90、お涙頂戴
「急いで! でも十分気をつけてね、直視しないように」
俺の言葉に頷きながら、数体のスケルトンがそろりそろりと地面に転がる丸い盾に近付いていく。とは言っても、もちろんそこに転がっているのは普通の防具屋に売っているようなただの盾ではない。その中心にはおよそ普通の盾には付いていないものが固定されている。怪しい輝きを放つエメラルドのような眼、口の端から覗く牙、うねる無数の蛇……俺も見るのは初めてであるが、これがメデューサの首であることに疑いようはない。
そしてメデューサの視線に石化の呪いが込められているのも有名な話である。
スケルトンたちはそれぞれあらぬ方向に暗い眼窩を向けながら、手にしていた白い包帯を俺の誘導に従ってメデューサの眼を覆うように巻きつけていく。
そのギラギラ輝く目が完全に包帯の下に隠れているか、呪いを帯びた視線をシャットアウトできているかを丁寧に確認した後、俺は通路に向かって合図を送った。
「安心して、もう大丈夫!」
すると通路の奥の暗がりから及び腰のスケルトンたちがわらわらとその姿を現した。まぁスケルトンが石化したとしても骨の構成成分がカルシウムから石になるだけで大きな問題はなさそうであるが、やはり灰色の体には抵抗があるらしい。接近戦を避けた甲斐もあり、幸運にも彼らに石化被害はなかった。目隠しにより呪いを封じることにも成功したし、取り敢えずは一安心だ。
「さて、あとは……これをどうするかだよなぁ」
俺はメデューサから視線を上げ、その脇に立っている石像に目を向けた。
石像の目は見開き、その整った顔にはなにかおぞましいモノでも見てしまったかのような恐怖の表情を浮かべている。無駄に凝った服の細かな皺や悲鳴を上げる寸前とばかりに半分開いた口から覗く牙、髪の毛の一本一本まで丁寧に作り込まれ、事情を知らない者が見れば「この石像、まるで生きているみたいだ」というような感想を述べることだろう。
が、この状況を目の当たりにしてそんなことを言う者はいるまい。
これはメデューサを直視した我がダンジョンのボス、吸血鬼の成れの果てである。
メデューサの視線をかいくぐって冒険者を倒したにもかかわらず、油断した吸血鬼は冒険者の死体の脇に転がったメデューサの首とうっかり視線を交わしてしまったのだ。なんとも間抜けな話である。
「ワー、ニョロニョロー」
のろのろと通路から出てくるスケルトンたちを押し退け、ゾンビちゃんが好奇心に目を輝かせながらメデューサの首に駆け寄ってきた。
勢いに任せてその首に手を伸ばそうとするゾンビちゃんを、俺は慌てて制止する。
「ああっ、迂闊に触ったらダメだよ!」
「ムー……じゃあコレは?」
口を尖らせながらもゾンビちゃんはその動きを止め、次にその脇にあった吸血鬼へ目を向ける。
俺は数秒悩んだ挙句、こちらをジッと見つめるゾンビちゃんに向かって小さく首を縦に振った。
「そっちはまぁ、壊さなければ良いかな」
「ホント? ワーイ」
ゾンビちゃんは歓声を上げながら嬉々として石化した吸血鬼を突き回す。さっそくパキッと言う音が聞こえてきたのが少々気になるがまぁ気のせいだろう。
はしゃぐゾンビちゃんを横目に、次はスケルトンたちが恐る恐るこちらへ寄ってきた。
『どうするのコレ』
『治るの?』
珍しく、どこか心配そうな面持ちで吸血鬼に視線を配りながらスケルトンたちはそんな文言の載った紙を掲げる。
スケルトンたちが心配するのも無理はない。「石化」というのはアンデッドを限りなく死に近付ける事のできる代表的な手法だからだ。今までに何体もの「不死身の化物」が石化によってその自由を奪われている。
とはいえ、石化を解く方法がないわけではない。
「大丈夫だよ、石化の呪いを解く薬はある。ただ……ちょっと値が張るんだよねぇ」
俺は石化した本人の顔を眺めながらそう言ってため息を吐く。石化なんて滅多になるものではないし、販売数は少なく、材料も希少であるらしい。高価なのはもちろん、恐らくどこに注文しても届くまでに長い時間を要するはず。
『でも、今回は高くても仕方ないんじゃ?』
『石化は放っといても治らないよ』
