前へ次へ
88/164

86、春に目覚める者





 ダンジョンを囲む森の木々たちは生命力を感じさせる青々とした葉を茂らせ、強くなりつつある日差しを受けて輝いている。

 気温も上がってきたのか、冒険者たちの装備も薄く涼しげなものを見る機会が多くなってきた。

 ダンジョンの中に大きな変化はないが、季節は春から夏へ移ろいつつあるらしい。


 そんな初夏の、よく晴れた少々汗ばむ陽気のある日。


『ビキニアーマーだ!』

『ビキニアーマーが来たぞ!』


 ダンジョン内が慌ただしい。

 スケルトンたちは通路を忙しなく走り回り、どのスケルトンもその手に等しく『ビキニアーマー』という単語の載った紙を持っている。


「ビ、ビキニアーマー!?」


 俺は驚きのあまり声を上げる。

 ビキニアーマー。

 日常生活において頻繁に耳にするような単語ではないが、冒険者、それも男であればその伝説の装備を知らぬ者はいない。

 伝説の装備とは言っても、それを手に入れるのはそう難しい事ではない。物によっては少々値が張るものの、険しい山岳地帯を越え恐ろしい魔物の巣窟に足を踏み入れずとも少し大きめの防具屋で普通に購入することができる。

 が、問題は装備そのものではない。着用者だ。


『武器や防具は持っているだけじゃ意味がないぞ! ちゃんと装備しないとな!』


 まだ駆け出し冒険者だった頃、武器屋の店主に言われた台詞が脳裏をよぎる。

 どうしてそんな当たり前のことを言うのか不思議に思っていたが……そういえばあの店の壁にもビキニアーマーが飾ってあったっけ。


 ビキニアーマーは、その名の通り鉄や鋼でできた女性用水着ビキニの形の鎧だ。鎧とは言っても、その防御力には一抹どころではない不安が残る。なんせ、鎧とはいえその形はビキニそのものなのだ。その鎧が守ってくれるのは胸部と臀部くらいのもの。腹部も四肢も、時には首すらむき出しの状態なのである。

 正直鎧としての実用性は皆無。下手に町をうろつけば通報されかねない扇情的なデザインも相まって、その装備が実戦で使用されたケースは極端に少ない。


 だが、だからこそ男はビキニアーマーに憧れを抱くのだ。


 俺も様々なタイプの冒険者を見てきたが、とうとうビキニアーマー着用者をこの目で見る事は叶わなかった。

 まさか幽霊になってからこんなチャンスが訪れるとは。


 今後のダンジョン防衛を考える上で、様々タイプの冒険者を実際にこの目で観察するのはこれ以上ないほどに重要な事である。

 俺は背筋を伸ばし、襟を正し、ビキニアーマー……じゃなかった。冒険者の元へ意気揚々と向かった。




********




 金属製のビキニからはみ出るむちむちとした柔らかそうな肉、腹部を覆うむちむちとした柔らかそうな肉、金属製パンツから伸びるむちむちとした柔らかそうな太もも、むちむちした二の腕、むちむちした顎……むしろむちむちしていない場所が見当たらない。

 腕、足、胸、腹には黒々した体毛が茂っているが、その割に頭髪は薄く、細くウェーブした艶の無い髪の隙間から脂っぽい頭皮が透けて見えている。


「……は?」


 想像していたものと実際に目から入ってきた信号が違いすぎて、能内での情報処理が追いつかない。

 なんだこの肉ダルマは。どこからどう見てもおっさんじゃないか。どうしてビキニアーマーをおっさんが着ているんだ。

 呆然とする俺に背後から声がかかる。


「なにボサッとしてるんだ!」

「あ……きゅ、吸血鬼。なんでここに」


 冒険者の侵入を察知した場合、吸血鬼はすぐダンジョン最深部の宝物庫フロアへ向かい、冒険者を待ち受けなくてはならないはず。

 靄のかかったような頭でボーッとそんな事を考えていると、吸血鬼はいつになく真剣な表情を浮かべて通路から顔を出し、ビキニアーマーおっさんの様子を窺う。


「そういえば君は初めてだったな。アレは僕らにとっていわば因縁の相手。毎年この時期になるとダンジョンへやって来るんだ。ヤツとの戦いに限り、形式やルールや暗黙の了解などは無視して構わない。どんな卑怯な手を使っても、必ずヤツを殺す」

「あ、あんなのと一体どんな因縁が」

「お喋りしてる時間はないぞ。君はできるだけ多くのスケルトンを率いてヤツを叩け。個人の力じゃヤツは倒せない……これは総力戦だ」


 いまいち現状を理解できていないが、吸血鬼の鬼気迫る表情に気圧され思わず頷く。

 よくよく辺りを見回すと、スケルトンも武装をしてすでに俺の周りに集まりつつあった。彼らも妙に張り切っているようだ。総力戦というのは冗談でも言葉のあやでもないらしい。

