立するその姿はある種の神秘性を秘めていた。墓石の周りには色とりどりの花束が添えられ、真っ暗な森の奥で唯一色彩を放っている。


 リエゾンは深く息を吐いた。そして、ゆっくりと墓石の前に歩み寄り、膝をつく。


「ただいま……リアン。待たせてしまって、ごめん。……見つけてきたよ、君が一番好きな北の不滅を」


 こちらに背中を見せるリエゾンの顔を伺うことは出来ない。けれども、その顔が優しいものであることははっきりと分かった。


「いろんな、いろんなことがあったんだ。この花を見つけるまでに、沢山の人に出会ったんだ。……一回だけ、諦めそうになったこともある。それでも、オレは北の不滅を見つけたよ」


 リエゾンは一度言葉を切った。そして、震える吐息をそのままに、ゆっくりと墓石に北の不滅を添えた。ぼんやりと輝くそれは、月明かりに照らされて目映く光り、宝石のような煌めきを持っていた。

 リエゾンは、言葉を選ぶように沈黙して……そして、はっきりと呟いた。  


「……君が――大好きだから」


 リエゾンは震える手で墓石に触れた。


「君が、好きなんだ。大好きで、大好きで……堪らないくらい……あ、愛してるんだ」


 大好きだよ、リアン。リエゾンは潤んだ声で語りかけた。地面に小さく光の粒が落ちて、弾ける。


「君が居ないなんて嫌だよ……信じたくないし、耐えられない。もう一度君と話せるなら、オレはなんだってする。……でも、君はもうここには居ないんだ。だから――オレは『またね』を言っちゃいけないんだ。君に会いに来て、花を取り替える度に『またね』って言うべきじゃないんだ」


 ――だから。


「だから、リアン。リアン……愛してる――さようなら……」


 リエゾンは泣いていた。張り裂けるほどの悲しみに――張り裂けるほどの愛に。


 ――言うならば、今しかないだろう。


 ここを逃せば、きっともうこの言葉は届かない。だから、今だ。今しかない。ひざまずいて涙を流すリエゾンの背中に、不粋だと分かっていても声を掛けた。


「リエゾン」


「……」


「一つだけ、言わなきゃいけないことがあるんだ」


「……」


「北の不滅の花言葉を知ってるか」


「……知らない」


 北の不滅。全てを壊す破滅の砂漠であろうと凛と咲き誇る不滅の花。そんな花の花言葉は三つ――


「この花の花言葉は……『不滅の愛』、『変わらぬ想い』そして――『あなたを愛しています』」


 リエゾンが驚いたようにこちらに振り返った。振り返った顔は涙に濡れており、悲しみと驚きに彩られていた。涙に濡れたその瞳を見つめながら、言葉を続ける。


「リエゾン……リアンさんは、最後まで花言葉を教えてくれなかったんだよな」


「あぁ……あぁ」


「『いつか言うときになったら、言う』んだよな」


 ――どんな場所でも咲き続けてるこの花の花言葉は……


 ――花言葉は?


 ――……秘密!


 ――いつか言うときになったら言うもん。


 彼女は伝えなかった。伝えれば、リエゾンに『愛している』の意味を教えなくてはいけないから。……いつか、それを自分の口から言って、意味を教えたかったんじゃないだろうか。


『北の不滅の花言葉はね〜……あなたを愛しています、だよ。……愛しているの意味? ふふっ、それはね――』


 紡がれるはずだった愛の告白。もう二度と帰らない最後の一言。それに触れたリエゾンが大粒の涙をこぼす。そして、ゆっくりと北の不滅に手を伸ばし、リアンの墓石に向かって声を掛けた。


「リアン……聞いてたか? この花の花言葉は『あなたを愛しています』だってさ……はは、もう少し……渡すのが早ければな……」


「……」


「君は言ってたよな、俺が大好きだって。……なぁ、もっと早く……意味を教えてくれよ。そしたら直ぐに君に『大好きだ』って言ったのに」


「……」


「もっと早く、花言葉を教えてくれよ……そしたら、誰よりも速く君に『愛してる』を返して、君を抱き締めたのに――」


 君は嘘つきで、言葉足らずだ。リエゾンは肩を震わせながらリアンに語りかける。ずっと昔から残してきた、彼女の『大好き』を繰り返す。ずっと見逃してきた、彼女の『花言葉』を反芻する。


「けど、オレは……そんな君が好きだ。大好きなんだ……!」


 それは二度と戻らない甘い恋。不器用で言葉足らずな――不滅の愛。暗く静かな森の中で、ひたすらに嗚咽が、愛が木々を反射して響いていく。

 きっとそこに誰も居なくても、笑う彼女が居なくても……それでも彼は、リアンを愛し続けるだろう。想い続けるだろう。それは例えるならダイアモンド。燦然と光を乱反射する宝石。  


 泣き崩れるリエゾンを見て、俺は自分の役割が終わったことを悟った。これ以上、俺がここに居る意味はない。……一人にしてやろう。無言で、ゆっくりと俺はリエゾンに背を向けた。音も無く俺が足を踏み出すのと同時に、同じく無音でシステムがクエストの完了を知らせた。


【狼は銀の月に遠吠えを放つ】


【貰い物の感情が、少女のくれた世界の中で反響した】


【破片はどう輝こうと、破片でしかない】


【悲恋は結局、結ばれない恋でしかない】


【けれど】


【それでも】


【『不滅の愛』があるのなら】


【それはきっと……壊れた物の中から紡がれるのだろう】


【クエスト名:『悠久を越えて、それは不滅へと至るのか』をクリアしました】


【『破滅』は一人静かに月を見上げた】


【『郷愁』が疼き出す】


【世界は一つの区切りを迎える】


【クリア、おめでとうございます】



 ――――――――



 クエストの通知を流し見しながら、ライチは静かにその場を立ち去った。残されたリエゾンは、ひたすらにリアンへの愛を叫んでいた。喉が枯れるまで、涙が果てるまで。


 疲れ果て、墓石に抱き付くようにもたれかかるリエゾンに――どこからか、声が掛かった。空からかもしれないし、地面からかもしれない。背後か、前か。それすらも分からない曖昧な声はこう言った。


『私もだよ』


 リエゾンはハッとして顔をあげるが、そこには誰も居ない。今の声は疲れた果ての幻聴か、都合のいい思い込みか。……どっちでもいい。リエゾンは袖で涙を拭いながら、枯れた声で呟いた。


「ああ、知ってるよ……」


 もう、聞き逃したりしない。見逃したりしない。リエゾンは胸元から銀の髪留めを取り出して、花に添えた。そして、ゆっくりと一言一句違わずこう言った。


「さようなら、リアン・ディブリス。オレに全てをくれた人。オレの……大好きな人。今は天国で待っててくれ。しばらくしたらオレもそっちに行くよ。とびっきりの、土産話を持ってさ。それじゃあ……さようなら」

本気の『大好き』を言える機会が、人生で何度あるのだろうか。

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