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7、アンデッドブートキャンプ




 世間では食欲の秋などと言われるが、俺たちにとっての食欲の季節は春である。


 春とは出会いと別れの季節。たくさんの若者たちが学校を卒業し、一人前の冒険者になるべく意気揚々と巣立っていく。

 しかし巣立ったばかりの若鳥たちは経験も浅く、力もまだまだ弱い。この世界は弱肉強食、初心者だからと手加減してくれる魔物などいはしない。

 ピカピカの装備を纏い、おっかなびっくりダンジョンへと足を踏み入れる冒険者。その類義語は「鴨が葱を背負ってやって来る」といったところだろう。アンデッドはいつも以上に奮闘し、その若い肉に舌鼓を打つという訳だ。

 そうでなくてもただでさえ春というのは暖かくなり、人々が活発になる季節。

 我々アンデッドは次から次へとダンジョンを訪れる冒険者を千切っては投げ千切っては投げ、叩きつけてこねくり回し、そして美味しくいただくというサイクルを日に何度も繰り返す。忙しく、そして美味しい毎日が続いた。


 しかしたくさんの肉や血がもたらすのは「美味しい」という感覚だけではない。人間も同じだろうが、満たしすぎた欲望の後には必ず重い代償が訪れるのである。


「……ねぇ」

「ん?」


 ジョッキに並々注がれた鮮やかな血液をグッと飲み干しながら、吸血鬼はその視線を俺に向ける。

 その端正な顔は肉に埋もれ、顎の下には首輪のように肉が纏わりついている。柔らかい脂肪が体を包み、鎖の如く彼の動きを封じている。その姿はまさに食欲の奴隷。


「太り過ぎ」


 俺はズバリ彼に言った。

 吸血鬼はというと、口周りについた血をペロリと舐めながら鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。


「なに驚いてんだよ」

「いや……確かに少し肉付きが良くなったかもしれないけど」

「肉付きどころじゃないよ、お前の目は節穴かよ」

「随分辛辣じゃないか」

「辛辣にもなるよ! 誰がどうみても今の吸血鬼は肉団子以外の何者でもないもん」

「ええっ!?」


 吸血鬼は酷く驚いたような顔をして自分の柔らかな頬に両手を当てた。

 誰が見ても気付くレベルで太っているのに、なぜ自身が気付かないのか。


「鏡見てないの?」

「鏡に僕は映らないんだよ」

「ああ、そうか……いやいや、それでも気付くでしよ! 服ピッチピチじゃん!」


 彼の纏ったシャツのボタンは、彼の膨らみきった腹を隠そうとその身を呈して頑張っている。少しでも吸血鬼がその腹を揺らせばボタンはその激務に耐えきれず職場(シャツ)を飛び出してしまうに違いない。


「確かに少し小さいかな。もうワンサイズ大きいのを頼むか」

「大きなシャツを買う決意をするんじゃなく、その体を絞る決心をしなよ。とりあえず節制することから始めよう」

「そこまでして痩せる必要あるだろうか。目先の格好良さを追求して無理に痩せるより、迫りくる飢餓に対する備えをした方が賢明じゃないか」


 いくら説得しても俺の言葉は吸血鬼の厚い脂肪に阻まれて全く届かない。

 今すぐその腹の肉を掴んで揺さぶってやりたい気分だが、この透けた体ではそれも叶わない。しかしこのまま野放しにしていれば彼はますますその体を大きくしていくことだろう。

 俺は彼の目を覚まさせるべく、最終兵器を出すことにした。


「ふーん、この弱肉強食の世界でそんな無防備に肉を曝け出していて良いのかな」

「どういう意味だ?」 


 吸血鬼は頬をたるんたるん揺らしながら首を傾げる。

 俺は彼にニッコリ微笑みかけ、そして大きく息を吸い込んだ。


「おーい、ここにでっかい肉があるぞ!!」


 ダンジョン中に声が響いてから数秒後、どこからか地面を蹴る物凄い音が徐々にその音量を上げながら近付いてきた。


「な、なんだ?」


 戸惑う吸血鬼の後ろから、何者かが彼に飛びかかる。それはまるで太った獲物を見つけた女豹の狩りの瞬間のようであった。


「ニク! ニク!」

「うわっ……な、なんだ!?」


 吸血鬼に馬乗りになり、彼に噛み付こうとするゾンビちゃん。吸血鬼は彼女の頭を掴み、必死にその口を自分の体から遠ざけようとする。

 彼女は飢餓状態になると知能が低下し、仲間のアンデッドすら襲って捕食しようとする。しかし今、ダンジョンには豊富に肉があってゾンビちゃんのお腹は十分に満たされている。