『他に方法があるの?』
正論を紙に載せて、スケルトンたちはガチャガチャと不安そうに骨を鳴らす。
まぁ彼らの言いたいことも分かる。確かに今はお金がどうこう言っている場合じゃない。
だが金の掛からない方法があるなら、そちらを優先したいというのが当然の心理であろう。俺はスケルトンたちをジッと見据え、声のトーンを落として耳打ちするように口を開く。
「うん、実は……方法はもう一つある。メデューサの涙に石化を解く力があるらしいんだ」
俺の言葉にスケルトンたちは大きな音を立てながらビクリと体を震わせる。そして地面に転がる丸い盾を一瞥し、そろりそろりと後退りしていった。
それと対照的に、好奇心に目を輝かせながら盾へ近づく者もあった。ゾンビちゃんである。
「ニョロニョロ泣かセルの?」
「うん、そうだよ。ところでゾンビちゃん、手に持ってるそれなに?」
尋ねると、ゾンビちゃんは石の欠片らしきものを後ろ手に隠し、とぼけたように視線をあらぬ方へ向ける。
「ナ、ナニモナイよ。ソレヨリドウスル、殴ル? 潰ス? 千切ル? 齧ル? 手伝ウよ!」
「あー……気持ちはありがたいけど、死んだら涙取れなくなるから」
「ソウナノ?」
「そうだよ」
俺は思わず苦笑いを浮かべながら首を傾げるゾンビちゃんを見下ろす。
メデューサだって化物には違いないが決してアンデッドではないのだ。この生首が肉団子になるという最悪の事態を避けるためにも、彼女に任せるのはもう少し後にしなければ。
「まずは俺がやってみるから、ゾンビちゃんは瓶の用意お願い。メデューサが泣いたら素早く涙を入れるんだよ」
「分カッタ! ビン! ドコー?」
ゾンビちゃんは元気よくそう返事をすると、手を差し出しながらスケルトンの方へと駆け寄って行く。
だが俺たちを遠巻きに見ていたスケルトンたちは首を傾げながら一斉に紙を掲げた。
『レイスが?』
『泣かせるって、どうやって』
『触れないのに』
「ふふ……人を泣かせるのに触れる必要なんてないんだよ」
俺は天井近くまで浮かび上がり、スケルトンたちを見下ろしながら意気揚々と宣言する。
「渾身の『泣ける話』、俺の武器はそれだけだッ!」
*********
「――次の日の朝、少女はマッチの燃えカスを抱えたまま、雪に埋もれるようにして冷たくなっていました。少女がマッチの火で祖母に会い、天国へ昇ったことに気付く者は一人もいませんでした」
静かな空間にスケルトンたちの骨の擦れる音だけが響く。眉間に手を当てるスケルトン、手のひらで顔を覆うスケルトン、静かに天を仰ぐスケルトン。みんな様々な姿勢を取りながら小刻みに身体を震わせている。
彼らにもし涙腺があればきっと止めどなく涙が溢れていただろうし、もし声帯があったら抑えきれなかった嗚咽の大合唱がダンジョンに響き渡っていたことだろう。
「ふふん、どうだ俺の話術は!」
俺の話にみんなが心揺さぶられている。なんと誇らしい事だろう。達成感と一種の満足感を胸に俺は辺りを見回す。
が、視界にゾンビちゃんが入った瞬間、俺の胸の中で膨らんだ暖かい何かが急速にしぼんでいくのを感じた。
ゾンビちゃんは地面に座り込んで足を放り出し、大きなあくびで目を潤ませている。顔に「つまらない」と書いているのとほとんど変わらないような表情に、俺の存在していないはずの心臓がドキリと痛んだ。
「あ、あれ? 悲しくない? マッチ売りの少女死んじゃったんだよ?」
尋ねると、ゾンビちゃんはつまらなさそうにこちらを見上げながらしらっとした表情を浮かべる。
「人ならイッパイ死ンデルじゃん」
「いや……まぁ、そう言われると確かに……」
地面に点々と残る赤い染みを見ながら思わず唸り声を上げる。ここじゃ凄惨な死などもはや日常。かく言う俺も犠牲者の一人だ。ゾンビちゃんには俺の話なんかじゃ刺激が足りなかったのだろうか。
肝心のメデューサの目に巻かれた包帯にも涙が滲んでいる様子はない。残念ながら俺の作戦は失敗に終わってしまったらしい。
「アンデッドや魔物の生首に人が死ぬ話したって、そりゃダメだよね」
俺はため息を吐きながら盾に固定されたメデューサの生首を見下ろす。
