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97、野良キョンシー里親募集中




「ど、どうするんだこれ……」

「あはは……どうしよう」


 通路に整列した大量のキョンシーを眺めて俺は思わず苦笑いを浮かべた。彼女たちの纏った緋色の異国風ワンピースで我がダンジョンは見渡す限り鮮やかな赤で染まっている。

 主人を失ったキョンシーたちはマネキンのように無表情のままピクリとも動かない。襲ってこないかわりに、外へ出ていこうともしないのだ。

 想定外の事態に、正直俺達もどうして良いか分からなかった。


「そもそも、ネクロマンサーが死んだらヤツらもただの死体に戻るんじゃなかったのか!」


 吸血鬼の言葉に俺は思わず頭を抱える。


「そのはずなんだけど……あっ、実はまだ死んでないなんてことは……な訳ないか」


 地面に座り込み、一心不乱に肉を貪るゾンビちゃんを見下ろしてガックリ肩を落とす。少し前まで可愛らしいキョンシーを侍らせ、新しい生活に胸をときめかせていたであろう青年は、今や腹から内臓を引きずり出され早くも半分ほど骨になっていた。

 無残に食い散らかされた死体を見下ろしながら、吸血鬼は忌々しそうに呟く。


「全く面倒なものを残してくれた。こんなにたくさん、どうやって処分しろと言うんだ」

「しょ、処分?」

「ああ。なんせこれだけの人数だ。バラすにしても埋めるにしても膨大な手間と時間がかかるぞ。抵抗しないとも限らないし――」

「ちょっと待って、まさか全員殺す気!?」


 物騒な言葉に思わず目を丸くすると、吸血鬼は当然のように、それどころかやや呆れたような表情すら浮かべながら頷く。


「殺すも何も、もう死んでるだろう。こいつらは言わば糸の切れた操り肉人形だ。土の下で大人しく腐っていくのがこいつらのあるべき姿だと思わないか?」

「それ俺たちが言っていいの……?」

「じゃあ聞くが、君はこいつらをどうしろと言うんだ」

「うーん……まぁ戦闘能力は高いんだし、しばらくはうちに置いといても良いんじゃ」

「冗談じゃない! あんなの雇ったら大変なことに――」


 そこまで言ったところで、吸血鬼の言葉はガラスの砕けるような鋭い音により掻き消された。

 嫌な予感をひしひしと感じながら、音のした方向に目を向ける。大人しく整列していたはずのキョンシーが、吸い込まれるようにしてある一室に入っていくのが見えた。それが開けっ放しになっていた血液貯蔵室だと気付くと同時に、吸血鬼は悲鳴にも似た声を上げた。


「ま、不味い!」


 慌てて倉庫に入った俺たちを迎えたのは、思わず目を覆いたくなるような悲惨な光景であった。吸血鬼の大事な大事な血液入りボトルが、ことごとく床の上に血溜まりを作りながら粉々になっているのである。

 キョンシーたちはこちらをチラリとも見ようとせず、棚に並んだボトルを真っ直ぐ伸びた手で掴み、その度に手を滑らせて地面に落下させていた。恐らく血液を飲もうとしているのだろうが、彼女たちの凝り固まった関節では満足にボトルを掴むことすらできないのだ。


「貴様ら、随分大暴れしてくれたようだな」


 吸血鬼は低く、妙に冷静な声でそう言うと、なおもボトルに手を伸ばそうとするキョンシーの首根っこを引っ掴み、怒りと殺意のこもった恐ろしい視線を彼女に向ける。だが当のキョンシーは怯えるでも怒るでもなく、ただぼんやりとここではないどこかを見つめている。その精気のない表情はまるで人形のそれである。

