前へ次へ
94/164

92、麗しの潔癖冒険者





 その日、我がダンジョンに珍しい冒険者が足を踏み入れた。

 若い女の冒険者、それもたった一人だ。五人程度のパーティに女性が一人いるというのはままあるが、ソロの女冒険者というのはなかなかに貴重。そしてなによりその冒険者、かなりの美人であった。

 ほのかに青い光を放つ細身の剣を振るうたび、高い位置で一つに束ねた金髪が俺たちを惑わせるように揺れ動く。見惚れてしまうほど美しく華麗な剣技により、冒険者の前に立ち塞がるスケルトンたちは次々骨片と化して地面へ崩れ落ちていった。

 女一人で冒険ができるのもこの素晴らしい剣技のお陰なのだろう。並の冒険者では束になっても彼女には敵うまい。

 迂闊に触れれば指を落としてしまう、まさに剣のような鋭い美しさを持った女性であった。


 が、スケルトンを薙ぎ倒しながら勇猛果敢にダンジョンを進んでいた女冒険者の足があるところでピタリと止まった。

 彼女の前に立ち塞がったのは全身ツギハギだらけの少女、ゾンビちゃんである。

 冒険者はゾンビちゃんを見るなり眉間に皺を寄せ、露骨に嫌そうな表情を見せる。かと思うと、彼女は手にしていた剣をくるりと回して鞘へと収めてしまった。

 彼女が剣の代わりに取り出したのは小型の弓である。素早い動きで弓を引き、数メートル先にいるゾンビちゃんめがけて矢を放つ。それは風を切り裂きながら真っ直ぐに飛び、ゾンビちゃんの肩を射抜いた。

 が、この程度ではゾンビちゃんは倒れない。

 小石をぶつけられたのとほとんど変わらないような様子でどんどん冒険者との距離を詰めていく。

 冒険者も素早い動きで的確にゾンビちゃんを射抜くが、そもそもゾンビちゃんに弓矢のようなちまちました攻撃は効果が薄いのである。大勢で一斉に矢の雨を降らせるならともかく、この程度の攻撃では彼女の動きを止めることすらままならない。

 素直に剣で攻撃すれば良いものを。歯こぼれでもしたのだろうか。


 そんなことを考えているうちに、ゾンビちゃんはあと一歩で手が届く距離にまで冒険者へと近付くことに成功していた。

 こうなると弓矢はますます不利である。

 一旦距離を取ろうという魂胆だろうか、冒険者は弓を下ろし、ゾンビちゃんを睨んだまま地面を蹴って後退していく。だがゾンビちゃんもせっかくのチャンスをみすみす逃す訳もない。


「待テ!」


 矢を十数本も受けている割には元気な声を上げながら、ゾンビちゃんは冒険者へとその蒼い手を伸ばす。だが冒険者の首や頭を掴むには距離が僅かに足りなかった。矢が数本貫通した彼女の手は冒険者の頬をかすめ、目くらましにもならないような僅かな血をその顔につける事しかできない。

 が、その瞬間今まで氷のように冷たかった彼女の表情が一変した。


「ひっ……き、汚い!」


 冒険者は酷く取り乱した様子でそう叫ぶと、ポケットから取り出した布切れで顔に付いた血を一心不乱に拭き取る。


「キ、キタナイ……?」


 冒険者の様子を呆然と見つめながら、ゾンビちゃんは先ほど言われた言葉を何度も呟くように繰り返す。

 やがてゾンビちゃんはその意味を理解した、あるいは受け止めたのだろう。指が折れるほど強く拳を握りしめ、肩を震わせながら怒りに燃えた目を零れ落ちそうなほどに見開いた。よほど体に力を入れているのだろう。体中にできた矢による傷から勢い良く血を垂れ流している。


「ユルサナイ!」


 ゾンビちゃんは短く、しかし怒りと憎悪を十分に感じさせる声でそう叫ぶと、真っ直ぐ冒険者へと向かっていった。

 冒険者は渋い表情で弓を仕舞い、再び鞘から剣を抜く。


 そこからはもはや女冒険者の独擅場であった。

 相変わらずの華麗な剣さばきで、しかし返り血を浴びないようにするためなのか、まるで魚をさばくように丁寧にゾンビちゃんの体を切り裂いていく。冒険者は自分の体を汚すことなく、あっという間にゾンビちゃんをバラバラに解体してしまった。