口で言ってダメならやはり物理的手段に出るしかあるまい。とはいえ、スケルトンたちはメデューサの石化能力に腰が引けてしまっている。もはや最悪の事態を想定している場合ではない。
「仕方ない……ゾンビちゃん、頼むよ」
「イイノ!?」
しらっとした表情から一転、ゾンビちゃんは目を輝かせながら凄い勢いで立ち上がる。今にもその細腕で身動きできないメデューサを叩き潰してしまいそうだ。俺は鉛のような不安を胸に抱えながら、少しでもそれを和らげようとゾンビちゃんに釘を刺す。
「死なない程度……って生首に言うのもおかしいか。ええと、潰れたり血が出たりしない程度にね」
「分カッタ!」
本当に分かっているのかは謎だが、ゾンビちゃんは手を上げて元気いっぱいに声を上げる。
言う事は言った。あとはゾンビちゃんがうっかり力加減を間違えない事を祈るばかりだ。
「ヨーシ、ガンバルよ!」
蛇ののたくる怪物の首をゾンビちゃんは怯むことなく鷲掴みにし、邪魔な盾を強引に外す。怯えたようにビクビク体を震わせるスケルトンたちに見守られながら、ゾンビちゃんによる「首遊び」が始まった。
サッカーの如く首を蹴り転がす遊びに始まり、蛇を引っ掴んで振り回す、小石を鼻に詰める、顔にツギハギの落書きをするなど、こちらがヒヤヒヤするようなイタズラをメデューサに仕掛けていく。メデューサの首は見る間に土で薄汚れ、最初は怒って威嚇などを繰り返していた頭の蛇たちも萎れた植物の如くぐったりと動かない。
が、ここまでしてもメデューサの頬に涙が伝うことはなかった。
「泣カナイ」
首遊びにも飽きたのだろう。ゾンビちゃんは首を小脇に抱えながらつまらなさそうに口を尖らせる。
まさかここまで強情とは。
「うーん、これもダメかぁ……次はどうしようかなぁ」
腕を組んで首を傾げていると、ゾンビちゃんは不意にメデューサの首を見つめながら呟くように口を開いた。
「ネェ、チョット齧ッテみて良イ?」
「ダメだよ」
「ナンデ?」
「不味かったらまだ良いけど、もし美味しかったらゾンビちゃん全部食べちゃうでしょ。そしたら吸血鬼ずっとこのままだよ」
『治療薬買えば良いんじゃ』
スケルトンたちのツッコミを無視し、俺はゾンビちゃんの腕に抱かれたメデューサの首を見つめる。
「そもそも意識あるのかなこれ。よく考えたら生首だしなぁ。もしかして死んでる……いや、死んではいない?」
ぐったりとしているものの、一応頭に生えた蛇は動いている。とはいえ、メデューサ本体は心肺停止……どころか心肺がない状態である。
唇は血の気を失い白く変色してしまっているし、その肌は土気色でハリもない。腐っていたりミイラ化している訳ではないが、生気があるとは言い難い。
「うーん、ここで暮らしてると死という概念が良く分からなくなるなぁ……」
思わず呟くと、ゾンビちゃんはキョトンとした表情で首を傾げた。
「シ? ガイネン? ソレ涙に関係アルの?」
「そりゃ、死んでたら泣けない……いや、そうでもないかな?」
死体は悲しさや悔しさなど感じないし、当然涙も流さない。だが涙を「流さない」と言うだけで、涙が体から消えてしまった訳じゃない。血液が血管に残っているのと同じように、涙だって涙腺に溜まっているはずじゃないか。
「……涙腺切ったら流れて来るかなぁ、涙。やっぱ物は試しだよね」
「切ルノ? 齧ルノはダメ?」
ゾンビちゃんは首を強く抱きしめながらギラギラと目を輝かせる。この怪物の一体何がゾンビちゃんの食欲を刺激するのかは分からないが、こう何度も言われると断り続けるのも悪いような気がしてきた。
「そうだなぁ、涙を採取した後なら齧っても良いよ」
「ホント!? ヤッター!」
「スケルトン、ナイフ持ってる? ……それにしても涙腺ってどこかなぁ」
スケルトンたちもナイフを用意したり手術台を用意したりと準備に走り回り、最後の手段への準備が慌ただしくも着々と進んでいく。
そんな中、不意に甲高い声がどこからか聞こえてきた。
「マテ」
「ヤメロ」
「ハヤマルナ」
「……ん?」
聞きなれない声だ。声の主を探し、俺は辺りを見回す。だがいくら目を凝らせど怪しい人影は見当たらない。
