83、人の噂も七十五日
耳をつんざくようなけたたましい轟音、目が潰れるような光、そしてあちこちから聞こえる怒声……ここはまさしく小さな戦場。そして俺はその中心にいながら、まるで傍観者であるかのようにただ立ち尽くしていた。
彼らは次々と複雑な呪文を詠唱し、俺の透けた体に巨大な火の玉だの氷の刃だのを放つ。だがそのどれもが俺の体をすり抜け、八つ当たりのように壁にぶつかっては不機嫌そうな音を立てて消えていくばかり。
俺は冒険者たちの誰も得しない不毛な魔力の消費を眺めながら、どこか他人事のような気分で呟く。
「君たち何してんの、本当に……?」
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「見てこれ、壁ボロボロだよ……」
一切の攻撃を受け付けない俺の体に代わって派手な魔法を受け止め続けた壁は表面が焦げ付き、あちこちに穴があいてしまっている。この辺だけ小規模な爆発でも起こったかのようだ。
もしこの攻撃を生身の肉体で受け止めていたら、俺の体はとっくに消し炭と化していただろう。
とはいえ、どんな凄まじい大魔法であろうと今の俺には何の効果も示さない。
「全く、なんなんだあいつらは。こんなところまで壁を殴りに来ているのか?」
「ニク! 食ベタい!」
吸血鬼は怪訝そうな表情を、ゾンビちゃんは頬を膨らませて不機嫌そうな表情をそれぞれ俺に向ける。
俺を狙ってくる冒険者には本来うちのような中堅ダンジョンには来ない上級冒険者も多くいる。
奴らは襲い来るスケルトンたちを鎧袖一触とばかりに蹴散らし、他のアンデッドや宝箱にすら目もくれず俺に滝のような魔法攻撃を浴びせかけてくるのだ。彼らにとってこのダンジョンの宝箱など取るに値しないものなのだろう。
まぁ俺があちこちに逃げず、無駄な魔力の消費と焦げていく壁を見つめていればそのうち諦めて帰っていってはくれる。しかし無駄に出動させられては蹴散らされるスケルトンや、せっかくやって来た冒険者に手も足も出ないゾンビちゃんなどはかなりフラストレーションが溜まっているようだ。
八つ当たりするかのように焦げた壁に爪を立てるゾンビちゃんを横目に、吸血鬼が口をへの字にして首を傾げる。
「それにしても、どうして君が狙われるんだ? ここのところずっとだろう」
「それについてなんだけど、実は……どうも変な噂が流れてるみたいなんだよね」
「噂?」
「うん。俺を倒すと『幽霊斬り』が手に入るって噂」
「はぁ? なんだそれは?」
「実体のないモノすら斬れるっていう聖剣。冒険者の間では有名な伝説の剣なんだ」
「それがうちにあって……お前が持ってるって?」
吸血鬼は眉間にシワを寄せて素っ頓狂な声を上げる。
が、もちろんこの透けた手に聖剣など持てるはずもない。
「当然聖剣なんて持ってないし、俺を倒したってそんなもの出てこないと思うけど……冒険者はそれを信じてるみたいだよ」
「冒険者ってのはなんでこうアホなヤツばかりなんだ」
吸血鬼はうんざりしたように言うと、頭を抱えて大きくため息を吐いた。
一方、ゾンビちゃんは血の滲んだ指を握り締め、焦土となった壁を殴りつける。
「ナンデモ良いカラ肉! 食べたい!」
「はぁ、全くいい迷惑だ。誰だそんなデマを吹聴したのは」
「だいたい幽霊が幽霊を斬る剣なんか持ってる訳ないじゃんね」
伝説の宝を手に入れるため、嘘みたいな話にすがりたくなる気持ちも分からないではないが、こうも高レベルの冒険者に来られるとさすがにうんざりする。ダメージを受けないとはいえ、周りでドンドンバンバンやられるのは結構鬱陶しいものだ。
俺を倒したって聖剣など手に入らないと冒険者には何度も言った。だが一度燃え上がった火は消そうと躍起になるほど激しく燃え上がる物である。
いったいどうすれば良いのだろうか……
「というか、もしレイスを倒せたとしたらそもそも幽霊斬りなんて剣不必要だろう」
吸血鬼は舌打ち混じりにそう言って不機嫌そうな表情を浮かべる。
吸血鬼の言うとおりだ。もし俺を倒せたとしたらもう『幽霊斬り』なんて必要ない。そんなものなくたって自分の力だけで一流のゴーストバスターになれることだろう。
そう、幽霊斬りなんてなくたって――
「……そうか、それだ!」
「な、なんだよ。なにか思いついたか?」
「冒険者は自分たちがデマに騙されてるって自覚がないんだ。だから、彼らに気付かせてやれば良い。自分たちが騙されてるって」
「なるほど……? で、どうやって?」
首を傾げる吸血鬼に、俺はにやりと笑いかける。
「吸血鬼にも協力してもらうかも。頑張ろうね」
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「見つけたぞ幽霊め!」
「『幽霊斬り』は俺らがいただくぜ!」
やけに小物じみた台詞を口にしながら冒険者一行が俺を取り囲む。
大人数のパーティ、構成しているのは声がデカく口の軽そうな若者。あまり強くなさそうなのが難点だが、その装備品から見た目よりは戦績を上げている冒険者であることが分かる。まぁ及第点と言って良いだろう。
「いくぞお前ら、一気に畳み掛けろ!」
リーダー格と思しき男の合図を皮切りに、冒険者たちは次々と強力な魔法を繰り出していく。
いつもだったら冒険者たちの魔力の消費と彼らの魔法の派手なエフェクトをぼんやりと眺めているだけだが、今日は違う。
この時の為に猛特訓した俺の秘技、見せてやる!