 完全なる勝利。にも関わらず冒険者の表情は依然として曇ったままである。彼女は刀身から血を滴らせる剣をため息混じりに見やると、すぐさま小さな霧吹きを取り出し、中の液体を剣に吹きかけていく。そうして浮かせた血を分厚い布で拭い、輝きを取り戻した刀身を眺めたところでようやく冒険者の表情も晴れやかなものに……とまではいかないが、元のキリリとした勇ましい表情を取り戻した。

 冒険者は磨き上げた剣を手に、再び勇猛果敢にダンジョンを奥へ奥へと進んでいく。

 その後ろ姿を眺めながら、ゾンビちゃんはなおも悔しそうに呻き声を上げる。そして天井を飛び出した俺に視線を向け、噛み付くように訴えた。


「キタナイ!? ネェアイツ、キタナイって言ッタ!」

「あー……きっと潔癖症なんだろうね。気にしなくて良いよ」


 どうやらまだ怒りが収まらないらしいゾンビちゃんを俺はできるだけ優しく宥める。

 だがゾンビとはいえやはり彼女も女の子だ。「汚い」と言われたことへのショックは俺が想像していたよりずっと大きいらしい。


「ヒドイ! 殺ス! 殺ス!」


 ゾンビちゃんはギリギリと歯を食いしばりながら冒険者の消えていった通路を睨みつける。

 そしてあろうことか、もはや満足に立つことすらできない状態にも関わらず、ゾンビちゃんは這うようにして冒険者の向かった方向へと進み始めた。


「ああ、無理しないで。内臓出てるよ」

「ウウー……」

「吸血鬼に仇をとるよう頼んでくるから、ゾンビちゃんはそこで大人しくしててよ」

「殺ス……殺ス……」

「そんな状態じゃどっちみち戦えないんだから、ちゃんと安静にしててね!」


 俺の言葉が聞こえているのかいないのか、ゾンビちゃんは虚ろな目で通路を睨みながら「殺ス」とうわ言のように繰り返している。彼女のことは心配で仕方がないが、俺にはまだ仕事が残っている。

 俺はもう一度ゾンビちゃんに安静にしているよう念を押し、そして次に冒険者が戦うであろう吸血鬼のもとへと向かった。





**********





「ほう、潔癖症の冒険者か。よくそんなので冒険者としてやっていけるな」


 ゾンビちゃんとの戦いの一部始終を聞き終えるなり、吸血鬼は腕を組み感心したように数回頷いた。

 そして次にニヤリと笑い、意地の悪い表情を浮かべて口を開く。


「まぁゾンビに触りたくないという気持ちは分からないではないがな」

「なにサラッと失礼なこと言ってるんだよ。とにかく相手の実力は相当だからね。油断してるとあっという間に殺られるよ」

「はは、安心しろ。ヤツが浴びるのは返り血ではなく自分の血だ」

「そうやってすぐ油断するから安心できないんだよ……」


 吸血鬼の呑気さに呆れながら俺はそう呟く。アンデッドというのは死なないからだろうか、時々どうも真剣さが足りないと感じる時がある。

 もっと冒険者に食らいついていくような、鬼気迫る戦いをして欲しいものだが……

 そんな事を考えていたその時。

 狭い一本道をこちらへ向かって歩いてくる人影が見えた。一つに束ねた長い金髪を揺らしながら、凛とした佇まいの女冒険者が俺たちの前に姿を現す。


「なるほど、神経質そうな顔をしている」

「じゃあ頑張って。くれぐれも油断しないようにね」


 俺は吸血鬼にそう声をかけると、戦闘を邪魔しないよう天井へとこの透けた体を隠す。

 それから程なくして、二人の戦いの火蓋が切られた。

 冒険者が取り出したのは剣ではなく、またもや小さな弓である。彼女は弓を素早く構え、吸血鬼に向かって正確に矢を放つ。

 だがここは先ほどの通路よりずっと広く、吸血鬼の動きはゾンビちゃんよりずっと俊敏だ。パーティならともかく、単独でダンジョンを訪れた冒険者には圧倒的に不利な武器であろう。