スケルトンは喋れないし、吸血鬼は今や石像と化している。となると、あと考えられるのはゾンビちゃんくらいか。
「どうかした?」
「私ジャナイよ」
ゾンビちゃんもキョトンとした表情で首を傾げている。声の正体は彼女ではないらしい。そしてどうやら、俺の幻聴でもないようだ。
とすると、あと考えられるのは。
俺は恐る恐るスケルトンの用意した台に載せられたメデューサの首に視線を移す。その色を失った唇に動いた形跡はない。だが、メデューサの頭に乗った蛇たちが身をくねらせながら体を持ち上げ、メデューサと同じエメラルドのように輝く目をこちらに向けている。
そして何体もの蛇たちが、俺の目の前で次々口を開いた。
「トリヒキダ」
「ナミダハヤル」
「ダカラオレラヲ」
「カイホウシロ」
……蛇が、喋った。
呆然とする俺たちを横目に、ゾンビちゃんが嬉々としてメデューサの首に飛びついた。
「ニョロニョロ! 喋ッテル!」
ゾンビちゃんにいじめられたトラウマが残っているのか、蛇たちはゾンビちゃんから逃げるように細長い体をのけ反らせる。
が、やはりメデューサ本体の顔はピクリとも動かない。蛇たちが喋っている間も、メデューサ本体の顔は全く動いていなかった。
やはり本体の生命活動はほとんど停止してしまっているのだろうか。とすると、生首となってなお石化の能力を失わず、腐ったりミイラ化することもなく、肌の瑞々しさを保っていられるのはこの蛇たちのお陰なのだろう。
彼らならきっと涙を出す方法も知っているはず。
「よ、よし。分かった、きちんと石化を解けたら解放してあげるよ」
「カジルノモナシダゼ」
「分かった分かった、ゾンビちゃんにも齧らせないから」
不機嫌そうに頬を膨らませるゾンビちゃんを横目に、蛇たちはホッとしたように息を吐く。
「トリヒキセイリツダ」
「ヤクソクハマモレヨ」
「ジャア、ナニカホコリッポイモノヲヨウイシロ」
「埃っぽいもの? 何に使うの?」
尋ねるが、蛇たちは俺の質問に答えようとせず舌を出しながらちょいちょいと首を振る。
「ヒャクブンハイッケンニシカズ」
「イイカラモッテコイ」
意図は良く分からないが、今は彼らの言葉に従うしかあるまい。
俺はそれ以上何も聞かず、スケルトンたちに「なにか埃っぽい物」を持ってくるよう指示する。それから数分後、彼らが持ってきたのはいかにも倉庫の奥の奥から持ってきたというような埃を被った年代モノのクッションだ。百年の眠りから覚めたと言われても納得してしまいそうなボロさである。叩けば霧と見紛うほど大量の埃を放出してくれるに違いない。
スケルトンの発掘してきた逸品に、蛇たちも満足げに首を振る。
「ナカナカノチョイスダ」
「ソイツヲ、オレラノマエデハタケ」
「ええっ……大丈夫?」
「モンダイナイ」
蛇に言われるがまま、スケルトンはメデューサの前でクッションを思い切り叩く。その瞬間、視界が悪くなるような濃密な埃が舞い上がり、メデューサの首を包み込んだ。見てるだけで鼻が痒くなってくるような光景だ。
この行為に一体何の意味があるのか……などと考えたのも束の間、舞い上がるホコリの中で表情を失っていたメデューサの頬が、鼻が、唇が、痙攣するように僅かに持ち上がった。そして色を失った唇が大きく開き、爬虫類のように小さく尖った歯の並ぶ口内が露わになる。その恐ろしさに思わず息を呑んだ次の瞬間。
「ックシ! ブエックシ! ウエックション!」
体内から湧き上がった大音量の爆発音がダンジョンに響く。もしやこれは――
「くしゃみ……だよね? あっ、ちょっと包帯外して!」
俺の言葉にスケルトンたちは渋々ながらもメデューサに近付いていき、目線を逸らしながら恐る恐る包帯を外す。露わになったメデューサの目には細かな血管がいくつも走り、真っ赤に充血していた。そしてその表面には、俺たちの求めてやまない涙が溢れんばかりに溜まっている。
「こ、これはまさか……!」
「ハウスダストアレルギーダ」
クッションから埃が舞い上がるたび、メデューサは発作のようにくしゃみを繰り返し、鼻水をたらしながら目に涙を溜めていく。
