82、忍び寄るノイジーキラー
「……何やってんの、二人とも」
俺は二人並んで壁に耳をあて、神妙な表情を浮かべるゾンビちゃんと吸血鬼を見下ろしてそう尋ねる。
するとゾンビちゃんが壁の表面を指でつつきながら怪訝な表情を見せた。
「変な音スルの」
「変な音?」
「ああ、嫌な気配もする。どうやら壁の向こうに何かある――いや、何かいるな」
吸血鬼も眉間にシワを寄せ、ゾンビちゃんと同じく怪訝な表情を浮かべる。
だがここはダンジョンの最端部かつ地下数十メートルに位置する場所である。普通に考えればこの壁の向こうにはただただ土があるばかり……のはずだ。
とはいえ、最近は搭型ダンジョンの外壁を登る、床をぶち抜いて最深部へ向かうなど不当な方法でダンジョンを攻略する冒険者、「ショートカッター」の存在も報告されている。用心するに越したことはない。
「じゃあ俺、ちょっと様子を見に――」
「エイッ」
俺が壁をすり抜けるより早く、ゾンビちゃんの拳がダンジョンの壁を突き破った。
ダンジョン中に響くような凄い音、それから土煙と共に壁にあいた大穴を前に俺たちはただ呆然と立ち尽くすばかりである。
「お、おまっ……突然何するんだ!」
「エ?」
吸血鬼の言葉にゾンビちゃんはキョトンとした表情で首を傾げる。だがその可愛らしい仕草は吸血鬼の怒りに油を注ぐ形となったようだ。
「『エ?』じゃない! 今レイスに偵察してもらう流れだったろうが!」
「ダッテ私も壁ノ向コウ見タイもん」
「それはレイスの偵察の後で良いだろう!? お前はもう少し考えるという事を覚えろ!」
「ムー」
「まぁまぁ、やっちゃったものは仕方ないから。それで向こうには一体何が――」
そこまで言いかけて、俺はその後に続く言葉を飲み込んだ。
ゾンビちゃんのあけた穴から顔を出す恐ろしい怪物の姿に気付いたからである。
「うわぁ、なにコレ!?」
バスケットボールサイズの頭、頭の三分の一を埋める黒黒した巨大な目、眉間のところから伸びる触覚、下を向いたペンチのような口、そして黄色い体。
その怪物は巨大な口で壁を齧り、穴を大きくしていく。どうやらこちらへ来ようとしているらしい。
「ほら見ろ、だから勝手な事をするなと言ったんだ!」
吸血鬼は舌打ちをすると同時に足を思い切り振り上げ、穴をくぐろうとする怪物の横っ面に華麗な蹴りを入れる。その凄まじい衝撃により怪物の頭はその体を離れ、綺麗な弧を描いて地面へと転がった。
「おお……よ、良かった」
「いや、良くもないみたいだぞ」
吸血鬼はそう言いながら一歩、二歩と穴から遠ざかる。
最初は彼の行動の意味が分からなかったが、それから数秒も経つ頃には俺も吸血鬼と同じような行動を取るようになっていた。
その穴の向こうから、地響きにも似た大音量の羽音が聞こえてきたのである。
それも、明らかに一匹や二匹の出す羽音ではない。
「ま、まさか」
嫌な予感が脳裏を過ぎったその瞬間、あの怪物が再び穴から這い出てきた。それも一匹ではない。
まるで水が湧き出るように次々と際限なくその怪物はこのダンジョン内へと侵入してきた。
黄と黒の縞々模様の体、おしりに付いた毒針、細長い四枚の羽。その姿はまさしく巨大な蜂である。
「に、に……逃げろッ!」
その言葉を合図に、俺たちは巨大蜂の群れから一目散に逃げ出した。
だがヤツらも仲間を殺した俺たちをそう簡単に逃がしてはくれないらしい。頭に響くような嫌な羽音を出しながら、巨大蜂は執拗に俺たちを追い回す。
そんな中、すぐ隣を走っていたはずのゾンビちゃんが不意に俺の視界から消えた。慌てて振り向くと、地面にうつ伏せに倒れ込むゾンビちゃんの姿が俺の目に飛び込んできた。
どうやら足をもつれさせて転んでしまったらしい。
「ああっ、ゾンビちゃんが」
「なにやってんだアイツ!」
倒れ込んだゾンビちゃんに巨大蜂が容赦なく襲いかかる。ゾンビちゃんも拳を振り回して蜂に対抗するも、どう足掻いても多勢に無勢。やがて彼女の左腕に数体の巨大蜂が群がり、その強靭な顎でゾンビちゃんの肉を食いちぎった。
