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96、紅白アンデッド合戦





 足音がダンジョンに響き渡る。まるで軍隊のような、大人数が規則正しく行進しているような足音。

 音を聞きつけて上階へ向かった俺の目に飛び込んできたのは、両腕を前に突き出し、ピョンピョンと跳ねるような妙な動きでダンジョンを進んでいく妙に顔色の悪い集団であった。この死後硬直しているようなぎこちない動きと微かに漂う死臭、恐らく彼女たちもアンデッドなのだろう。

 とはいえ、我がダンジョンにいるゾンビとは違い皆死体とは思えぬほど小綺麗な格好をしていた。全員深いスリットの入った詰襟のタイトな異国風ワンピースを纏い、艶やかな黒髪をまとめ、目や唇には紅がさされている。額から垂れ下がる緋色の札で顔が見えにくいものの、恐らく全員若く、その上美人な女性の死体だ。

 だがそんな中、先頭にいる一人だけほかのアンデッドたちとは様子が違った。引き連れているアンデッドたちと同じ形の詰襟の服にズボンを着用してはいるものの、蒼くも土気色でもない至って普通の顔色をしているし、滑らかな動きでダンジョンを静かに進んでいる。額には札も貼られていないし、何より彼はこの集団の中で唯一の男性であった。

 先頭を歩いているということは、彼がこの集団のリーダーなのだろう。俺は彼に近付き、声をかける。


「あー、すいません。温泉はこっちじゃないですよ。団体客が来るなんて聞いてないなぁ……ええと、予約はしてます?」


 男は俺の呼びかけに足を止め、驚いたように目を見開きながらもにっこりと微笑みながら口を開く。


「温泉? 温泉があるのか? それは良い、もちろん混浴だろうね?」

「いや、別れてますけど……温泉目的ではないんですか?」


 そう尋ねると男はニコニコと笑みを浮かべたまま右手を上げ、大きく振り下ろす。

 それを合図に、男の背後に控えていたアンデッド軍団が呻き声を上げながらあちこちの通路へと散らばっていく。


「え、ええと……いったい何を……?」


 何が起こっているのか分からず呆然としていると、男はヘラヘラ笑いながら事もなげに呟いた。


「目的か。そうだな、強いて言うなら……このダンジョンの全てさ!」





*********





 セクシーな緋色のワンピースを翻し襲いかかるアンデッド、応戦するのは白い骨を揺らしながら剣を振るうアンデッド。

 縁起の良い紅白の見た目とは裏腹に、ダンジョンは血で血を洗う泥沼の戦場と化していた。


「くそっ、キリがないぞ!」


 吸血鬼も迫りくるアンデッドを切り裂き蹴飛ばし千切っては投げ千切っては投げ、八面六臂の大活躍をしていたがそれでもアンデッドたちは次々と押し寄せてくる。アンデッド同士の戦いほど不毛なものはない。


「一旦引くぞ!」


 吸血鬼は飛びついてきたアンデッドを蹴飛ばし、数体のスケルトンたちと共に近くにあった部屋へ飛び込む。俺達の目に飛び込んできたのは大量の棚に並んだボトルの数々。どうやら吸血鬼の血液貯蔵室に逃げ込んだらしい。