 その手応えのなさに、吸血鬼は諦めたようにキョンシーから手を離す。そしてこちらに落胆の表情を向けた。


「ほら見ろ、こいつらだって結局はゾンビなんだ。こんな大飯喰らい、一人でも手を焼いているのにこれ以上増えたらどうなると思う」

「餓死しちゃうね……吸血鬼が」


 確かに彼女たちを養うには物凄い量の血液が必要だ。例えダンジョンで活躍をしたとしても、彼女たちの運用にかかるコストには到底見合わないだろう。


「ううっ、僕の秘蔵血液が……この落とし前は付けてもらうからな。さてどうしてくれようか」


 生き残った数少ないボトルを守るべくキョンシーを根気強く追い出しながら、吸血鬼は真剣な表情で押し黙る。

 そしてしばらくの沈黙の後、吸血鬼は不意にあっと声を上げ、少年のように目を輝かせながらこちらを振り向いた。


「そうだ、身売りさせよう!」

「……は?」




**********




『野良キョンシーの里親募集。料金は応相談』


 だいたいそんなような内容の書かれた手紙をダンジョンにいるありったけのコウモリに括り付けて飛ばし、待つこと数十分。

 妙な緊張感に包まれたダンジョンに響いた第一声は、これ以上ないほどに軽く薄っぺらいものであった。


「やぁ、みんな! なんか可愛い娘がいっぱいいるって聞いてきたんだけど」


 彼は足取り軽くダンジョンを進み、俺たちに向かって手を上げる。

 ダンジョンの暗闇に浮かび上がる銀髪に爛々と輝く琥珀色の目。狼男だ。


「なんだお前か」

「今ちょっと取り込んでるんだけど、何の用?」

「えっ、酷くない? 君らが呼んだんでしょ」


 狼男はポケットから小さく折りたたまれた紙を取り出す。それは正真正銘、ついさっき俺たちがコウモリに括り付けて送った手紙であった。


「……こいつにも手紙出したのか」


 吸血鬼が呆れ顔で尋ねると、困ったように肩をすくめながらスケルトンたちがその質問に答える。


『特に送り先の指定はしなかったけど』

『知り合いを中心にって条件でランダムに送った』

「はぁ、なるほどな」

「前置きはいいから、女の子は? 女の子どこ?」


 肉食獣のごとく目を輝かせながらきょろきょろとあたりを見回す狼男を、吸血鬼はため息を吐きながらもキョンシーの元へ案内する。


「そこだ。文字通り腐るほどいるぞ」

「うわぁ、壮観だね」


 通路を埋め尽くすキョンシーたちを視界に入れるなり、狼男は歓声にも似た声を上げた。

 そして人の警戒心を解くような笑みを浮かべ、なんの躊躇いもなく無表情のキョンシーに近付いていく。


「やぁ、こんにちは。こんな暗いとこに華やかな女の子がいるなんて珍しいね。どこから来たの?」


 狼男は近くにいたキョンシーの顔を覗き込み、少し動けば体が触れ合わんばかりの距離から声をかける。彼にはパーソナルスペースという概念が無いに違いない。

 ところが、それほどまでに密着されているにも関わらずキョンシーは狼男に対して全くの無反応であった。

 経験豊富な狼男といえど、このような反応をされた事はそう無いに違いない。狼男はキョンシーの顔の前でひらひらと手を振り、困ったように首を傾げる。


「あれー? もしかして外人さん? 言葉通じないのかな?」

「諦めろ、そいつらはただの死体だ」


 吐き捨てるように言う吸血鬼の言葉を受けて狼男はおもむろにキョンシーの蒼い顔へ手を伸ばし、慣れた手つきで彼女の頬を撫でる。

 だがその表情は女性の頬を撫でているというよりは、珍獣の毛並みを確認していると言ったほうがしっくりくるものであった。


「固いし、反応もないね。本当にただの死体って感じ」


 狼男はガッカリしたようにそう言うと、驚くほどあっさりとキョンシーから手を離した。


「だが躾ければ多少の指示は聞くようになるかもしれない。安くしとくぞ、一体どうだ?」


 吸血鬼のセールストークにも、狼男は苦笑を浮かべながら静かに首を振った。


「……いや、良いや。大人しく売り場に並んだ無抵抗な肉なんて味気ないからね。やっぱりこういうのは自分で狩ってこそだよ」