 普段の戦いとは違う、妙な熱気がダンジョンに充満していた。





 男は特に警戒する様子もなく、まるで家の周りを散歩でもしているみたいな緊張感のなさでダンジョンを進んでいく。

 彼が十字路に差し掛かった次の瞬間、俺の合図により四方の通路からスケルトンが躍り出た。息つく暇もなく、スケルトンたちは一斉に男に襲いかかる。

 この場に集まったのは最低限の温泉経営に必要な人員と救護班を除く全スケルトン。どんな凄腕の冒険者だろうと、この人数相手に奇襲を仕掛けられればただでは済むまい。

 吸血鬼はああ言っていたが、ロクに武装もしていないたった一人……それも弛んだ体のおっさんを相手にこんな集団リンチのような真似をするのは少々気が引ける――と、そんな事を考えていた俺の身体を、吹っ飛ばされた数体のスケルトンがすり抜けていった。


「……は?」


 目の前に信じられないような光景が広がっている。

 あの男が、ビキニアーマーおっさんが踊っている。目を奪われる様な華麗な舞に合わせて、スケルトンたちが次々薙ぎ払われていく。観客が舞台の上の踊り子に触れられないように、スケルトンたちの攻撃は男に届かない。男に近付くスケルトンたちはみな弾き飛ばされてバラバラになっていく。まるで見えないバリアが男を包むようにして張られているかのよう。

 ……いや、違う。

 良く見れば男の手には鞭が握られていた。桃色の、まるでリボンのように長く華美な鞭だ。

 それを振るい、近付いてくるスケルトンを一掃しているのである。ただでさえ扱いの難しい鞭をこんなに正確に、そしてこんなに美しく扱えるなんて……


「なにやってるレイス! ちゃんと指示を出せ!」


 その言葉にハッとして我に返った。

 見ると吸血鬼が通路の陰から飛び出し、凄い勢いでビキニアーマーおっさんに向かって行っている。


「君らは援護にまわれ、コイツは僕が殺す」


 吸血鬼は鞭で弾き飛ばされるスケルトンを避けつつ地面を蹴り、肉を揺らしながら鞭を振るうおっさんに飛び掛かった。だがおっさんも黙ってそれを見ているばかりではない。おっさんの鞭がまるで触手のように滑らかな動きで吸血鬼に襲いかかる。風を切り裂き、唸りを上げて飛んでくる鞭を吸血鬼は懐から取り出した短剣で切断した。そしてそのまま剣を携え、おっさんへと飛び込む。

 だが、おっさんはそのだらしない身体からは想像もできないほど俊敏に動くことができるようだ。おっさんは素早く体を引き、吸血鬼の攻撃を避ける。短剣の切っ先はおっさんの体をかすめ、ビキニアーマーの上部分のひもを切断した。ビキニがおっさんの胸から滑り落ち、からんと音を立てて地面へ落下する。

 おっさんにダメージを与えられなかったばかりか、誰も得しないポロリが俺たちの眼前で行われた。にもかかわらず、吸血鬼は目を輝かせてしたり顔を浮かべる。


「やったぞ!」

「やった……のかな、コレ?」


 まぁ鎧を破壊できたという点は収穫だったかもしれないが、ビキニアーマーなどもともと防御力ゼロに等しい。いまさらポロリしようが全裸になろうが、たいして変わりはない。

 ……と思ったのだが、どうやらそれは違うらしい。


「アレを見ろレイス」


 おっさんはその汚らしい胸部を周囲の視線から隠すように右手で覆う。まさかあれは――


「……手ブラ?」

「一応ヤツなりに羞恥心は持っているらしい」

「男が胸隠すなよ……っていうかビキニアーマーなんて下手したら全裸より恥ずかしくない?」

「そんなの僕に言うな。とにかく、これでヤツの片手は封じ込めた。次は……下だ」

「なんでビキニアーマー狙うんだよ気色悪い。普通に急所狙えば良いじゃん……」

「ただ殺すんじゃ僕らの気が治まらない。ヤツにはこれ以上ないほどの辱めの中で死んでもらう!」


 思わず背筋が凍るほどの恐ろしげな表情を浮かべ、吸血鬼は手ブラのおっさんを睨みつける。

 そして吸血鬼は短剣をその手に構え、再びおっさんに飛び掛かろうと体勢を低くする――が、吸血鬼が地面を蹴るより早く彼の顔に赤い何かが飛び散った。ドロリとしたそれが吸血鬼の眼を塞ぐ。