「ぐっ、うわああああああッ!」
俺は辺りを包む爆発音に負けないくらいの絶叫を上げ、頭を抱えて大袈裟に苦しんでみせる。
俺の反応に、冒険者たちは分かりやすく色めき立った。
「よしっ、効いてる!」
「どんどん撃て、俺たちこそ不死者殺しだ!」
「うぐああああ、憎らしい冒険者どもめえええ」
俺は苦しむ演技とパントマイムを続けながらいつもより太めの声で絶叫を上げる。
俺に浴びせられる魔法攻撃もいよいよ勢いを増してきた。彼らのテンションと攻撃の激しさが最高潮に達したその時を見計らい、俺は断末魔「風」の叫びを上げて地面へと沈んでいく。
「ぐっ……この私を倒すとは……『幽霊斬り』は……貴様らの手に……」
俺はそんな台詞を吐きながらゆっくりと地面に頭を沈める。その直後、冒険者たちの耳をつんざくような歓声が下のフロアにいる俺の耳にまで届いた。
「やったぞ、あの無敵の幽霊を俺たちが殺ったんだ!」
「俺たちの勝ちだ!」
「うひょおおお! お宝は俺らのもんだ!」
「なぁ、『幽霊斬り』はどこにあんだ?」
一人の冒険者の冷静な一言により、冒険者たちの歓声は潮が引くように消えていった。
俺の最期の言葉で「幽霊斬り」の在り処は伝えたつもりなのだが、やはり彼らには理解できなかったようだ。
俺は壁からそっと合図を送り、「説明役」の手配をする。
次の瞬間、通路の陰から音もなくアイツがその姿を現した。彼は顔を隠すようにシルクハットを目深に被り、ゆっくりと冒険者たちに近付いていく。
「な、なんだお前?」
冒険者たちは突如現れた謎の人物に警戒心を抱いたらしい。武器を手にかけ、睨み付けるように男の動向を窺う。妙な真似をしたらすぐ攻撃に移るつもりなのだろう。
ダンジョンに張りつめた空気が漂う中、男は冒険者たちから少し離れたところで足を止め、口を開いた。
「ええと……僕は通りすがりの者だが」
「なに言ってんだアイツ」
「ダンジョンに通りすがりもクソもねぇだろ!」
冒険者たちの警戒心は思いのほか強く、シルクハットの男に向かってギャイギャイ喚き散らす。
だが警戒心剥き出しの冒険者も、男の次の言葉でそのうるさい口を閉ざすこととなった。
「僕の事はどうでも良いんだ。君たち、『幽霊斬り』を探しているんだろう?」
「な……お前、宝の在り処をしっているのか?」
冒険者たちは一様に目を見開いて息をのむ。想像通りの反応だ。
男は口の端から妙に尖った犬歯を見せて薄く笑う。
「ああ、知ってる」
「ど、どこだ。どこにある?」
「俺たちは幽霊を倒した。剣は俺たちのもんだ」
冒険者たちは前のめりになって男の次の言葉を待つ。
「『幽霊斬り』は――」
男はもったいぶる様にゆっくりそう言うと、スッと腕を上げて冒険者たちを指差した。
「幽霊を倒した君たちのその剣、その武器、その腕だ」
「……は?」
冒険者たちは目を点にし、間抜けな表情で自分の腕に視線を落とす。
イマイチ理解が追いついていないらしい。男はもう一度、言い聞かせるように口を開く。
「つまり幽霊を倒した君たち自身が『幽霊斬り』なのだよ。探し求めていた伝説の武器は、実は自分の手元にあったという訳さ」
「じゃ、じゃあ俺たちの求めてたお宝は……?」
「宝、か。強いて言うなら冒険を共にしてきたかけがえのない仲間が君らの宝なんじゃないか。大事にしろよ」
「ふ……ふざけんなよ」
冒険者たちはわなわな震え、怒りに目を吊り上げる。やがて彼らは沸騰したヤカンのように次々と絶望の絶叫を上げた。
「なんだそれ! そんなふざけた話があるか!」
「何のためにこんなとこまで来たと思ってるんだ!」
「クソッ、騙された!」
「チクショウッ」