「そうか。ならさっさと帰れ」

「呼んでおいて酷い言い草だなぁ。せっかく来たんだからみんなに挨拶しておかないと。ゾンビちゃんどこ?」


 狼男はまた目を輝かせながらキョロキョロ辺りを見回す。

 だが俺たちの目に入ってきたのはゾンビちゃんではなく、もっと腐敗の進んだ、思わず目を覆いたくなるほど醜い姿のゾンビであった。


「待て待て待て待て待て! 俺のだ、それは俺が買い占める!」


 体に張り付いた皮と腐肉をバタつかせながら、そのゾンビはゾンビと思えないほどの勢いで通路を駆けてくる。

 その声と強烈な見た目には見覚えがあった。


「せ、先輩……!?」

「う、うわぁ、かなり個性的なゾンビだね」

「お前、いつぞやの廃品回収業者。無事だったのか」


 全身に纏った腐肉のお陰か、幸い鼻の利く狼男にも正体を見破られずに済んだようだ。とはいえ、危険な状態であることに変わりはない。もし人であることがバレれば、吸血鬼とゾンビちゃんによってすぐさまバラバラにされてしまうことだろう。

 俺は慌てて先輩に駆け寄り、声を潜めながら問い詰める。


「なな、何しに来たんですか!」

「ククク、ビジネスチャンスの匂いがしてな。慌てて飛び出してきたぜ」


 先輩はそう言うと腐肉の間からズルズルと薄汚れた手紙を取り出す。どうやら彼も美しいキョンシーを求めてダンジョンへやってきたようだ。

 全く、今日は次から次へとクズが来る。どうしてこうもクズは耳と足が速いのだろう。


「そんなことより! キョンシーたちは俺がもらうぜ、その兄ちゃんには一体も渡さねぇ!」


 先輩は勢い良くそう言いながら、欲に満ち満ちた狐のような目を狼男に向ける。

 当の狼男は困ったように笑いながらゆっくりと首を振った。


「別に俺は良いんだけど、こんなにたくさんどうする気?」

「そうですよ、今度は一体なにを企んでるんですか」


 尋ねると、先輩は腐った肉の下で不敵な笑みを浮かべる。


「ふふ……俺のビジネスの才能に嫉妬するなよ。俺はなぁ、このキョンシーたちを使ってメイド喫茶を作るのだ!」

「……どこに需要あるんですかそれは」

「決まってるだろ、メイド好きに需要があんだよ! キョンシーなら人件費タダ、過労死する心配もない。まさに最高のどれ……じゃなくてメイドスタッフだ!」

「な、なかなか斬新なアイデアだな……」


 吸血鬼は先輩の言葉に何とも言えない表情を浮かべ、そう呟く。

 恐らくその言葉を文字通り受け取ったのだろう。先輩はしたり顔で腕を組み、どこからそんな自信が湧いてくるのか不安になるほど堂々と胸を張る。


「だろ? あっ、お前ら俺のアイデア真似すんなよ!」

「……先輩、キョンシーたちの事ちゃんと調べました? 給仕なんて絶対無理ですよ。関節曲がらないんですから」

「は? なにそれ、どういう意味?」


 案の定、先輩はその細い目をパチクリさせて首を傾げた。

 大方、キョンシーを「命令通りに動くゾンビ」程度に思っていたに違いない。よくもそんな知識で商売を始めようと思えたものである。

 頭の上にクエスチョンマークを浮かべる先輩に、俺はさらなる事実を突き付ける。


「それにキョンシーたちの人件費はタダじゃないですからね。キョンシーを雇うとなったら毎日相当量の血液が必要になるんですよ」

「えっ……マジか」


 先ほどまでのしたり顔はどこへやら、先輩は腐肉でも齧ったような苦々しい表情を浮かべ、顔から変な汁を垂らしながら絶句する。

 だがしばらくの沈黙の後、先輩は声を震わせながら再び口を開いた。


「よ、よし。なら作戦変更だ。金持ちの変態共にこいつらを斡旋し売りさばく! 国民の血税を吸い上げている王侯貴族の方々なら血くらい余裕で用意できるだろ」

「軸がブレブレですよ」

「臨機応変と言え」


 キョンシーを求める金持ちがどの程度いるのか、そもそも金持ちの知り合いが先輩にいるのか全くの不明だが、新たなビジネスのアイデアを手に入れた先輩は再びギラギラ輝く目をキョンシーたちに向ける。