 ではなぜ吸血鬼が襲われているのか。それはゾンビちゃんではなく吸血鬼自身に原因があった。


「……アッ、間違ッタ」


 ゾンビちゃんは吸血鬼の肉に埋もれた顔をマジマジと見て、ようやく彼から離れた。吸血鬼は土埃のついたシャツを叩きながら不機嫌そうに立ち上がる。


「なんだ一体、あれだけ食べてもまだ足りないのか?」

「ダッテ肉団子かと思ったんだモン」


 ゾンビちゃんは口を尖らせながら答える。

 さらに文句を言おうと口を開きかける吸血鬼を黙らせ、ゾンビちゃんのフォローをすべく2人の間に割って入った。


「あのね吸血鬼、もはやゾンビちゃんには君と食べて良い冒険者との区別がつかないんだよ」

「なっ……どうしたんだ小娘、なにかの病気か?」

「病気なのは吸血鬼の方でしょ、明らかな肥満症だよ。俺だってたまに吸血鬼の後ろ姿を見て『侵入者だ!』って思うことあるもん。それだけ体のシルエットが変わったら誰だってそう思うよ。今までだって何回もゾンビちゃんが冒険者と間違えて吸血鬼を襲おうとするのをスケルトンと一緒に止めてたんだよ。吸血鬼が自分でも太ってるのを酷く気にしてて下手なことをしたらショックを受けると思ったから。しかし自分じゃ全く気にしてなかったなんてね!」


 俺の勢いに気圧されたのか、吸血鬼はバツが悪そうに視線を泳がせる。しかしここまで言われても「ハイ痩せます」の一言が出てこないらしい。


「とは言っても、もう貯蔵庫も一杯だしせっかくの血液を捨てるのはもったいないだろう。食べ物は大事にしなきゃ」

「なら運動なりなんなりしてとにかく痩せなよ。そのままじゃまともに戦えないし、何より今の吸血鬼はダンジョンボスとしての風格がゼロだ! ダンジョンボスはイメージが大事なのに!」

「うぐっ……わ、分かったよ」


 こうして吸血鬼はようやくダイエットに励むことを約束したのであった。





*********





「ハーイ、あとダンジョン20週だよ」

「あと20!? も、もうダメだ休ませてくれ……」


 吸血鬼はヘロヘロになりながら地面へとへたりこんでしまった。ダンジョンのボスにあるまじき醜態。俺は彼の大きな臀を蹴飛ばす。もちろん吸血鬼にダメージを与えることはできないが、鬼教官的雰囲気を出すことには成功しているように思う。


「だらしないなぁ! まだたった10周じゃないか。俺も一緒に走ったけど全く疲れなかったぞ」

「君は幽霊(レイス)だから何やったって疲れないだろう。僕には実体があるんだぞ」


 吸血鬼は口を尖らしながらふぅふぅと呼吸を荒げる。

 しかしダンジョンを走る吸血鬼を面白がり、一緒になって走ったゾンビちゃんは全く疲れた様子もなく吸血鬼の大きなお腹を面白そうにつついている。


「私も走ったけど10周くらいヨユーだよ」

「君はバカだから疲れないんだよ」

「ダマレ! 走レ!」


 ゾンビちゃんが俺の真似をして吸血鬼の臀を蹴飛ばした。お腹がいっぱいであるお陰で多少パワーダウンしているものの、ゾンビの蹴りはなかなかに強烈らしい。彼は飛び上がり、臀をさすりながら立ち上がった。


「分かったよ。走る、走るからせめて血を飲ませてくれよ。もう喉が渇いて死にそうだ」

「アンデッドが『死にそう』だなんて、大袈裟な。まぁ良いや、スケルトン! アレできてる?」


 そう呼びかけると、スケルトンがグラスに入ったあるものを持ってきた。それはサラリとしたクランベリージュースのような薄い赤色の液体である。

 吸血鬼はそれを少し口に含むや、眉間に皺を寄せて低く唸った。


「……なんだこれは。酷く薄いじゃないか」

「その名もスポーツブラッド! 血液に特殊な加工を施したもので、脂質を除去したり水分量を多くしたりしてヘルシー仕様にしてあるんだ」

「うーっ、なんて余計なことを!」

「高タンパク低カロリーでダイエットにピッタリなんだよ。早く痩せて元の食生活に戻れるよう頑張ろうね」

「ガンバロー!」


 ゾンビちゃんは吸血鬼に喝を入れるかのごとく彼の臀をリズミカルに叩く。


「うへぇぇぇ」


 吸血鬼は情けない声を上げながらまたよたよたと走り始めた。




********




「おーい吸血鬼起きて!」

「オキテー!」


 翌日、いつまで経っても起きてこない吸血鬼を叩き起こすべく、俺はゾンビちゃんを連れて吸血鬼の部屋へと向かった。

 棺桶の周りで騒いでも踊っても沈黙を貫く吸血鬼に痺れを切らし、ゾンビちゃんに棺桶の蓋をあけてもらう。キングサイズの巨大棺桶の中には吸血鬼の大きな体がギッチリ詰まっていた。