「大変だ、ゾンビちゃん襲われてるよ!」
「そのようだな」
吸血鬼は冷たくそう言い放ち、後ろを振り向こうともせずスピードを緩める様子もなくただ全力で走り続ける。
「ちょっ、『そのようだな』じゃないでしょ! 助けてあげないと」
通路の向こうからはおびただしい数の援軍蜂がゾンビちゃんに迫っている。このままではその太い毒針でゾンビちゃん自身が蜂の巣にされてしまう。
だが吸血鬼は至って冷静な様子で、薄笑いを浮かべながら俺を一瞥した。
「ふ……僕が逃げているように見えるのか?」
「えっ、まさか何か策を……?」
「ああ、今奴らは小娘に気を取られている。その隙に僕らはどこかの部屋に隠れ、ゆっくり策を考えるのだ」
「やっぱ逃げてんじゃん!」
ダメだ、もはや吸血鬼には頼れない。なにか別の方法を考えねば……
と思ったものの、俺の頭に素晴らしいアイデアが浮かぶより早くゾンビちゃんは蜂共の大群から抜け出すことに成功した。蜂の群がった左腕を引き千切り、蜂共にくれてやったのである。
「トカゲかアイツは……」
「ゾンビちゃんこっち!」
俺たちは近くにあった部屋に転がり込み、なんとかあの怪物たちの大群から身を隠すことに成功した。
吸血鬼は肩で息をしながら地面に座り込み、壁に背中を預けて天を仰ぐ。
「なんなんだあの化け物、魔物か?」
「うん、多分『キラーホーネット』だね。強靭なアゴと毒針で獲物を仕留める獰猛な肉食の虫型モンスターだよ。あの数からすると……きっと壁の向こうに巣があるんだと思う」
俺の言葉に、吸血鬼の顔から元々あまりない血の気がさらに引いていく。
「うっ……じゃああんなのが何百匹もいるって言うのか。考えただけで背筋が凍る。あの毒針見たか? 針なんてとんでもない、まるで槍みたいだった。あんなので刺されたらどうなるか……」
「コウナルよ」
ゾンビちゃんがケロリとした顔で赤いような蒼いような不気味な色をした肉塊をつき出す。
ゾンビちゃんの右足の膝から下が無くなっていなければ、その肉塊が彼女の切断した脚だと言う事に気付くことはできなかっただろう。なんせ、その肉塊はまるで先端に指の付いたラグビーボールの如く腫れ上がっていたのである。
「さ、刺されたの!?」
「ウン。痛いカラ取ッタ」
まるで義足でも外しただけであるかのようなサラリとした物言い。恐らく彼女にしかできない芸当だ。
「で、これからどうする」
「もちろん駆除しなくちゃいけないけど……あの数じゃね」
俺はそう言って大きくため息を吐く。
キラーホーネット単体ならばその辺の冒険者にだって苦もなく倒せるはずだが、大群で襲いかかられては吸血鬼だって無事では済むまい。
自分の膨れ上がった脚を弄ぶゾンビちゃんを見下ろし、吸血鬼は苦々しい顔で呟く。
「こんな足になるのはゴメンだしな……ああそうだ、スケルトンはどうしてる? アイツらなら刺される心配はないだろう」
「なるほど、確かに。ちょっと見てくる」
俺は早速天井をすり抜け、上のフロアに顔を出す。
やはりこのフロアにもキラーホーネットが侵入しているらしい。あちこちからブンブン音が聞こえる中、目の前に広がったのは死屍累々の光景だった。スケルトンたちは地面に倒れ、その上をキラーホーネットが我が物顔で悠々と飛んでいる。
「い、一体何が……」
俺の声に反応してスケルトンの腕が動いた。腕は地面を滑らかになぞり、土の上に文章を書き出す。
『この状況、どうすれば良いの?』
「え……あれ? ええと、皆こそ今どういう状況?」
地面に転がった死屍累々達の首が一斉にグルリと周り、こちらに助けを求めるような視線を送った。
*********
「どうだった、スケルトンたちは?」
上のフロアから帰還した俺に、吸血鬼が神妙な顔で尋ねる。
俺は上の状況をどう伝えるか少々悩んだ挙句、シンプルな言葉を選んで口を開いた。
「ええと……死んだフリしてた」
想定していなかったであろう俺の言葉に吸血鬼は目を丸くする。
「な、なんだそれは!」
「いや、まぁ刺すのは無理でもあの顎ならスケルトンの骨を噛み切れちゃうからね。策を考えるまではそのまま待機してもらって戦力を温存したほうが良いよ」