「僕に言われたって知らんよ。なんせ僕はただの通りすがりだからね。では僕はこれで」
絶望に沈む冒険者たちを尻目に、男はさっさと彼らの前から姿を消した。頭を抱える冒険者たちに男の正体を問いただす余裕はもう残っていない。シルクハットの影から覗く赤い眼に気付く者もいなかった。
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そらから数日。
俺を――いや、伝説の聖剣を狙ってダンジョンにやってくる冒険者は大幅にその数を減らしていた。俺たちはようやく静かな生活を取り戻したのである。
「いやー、俺の作戦うまくいったみたいだね」
「あんな雑な芝居に騙されるなんて、冒険者と言うのは本当にアホばかりだな」
吸血鬼はそう言って苦笑いを浮かべる。
まぁ俺の作戦が本当に功を奏したのか、それとも時間が解決したのかは良く分からないが、聖剣のデマはすっかり鎮静化したらしい。
ゾンビちゃんも上機嫌で床に寝そべってさっき仕留めた冒険者の肉に齧り付いている。だが彼女は急に顔色を変え、地面から起き上がると険しい表情で扉に視線を向けた。
「ど、どうしたの?」
「……アイツが来ル」
「あいつ?」
俺たちが扉に視線を向けた次の瞬間、本当に扉が開いて見覚えのある銀髪の男が部屋に足を踏み入れた。
「やぁみんな、久しぶり!」
軽薄な笑みを浮かべたその男――狼男はそう言って俺たちに向かって軽く手を上げる。
「なんだお前か」
「何しに来たのさ」
また厄介ごとを運んできたに違いない。俺たちは警戒心を胸に渋い顔で狼男に尋ねる。
だが狼男は胸を張っていつになく偉そうに俺たちを見下ろす。
「ふふふ、功労者にそんな雑な対応をしていいのかな?」
「はぁ? 功労者?」
怪訝そうな表情を浮かべる吸血鬼に、狼男は大袈裟な動作で頷いてみせる。
「最近このダンジョンを訪れる冒険者の数が増えてない?」
「まぁ、一応そうだね」
確かに例のデマのせいでうちに来る冒険者の数自体は増えている。狼男の問いかけに素直に頷くと、彼は満面の笑みを浮かべて堂々とこんな事を言い放った。
「それさ、実は俺のお陰なんだよね」
「……どういう事だ」
俺たちは息を呑んで狼男の言葉をじっと待つ。
そんな事は気にする素振りも見せず、狼男はその軽薄な口をペラペラと動かし始めた。
「いやぁ実はね、冒険者の女の子を口説くためにこのダンジョンに凄いお宝があるんだってつい口から出まかせ言っちゃったんだ。そしたら思いの外女の子喰いついちゃってさ。でも俺の言ったことが嘘だってバレたらマズイから『そのダンジョンにいるレイスを倒すと手に入る』って付け足したんだよね。レイス君倒せる奴なんていないし、倒せなければ嘘だってバレようがないでしょ?」
「ま、まさか……」
「でもその女の子が結構お喋りでさ、凄い勢いで俺の吐いた嘘が冒険者たちに広まっちゃったんだよね。でもそのお陰でダンジョンの訪問者数増えたらしいじゃん? 俺お手柄でしょ?」
狼男はそう言うと悪びれるどころか満面の笑みを俺たちに向ける。
俺たちは誰からともなく狼男を取り囲んだ。そしてまだ状況を理解できずニコニコと笑っている狼男に詰め寄る。
「お……お前の仕業かッ!」
「なにやってんの狼男!?」
「オ前のハラワタ食ベテ代わりに石を詰メテやる!」
「な、なんで怒ってんの!?」
想定していなかったであろう俺たちの反応に、狼男は困惑と驚きを顔いっぱいに広げて目を丸くする。どうやら本気で賞賛されるとでも思っていたらしい。
デマがいつも悪意を持って流されるとは限らない――俺たちは今日それを学び、ゾンビちゃんはそれに加えて狼男のハラワタの味とお腹の縫合の方法を学んだようだった。