 特に武器になるものもなく、他の部屋へ続く通路もない。そう長くは持たないだろうが、まぁ多少の休憩にはなるだろうか。

 吸血鬼もスケルトンも疲労困憊といった様子で地面に腰を下ろした。


「やつら殺しても殺しても立ち上がってくる。アンデッドがこんなに厄介とはな」


 俺は苦笑いを浮かべながら吸血鬼の言葉に頷く。

 今まで冒険者を苦しめてきた俺たちの特性がそのまま俺たちを苦しめているのだ。なんとも皮肉な話である。


『あれはなに?』

『ゾンビ?』


 ため息をつくように口を半開きにしながらスケルトンたちが次々に紙を掲げた。かなり疲れているのか、その筆圧はいつもより薄く筆跡も乱れている。

 あのアンデッド、確かにゾンビに似ているがあの特異的なぎこちない動きには覚えがある。


「……多分『キョンシー』だよ。まぁゾンビみたいなものだけど、術者の命令に従って動く死体なんだ。術者を殺せば動かなくなると思うけど」

「あの男がネクロマンサーか。なんとか引きずり出して殺したいが、キョンシーの陰に隠れてそう簡単には出てこないだろうな」

「キョンシーはどう? 強い?」

「なかなかしぶといが、一体ならそうでもない。問題は数の多さと統率力の高さだな。キョンシーの壁をぶち破って道を作ってくれれば僕がヤツの首を取ってやるが」


 吸血鬼の速さならきっと一瞬でネクロマンサーの首を掻き切れる。だがスケルトンたちではキョンシーを押し退けてネクロマンサーまでの道を切り開くことは難しい。

 一瞬で無数のキョンシーを吹っ飛ばすパワーのあるアンデッドと言えば――。


「ゾンビちゃん、今どこにいるかな?」


 俺の呟きに吸血鬼もうなずく。


「僕も同じことを考えていた。ヤツらが来てからは見ていないが、まさかどこかで野垂れ死んでいないだろうな」

「いくら人数が多いからって、ゾンビちゃんが押し負けたりしないでしょ。きっとどこかで戦ってるよ」


 その時。

 けたたましい轟音と共に扉が吹っ飛んだ。もうもうと立ち上る砂煙の向こうに人影が見える。

 思ったより早く居場所がバレてしまったようだ。ため息が出そうになるのを何とか抑えながら俺たちはゆっくりと立ち上がり、砂煙に身を隠した人影を睨み付ける。

 だが砂煙が晴れると同時に、張り詰めていた緊張の糸が緩んでいった。扉の前で佇んでいたのが敵ではなくゾンビちゃんだったからである。


「あっ、良かった! ゾンビちゃん、大丈夫――」


 そう言いかけた俺の言葉はゾンビちゃんの拳が風を切る音によって掻き消された。彼女の拳は俺の頭をすり抜け、壁にめり込み巨大な穴を作る。


「な……え?」


 突然のことに固まる俺の視界いっぱいに緋色の札が映った。……ゾンビちゃんの額に、貼り付いている。


「うわっ! そ、それ……!」

「残念だったな、お前らのゾンビは俺がいただいた」


 扉の向こうでネクロマンサーの男が大量のキョンシーに囲まれて薄ら笑いを浮かべている。逃げ道は塞がれてしまったようだ。

 そしてゾンビちゃんに貼られている札……やはり他のキョンシーに貼られている物と同じだ。彼女もほかの死体たちと同じく操られているに違いない。

 重要な戦力を失っただけならまだしも、それが敵に周ってしまったのだ。率直に言うと絶望的な状況である。なにかこの状況を切り抜ける策を考えなくては。


「一体何が目的だ。冒険者じゃないんだろう?」

「そこのレイスにはさっきも言ったが……俺の目的はこのダンジョンそのものさ。俺はこの娘らと一緒にここでダンジョン経営するのだ!」


 その突拍子もない言葉に、俺たちは思わず顔を顰める。

 吸血鬼も呆れ顔でため息交じりに聞き返した。


「はぁ? お前人間だろう」

「そうとも、だからこそこの娘たちと一緒に暮らす事が難しいのだ。人間はこの娘たちの蒼い肌の美しさを理解しない。だから俺とこの娘たちの楽園をここに建設するのだよ。ああ、安心しろ。この娘も仲間に加えてやる。きっと仲良くやれるさ」


 ネクロマンサーはゾンビちゃんを手招きして呼び寄せ、その肩に馴れ馴れしく腕を回す。

 ゾンビちゃんは肩に置かれた手をちらりと見るなり、大きく口を開けて彼の手に素早く顔を近付けた。


「ひいいいっ!?」


 ネクロマンサーは情けない悲鳴を上げながらゾンビちゃんから飛びのき、慌てて手を引っ込める。

 ゾンビちゃんの噛み付き攻撃からはなんとか逃れられたようだが、尻餅をついて恐怖に歪んだ表情をゾンビちゃんに向けている姿は「無様」以外に形容する言葉が浮かばない。


「お、おっと……お腹が空いているのかな? ま、まぁ良い」


 ネクロマンサーは額から大粒の汗を流しながらふらりと立ち上がり、バツが悪いのをごまかすかのように近場にいたキョンシーの肩に手を回してその蒼白い頬を撫でまわす。……いや、今は「赤い頬」か。