「起きて吸血鬼、朝のランニング行くよ」

「イクヨー」


 吸血鬼は薄っすらと目を開け、そして毛布でその顔を隠す。


「おい何やってんだよ」

「ミンナもう起きてるヨ」


 吸血鬼は毛布で顔を覆ったまま唸り声を上げた。吸血鬼の呼吸に合わせて毛布が上下している。


「おーい?」

「もうヤダ……あの薄い血もランニングも……」


 どうやらダイエットが嫌で自室から出てこなかったらしい。何たる醜態、まるで意思薄弱の子供ではないか。


「情けないぞ吸血鬼!」

「だってもうやなんだもん!!」


 吸血鬼は毛布に包まったまま駄々をこねるばかりで棺桶から出ようとしない。


「引きズリ出す?」

「うーん、引きずり出したところで無理矢理ランニングさせる訳にはいかないし……」


 結局自分自身に痩せる気持ちがなければ周囲がいくら騒ごうとダイエットなど成功しないのだ。

 しかしこのままズルズルと太っていけばやがて棺桶にも入らず、ダンジョン内の狭い通路も通れなくなる日が来るだろう。

 なんとかして強制的に痩せられる方法……奥の手ではあるが、案が無いではなかった。

 俺は棺桶を覗きこみ、蛹のようになった吸血鬼に優しく声をかける。


「ねぇ、1日ですぐに痩せる方法があるんだけど、やってみる?」

「い、1日で?」


 吸血鬼は毛布の隙間から目を出してこちらをじっと伺う。俺は大きく頷いた。


「うん。そのかわりすごーくキツいけど」

「いや、良い! それで痩せられるなら安いものだ」


 1日で痩せられるというのはそれだけでとても魅力的に映るのであろう。

 予想通り、吸血鬼は俺の言葉に飛び付いた。これから何が起こるのかも知らずに。




********




「えっえっ、なんだこれは」


 台の上に手足を拘束され、自由を奪われた吸血鬼は不安そうにあたりを見回す。その光景はまさにまな板の上の鯉……いや、まな板の上の肉である。

 俺は彼の頭の上に浮かび上がり、困惑する吸血鬼の顔を見下ろす。


「今から脂肪吸引手術を行います」

「しゅ、手術?」

「うん。バキュームで脂肪を吸い出すよ」

「なるほど……いや待て、そんな道具うちにあったか?」

「よくぞ聞いてくれました。我がダンジョンの対脂肪用最終兵器……こちらです」


 俺が指し示した先にいたのは、ドヤ顔で両手を上げポーズを決めたゾンビちゃんである。

 吸血鬼は怪訝な顔をしながら首を傾げる。


「なんのつもりだ」

「チューチューします」


 そう言ってゾンビちゃんは金属の筒を取り出し、口にくわえる。

 そう、彼女こそが脂肪吸引用バキュームなのだ。


「まさかそれをぶっ刺すということか!? 滅茶苦茶痛いじゃないか!」

「まぁ麻酔ないからね」


 吸血鬼は真っ青な顔で拘束から逃れようと暴れる。


「冗談じゃない、そんな拷問みたいなことできるか!」

「やめる? なら毎日毎日特製スポーツブラッドとランニング漬けの毎日を送ってもらうことになるけど」

「うぐぅ……」


 よほどランニングと不味い食事は嫌らしい。吸血鬼は苦悩の表情を浮かべながらもその動きを止めた。

 悩んでいる今がチャンス。俺は早速ゾンビちゃんを促した。


「よーし、じゃあ先生、やっちゃいましょう」

「ウム」


 ゾンビちゃんは金属筒を口に咥えたままゆっくりと吸血鬼に近付く。吸血鬼はなおも諦め悪く台の上でもがく。


「あわわ、待ちたまえ心の準備が……ギャッ」


 吸血鬼のたるんだ腹に金属製ストローが差し込まれる。腹部からはヤカンから出るような薄い白煙が上っている。


「熱い熱い! まさか銀かそれ!?」

「はい、そうです。だって普通の金属じゃ上手くお腹に刺さらないでしょ。先生、どうですか調子は」

「マッッズイ」


 ゾンビちゃんは舌を出して険しい顔をしてみせる。


「血生臭いし脂っぽいしダメダメ」

「うーん、やっぱりアンデッドの肉は不味いんだなぁ」

「もうストローメンドクサイから齧って良い?」

「良いよ」


 俺が許可を出すや、ゾンビちゃんは銀の筒を放り投げ、吸血鬼のまるまるしたお腹に直接迫る。

 吸血鬼は身をよじって逃げ出そうともがくが、もう何もかも遅い。


「待て待て! は、話が違っ……ギャー!」


 吸血鬼の断末魔の叫びはダンジョン中に響き、訪れていた新人冒険者を震え上がらせた。


 こうして元のスリムな肉体を取り戻した吸血鬼は、もう二度とあの痛みを味わいたくないと腹八分目を心がけるようになったとか。

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