87、ど根性植物
「ウワー、オッキイ!」
ゾンビちゃんはそれを見るなり、元々大きい目を零れ落ちそうなほど見開いてみせた。
彼女の眼前にあるのは植物の芽。とは言ってもただの芽ではない。二枚の柔らかそうな葉の茂ったその芽は、ゾンビちゃんの腰のあたりまで伸びている。初めて見た時、オシャレなデザインの椅子かなにかかと思ったくらいだ。
恐らく冒険者の衣類や荷物に付いていた種が落ちたのだろうが、まさかこんなダンジョン奥深くの倉庫で発芽するとは驚きだ。
その芽を取り囲みスケルトンたちもガチャガチャと骨を鳴らしながら紙を掲げる。
『なんでこんなとこに植物が』
『日の光も届かないのに』
『水もないのに』
「まぁダンジョンの土は栄養たっぷりだからね。冒険者の血肉でさ」
それにしてもこんなに近くで緑を見るなんて久しぶりだ。ダンジョン入口からは切り取られた外の森が見えるが、それは緑を愛でると言うよりは風景を眺めているといった感覚なのである。
ダンジョンに生える植物と言ったら蛍光色の錯乱キノコくらいのもの。
この死人だらけのダンジョンで久々に見た生命力あふれる小さな緑。気付くと俺は、この奇妙な植物に心を奪われていた。
『どうする?』
『こんなとこにあっても邪魔』
『引っこ抜こう』
『伐採伐採』
ふと顔を上げると、いつの間にかスケルトンたちの掲げた紙に恐ろしい計画がつらつらと並ぶようになっていた。
俺は慌てて巨大な芽の前に飛び出し、勢い良く首を横に振る。
「ダ、ダメダメ! 別に伐採する必要ないじゃん」
『でも邪魔だよ』
『邪魔邪魔』
「ならこの倉庫を他所に移そう! 部屋なら余ってるし」
『ええ?』
『これだけの荷物を?』
「ううっ……」
部屋を埋め尽くす大量の棚、そこにのった溢れんばかりの荷物。確かにそんなのは現実的な話ではない。
とはいえ、この植物をみすみす手放したくはない。どうすれば……
「なら、この植物を別の部屋に植え替えればいいじゃないか」
必死に頭を回転させていたその時、今まで沈黙を貫いていた吸血鬼が突然口を開いた。
その素晴らしい案に、俺は思わず手を叩く。
「なるほど、それは良い案だね!」
『本気で言ってる?』
『気味が悪いよコレ』
スケルトンは不服そうに骨を鳴らす。この植物にあまり良い感情を抱いてはいないらしい。
だがここで引く訳にはいかない。
「た、確かにちょっとでっかいけど……でもみんなに迷惑はかけないようにするから! 頼むよ、こんな体じゃロクに暇潰しの手段もないんだ。ガーデニングの趣味くらい許してよ」
そう懇願すると、スケルトンたちは渋々といった感じではあるが掲げていた紙を下ろして頷いた。
「私ドーデモ良イ」
ゾンビちゃんはもうすっかり植物に興味を失ってしまったらしく、あらぬ方向を眺めながらぼんやり頷く。
「決まりだな。よし、僕も手を貸そう。みんなで植え替えるぞ」
そう言うと、吸血鬼はスケルトンを引き連れて植物の植え替え作業を始めた。
柄にもなく手を土で汚すその姿に感動を禁じ得ない。
「ありがとう、みんな……!」
*********
広い空間に植え替えたのが良かったのだろうか。それともやはり土が良いのか。ろくに水も上げていないのに俺の植物はすくすくと成長していった。
その成長速度は俺の目を全く飽きさせない。みんなの寝静まった深夜、眠ることのできない俺にとって最も退屈な時間も、植物を愛でる癒しの時間へと変わった。
だが、やはりどうもあの植物はスケルトンたちには不評らしい。
「ねぇあの植物凄い大きくなってるよ! なんか蕾っぽいのも出てきてさ、ちょっと見に来ない?」
そう声をかけるも、スケルトンたちは困ったように顔を見合わせ、頭蓋をふらふらと横に振る。
「まぁスケルトンたちも忙しいだろうけど……でも部屋すぐそこだし、見るのなんて一瞬だよ」
さらに食い下がると、スケルトンたちは言いにくそうにしながらもゆっくりと紙にペンを走らせる。
『あの植物気味悪いよ』
『できればあんまり近付きたくない』
「そ、そんなぁ」