 だが欲にまみれた先輩の案に異議を唱える声が上がった。狼男である。


「もしかして人間に売るつもり? 確かに可愛いけど、固いし死臭するよ?」

「いや、そういうのが好きな人もいるだろ!」

「いるかな?」


 狼男は首を傾げながら再びキョンシーの頬に手を伸ばす。だが彼女は迫りくる女の敵の手が二度も頬を撫でることを許さなかった。

 キョンシーは意外なほど俊敏な動きで狼男の指に食らいついたのだ。


「イダダダダッ!?」


 狼男は慌てて指を引くが、キョンシーは彼の指から決して口を離そうとしない。

 指から血を啜るキョンシーと喚く狼男から目を逸らしつつ、先輩は自分自身に言い聞かせるようにして呟く。


「……こ、こういうのが好きな人もいるだろ……」

「なに言ってるんですか、そんな人いるわけ――」


 先輩の強欲さとあまりの馬鹿さに心底呆れながら呟いたその時。

 通路の陰からこちらを覗く、少年とも呼べるほどに若い男の姿を見つけて俺は言いかけた言葉を飲み込んだ。

 おびただしい程の魔物を屠ってきた剣、ところどころ血に濡れた大仰な鎧、その胸についた紋章。勇者である。


「うわぁ、『こういうの』好きな人来ちゃった……」

「クズの次はサイコパスか……」

「誰がサイコパスだ!」


 勇者は肩を怒らせ、なんの躊躇いもなく俺達(バケモノ)の元へと歩み寄ってくる。

 そして彼は緊張しているような、やや強張った表情を浮かべながらも英雄然とした態度で高らかに声を上げる。


「悪しき魔族の配下共が怪しい動きをしているようだったからな。勇者として様子を見に来たのだ」


 その「いかにも」な言葉により、初対面である先輩や狼男にも苦笑いが広がる。


「なんか痛そうなヤツきたな」

「随分気合入ったコスプレだね。そんなのどこで売ってるの? まさか手作り?」

「う、うるさい! 殺されたくなかったら黙ってろ!」


 部外者からの野次を跳ね除け、勇者は改めて通路に整列したキョンシーに目を向ける。


「それで、これがそのキョンシーとかいうヤツか」

「勇者がダンジョンで死体を買うのか。世も末だな」


 吸血鬼のからかうような言葉に、勇者は耳を赤くしながらムキになって反論する。


「だ、誰も買うなんて言ってないだろ! 俺はただ、お前らが悪さをしないように偵察をだな」

「まぁまぁ、御託はいいからさっさとキョンシーを見ろ。旅のお供にもサンドバッグにもなるぞ。勇者様ともなればさぞや金を持っているんだろう、一体と言わず何体でも持っていけよ。安くしとくぞ」