 吸血鬼は走り回って矢を回避しながら冒険者との距離を詰めていく。


「くっ……」


 吸血鬼に押され、弓での攻撃に見切りをつけたのだろう。冒険者は腰に下げた剣へと手を伸ばす。

 が、矢による攻撃が止んだ瞬間を吸血鬼は見逃さなかった。彼は思い切り地面を蹴り、冒険者へと急接近する。

 冒険者も素早く身を引いて攻撃を回避しようとするも、吸血鬼の速さには敵わなかったようだ。吸血鬼の爪は剣に伸ばした冒険者の右腕を切り裂いた。


「ひっ……!」


 それなりに深い傷を負ったのだろうか。

 冒険者は血に染まる腕に大きく見開いた目を向け、みるみる顔を蒼くさせる。

 ほとんど無傷、それどころか土埃すらろくについていない冒険者を負傷させたことに気を良くしたのだろう。やめておけばいいのに、吸血鬼がまた意地の悪い笑みを浮かべて冒険者を挑発するように口を開いた。


「おっと、これでは剣が振れないな。凄腕剣士が形無しだ」


 生きている人間の限界近くまで顔を蒼くすると、次に冒険者はその切れ長の目に涙を滲ませ始めた。

 確かにそれなりの量の出血はあるが、そうは言っても腕に一撃受けただけである。これほどのショックを受けるような場面とは思えない。

 吸血鬼の言葉を受け、冒険者が涙により掠れた声で絞り出すように吐いた言葉は、悲鳴でも命乞いでもなかった。


「汚い」

「……は?」


 吸血鬼はニヤニヤした意地の悪い笑みを顔に貼り付けたまま凍り付いたように固まった。

 その間に、冒険者はカバンから取り出した霧吹きを凄い勢いで腕の傷へと吹きかける。その液体の匂いは天井へと身を隠した俺の鼻にまで届いた。この特異な匂い、間違いない。霧吹きの中身はアルコールである。この強い匂いと使用方法を見るに、飲用でないことは間違いない。恐らく除菌のため持ち歩いているのだ。

……汚いものに触れた時、すぐに清められるよう。


「汚い? 汚いだと? 貴様誰に向かって言っている」


 ようやく冒険者の言葉が自分に向けられたものだという事実を受け止めたのだろう。吸血鬼は頬の筋肉を痙攣させながら怒りを押し殺したような低い声で威圧するような言葉を冒険者に吐き掛ける。

 冒険者は怒りに震える吸血鬼をチラリと一瞥したかと思うと、すぐにまたアルコールで傷を清める作業に戻ってしまった。

 バイキン扱いの上、無視までされたのだ。吸血鬼が平然としていられるはずもなく、彼は感情のままに冒険者へと襲いかかった。

 だが、吸血鬼が地面を蹴った次の瞬間。彼の体は砂埃とともに突如として現れた竜巻に飲み込まれ、そのまま舞い上がってしまった。

 こんな洞窟の中で自然に竜巻などできるはずもない。慌てて冒険者へ視線を向けると、やはり小さく口が動いているのが見える。この冒険者、剣のみならず魔法も使えるらしい。


「吸血鬼、どうにかして竜巻の外……に……」


 そこまで言って俺は言いかけた言葉を飲み込む。アドバイスをするのが少々遅かったようだ。

 強力な風の刃により、竜巻の中を回る吸血鬼の体はごみ捨て場に落ちているぬいぐるみが輝いて見えるほどにボロボロとなっていたのだ。ぬいぐるみの破れた部分から飛び出るのは綿であるが、吸血鬼の破れた部分から飛び出ているのは血とハラワタである。

