91、やさぐれ勇者の悲しき半生
「大変だよ、ちょっと来て吸血鬼!」
大声を上げながらダンジョン最深層の宝物庫フロアに飛び込んだ俺に、吸血鬼は驚きと困惑の混じったような顔を向けた。
「なんだ一体? 僕がここを離れるのは不味いんじゃないのか」
「もう俺たちじゃ手に負えないんだ。とにかく来て!」
俺の鬼気迫る言葉に、吸血鬼の表情も深刻なものへと変わる。
「よほど危険な冒険者なのか?」
「そりゃあ、もう」
「そ、そうか……よし分かった、案内してくれ」
********
「この野郎、杯が空だぞ! さっさと注げェ!」
まるで絨毯のように通路に広がった大量のスケルトンの骨の上で、髑髏の杯を手に管を巻く男が一人。少年と言っても差し支えない程の若い男だ。
男の両脇にはところどころ骨の欠けたスケルトンが付き、お酌をさせられている。
「こ、これが危険な冒険者……?」
通路の曲がり角からその姿を確認するなり、吸血鬼は拍子抜けした声を上げる。
まぁそう言いたくなる気持ちも分からないではない。だがこの冒険者、なかなかに厄介なヤツなのである。
「アイツ、ここから進もうとも戻ろうともしないんだよ。もう二十分近くこの状態でさ」
「こんなのただの酔っ払いじゃないか。君たちこんなのも倒せないのか、情けない」
吸血鬼はブツブツと文句を言いながら体勢を低くし、その赤い目で髑髏の杯をあおる男に鋭い視線を送る。
「気を付けてよ! そいつすっごい強――」
俺の警告の言葉は吸血鬼の地面を蹴る音に呆気なく掻き消された。
通路へ飛び出した吸血鬼は風のような速さで冒険者の背後に迫る。油断しているのか、あるいは酒に酔っているのか。冒険者は後ろを気にする素振りも見せず酒をあおりつづけている。
吸血鬼は一際強く地面を蹴り、冒険者へと勢い良く飛び掛かった。その青白い右手が冒険者の首へと伸びたその時。
「チッ、なんだよ」
気怠そうな声を上げながら、冒険者がゆっくりと後ろを振り向く。自分を殺そうと飛び掛かる吸血鬼を目にしても顔色一つ変えず、首に伸びつつある手を冷静に掴み、そしてそのまま地面に叩き付けるようにしてねじ伏せた。
「アガッ」
「ほら、人の話ちゃんと聞かないから……」
俺はため息を吐きながら吸血鬼を見下ろす。冒険者により腕を後ろに回され、完璧に組み伏せられて動くことができないようだ。
ゾンビちゃんほどでないにせよ、常人の何倍もの力を持つ吸血鬼を組み伏せるというのは彼を殺すよりずっと難しいことだ。やはりこの冒険者、只者ではない。
だが冒険者は吸血鬼に止めを刺そうとはせず、動きを封じられて地面に這いつくばる吸血鬼を見下ろしながら口を開いた。
「ああ? なんだお前?」
「お、お前こそなんだ。人に名を尋ねるときは自分から名乗れ」
押さえつけられながらも、吸血鬼は尊大な口調で必死に虚勢を張る。
そんな吸血鬼の言葉に、男はふっと息を吐くように笑った。吸血鬼を嘲笑っているというよりは、どこか自虐的な雰囲気のある笑い方だ。
そして冒険者は一呼吸おいて、ゆっくりと口を開いた。
「俺か。俺は……勇者だ」
このタイミングでのボケに俺は思わず苦笑いを浮かべる。だがよく見ると当の冒険者の表情は真剣そのもの。どうやら本気で言っているらしいと気付き、なにか冷たいものが背筋を這うのを感じた。
吸血鬼も面食らったような表情を浮かべ、そして吐き捨てるように言う。
「チッ、酔っぱらって話もできないのか」
「気を付けて吸血鬼、もしかしたらちょっとアレな人かも……」
「妄想じゃねぇ! これを見ろ」
冒険者はそう言って自分の胸を指し示す。その場所――彼の着込んだ鎧の胸の中心には、歴史の本でしか見たことのない紋章が浮かび上がっていた。
それが歴史なのか神話なのか定かではないほどはるか昔、人間と魔族との世界の覇権をかけた大戦争が勃発した。
多大な犠牲を払いながらも人間側が勝利を収め今日に至るわけだが、その鎧に付いた紋章はたった数人の仲間とともに魔王を討ち取ったという伝説の勇者の剣や鎧に付いていたものとよく似ていたのである。