去っていくスケルトンの背中を見つめながら俺はガックリうなだれる。
「なんでみんな見てくれないんだよ……ん?」
うつむいた俺の目に、地面に横たわった青いツギハギだらけの少女の顔が映り込む。
俺は驚きのあまり声を上げながら飛び上がった。
「うわっ、ゾンビちゃん!? ……なにやってんの」
「ユ-レイカンサツ」
ゾンビちゃんは悪びれる様子もなく平然とそう言ってのける。彼女はたまに変な遊びを思いつくのだ。
俺は半ば呆れながらため息を吐いた。
「堂々と人を観察しないでよ……あっ、そうだ! どうせ観察するなら植物にしよう植物!」
「エー、興味ナーイ」
「そんなこと言わないで、どうせ暇でしょ? ほら立って立って!」
俺は嫌がるゾンビちゃんを半ば無理矢理植物の部屋へと連行する。
部屋に入ってその植物を見上げながら、俺は胸を張ってみせた。
「ほら見て、良く育ってるでしょ?」
もはやそれは「植物の芽」などではなかった。
背丈は大人の身長をとうに越え、天井に頭をぶつけてしまいそうなほど。まっすぐ伸びた太い茎からは人の頭ほどの大きさの葉が茂っており、てっぺんには大きく膨らんだラグビーボールのような形の蕾がついている。花を咲かせるのも時間の問題だ。
「じっと見てるとさ、なんだか人みたいに見えてこない? 茎は胴、葉は手足で、蕾は頭で――」
「ただの草ダよ」
「いや……まぁそれはそうなんだけど。あっ、そうそう! ちょっとした芸もできるようになったんだ、見てて!」
ゾンビちゃんにそう告げて、俺はその巨大植物の根本に近付いていく。
すると植物はまるでお辞儀でもするみたいにゆっくりと蕾を垂らし、俺の透けた体にすり寄ってきた。
まるで主人に戯れつく犬のようで、なんとも可愛らしい。
「ね、ほら凄いでしょ? 植物でもちゃんと自分の主人が分かるんだよ!」
犬が口を開けた時みたいにほんの少し蕾が割れ、その間から微かに柔らかそうな赤い花びらが顔を覗かせる。しばらく待てば大輪の真っ赤な花を咲かせてくれるに違いない。
どんな花だろう。薔薇のような上品な花だろうか、スミレのように可憐な花だろうか。この不思議な植物は目が見えているのだろうか。それとも人には分からない第六感のようなものがこの植物には備わっているのだろうか。
考えれば考えるほど不思議、見れば見るほど愛おしい。
……が、感性が違うのだろうか。ゾンビちゃんはそんな事全然思わないみたいだ。
「ソレ何ガ面白イの?」
「ええっ? ほ、ほら、この植物俺に懐いて」
「草は懐カナイよ」
「いや、まぁ普通はそうだけど……ならゾンビちゃんはこの植物を見ても何も思わないの?」
「ンー、オイシクなさそう。アッ、でも一番ウエのとこはチョットオイシソウ。中が赤くてニクみたい」
「……ハァ」
みんな体と共に植物を愛でる心まで朽ち果てさせてしまったのだろうか。それともこんなあの世だかこの世だか分からないような、草木もろくに生えない場所にずっとこもっているのが悪いのか。
たしかにこの植物を見ているだけでも楽しい。でも俺は、この楽しさを誰かと共有したいのである。
誰かこの美しさを分かってくれる者はいないのか。誰か、誰か――
「おお、なかなか順調に育ってるじゃないか」
その時。背後から不意に明るい声が飛んできた。
振り向くと、扉の脇に佇んでいる吸血鬼の姿が目に飛び込む。
「あっ……吸血鬼!」
吸血鬼は俺の大事な植物を見上げ、ポツリポツリとつぶやく。
「こんなろくに水もないような場所で、見事なものだな。まさしく荒野に咲く一輪の花だ。いや、まだ蕾か。蕾の大きさに対して茎がやや細いのが少々心配だが、ここなら風もない。きっと大きな花を咲かせてくれるぞ」
「そ、その台詞……」
「ん?」
「その台詞だよっ! そういう台詞が聞きたかったんだよ!」
俺は吸血鬼の元へと駆け寄り、ようやく見つけた同志を前にして咽び泣く。
「ううっ、道端の花どころか子猫を踏み殺してもなんとも思わない血も涙もない系人間だと思ってたけど、ちゃんと草花を愛でる心が吸血鬼にもあったんだね……」