「ぐっ……あ、熱い!?」


 吸血鬼は顔を押さえてうめき声を上げる。その正体は、どうやら溶けた蝋であるようだ。

 ……おっさんが火のついた赤い蝋燭を左手に握っている。


「いつの間に蝋燭なんか……もしかしてそれパンツの中から出した?」

「小癪な真似を……!」


 吸血鬼は牙を剥き出しにし、まぶたを塞ぐ赤い蝋を剥がす。

 が、吸血鬼の視力が回復した瞬間、おっさんは素早い動きで吸血鬼の視界から姿を消した。


「ど、どこに……」


 キョロキョロと辺りを見回す吸血鬼の肩のあたりから、おっさんがその丸い無表情の顔をヌッと覗かせる。


「吸血鬼後ろ!」


 気付いた時にはもう遅い。

 ……そして不味いことに、吸血鬼の背後に隠れたことでおっさんは手ブラをする必要が無くなったようだ。おっさんの右手は解き放たれてしまった。

 おっさんはどこから取り出したのか不明な荒縄を吸血鬼の首にまわす。あわや絞殺、と思わず息を飲んだ次の瞬間。おっさんは物凄い勢いで縄を吸血鬼の首ではなく体に巻きつけていき、あっという間に彼を縛り上げてしまった。だが人を拘束するだけにしては複雑すぎる縛り方だ。体に食い込んだ荒縄は綺麗な六角形の形を描いている。これはまさか。


「……亀甲縛り?」


 亀甲縛りの上、両手足をも拘束されて地面に転がされた吸血鬼を、おっさんはつまらなさそうに見下ろす。そしておもむろに赤い蝋燭を取り出し、吸血鬼の体の上で傾けた。


「殺す! お前絶対殺ッ……熱ッッい!?」


 火に炙られて溶けた蝋が蝋燭から零れ落ち、吸血鬼の頬にポタポタと垂れる。その度に吸血鬼は罵声と悲鳴の混じった声を上げた。なるほど、毎年こんな事をされていては憎しみも溜まっていくはずである。

 おっさんの使う武器はどれも殺傷能力が低く、致命傷にはならない。だがこんな変態に翻弄される精神的ダメージは計り知れないだろう。

 おっさんを囲むようにして大量の骨が散らばり、まるで雪原のようにダンジョンを白く染めている。立っているスケルトンはもはや数えるほど、吸血鬼はこの有様。悔しいが、もはや俺たちの負けは確定だ。

 俺は地面に転がる吸血鬼にそっと近付き声をかける。


「ええと、今回は残念だったね。俺も来年はもっと頑張るから……」

「……ククク。お前、なにを負けた気になっている」

「え?」


 吸血鬼は亀甲縛りで地面に転がったまま俺を見上げてニヤリと笑う。


「確かに僕やスケルトンはもう戦闘不能だ。だがこれは総力戦。我がダンジョンの総力はまだ出揃っていないだろう?」

「ま、まさか……」


 その時、ビキニアーマーおっさんの足元から青白いツギハギだらけの手がヌッと飛び出した。這い出るように土の中から現れたのは我がダンジョンの紅一点、ゾンビちゃんである。


「今年コソ! ニク食ベルよ!」


 ゾンビちゃんはその奇異な格好をした男を見ても身じろぎ一つせず、血気盛んに男へそう宣言をする。

 ……密かに恐れていた事態が現実のものとなってしまった。

 ゾンビとはいえうら若き少女と、ビキニアーマーを纏い、手ブラをした中年男が対面している。こんな胸がざわつくような組み合わせが未だかつてあっただろうか。


「さ、さすがにこの組み合わせはヤバいって!」

「仕方ないだろう、侵入者との戦闘はアンデッドの義務だ。そもそもヤツの狙いは最初から小娘だしな」

「ええっ!?」


 見ると、今まで一貫して無表情だったおっさんの顔が信じられないくらいに緩み切っていた。これはますます不味い。

 なんとかしてゾンビちゃんを助けたいが、もはやおっさんに立ち向かえる者は残っていない。


「俺らは指を咥えて見ているほかないの……!?」

「指を咥えずとも良いから黙って見ていろ。不本意だが、ヤツを倒す可能性が一番高いのは小娘だ」


 最初に攻撃を仕掛けたのはゾンビちゃんだ。

 彼女は唸る拳を振るい、ビキニアーマーおっさんに怒涛の攻撃を浴びせる。だが男はまるで蝶のようにゾンビちゃんの大ぶりな攻撃をヒラリヒラリとかわす。その身のこなしは、やはり軽く動きやすいビキニアーマーを装着している事から来るものなのだろうか。そう思うとただの変態アイテムにしか思えなかったビキニアーマーにも意味があるような気がしてくる。