 金を持っていそうなのがようやく来て、吸血鬼のセールストークにも熱が入る。

 もっともらしい事を言っていたが、勇者も勇者で満更でもない表情をしていた。


「ま、まぁ悪しき魔族の配下に囚われた哀れな死体を解放するのも勇者の勤めかもしれないな」

「都合良いなぁ。でも勇者がキョンシーなんか買ってどうするの? 殴って悦に浸るの?」

「殴らねぇよ! ……多分。ま、まぁそのなんというか、一人旅は不便なことも多いからな。仲間を増やしたいとは思っている」

「ならパーティメンバー募集すれば良いのに」

「ロクなのが集まらねぇんだよ。どいつもこいつもすぐ死ぬし」

「へ、へぇ……」

「その点アンデッドなら多少無茶しても死なないからな。可愛い女の子と旅を続ければ女慣れもできるかもしれない」

「女慣れしたいの? ならこの娘たちじゃ無理だよー」


 「女慣れ」という言葉に女たらしが耳聡く反応した。狼男はヘラヘラと笑いながら負傷していない方の手で三度キョンシーに手を伸ばす。

 だが流石に噛まれたくはないのか、今度はキョンシーの頬ではなく艷やかな黒髪に手を伸ばした。


「可愛いけど喋らないし触っても反応してくれないし」


 慣れた手つきで頭を撫でる狼男に、勇者は目を丸くして驚嘆の声を上げる。


「なっ……!? そ、そんな簡単に女性に触れられるなんて」

「触ってみなよ。人形みたいなもんだよ」


 狼男に促され、勇者はまるで珍獣に手を伸ばすかのごとく恐る恐るキョンシーの腕をつつき、そして軽くつねってみせた。


「……本当だ、マネキンみたいだな。全然痛がらないし」

「でしょ? 死体なのは構わないけど、こうなんの反応もないんじゃ手応えなくてつまらなくない?」

「確かに……応戦もしてこないんじゃな。マネキン壊しても虚しいだけだ」

「やっぱり女の子は自分の手で落としたいよねー」

「ああ、落としたいな。首とか」


 微妙にズレた二人の会話に、俺は苦笑いを浮かべながら吸血鬼と顔を見合わせる。


「うわぁ……なぜか話が噛み合ってる」

「ベクトルは全然違うのにな」


 二人の興味は早々に無機質なキョンシーを離れて別の場所に移ってしまったらしい。彼らはこちらを向いて俺たちに熱く訴えかける。


「そ、そう言えばあの娘はどこにいるんだ。あのツギハギの」

「そうだよ、ゾンビちゃん出してよ!」

「いやぁ、どこにいるのかさっぱり……」


 俺はそんな事を言いながら、腕を真っ直ぐ伸ばしキョンシーの中に混じってやり過ごしているゾンビちゃんから目を逸らす。

 一方、先輩は女の敵二人がキョンシーから興味を無くしたことにより、キョンシービジネスに抱いていた自信を失いかけているようだった。


「うーん、上手くいくと思ったんだがな……キョンシービジネス」


 先輩は落胆の表情を浮かべ、通路の隅でなにやらブツブツと呟いている。

 この三人がこれ以上一緒にいたらろくでもないトラブルが起きるに違いない。ガヤガヤ騒ぐ部外者三人に、吸血鬼が怒りの声を上げる。


「お前ら、買う気がないならもう帰れ!」





**********





「全く、なんでクズとサイコパスばかり来るんだ」

「薄々思ってたけど、俺たちの知り合いってロクな奴いないね」


 ようやく静かになったダンジョンで俺たちは大きくため息をつく。


「次はもう少しマシなヤツが来てくれると良いんだが……」


 吸血鬼が祈るような声でそう呟いたその時。

 通路の向こうから十数体のスケルトンたちが骨をガシャガシャ鳴らしながら走って来るのが見えた。彼らは俺たちの前まで来るなり、ガタガタと歯を鳴らしながら隅に集まり震えながら頭を抱える。


「ど、どうしたのみんな?」

「おいレイス、見ろ……」


 顔を引き攣らせた吸血鬼がスケルトンたちの逃げてきた方向に指を向ける。彼に言われるがままそちらを見るなり、暗く殺風景な洞窟に似合わぬ、目に痛いほど鮮やかなピンク色のワンピースが視界に飛び込んできた。

 それと同時に、俺の頭に地獄絵図と化したダンジョンの光景がフラッシュバックする。


「ひいいいっ!? ミ、ミストレス!?」

「な、何しに来たんだ……」


 震えながら発する俺たちの問いかけに、ミストレスは悪戯っぽい笑みを浮かべながら答える。


「そんなの決まってるでしょ、遊びに来たの!」


 予想通りながら最悪の回答に俺たちは震え上がった。

 この世の終わりとばかりに震え、泣き叫ぶように口を開けるスケルトン。ミストレスの魔の手から逃れようとスリットの入ったキョンシーのスカートの下に潜り込むゾンビちゃん、これから起こるであろう遊びという名の虐殺から目を背けるように天を仰ぐ吸血鬼。恐怖と諦めの空気がダンジョンに充満していく。