「それはそうかもしれないが、死んだフリとは。なんだか情けないな」
「ゾンビちゃんを見捨てて逃げた吸血鬼からそんなセリフを聞けるとはね」
「聞ケルトハね」
ゾンビちゃんも不気味な色の肉塊を胸に抱いて吸血鬼をじいっと見つめる。
吸血鬼はゾンビちゃんから目を逸らしながらバツの悪そうな表情を浮かべた。
「う、うるさいな。そんな事はどうだって良いだろう、それよりもアイツらを効率よく安全に駆逐する方法を考えないと。ここに逃げ込めたのは幸運だった」
そう言って吸血鬼は顔を上げて辺りを見回す。
広い部屋を埋め尽くす棚棚棚。ここは多種多様のガラクタやらお宝やらを収納した倉庫。蜂と戦うための武器や罠の発明にこれ以上最適な場所はない。
吸血鬼は早速とばかりに立ち上がり、倉庫内をウロウロと歩き回る。
「ちなみにだが、冒険者はキラーホーネットにどうやって対抗するんだ?」
「ええと、まず黒い物を隠して、それから声を出したりせず静かに全力で逃げる」
「そんな一般論聞いているんじゃない! お前本当に元冒険者か?」
吸血鬼は呆れたように首を傾げる。
まぁ言いたいことも分からないではないが、キラーホーネットの巣を見つけた冒険者の少なくとも九割が今俺の言った行動を取るはずである。冒険者といえど、何の得もない無駄な戦闘をしても仕方がない。
「単体ならともかく、キラーホーネットの巣に挑むような命知らずは冒険者にだってそうそういないよ。宝を落とすわけでもないし。まぁどうしても戦わなくちゃいけないなら、基本は物理攻撃に頼らず魔法で挑むのがセオリーだね。蜂に気付かれる前に一気に巣ごと破壊するんだ」
「魔法……は無理だな。そうだ、アルコールならあるぞ。コイツを巣にかけて焼くのはどうだ?」
吸血鬼はそう言って棚から茶色い液体の入った瓶を取り出す。恐らくウイスキーでも入っているのだろう。
俺は吸血鬼が高々と掲げる瓶を眺めながら少し考え、そしてゆっくりと首を横に振った。
「キラーホーネットの巣って、外側はかなり丈夫に作られてるんだ。鋼鉄とほぼ同じ強度だからその程度の火じゃかえってキラーホーネットを怒らせるだけだよ。もっと圧倒的な火力で焼き払うか、巣の入り口に直接薬剤や魔法を注入しなきゃ」
「思ったより厄介な敵だな。クソッ、ガラクタばかりだ。もっと武器になりそうなものはないか?」
吸血鬼はガラクタの中から宝を探すべく棚から棚へと渡り歩き、少々乱暴に棚を引っ掻き回す。
そしてある棚の前でその足を止め、やがて嬉々とした声と共に顔が映るほどよく磨かれた手のひらサイズの石を取り出した。
「おっ、爆弾が出てきたぞ!」
「こんなとこに爆弾なんか置いてたの!? 危ないな」
俺は眉間にシワを刻みながら吸血鬼の手の中の爆弾を見つめる。
自爆技を得意とする魔物、爆弾虫を加工した単純な爆弾だ。強い衝撃によって爆発するため、その取り扱いには細心の注意を払わねばならないはずなのだが、なぜか丸裸で倉庫の隅に転がっていたらしい。
管理体制は一体どうなっているのかと嘆きたくなるような事態であるが、今回ばかりはそのズボラさに助けられたかもしれない。
とはいえ、その使い方には工夫が必要だ。
「このサイズだと巣の外側の固い部分を打ち破れる威力があるかどうか。巣の入り口に爆弾をねじ込めば勝機はあるかもしれないけど……そこにたどり着く前に肉を噛み千切られて餌にされるか、ホーネットの毒でブクブクの着ぐるみ状態になっちゃうと思う」
「コンナノニナッチャウゾ」
ゾンビちゃんはケロリとした表情で、まるで他人事のように自分の切断した足を掲げる。一発刺されただけでこの状態だ。集団で襲われ、全身を何か所も刺されたら一体どうなってしまうのか。考えただけでゾッとする。
だが吸血鬼は恐ろしく膨れたゾンビちゃんの脚をじっと見つめ、やがてニヤリと笑った。
「今度こそ良い策を考えた。おい小娘、それちょっと貸せ」