 そんな事が頭に浮かんだが、すぐさまその考えが馬鹿げたものであることに気が付いた。

 吸血鬼やスケルトンと戦った時とはまるで違う、あのだらしなく緩みきった顔、激しい息遣い――まさしく変質者のそれである。

 今更ではあるが、断言する。ヤツは普通に変態の変質者だ。

 だが、その戦闘能力だけは「普通の変質者」の域を超えている。


「本当にゾンビちゃん一人であんなのを倒せるの?」

「さぁな。だが僕らよりずっとそのチャンスは多い」

「チャンス? それってどういう――」

「ヤツは真正の変態だ。だが痴漢ではない」


 吸血鬼の言葉で俺はようやくその戦闘のおかしな点に気が付いた。

 ゾンビちゃんの怒涛の攻撃を、おっさんはヒラリヒラリとかわしている。だがおっさん自身は一切ゾンビちゃんへ攻撃を加えていないのだ。二人の間に肉体的な接触は一切ない。

 捕まえてごらんとばかりに舞い続ける男、その軽やかな動きに翻弄されるゾンビちゃん。

 俺たちの眼前で繰り広げられているのは武闘なのか、それとも舞踏なのか。そんな簡単な事ですら、俺にはもはや判断が付かない。

 その激し過ぎる舞、もしくは流血無き戦闘が続くこと数十分。とうとうその行為に終わりの時が訪れた。


「ツ、疲レ……タ……」


 激しく、そして一向に成果の上げられない戦闘により心身ともに疲弊してしまったのだろう。

 ゾンビちゃんはフラフラよろめくように2、3歩歩いた後、手も付かずに頭からバタリと倒れてしまった。

 健闘を讃えて……という事なのだろうか。おっさんはうつ伏せに倒れたゾンビちゃんに向けて薔薇の花束を投げてよこす。なんてキザな紳士だろう。

 ……その花束がパンツから取り出されたのでなければ完璧だったのだが。

 この空間でまともに立っているのはビキニアーマーのおっさんのみだ。この変態はこれから一体どうするつもりなのか……という俺の心配は杞憂に終わった。ひれ伏すように地面に横たわる屍たちに背を向け、変態は去っていく。向かったのはダンジョン入口へ続く道だ。

 どうやら本当に宝箱も取らず、このまま帰っていくつもりらしい。

 吸血鬼は亀甲縛りのまま器用に身体を起こし、悔しそうに唇を噛む。


「あークソッ、今年もダメだった」

「な、なんなのあの人。一体ダンジョンに何をしに来たの? 宝も取って行かないしさ」

「そんなこと考えたって無駄だぞ。そもそも僕らとは思考回路が違うんだ。ヤツは変態だからな」

「そ、そうだよね。でも――あの変態、もしかしたら凄く紳士的なのかも……」

「はぁ? なにを言っているレイス、ヤツは変態だぞ!」


 亀甲縛りを施された吸血鬼のドン引き顔を見て、俺はハッと我に返る。

 武力行使でお宝をぶんどる冒険者よりよほど紳士なのでは……などと血迷ったことを考えてしまったが、多分ヤツは冒険者、というか常人とは違う種類の欲望を抱いているだけなのだろう。

 あれだけの技量を持っていながら、常人とは違ったベクトルの欲望を抱いてしまったばっかりにこんな才能の無駄遣いを……。


「クソッ、あの変態め……」


 そう息巻きながら吸血鬼は太い荒縄を引きちぎり、のそりと立ち上がった。


「おお、縄抜け……っていうか縄ちぎり?」

「ククク、僕だって一年間ボーっと過ごしていたわけじゃないのさ。だがこの縄、対アンデッド用の特殊な物らしい。抜けるのに時間がかかってしまった。今後の課題だな」


 吸血鬼は小さくため息を吐きながら体に掛かった縄を解いていく。

 だが彼の顔は落胆に沈んでいるというよりは、次なる戦いへの闘志にみなぎっているといった感じである。

 吸血鬼は解いた縄を握りしめ、意気揚々と立ち上がる。


「だが今年はヤツのビキニアーマーに損害を与えた! あと一歩だ、来年こそ必ずヤツの息の根を止める!」

「オー……」


 吸血鬼の勇ましい声に呼応するように、ゾンビちゃんはうつ伏せの状態のまま弱々しく手を上げる。バラバラになったスケルトンたちもガタガタと骨を震わせた。


 ……不老不死のアンデッドたちに向上心を与えているのは、案外あの変態なのかもしれない。





前へ次へ目次