 吸血鬼の血と肉片で竜巻が赤く染まる頃、冒険者はようやく呪文の詠唱をやめた。それにより竜巻は風船が萎むように勢いをなくし、最後には消えてなくなってしまった。

 それとほぼ同時に舞い上がっていた吸血鬼のパーツが湿っぽい音を立てながら地面へ落下する。大部分は重力に引かれるまま真下へと落下したが、いくつかの小さな肉片は竜巻の残骸の風に煽られてあらぬ方向へと飛んでいった。そのうちの一つがピチャリと音を立てて冒険者の靴を赤く汚す。


「チッ、しくじった」


 冒険者はボスである吸血鬼を倒したことに喜ぶ素振りも見せず、嫌悪感丸だしの表情を足元に向けながら霧吹きに入ったアルコールと何枚にも重ねたペーパータオルを取り出す。

 そして彼女は宝箱を取るよりも先に地面へとしゃがみ込み、ペーパータオルで靴を磨き始めた。それもかなり念入りに、だ。


 だがここはあくまでダンジョン。冒険者にとっての敵地なのである。

 彼女は少々油断しすぎたようだ。

 冒険者の靴を磨く腕に、なにか細長いものがぬるりと巻き付く。


「ん……?」


 冒険者は靴を磨く手を止めず、違和感を覚えたであろう腕に視線だけを静かに向ける。

 が、彼女が腕に巻き付いたものの正体を知ると、もはや靴を磨くところではなくなった。


「ギャアアアアッ!?」


 冒険者は目を剥いてダンジョン中に響かんばかりの絶叫を上げる。

 潔癖症である彼女にとってダメージが大きいのはもちろんだが、たとえ潔癖症でない人に同じことをしても彼女とそう変わらないリアクションをとったことだろう。

 なにせ冒険者の腕に蛇のごとく巻き付いているのは、赤く弾力のあるぬるりとした物体――腸なのだから。


「ひいいっ」


 冒険者は地べたに尻餅をつき、金切り声を上げながら巻き付いた腸を振り払おうと腕を激しく揺らす。だが彼女の受難はこれだけでは終わらなかった。

 必死に腕を振る冒険者の背中に、血に塗れたゾンビちゃんがぬるりと覆い被さる。どうやら「安静にしていてね」という俺の言葉を無視してここまでやってきたらしい。冒険者の腕に巻き付いた腸は彼女の腹に繋がっていた。


「キタナイ? キタナイ? アハハハハハ」


 ゾンビちゃんはその虚ろな目を見開き、冒険者の耳元で狂ったように高笑いをする。

 ゾンビちゃんの血で冒険者の美しい金髪も白い肌も真っ赤に染まり、その表情は絶望一色に染まっている。

 だがこの状況でもまだ冷静さの欠片を持っていたらしい。冒険者は腰に刺した剣へゆっくりと手を伸ばす。

 だが彼女の細い指が柄に触れるより一瞬早く、これまた血に染まった腕が彼女の腕を強く掴んだ。

 いつの間に忍び寄ったのか、冒険者のそばにはゾンビちゃんの他にもう一つ大きな肉塊が転がっていた。吸血鬼である。


「ははは、もう力が入らない……が、こんな攻撃ならできるなぁ?」


 歪んだ笑みを顔に貼り付けて、吸血鬼は冒険者の頬に自分の肉塊を貼り付ける。

 血に濡れていても分かるほど、冒険者の顔は蒼白な色をしていた。だが彼女にはもう一つ手が残されている。冒険者は息を荒げながらも口を開き、ブツブツとなにやら唱え始めた。また魔法を発動させる気だ。

 が、彼女の目論見はまたしても外れた。魔法は発動しなかった……というか、詠唱を終えられなかったのだ。吸血鬼により口に詰められた肉塊により、彼女は呪文を唱えることはおろか悲鳴を上げることすらままならない状況へと追いやられた。


「ネェネェ、キタナイ? キタナイ? アハハ」

「辛そうだなぁ。できれば殺してやりたいが、もうそんな力は残っていない。まぁ死ぬよりマシだろう? ああ、そうでもなさそうだなぁ、ははは」


 アンデッドたちの悪趣味な仕返しは物理的なダメージこそ与えなかったが、順調に彼女の精神を蝕んでいく。

 亡者たちとの戯れにより、彼女の体は赤く染まり、その髪は真っ白に染まっていた。



前へ次へ目次