「き、君なかなか失礼なことを言うな」
相変わらずゾンビちゃんやスケルトンはこの部屋に寄り付かない。仮に誘っても冷たくあしらわれるばかりだ。
だが吸血鬼はたまにフラリとこの部屋へやって来て植物の様子を一緒に見てくれるようになった。本当に気まぐれに、それも短い時間部屋の隅から植物を眺めるだけであったが、その成長を一緒に見守ってくれる仲間ができたのだ。
が、楽しい時間はそう長くは続かなかった。
********
「うわっ! なにこれ!?」
すごい数のスケルトンが通路を一列に並び、ゆっくりとした速度で行進していく。この先に有名ラーメン店でもオープンしたのかと勘ぐってしまいそうになったが、よく見るとスケルトンたちの手には一様に大きな包みが抱えられている。行列に並んでいるというよりは、どちらかというと働き蟻が餌を巣に運び入れているかのようだ。
そして彼らの抱えた荷物には、様々な通販会社のロゴが刻まれていた。
「あっ、犯人分かった」
確信を持ってスケルトンたちの行列を辿っていくと、その先にあったのはやはり吸血鬼の部屋であった。
椅子に座ってスケルトンたちにあれこれ指示をしている吸血鬼の背後に忍び寄り、俺は幽霊らしく低い声を上げる。
「吸血鬼、またこんなに買い物したの?」
「うわっ、レイス!」
吸血鬼は明らかに「不味い」といった表情を浮かべてこちらを振り向き、慌てたように椅子から立ち上がる。だが彼が慌てたような表情を浮かべたのは一瞬だった。
吸血鬼はすぐになんでもないような表情を取戻し、落ち着き払ったように腕を組んで口を開く。
「どうした、何か用か」
「何か用かじゃないでしょ、何だよこの荷物の量」
「た、たまたま着荷日が被ってしまっただけだよ。僕が何をどれだけ買おうと勝手だろう?」
「……毎月の給金だけでこんなにたくさん買い物できるかな」
「うっ」
荷物には高級ブランドの刻印のあるものもちらほら見える。散財癖のある吸血鬼に貯金があるとは思えないし、この量の荷物は明らかに不自然だ。
「もしかして倒した冒険者の荷物とか、ネコババしてない?」
「し……してないしてない! そんな事するわけないだろう! ああ心外だ。証拠もないのにそんな事を言われるとは」
俺の言葉に吸血鬼の顔が明らかに引き攣るのが分かった。
これは怪しい。
獲得した死体から、吸血鬼は最初に血液を抜く。冒険者の装備した短剣や魔法具など小さなものならばそのまま自分のポケットに入れることも不可能ではない。
まったく、ダンジョンのボスともあろう者が情けない。まぁあまりうるさい事は言いたくないが、こんなに派手なことをされては俺も黙っている訳にいかない。
「なら荷物を調べて今回の買い物に使った総額を出してみよう。きっとそれでハッキリするよ」
「なっ……プライバシーの侵害だ!」
慌てたように喚く吸血鬼を無視し、俺はスケルトンに次々指示を出す。
「荷物を全部箱から出して。中に注文書が入ってるはずたから、みんなで手分けして計算していこう」
「……良いのか、僕にこんなことをして」
「な、なんだよ」
吸血鬼は俺の顔を見据えてニヤリと笑う。
苦し紛れのハッタリか。いや、それにしては……なんだか妙な胸騒ぎがする。
吸血鬼は意地の悪い表情を浮かべて、身体を強張らせる俺にこう言い放った。
「今まで君は無力ではあったが同時に無敵だった。だが、今は違う。ただただ、無力なだけだ」
「なに言って……」
吸血鬼はこちらに背を向けて歩き出したかと思うと、部屋の隅から大きな斧を取り出してそれを高く掲げて見せた。
「ま、まさか」
嫌な予感が胸をよぎる。
そのまさかだった。俺の中の最悪の想定が、見事的中してしまった。
吸血鬼は斧を担いで部屋を出る。俺のかける言葉など無視してずんずん進んでいく。
そうしてたどり着いたのは、俺の大事な、あの植物の部屋だった。
彼は扉を乱暴に開けて部屋に押し入り、部屋の中心に生えた植物を見上げて高笑いを上げる。
「ふはははは、こんな細い茎一瞬で切り倒せるな」