「そ、それはまさか勇者の紋章……?」
紋章を指差し呟くと、冒険者は紋章を見せつけるように胸を張り、ホッとしたように薄笑いを浮かべる。
「よく知ってるな。これで分かったろ、俺は本物――」
「わざわざコスプレまでして……」
「これはいよいよだな」
苦い表情を浮かべて呟いた瞬間、固められていた吸血鬼の関節が派手な音を立てながら可動域を大幅に超えて折れ曲がった。
苦痛のあまり悲鳴を漏らす吸血鬼を蹴り飛ばし、自称勇者は釣り上がった目を俺たちに向ける。必死に怒りを押し殺しているのだろうか、その頬は微かに痙攣しているのが見て取れた。
「ふん、別にお前らに信じてもらわなくたって結構だ」
「じゃあなんで折ったんだ……」
吸血鬼は腕を押さえ、呻き声を上げながら起き上がる。どうやら腕を折られただけで、他に大きな怪我はないらしい。これならまだ戦えるはず……そう思いかけたものの、その考えを俺はそっと頭の中から追いやった。
この冒険者、イタいけど強さは本物だ。もっと緻密に奇襲を仕掛けるならまだしも、真正面からやり合ったのでは被害を増やすだけである。
ここは早く帰ってもらうのが一番だ。
その事を頭に叩き込みながら俺はスネたようにそっぽを向く自称勇者の前へと回り込み、声をかける。
「それで、勇者様が一体うちになんの用? こんなこと冒険者に言いたくないけど、進むか戻るかしてもらわないとこちらとしても困るんだよね」
「うるせぇ! テメェらの都合なんか知るか!」
勇者は語気を荒げながら腕を組み、顔を背ける。まるで不貞腐れた子供のようだ。
俺は非行少年を諭すように根気強く冒険者へ声をかけ続ける。
「少し歩けば街があるよ。こんな暗いとこでアンデッドに囲まれて飲むより、バーかなにかで綺麗な女の人にでも注いでもらいながらお酒飲んだほうが楽しいって絶対」
「……うっ」
勇者の肩が微かに震え、鼻をすするような音が聞こえてくる。まさか、泣いているのか?
俺は思わず吸血鬼と顔を見合わせ、お互いに渋い顔を見せ合う。
「今度はなんだ」
「ううう……それができたらなぁ、こんなとこにはいないんだよ」
情けない声を上げながら勇者はその涙で濡れた顔を上げる。怒ったり泣いたり、本当に情緒不安定な男だ。酔っぱらいというものは本当に面倒くさい。
吸血鬼は呆れたように目を回しながらため息混じりに呟く。
「何泣いてるんだ、自業自得じゃないか。コスプレなんかに金をかけるから」
「金の問題じゃねぇよ! あとコスプレでもねぇからな!」
勇者は地面に突っ伏して泣き喚くように声を上げる。その様はまるで子供が駄々をこねているかのよう。
彼は地面を転がり、手足をバタつかせながら更に続ける。
「お前らには分からないだろうな。勇者の家系の長男に生まれ、勇者となることを運命づけられた俺の気持ちなんて!」
「勇者って世襲制なのか」
困惑の表情を浮かべながらそう呟く吸血鬼に、勇者はぐしょぐしょになった顔を向ける。
「そうだよ! しかも勇者には細かなしきたりが山のようにある。俺はなぁ、婚約者を連れて行かないと生まれ育った街にも帰れねぇんだぞ」
「えっ、魔王を倒すとかじゃなく?」
思いの外ゆるい「勇者の使命」に俺は思わず目を丸くする。すると勇者は血走った目でギロリと俺を睨み、吐き捨てるように言った。
「魔王なんているのかいないのか分からねぇようなもん探してたら一生帰郷できないだろ。今の平和な世の中で俺に求められていることは、いつか来るかもしれない、もしかしたら来ないかもしれない魔族との最終決戦のために勇者の血を残すこと。まるで種馬だ」
「だったら尚更こんなとこで管を巻いてないで街に出たほうが良いって」
「だから! それができないから苦労して――」
そう喚き続ける勇者の背後に、俺は音もなく這い寄る人影を見た。間違いない、ゾンビちゃんである。いつまで経っても来ない冒険者に痺れを切らしたか、あるいは生き残ったスケルトンたちに言われてやって来たのだろう。
勇者は相変わらず大声で喚きながら地面にうつ伏せの状態で転がったままだ。この調子ならば、もしかしたらヤツを倒せるかもしれない。