涙を「感情の高ぶりに呼応して流れるもの」と思い込んでいたのがそもそもの間違いだったかもしれない。涙は本来目を守るためにあるのだ。
「誰か、瓶用意して。目の下まで誘導する!」
俺はそっぽを向いたスケルトンの手をメデューサの潤んだ目のすぐ下へと導き、瓶を構えさせたままじっとその時を待つ。
その瞬間はすぐに訪れた。限界貯水量を大幅に超え、ダムが決壊したかのようにボロボロと涙が目から溢れ出す。涙は重力に従って頬を滑り落ち、待ち構えていた瓶の中へと入っていく。
「やった! 入ったよ、スケルトン。早くそれを吸血鬼へ!」
俺の指示により、スケルトンは涙の溜まった瓶を吸血鬼の頭の上で傾ける。滑り落ちた涙は吸血鬼の髪の上に落ち、そのまま吸い込まれていった。その瞬間、灰色に染まっていた吸血鬼の髪が黒さを取り戻していく。
「やった、呪いが解けて――あれ?」
喜んだのも束の間。
俺はその奇妙な現象に思わず首を傾げる。確かに吸血鬼の髪の一部分は石化が解除された。ところが、その効果が一向に他の部分へ広がっていかないのである。
「あ、あれ? なんで」
困惑していると、蛇たちが呆れたような声を漏らした。
「アタリマエダロ」
「クスリハ、カンブニヌラナキャナオラナイ」
「カンブ、ゼンシン」
「ええー! そういう外用薬的な感じなの? ということは……」
********
「おいレイス、涙はまだなのか」
吸血鬼が本日数回目の不機嫌声を上げる。顔の石化を解除した途端これだ。こんなことなら口に涙を塗るのは一番最後にするんだった。
埃の漂う劣悪な環境でメデューサから涙を採取すること数十分。これだけ作業を続けているにも関わらず、まだようやく首から上の石化が解除し終わっただけ。道程はまだまだ長い。
「おいレイス、聞いてるのか?」
吸血鬼の喚き声を無視し、俺はスケルトンにそっと耳打ちする。
「ねぇ、涙だけじゃやっぱ足りないよ。鼻水も塗っちゃえば?」
「おいレイス、聞こえてるぞ」
メデューサのくしゃみにかき消されるような声で言ったつもりだったのだが、さすがは吸血鬼。聞こえていたようだ。
俺は苦笑いを浮かべながら吸血鬼の方に視線を向ける。
「いやいや、よく考えてよ。これって涙が鼻から出ただけでしょ。ほぼ涙じゃん」
「ふざけるな! やめろ、絶対にそんな事をするなよ!」
「ちょっとうるさいね。作業の邪魔だから、ゾンビちゃん少し黙らせてくれる?」
「ハーイ」
暇そうにその辺をウロウロしていたゾンビちゃんは俺の言葉に嬉々として応じ、身動きの取れない吸血鬼に駆け寄る。
「な、なにするんだ! やめ」
喚き続ける吸血鬼の口を強引に閉じさせ、メデューサの目隠しに使っていた包帯を念入りに巻きつける。
呻き声までは抑えられないものの、だいぶ静かになった。
だが「口封じ」が終わってもゾンビちゃんは吸血鬼から離れようとしない。何を思ったか、彼女はスケルトンから借りたペンを取り出し、吸血鬼の顔に走らせていった。
「ミテミテ、オソロイ!」
ペンで吸血鬼の顔に書かれたのは、ゾンビちゃんと同じ形のツギハギだ。書いた本人は至って満足げだが、吸血鬼は物凄い目でゾンビちゃんを睨んでいる。とはいえ、今の吸血鬼には反撃することも逃げることも、満足に声を上げることすらできない。
そうこうしているあいだに、メデューサの涙がたっぷり染み込んだガーゼも出来上がった。ガーゼで涙を体に塗りつけることで石化が解除できる……のだが、今回のガーゼは先程までより若干粘ついている。
「うわっ……糸引いてる」
「ンー! ンーッ!」
「大丈夫大丈夫、きっと効果は同じだから……」
吸血鬼は目を見開き、迫りくるガーゼを拒絶するかのごとくタオルの下で声を上げる。
が、どんなに嫌でも石の体ではどうすることもできない。
スケルトンたちはなんの躊躇もなく濡れたガーゼを吸血鬼へと運ぶ。メデューサの涙と鼻水がたっぷり染み込んだガーゼはビチャリと音を立てながら吸血鬼の体に貼り付いた。
その瞬間発した絶叫は、タオルで押えているにもかかわらずダンジョン中に響き渡るほどの音量であった。