 ところが、俺たちの絶望はミストレスの後方より上がった思いもよらない声により打ち壊された。


「こらこら、今日は遊びに来たんじゃないでしょ」


 その声が上がるや否や、今までどんな刺激にもほとんど反応しなかったキョンシーたちが一斉に声の方向に顔を向けた。

 ミストレスを追いかけるようにして通路の奥の暗がりから姿を現したのは、優しい微笑みを携えた黒髪の女性である。薄桃色の衣を纏い、透き通った美しい布を肩に掛けている。こんな血生臭いダンジョンには似つかわしくない、おっとりした優しそうな女性だ。ミストレスと並ぶと親子のようにも見える。

 もちろん彼女の顔に見覚えはない。


「ど、どなたですか?」

「ママ!」


 その声に俺たちは思わず目を丸くする。今まで人形のように無表情のまま黙りこくっていたキョンシーが声を上げたのだ。彼女たちはダンジョンが揺れるほどの勢いで地面を跳ね、女性に駆け寄っていく。


「喋れたのか!?」

「ええと、ママっていうのは……?」


 困惑しながらも尋ねると、ミストレスがキョンシーに囲まれた女性を指さしながら口を開いた。


「この子たちの術者だよ。連れてきてあげたの」

「えっ? だって術者は――」


 俺はすっかり骨となり通路の隅に転がったネクロマンサーを見やる。

 すると女性はやや悲しそうな微笑みを浮かべ、ため息交じりに言った。


「あれは私の弟子です。最近見かけないと思ったら、まさか私の大事な娘たちを攫って逃げていたなんて」

「大事な娘たちが攫われたのに気付かなかったんですか?」

「数が多くてね。少し減った程度じゃすぐには気付けないのよ」

「少し……?」


 俺は女性を囲むキョンシーたちを見回しながら苦笑いを浮かべる。これが少しとは、彼女は一体どれだけのキョンシーを飼っているというのだろう。


「弟子を失ったことは残念ですが、娘たちが無事に戻ったのは喜ばしいことです」


 女性はそう言ってキョンシーの頭を撫でる。

 関節と同じく表情筋も強張ってしまっているのか顔は無表情のままであるが、みんなどことなく嬉しそうにしているような気がしなくもない。

 そして再会を喜んだのも束の間、一体のキョンシーが抑揚のない声を上げた。


「ママ、お腹減った」

「はいはい、仕方ないわね」


 女性はキョンシーたちの頭を撫でるなり、肩に掛けた羽衣を地面に落とし、袖を捲って両腕を広げる。するとキョンシーたちはなんの躊躇いもなく露わになった女性の肌に噛み付いた。腕、首、足、肌の出ている顔以外の場所はすべてキョンシーたちに噛まれているといっても過言ではない。

 まるで飢えたピラニアのいる水槽に肉を投げ込んだような食いつきっぷりである。だがキョンシーに群がられている女性は涼しい顔で笑っている。


「ひえっ……な、なにして……」

「ごめんなさいねぇ、ちょっとご飯あげたら帰りますから」

「だ、大丈夫なんですかそれ……」

「え? ああ、初めて見る人は驚くのよね。でも母親というのは子に乳をあげるものでしょう? それと同じことよ」

「で、でもそんなにあげたらあなたの体が危ないんじゃ」

「大丈夫よ、そんなやわな身体じゃないわ」


 女性はそう言って「ふふふ」と笑った。やはりミストレスの知り合い、色々な意味で普通の人間なはずはない。

 吸血鬼は腕を組み、すごい勢いで血を吸われている女性を見ながら唸り声を上げる。


「死体を養うというのはこれくらいの覚悟が必要なんだな」

「そうだね、俺たちには無理だなぁ……」


 彼女の自己犠牲の精神に感心し、すっかり油断していたその時。

 ミストレスがつまらなさそうに声を上げた。


「ねー、まだぁ?」

「もう少しかかるわ、そこのお兄さんたちに遊んてもらってたら?」

「ひっ!?」


 突然向けられた矛先に、俺たちは思わず身を強張らせる。

 ミストレスはゆっくりとこちらを振り向き、屈託のない満面の笑みを見せた。




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