5:始まりの死後の決闘-4
本日五話目になります。
≪決闘相手が現れます。構えてください≫
「……」
時間が来た。
先程と同じコロシアムに俺は転送されて、俺から数メートル離れた場所では狼を出現させるべく紫色の光の粒子が集まっている。
「駄目か」
俺は念のためにと言うか、上手くいけば儲けものぐらいの気持ちで、紫色の光の方へと近づこうとした。
だが、決闘が始まるまでの攻撃を許さないためだろう。
最初に転送された場所から、数十センチ程度しか移動できないようだった。
「すぅ……はぁ……」
だったら予定通りにいくしかない。
俺は膝を少しだけ曲げ、腰を落とし、両腕を前に構える
他にするべき準備は既に終えている。
後は、どれだけ恐れず、考えた通りに動けるかだ。
「グルルル……」
狼が現れる。
先程の狼と少しだけ毛並みや大きさが違う気がするので、別個体とみていいと思う。
ただ、大きくは変わらない事だろう。
≪決闘を開始します≫
「グルルル……」
「すぅ……はぁ……」
決闘が始まった。
狼はこちらを警戒しつつ、ゆっくりと近づき、一気に詰められる距離にまで迫ったところで円周運動に切り替える。
対する俺は前回の決闘と同じように、相手を正面に捉え続けるようにすり足で動き続ける。
「グルアッ!」
狼が突っ込んでくる。
口を開け、牙をむき出しにし、俺の命を奪い取ろうと真っ直ぐに向かって来る。
「まだだ……まだだ……まだだ!」
それを見た俺は動かない。
動かずに観察をする。
狼が俺の身体の何処へと牙を突き立てようとしているのかを見極める。
「グル……」
脚ではない。
姿勢が高すぎる。
腕ではない。
頭の向きが違う。
跳ねた。
口を開き、首へと向かってきている。
俺はそこまで理解して……
「うおらぁ!」
「ガブウッ!」
身体を逸らしながら、狼の口に左腕を差し出す。
狼は俺の動きを見て首に噛みつく事は叶わないと判断したのか、差し出された左腕に噛みつく。
牙が腕に刺さる。
皮を貫き、血管を裂き、肉を断ち、もしかしたら骨に食い込んでもいるかもしれない。
だが、だがしかしだ。
「ぐ……ぬおらあああぁっ!!」
「!?」
分かっていれば、来ると分かっているのなら、一度経験したのならば、短時間くらいは耐えられるし、耐えてみせる。
噛みつかれた左腕をそのまま狼の口の奥に向かって押し込むように、反っていた腰を戻し、折り曲げていた膝を伸ばし、全身の力を使って狼を押し返し、腕を噛ませたまま押し倒す。
そして、空いている両足で狼の腰の辺りを挟み込んで、身動きを取れないようにする。
「ーーーーー!!」
「死ねえええぇぇぇ!!」
狼の口は動かせない、後ろ脚も役目を果たせない。
出来るのは前足の爪で俺を攻撃する事だけだが、その長さと切れ味は俺に致命傷を与えるほどではない。
対する俺も左腕と両足は使い、狼のように口で攻撃する事など出来やしない。
だから右腕を振り上げる。
ナイフを逆手に持ち、貫頭衣を留めていた腰紐を巻き付ける事で取り落とさないようにした、右腕を振り上げる。
振り上げて、振り下ろす。
狼の首元に向けて。
狼の毛を断つ、皮を割く、肉と血管を切る。
柔らかくも張りがあり、熱と強張りを伝えてくるその感触はとても嫌なものであり、俺に命を奪っているのだと伝えてくる。
「死ね! 死ね! 死ねぇ!!」
「ーーーーー!!」
ナイフを引き抜く。
赤く、熱く、鉄臭い、ぬめり気のある液体が飛び散る。
ナイフを振り下ろす。
また先程の嫌な感触がナイフの持ち手を通して伝わってくる。
その動きを俺は二度、三度、四度、幾度と繰り返していく。
繰り返して、繰り返して、繰り返して、狼が暴れるのを全身の力で抑え込みながら、繰り返していく。
≪決闘に勝利しました≫
「はぁはぁ……あ?」
そうしてもはや数える事も出来ないほどに同じ動作を繰り返し、俺も狼も全身を真っ赤に染め上げた頃。
不意にその言葉が何処からともなく響き渡った。
「あ……」
気が付けば狼は全く動かなくなっていた。
目は濁り、四肢はだらけ、左腕を噛んでいた顎は緩くなっていた。
首の辺りを真っ赤に染め上げるだけでなく、赤の中に白すら混ざって見えるそれは紛れもなく死体だった。
「勝った……のか?」
立ち上がる俺の左腕から狼の牙が抜ける。
左腕の感覚はなく、自分の血で汚れているのか、狼の血で汚れているのかも分からない。
≪コングラッチュレーション。初勝利おめでとうございます。ハリ・イグサ。この度の勝利を以って、我々闘技場運営は、貴方を此処『
「ははっ、ははははは……」
歓声はない。
称賛は合成された機械音声のようなアナウンスが言い放つ味気ないもの。
俺の口から漏れ出たのは渇いた笑いで、心はどうすればいいのか分からないのか空虚なものだった。
「そうか。俺は……勝ったんだな……」
それでも少しずつ現状の認識が出来ていく。
左腕が燃え盛るように熱くて痛い事も、力を込め過ぎた右手の感覚がおかしくなっている事も、爪でひっかかれ続けた腹が結構な量の流血をしている事も分かっていく。
同時に、命を奪ったと言う不快感、生き残ったのだと言う喜び、このようなやり取りをこれから幾度となく繰り替えしていくのだろうと言う不安感、そんな精神面の自覚もしていく。
「う……」
これから俺がどうなっていくのかは分からない。
俺を殺した狼が、俺が殺した狼が、それぞれに何を思っていたのかも分からない。
『煉獄闘技場』が如何なる場所なのかだって分からない。
そこにどんな流儀や仕来りがあるかなんて、分かるはずもない。
けれど、勝者の義務として、俺は立ち上がるべきだと思い、その場で立ち上がった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
そして吠えた。
勝者である自分自身への称賛と、身勝手であると自覚した上で敗者である狼への追悼を込めて、俺は闘技場全体へと響き渡るように吠えた。
≪肉体の再構築後に所定の場所へと転送いたします≫
そうして俺は光に包まれて、その場から消え去った。