「なんでだよ。なんでそんな事すんだよ吸血鬼! 吸血鬼だってあの植物大事にしてたじゃないか!」
「馬鹿を言うな、こんな気味の悪い植物を愛でたりなどするものか」
「はっ……? だ、だって」
「僕はこの植物の弱点……つまりは君の弱点を見ていたにすぎないのだよ。見ろこの細い茎を。斧などなくても、ひと蹴りすれば簡単に折れてしまいそうだ」
吸血鬼は斧を肩に担ぎ、その赤い眼で俺の透けた体を見下ろす。
「ククク、生殺与奪権を握られた気分はどうだレイス。君が無敵だったのも今は昔。今後僕の言うことを聞かないとこの植物の命はないと思え。そうだな、手始めにまず僕の小遣いの額を引き上げてもらおうか」
「そんな事できるわけないだろ! 言っておくけど、脅しには屈しないからな」
「まだ自分の立場が分かっていないのか。よし、なら分からせてやる」
吸血鬼はそう言うと斧をその辺に投げ捨て、代わりに胸ポケットから取り出したナイフを右手に構える。
「い、一体なにを」
「なぁに、少し文字を彫るだけだ。馬鹿な修学旅行生がするみたいにな」
「な……やめろっ!」
吸血鬼は俺の制止を無視し、ナイフを逆手に持ち替えて植物に近寄っていく。こいつ……本気でやるつもりだ。
どうにかして吸血鬼を止めなければ。
そんな考えは次の瞬間、凄まじい衝撃により消し飛んでしまった。
根元に近付いてきた吸血鬼に、植物が擦り寄っていく。まるで深々とお辞儀をするみたいに蕾を垂らし、吸血鬼に擦り寄っていく。俺によくそうしてくれていたのと同じように……。
「あ……そ、そんな」
呆然とする俺の頭に、どこか遠くから吸血鬼の嫌な笑い声が響く。
「ふははは! これは良い、君の植物ちゃんは随分と尻軽だな」
「う、嘘だ、なにかの間違いだ……」
「君はそこから指をくわえて見ているが良い。大事な植物が蹂躙されるの……を……?」
その時。
吸血鬼の体にすり寄る植物の蕾が、裂けた。
普段俺にじゃれついてくる時みたいに、少しだけ表面が割れて蕾の中が見えるというようなレベルではない。そのラグビーボールのような楕円形の蕾は吸血鬼の前で八つに開いた。
開花の瞬間を俺は目にしたのだろうか。だがそれは、花と呼ぶには少々グロテスクすぎた。
開いた蕾の内側は充血しているかのように赤く、表面は粘液に覆われてヌメヌメと輝いている。その縁には鮫の歯のような無数の白い棘が生えており、まるで醜く恐ろしい化物の口みたいだ。
そして実際に、その「花のようなもの」は目の前にいる吸血鬼に頭から齧り付いた。
「うわあああっ!? や、やめろっ、助け――」
押し潰そうと八方から迫りくる花弁に吸血鬼は必死で抵抗するが、花弁を縁取る歯は容赦なく吸血鬼の肉に食い込んで彼の力を奪っていく。やがて吸血鬼は花の肉壁に埋もれて見えなくなった。もう助けを求める声も聞こえてこない。ゾッとするような静けさが部屋を覆う。
そして何事もなかったかのように花は閉じ、元の蕾の姿を取り戻した。
俺の頭は妙にクリアだった。あんなことがあったのに、心もなぜだか落ち着いていた。
「あの戯れついてくるみたいなのって……捕食行動の前段階だったのか」
自分に近付いてきた「何者か」が本当に食べられるものであるかどうかを確認するため、蕾を接近者に近付けていたのだろう。
ゾンビちゃんの言うとおり、植物は人に懐いたりしないのだ。
……俺が植物の生理現象を勝手に勘違いしただけだったのだ。
「レイスー」
俺を呼ぶ声に振り向くと、扉の隙間からゾンビちゃんやスケルトンがこちらを覗いていることに気が付いた。どうやら騒ぎを聞きつけてやってきたらしい。
『それ、どうするの?』
スケルトンが恐る恐るといったように紙を提示する。俺は少し考えたあと、彼らにこう告げた。
「伐採しちゃおうか。危ないし」
ゾンビちゃんが驚いたようにその大きな目を見開く。
「エッ、イイの?」
「うん、なんかもう良いや。これ以上血生臭い物が増えても困るしね」
俺はそう言って、ゾンビちゃんに力無く笑いかけた。