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71:怠惰堕落-6

「ーーーーー!?」

 ヒロウクモが仰け反りながら立ち上がり、叫び声を上げる。

 真っ赤な血を噴水のように上げ、小刻みに震えている。

 今更ながらに何故蜘蛛の血が赤いのかとも思うが、それはともかくとして、普通ならば致命傷である事には違いない。


「ノノさん」

「はい、分かってます」

 だが、俺もノノさんも戦闘態勢を崩したりはしない。

 念のために俺は『ハリノムシロ』を再び起動しておくし、ノノさんは俺の背後に隠れられるような位置に移動した上で、魔法の準備を始めている。

 そこまで警戒する理由は単純だ。

 このヒロウクモは普通の個体ではなく、堕落の邪神の影響下にある個体だ。

 だが、これまでに堕落の邪神が死後に施していそうな仕掛けの類が出てきていないし……観客席の堕落の邪神もニヤついている。

 体内に取り込まれた魔力の大半が残されたままになっている。

 そして何よりも、俺たちが決闘に勝利したと言うアナウンスが聞こえてこない。

 よって、まだ終わっていないと判断して当然の状況とも言える。


「ーーーーー……ファティ……」

「ま、あるよな、そりゃあ」

「ですよね」

 やがてヒロウクモの動きがピタリと止まる。

 まるでパントマイムのように、一切の動きが止まる。

 止まり、少し鳴き、変化が始まる。


「ティティス……ティスパ……」

 脚の甲殻が折れるような音が響く。

 身体の傷から吹き出ていた血が黒く染まって糸のようになる。

 首が何度も水平方向に回った後、6つの目が俺たちの方へと向けられる。

 折られた脚が嫌な音と共に無理矢理束ねられて、人間の手足のようになっていく。

 腹が弾けて吹き出た血が、細く細く糸のようになっていき、他の場所から噴き出た血と同じように体の各部に絡まっていく。


「ヒロ……ツカレ……ミセ……」

「ああ、不愉快だ。不愉快極まりない」

「ハリさん?」

 今のヒロウクモの見た目を一言で称するならば、操り人形。

 それも酷く不出来で、腹の中にいる操り手の技量もたかが知れているようなものだ。

 だが、どうしてこうなったのかは分かる。

 死と言う形で怠惰が極まり、己の身体を動かす事を完全に止め、思考を止め、堕落の邪神の操り人形としてただ動かされるだけの存在と化したのだ。

 しかし、俺が不愉快に感じる理由はそこではない。


「堕落の邪神。貴様は己を信じた者の魂を燃料扱いか」

「ヒヒッ、ヒロロロロ……」

 操り人形だって動かすには何かしらの力が居る。

 その力の出所は何処だ?

 ヒロウクモ自身は既に死んだ、だからヒロウクモの体力ではない。

 ヒロウクモの意思がない以上、ヒロウクモの魔力も使えないし、使えてもサブ動力がいいところだ。

 だから堕落の邪神はヒロウクモの魂を使っている。

 ヒロウクモの魂が積み重ねて来たものを、魂そのものを消滅へと向かわせることで、体を動かすための動力にしている。

 俺とノノさんを闘技場で一度負かすと言う、はっきり言って小事でしかない事の為に、自分は一切のリスクを負わず、他者の魂に全ての負債を押し付けている。

 それは正に怠惰堕落、己が楽をするために努力するのではなく、負債を他者に押しつけると言う堕落そのものである。

 どうしてか、俺の目にははっきりと堕落の邪神の所業が映っていた。

 映っていたからこそ不愉快なのだ。


「まったくもって許しがたいな。クソ野郎!」

 そう、例えヒロウクモ自身が怠惰を受け入れたからこその結末であったとしても、これは理不尽に他ならなかった。

 理不尽に他ならぬが故に俺は怒りを覚えた。

 絶対に許してはならぬと、怒りの炎が燃え上がった。

 俺の怒りに反応するように、周囲の炎の火勢が強まり、魔力の流動性が高温で熱せられたガラスのように高まり、俺の身体へと纏わりついていく。


「ヒロッ、イカ、イカルカ、ヒロロロロッ!」

 操り人形と化したヒロウクモが笑う。

 否、ヒロウクモの腹の中に隠れる堕落の邪神の欠片が、人形の身体を操って笑う。

 俺の怒りを下らないと断じるかのように笑い声を上げる。


「ハリさん。許せないのは私も同じです。だから……」

「ああ、分かっているとも。ノノさん。どれだけ怒ろうが、強くなるわけじゃない。だから任せた。幾らでも時間は稼ぐから、任せた」

「はいっ!」

 だが、どれほど怒り狂っても冷静さを失いはしない。

 冷静さを失えばどうなるかは、硫酸スライムの時に理解させられたからだ。

 俺の役目は敵を直接討ち取る事ではない。

 敵が討たれるまで、ノノさんを守り抜く事にある。


「ツカ、シネ」

 しかし、怒りのエネルギーを活用する事も諦めない。

 冷静に、冷徹に、苛烈に、悪辣に、敵へと怒りのエネルギーを叩き込むことで、ノノさんの身を守る事に繋げるのだ。

 そうしてこそ、この理不尽に対する怒りは発散される。

 そのために肉体は怒りによって活性化させつつも、思考は絶対零度にまで落とす。

 ヒロウクモが不格好かつ不自然な動きであるのに、これまでにないほどの速さでこちらに向かってきて、腕を俺に向かって振り下ろそうとするのを冷静に観察する。

 冷静に観察して、観察して……観察しつくして……


「ヒロロロロッ! ロッ?」

 紙一重で避ける。


「まずは一発だ。クソ野郎」

「ハ? バ? ギブッ!?」

 紙一重で避けて、俺は大量の魔力を込めた棍でヒロウクモの胴体を全力で以って殴り飛ばした。

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