*********
指名手配犯の姿はおろか、めぼしい獲物すらいないダンジョンの探索に飽きてしまったのか。あれ程うるさく通路を飛び回っていたキラーホーネットたちの大部分は姿を消しており、未だダンジョンに残っている執念深い個体も少しずつ巣へと帰還していく。
そんな中、一匹のキラーホーネットが倉庫の前に転がった肉塊を発見した。キラーホーネットは急降下してその不気味な色の肉塊を六本の長い脚で掴み、思い掛けず手に入れた獲物を土産に巣へと戻っていく。
心無しか上機嫌に見えるキラーホーネットの後ろ姿を見送ってから数分後、「ボンッ」という小規模な爆発音がこの倉庫内にまで届いた。
「ふはははは! この虫けら共め、僕に勝とうなど百年早いわ」
吸血鬼は土砂に埋もれた巣の残骸を踏み潰し、勝ち誇ったように高笑いを上げる。
その傍らで、ゾンビちゃんは地面に座り込んで悲哀に満ちた表情を土砂の中の巣へ向ける。
「ウー……私ノ脚……」
「メソメソするな、どうせそのうち生えてくるんだ。むしろあんな肉塊が害虫駆除の役に立った事を喜ぶべきだぞ」
吸血鬼はそう言って得意げに胸を張る。
なかなかに酷い事を言っているような気もするが、彼のアイデアのお陰でキラーホーネットの巣を駆逐できたのだ。文句は言うまい。
『どうやったの?』
『さっきの音は?』
『何があったの?』
先ほどの爆発音により、キラーホーネットとの戦いに進展があった事を察したのだろう。屍の役を熱演していたスケルトンたちも徐々に立ち上がり、ガシャガシャと俺たちの周りに集まってきた。
すっかりヒーロー気取りの吸血鬼は、集まってきたスケルトンを相手にますます胸を張ってみせる。
「ふふ……敵の毒牙にかかり小娘は重症、周囲にあるのはガラクタばかり、外は敵がうじゃうじゃ。そんな絶望的な状況だったが、それでも僕は諦めなかった! 僕はガラクタの中に混じっていた爆弾に目を付け――」
「つまりゾンビちゃんの脚に爆弾を仕込んで、キラーホーネットに直接巣に運ばせたって事。多分巣の中の幼虫が脚を食べた時の衝撃で爆発したんだ」
「オチを言うな!」
「ゴメン、長くなりそうだったから」
そう言って口先だけの謝罪をしてみせると、吸血鬼は眉間にシワを寄せて小さく舌打ちをした。
「せっかくの武勇伝が台無しだ。おい、お前も一体何をやってるんだ。探したって足も腕も出てこないぞ」
吸血鬼は不機嫌そうに口を尖らせ、うずくまって何やら土をほじくり返しているゾンビちゃんを見下ろす。
「危ないよ、ゾンビちゃん。まだ生きたキラーホーネットがいるかもしれない」
「大丈夫、大丈夫」
ゾンビちゃんは手を休めることなく、妙にくぐもった声で元気よくそう返事をする。どうやら何か頬張っているらしい。
「なんだ、蜂蜜でもあるのか?」
「いや、キラーホーネットは肉食だよ。蜜なんか作るわけ――ギャッ!?」
「なんだ急に変な声出し――ギャーッ!?」
男二人のつんざくような悲鳴がダンジョンにこだまする。事情を知らない者が聞けば「大の男がなにを叫び声なんて上げてるんだ」などと思うかもしれない。だがこれを見て生理的嫌悪感を抱かぬ者などそうはいるまい。
俺は背筋がゾワゾワするのを感じながらも、ソレから目を逸らすことができなかった。
ゾンビちゃんが掘り出したのはキラーホーネットの巨大な巣の断片。その断面には規則正しく作られた部屋が無数に存在しており、部屋の一つ一つにピクピクと痙攣したり激しく伸び縮みしたりする白く柔らかそうな物体がびっちりと……
「ひええっ!? まさかこれ幼虫!?」
「……おい待て。まさかお前が食ってるのは――」
「ンー?」
そう言って顔を上げたゾンビちゃんが両手に握っていたのは、ビクビクと身体を痙攣させる白い巨大なイモムシであった。恐ろしい事に、イモムシの腹には大きな齧り跡がついている。
「お前正気か!?」
「ギャーッ!? 気ッ持ち悪い!」
「ナンデ? オイシイよ」
俺たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、ゾンビちゃん一人が満面の笑みで勝利の味に舌鼓を打っているのだった。