「ん? なんかぬるっと――」


 自分の手についた赤黒い液体にネクロマンサーは目を丸くする。そして次に肩を抱いたキョンシーの顔を覗き込み、悲鳴にも似た声を上げた。

 可愛らしい顔をしたキョンシーがその細い腕で丸々太ったネズミを鷲掴みにし、その腹に噛り付いて生き血を啜っていたからである。


「うわっ!? 何食べてるんだ、汚いからやめなさい! ほらポイして!」


 主人に命令され、キョンシーは渋々といった風にネズミを投げ捨てる。

 このダンジョンでは割とよく見る光景だが、彼は今までにあまりこういった経験がなかったのだろう。酷く狼狽えているようだ。

 だがネクロマンサーは床に捨てられたネズミの死骸から目をそらし、不自然なまでに明るい声を上げる。


「ま、まぁ今日はたくさん動いたし、腹が空くのも仕方がないな。今までこの娘たちの食事を得るのにも苦労していたが、これからはそんな心配もない! 何もしなくとも馬鹿な冒険者エサが自分からやって来てくれるのだからな」


 ネクロマンサーは自分に言い聞かせるような大きい独り言を呟き、そして今度は俺たちに視線を向ける。


「俺のダンジョンにむさ苦しい男と骨などいらない。まぁ召使いとしてどうしても雇って欲しいと頭を下げるなら考えないでもないが」

「どうやらお仲間と同じく脳が腐ってしまっているらしいな」


 絶体絶命の状況と妙に間の抜けたネクロマンサーの様子に吸血鬼は酷く苛立っているらしい。

 今にもキョンシーたちに飛び掛かってしまいそうな吸血鬼に、俺は慌てて耳打ちをする。


「ちょっと待って吸血鬼。真正面から戦っても分が悪いよ」

「じゃあどうしろと言うんだ! 逃げ場などないぞ」

「俺に考えがある。あのネクロマンサー、キョンシーとゾンビちゃんをいまいち服従させきれてない気がするんだ。やっぱりこれだけの人数の死体を使役するのは無茶なのか、もしくは一応知能があるゾンビちゃんを操っているのが負担になっているのか……」