俺は期待を胸に息を呑んで勇者へ近付いていくゾンビちゃんを見つめる。
だが俺たちの希望は想像以上にあっさりと砕け散った。
ゾンビちゃんの腕が勇者の足に伸びたその瞬間、勇者は素早く立ち上がって剣を抜き、その手を叩き切ったのである。
「アッ!?」
一瞬の出来事に理解が追いついていないのだろうか。ゾンビちゃんは自分の手首から先がなくなった腕と勇者を見比べて目を回している。
勇者はため息をつきながら剣についた血を振り払い、改めてゾンビちゃんに剣を向ける。
「ったく、次から次へ……と……」
地面に這いつくばるゾンビちゃんの姿を見下ろすなり、勇者は口をぽかんと開いたまま固まったように動かなくなってしまった。
そして数秒の沈黙のあと、勇者はゾンビちゃんの顔を見ながらポツリと呟く。
「か、可愛い……」
勇者は頬を赤く染め、そのままゾンビちゃんの首に剣を振り下ろした。
「……えっ」
ゴロリと転がる首、切断面から黒ずんだ血を零し力なく横たわる首無し死体、血に濡れた剣。
耐性のない者が見れば卒倒するような血生臭い光景を前にしているにも関わらず、冒険者はなんとも恍惚とした表情を浮かべている。
「なんだ今の言動の不一致は!?」
「吸血鬼は腕折っただけなのに……」
俺たちの言葉にハッとした表情を浮かべ、勇者は目の前に広がる惨状に顔を顰めた。
そして次は転がったゾンビちゃんの首を自然な流れで拾い上げ、紋章が汚れるのにも構わずそれを抱え込む。そのまま勇者は首のない死体の脇に座り込み、魂が抜けたようなぼーっとした表情で虚空を見つめだした。
これではまるで狂人だ。「困った酔っ払い」というメッキが剥がれ、中から得体の知れない気味の悪いものが這い出てきたような感覚にゾッとする。
「い、一体なんなの?」
恐怖を押し殺し、恐る恐る尋ねる。
すると勇者は首を抱いたままジッと俺を見つめ、やがてゆっくりと口を開いた。
「……まぁ良い、教えてやる。頭のおかしなヤツだと思われるのもシャクだしな。俺は可愛い女の子を見ると損壊したくなるんだ」
「頭おかしい」
「変態じゃないか」
想像通りのゾッとする回答に、俺たちは思わず二歩、三歩と勇者から後退りをする。
すると勇者は眉を釣り上げ、半ば自棄になったように声を荒げる。
「うるさい! 異常だって自覚はあるんだ。だから頭おかしくはない!」
「自覚の有無なんて話にならないくらいには頭おかしいぞ」
吸血鬼の冷静な反論を無視し、勇者は拗ねた子供のように口を尖らせる。
「そもそもこんな癖がついたのだって、俺が勇者で、勇者としての教育を受けてきたからなんだ!」
こちらが聞いてもいないのに、勇者はまるで言い訳をするかのように自分の身の上を語り始めた。
「七歳から全寮制の男子校に入れられて、それからずーっと周りにいるのは男ばかり! 思春期の悶々とした時期に唯一接触できたのは魔物の女だけだ。俺はその女たちを『実践演習』という名目で殺しまくってたんだぞ。俺の知ってる女との触れあい方は『戦って、その体に剣を突き立てて、引きちぎって、死体にする』だけだ。それで……」
首を抱きしめる腕に力が入るのが分かる。
勇者は沈んだ表情を浮かべ、腕の中の生首に視線そっと視線を落とした。
「気づいた時には、可愛い女を見るとこの手で死体にしたくなるようになっちまった……」
勇者はガックリ肩を落とし、同情と優しい言葉を欲しているようなオーラを発している。だが特に同情するようなポイントも見つからず、俺たちは思わず顔を見合わせ、そして次に渋い表情を勇者へと向けた。
「伝説の勇者様の子孫が快楽殺人鬼か」
「笑えないね」
「人聞き悪い事を言うな! 俺に人を殺した経験は無い! 今自分の中の獣を飼いならす訓練をしているところだ」
首無し死体のそばで、生首を抱きながら勇者は必死にそう訴えかける。
吸血鬼はそれを鼻で笑い、口の端を持ち上げるようにして意地の悪い笑みを浮かべた。
「なるほど、その成果がこれか。さぞ素晴らしい訓練をしているんだろうな」
言い返す言葉が見つからないのか勇者は言葉を詰まらせ、やがて言い訳がましく口を開いた。
「やはり魔物相手だと自制心が効かない。それにこのいかにもな死体感……なんというか、損壊欲を掻き立てられる」
「やっぱ変態じゃん」
「だ、黙れぇ!」
勇者が声を荒げたその時、不意に勇者の腕からゾンビちゃんの首がゴロリと転がり落ちた。
首は自然落下にしては不自然なほどゴロゴロと転がっていき、力なく横たわった身体の前でピタリと止まった。すると次は首のない身体がのそのそと動き出し、ゆっくりとした動作でその手を首へと伸ばす。まるでヘルメットでも被るような格好で、ゾンビちゃんは切り離された首を切断面へと充てがう。
「ウウ、目がマワル」
ゾンビちゃんはフラフラ体を揺らしながら目を瞬かせる。
切り口が綺麗で他に傷もなかったからか、ややぼーっとしてはいるものの首を切られたにしては元気が良さそうだ。
勇者はゾンビちゃんの奇跡の復活を目の当たりにしてしばらく目を丸くしていたが、やがて合点がいったように声を上げた。
「あ、ああ。そうか、ゾンビだから首をもいでも死なないのか。ん? 殺しても死なないってことは……殺しても死なないって事じゃないか!」
「なに言ってるんだお前」
勇者はギラギラ輝く目でゾンビちゃんを見下ろしながら吸血鬼の問いかけに答える。
「俺が女の子にこんな接し方しかできないのは、女の子とのきちんとした触れ合いが極端に少ないせいだ。この娘なら殺しても死なない……何度も繰り返し訓練すれば、きっと女の子と普通に喋れるようになるはず」
「な、何度も……繰り返し?」
その言葉にスッと血の気が引いていくのを感じる。もしかして、これから物凄く恐ろしいことが起ころうとしているのではあるまいか。
そんな事も知らず、光のない目で虚空を見つめながら首の具合を確かめているゾンビちゃんに、勇者はゆっくりと確実に歩み寄っていく。その目はゾンビちゃんを真っ直ぐに見つめ、瞳には強い光を宿していた。
そして勇者は意を決したようにゾンビちゃんの目の前で立ち止まり、大きく深呼吸をしてから手に持った剣をおもむろに振り上げた。
「ど、どうも! はじめまして!」
まるで技名のように挨拶の言葉を叫びながら、勇者は一切の躊躇なく剣をゾンビちゃんの体に叩き付ける。
剣はゾンビちゃんの胸部から腹部にかけてを切り裂き、ツギハギワンピースにみるみる血が広がっていく。当然呑気に「こちらこそはじめまして」などと返している余裕はない。
だがそんな事は問題じゃないのだろうか、勇者はさらに剣を振り上げる。
「ご出身は!? 好きな食べ物は!? 休日はなにをして過ごしていますか!?」
答える暇すら与えられず、ゾンビちゃんに質問と斬撃が浴びせられ続ける。
ゾンビちゃんも応戦するが、勇者相手に真正面から、しかも手負いでは到底勝ち目などない。戦いというより虐殺と言ったほうが正しいとすら思えるくらいだ。
質問と斬撃を浴びせかけるという奇妙な戦いが続くこと十数分。振り下ろされ続けていた勇者の剣がゆっくりとその動きを止めた。だが剣の動きが止まってもその口は変わらず動き続けている。
勇者はゆっくりとゾンビちゃんの隣に腰を下ろし、彼女に語りかけた。
「ここからずっと東に行ったところにあるのどかな街が僕の故郷なんだ。六歳の時全寮制の男子校に入学させられたからあまり記憶はないけど、毎年春になると丘一面に白い花が咲くのが屋敷から見えることは覚えてる。あれはなんと言う名前の花だったかな……」
爽やかな故郷の思い出を話す勇者の隣にいるのは、もはや原型を留めていない肉片の山。彼女の耳に勇者の声など届いていない。
返り血を浴びたシャツを纏い、血に染まった手でジェスチャーを行いながら楽しそうに肉片に喋りかけるその男の姿は、どの角度からどう見ても狂人である。
「これは本物だな……」
「こんなの訓練じゃどうにもならないよ」
恐ろしさからか地面にバラバラになって散らばったスケルトンたちもカタカタ音を立てて震え始める。
しばらくの間、ダンジョンには聞き手不在の楽しげなお喋りの声が響くこととなった。