「まどろっこしい話は後だ。それで僕は今、何をすれば良い」

「死体たちの服従を解きたい。そのために吸血鬼にやってもらいたいことがあるんだ」


 俺は一層声を潜め、吸血鬼に作戦の概要を伝える。

 吸血鬼はやや拍子抜けしたような表情を浮かべながら俺の言葉に頷いた。


「……そんなので良いのか。分かった、やってみよう」

「作戦会議は終わったかね? で、素直に出て行ってくれる気になったかな。あまりこの娘たちに傷を負わせたくないから、そうしてくれると助かるのだが」


 余裕綽々でヘラヘラ笑うネクロマンサーを睨み付けたまま、吸血鬼はその辺の棚に手を伸ばして血液入りのボトルを手に取った。


「貴様は少し頭を冷やしたほうがいいな。これは餞別だ、受け取れ!」


 吸血鬼はニヤリと笑い、思い切り振りかぶって血液入りのボトルをネクロマンサーめがけて投げつける。

 吸血鬼の手を離れたボトルは弧を描いて宙を飛び、手が肩より上に上がらないらしいキョンシーたちの頭上を通って見事ネクロマンサーの頭に直撃した。

 ビンは粉々に割れ、ボトルを満たしていた血がネクロマンサーの髪を赤く染める。


「くっ……小癪な真似しやがって!」


 ネクロマンサーは悪態をつきながら目にかかった血を袖で拭う。

 図らずもヤツの視力を奪うことに成功した。そのお陰で俺たちの真の目的にも、まだ気付いていないようだ。

 それはふらり、ふらりとネクロマンサーに近付き、無防備なヤツの二の腕に噛り付いた。


「うぎゃあっ!? ひ、ひいいい」


 腕に噛み付いたゾンビちゃんをようやくその目に映し、ネクロマンサーは血で赤く染まった顔からみるみる血の気を引かせる。

 ゾンビちゃんはぶちぶちと筋繊維を引きちぎる音を響かせながら、ネクロマンサーの腕から容赦なく肉を噛み千切った。返り血ではない、正真正銘彼の血液が腕から滴り落ち、地面に小さな血だまりを作る。

 だがネクロマンサーは情けない悲鳴を上げてはいるものの、冷静さを完全に失ったわけではないらしい。彼は懐から黄色い札を取り出し、腕に噛り付くゾンビちゃんの額に貼り付けた。その途端、スイッチを切られた機械のようにゾンビちゃんの動きが止まる。どうやら麻痺だか封印だかを行う札のようだ。

 ネクロマンサーは腕を庇いながらも固まったゾンビちゃんを蹴り飛ばした。


「くそったれが! こいつよくも……廃棄処分にしてやる!」


 冷や汗をかき、肩で息をしながらネクロマンサーは口汚く罵声を吐く。

 酷い傷ではあるが、致命傷には至らなかったようだ。一応作戦は成功したものの、思ったよりダメージを与えられなかった。……そして、これ以上の策は用意していない。

 その上、廊下にやや散らばって配置されていたキョンシーたちもネクロマンサーをガッチリと囲むように再び彼の元へ近付いていく。やはりあのキョンシー軍団と正面からぶつかり、ネクロマンサーを無理矢理引きずり出すほかないのか。

 ネクロマンサーも安堵からか力なく笑みを浮かべ、キョンシーたちに優しく声をかける。


「あ、ああ。心配するな、大丈夫だ。君たちは早く奴らを――」


 だが、ネクロマンサーの言葉はそこで途切れ、代わりに痛ましい絶叫がダンジョンに響いた。

 ネクロマンサーに数え切れないほどのキョンシーが群がり、一様に彼の体に口をつけて肉を裂き、傷口からあふれ出る血を啜っている。

 キョンシーがネクロマンサーに近付いたのは彼を守るためではない。その血の匂いに釣られたのである。


「み、みんな目を覚ませ! ああっ、せ、制御がっ……できない……!」


 血の匂いで暴走したのか、あるいはゾンビちゃんに噛まれた動揺からか。彼女たちにとってあの男はもはや主人ネクロマンサーではなく餌であるらしい。

 しばらくは耳を覆いたくなるような絶叫が続いたが徐々に声は小さくなり、やがてキョンシーたちの血を啜る音だけが不気味に響くだけとなった。

 俺たちは互いに顔を見合わせ、安堵に胸を撫で下ろす。


「なんか、案外あっけなく倒せたね」

「自分の可愛い可愛い下僕アンデッドに食われて、やつも幸せだろう。見ろ、あの顔」


 嘲笑うように言いながら吸血鬼は恐ろしい表情でこと切れたネクロマンサーを指さした。いまだにキョンシーの大群に群がられ、最後の一滴まで搾り取るかのように血を吸われている。


「皮肉だなぁ……ん? おかしいな、術者が死んだのにキョンシーたちが死なない……?」


 操っているネクロマンサーを倒せば、使役されているアンデッドたちも元の死体に戻ると踏んでいた。

 ……にも関わらず、キョンシーたちは元気いっぱいに主人の血を啜っているではないか。

 数え切れないほどのキョンシーで埋め尽くされた廊下を見渡し、俺たちは途方に暮れる。襲ってくる様子はないが、かといって死体に戻る様子もどこかへ帰っていく素振りも見られない。


「あれー、おかしいなぁ……」

「ど、どうするんだこいつら」

「どうしようか……あはは……」




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