前へ次へ
83/164

81、魔王の娘のダンジョンステイ





 ここを娘の留学先にする――

 魔王の言葉にスケルトンたちも困惑したようにガタガタと顎を鳴らせる。当然の反応だ、今まで娘の「む」の字も出てきていなかったのに突然そんな事を言われても理解が追いつかない。

 俺たちがポカンとしている事に気付いたのかは定かでないが、魔王はこちらを見下ろしながらゆっくりと話し始めた。


「我輩の娘は296番兄妹の末っ子、しかも唯一の女の子なのだ。それはもう可愛くてな、蝶よ花よと育てたのだがそれが良くなかったらしい」


 魔王はそう言うと小さくため息を吐き、額に手を添えてヤレヤレとばかりに首を振る。


「綺麗な物しか目に入れさせないようにしていたからか……なんというか、酷い潔癖症になってしまったんだ。特に血や肉や内臓なんてものに拒否反応を起こす。そりゃあ昔に比べれば平和な世界になったが、やはり魔王の娘が血で卒倒すると言うのは示しがつかないだろう? このままでは娘の為にならないと我輩は思った」

「それでうちに留学……ですか」


 確かにダンジョンでは――特にアンデッドダンジョンなどで暮らしていれば血や肉や臓物が飛び散るなど日常茶飯事だ。殺らなければこちらが殺られるこの場所では、血や肉がダメだなんて悠長なことは言ってられない。


「アンデッドならば『何かあった時』体を損傷しても死にはしない。目の前で魔物が死にでもしたら娘の精神に悪影響を及ぼしかねないからな。その上ここは他のアンデッドダンジョンに比べて清潔だし部屋も綺麗だ。娘が怯えてしまうようなキツい見た目のアンデッドもいないし、温泉もあるしな。それに、このダンジョンは娘と年の近い者も多い。きっと仲良くやってくれることだろう……が、仲良くなりすぎるのは困るぞ!」


 そう言って魔王は吸血鬼にスッと視線を移す。

 その瞬間、明らかに魔王の目付きが変わった。その凄まじい眼光に肌が泡立つのを感じる。蛇に睨まれた蛙の気持ちというのはきっとこんな感じなのだろう。直接魔王の視線をその身に受けている吸血鬼などは冷や汗を流しながら体を硬直させてしまっていた。彼の心情は察するに余りある。

 この変化は彼が「親バカなおじさん」ではなく「魔王」なのだという事を俺たちに思い出させた。いや、「親バカなおじさん」というのも間違いではないか。


「年頃の娘というのは惚れっぽいところがあるだろう。もちろん既婚者である君が我が娘に手を出すはずないし、そんな事は我輩が許さない。が、娘の気持ちばかりはどうすることもできない」


 魔王はそう言うと、次は悲しそうに目を伏せてみせた。

 言っていることは至極まともだ。

 大事な娘を守るため、父親として釘を刺しておきたいというのは当然の心理だろう。

 だが流石は魔王。普通の父親とは釘の刺し方の次元が違った。


「留学中、娘をずっと監視している訳にはいかない……が、我輩は離れていても娘の心拍数が手に取るように分かる」

「なんだその特技、気持ち悪いな」

「そこで、もし娘の心拍数に異常があったら君の心臓を潰す」


 魔王の冷酷な宣言に、吸血鬼は眼をひん剥いて激しく首を振る。


「いや待て待て! なぜ僕が心臓を潰されねばならない!」

「死なないのだから問題ないだろう。精々娘に好かれない努力をする事だ! ガハハハ」


 魔王は腕を組んで豪快に笑ったかと思うと、すぐにまた悲しそうな表情を浮かべて目を伏せてみせる。少々情緒が不安定なのだろうか。


「我輩も辛いのだ、今にも胸が張り裂けそうだよ。しかし獅子は谷底に我が子を突き落す……娘をよろしく頼む」


 本音を言えば断りたい。

 なにせ相手はこの魔王の娘だ。まともな人物であるはずがない。俺はスカートを履き、濃い口紅を塗りたくった紫の肌の巨大な女を想像し、思わず口をひん曲げる。

 だが魔王直々の「お願い」を断ることなど不可能。俺たちに選択肢などない。ここは腹を括るしかあるまい。

 俺はため息を飲み込み、愛想笑いを浮かべながら魔王に尋ねる。


「滞在いつからですか? 日数は?」

「そうだな、では明日の朝から頼む。日が沈む前には迎えに行く」

「えっ、明日!?」

「何が谷底だ、日帰り旅行じゃないか!」


 予想外の超短期短期留学に目を丸くする俺たちの叫びを掻き消すように、魔王の豪快な笑い声がダンジョンに響いた。





********





「皆様、初めまして! 留学を許可してくださって感謝致しますわ」


 明朝、宣言通り朝早くにダンジョンを訪ねてきた魔王の隣でそう挨拶をしたのは、意外なほど可憐で可愛らしい少女であった。

 外見上の年頃はゾンビちゃんよりやや幼いように見えるが、そのシックな黒いドレスや肘まである手袋、そして落ち着いた雰囲気のせいか妙な大人っぽさも感じる。

 彼女は幸運にも父親にはあまり似なかったらしく、肌は紫色ではないし、魔王のように不自然な程の巨体でもない。唯一と言って良い共通点は頭に生えた角くらいなものである。

 その父親はと言うと、丸太のような太い腕に大量のトランクを抱えたまま、娘よりよほど不安そうな表情を浮かべていた。引っ越しでもするのかと突っ込みたくなるような荷物の山に呆気に取られながら、吸血鬼が思わずといった風に呟く。


「一体何が入っているんだ……」

「頑張るんだよ姫。諸君、娘をよろしく頼む」


 魔王はそう言って大量の荷物を地面に置くと、名残惜しそうに娘を見つめつつも煙の様に姿を消してしまった。

 魔王の姿が完全に消えた後、姫は改めて俺たちに膝を曲げて上品にお辞儀をしてみせた。


「今日一日よろしくお願いしますわ。あなたがこのダンジョンのボスかしら?」

「あ、ああ。何かあったら遠慮せず言ってくれ」


 吸血鬼はそう言って珍しく愛想笑いなんかを浮かべる。だが心臓を潰される恐怖からか、その表情は少々固い。

 取り敢えず俺たちが最初にやるべき仕事はこの大量の荷物の運び入れだ。スケルトンが荷物を運ぶのを横目に、俺は吸血鬼と通路の隅でコソコソと話をする。


「受け入れたは良いが、一体なにすれば良いんだ? 剣でも持たせれば良いのか?」


 吸血鬼はそう言って困ったように少女を見やる。あまりに急な依頼で時間がなかったため、彼女にどんな事をさせるか計画を立てる事ができなかった。

 魔族とはいえ相手は子供だし、アンデッドでもない。あまり危険な事をさせるのも気が引ける。

 まぁそれは本人も交えて後々話し合うとして、俺には一つ疑問に思っている事があった。


「それはそうと吸血鬼、俺納得いかないことがある」

「なんだ」

「どうして吸血鬼の心臓だけなの」

「は?」


 怪訝な顔をする吸血鬼に、俺は平静を装いつつハッキリと尋ねる。


「俺があの娘に惚れられるというシナリオはないの?」


 娘の心臓に異常があれば「吸血鬼の」心臓を潰す……確かに魔王はそう言った。

 それはつまり吸血鬼以外のアンデッドに姫がときめきを感じる可能性がゼロであると暗に言っているようなものじゃないか。スケルトンはともかく、俺は一応人の形をしていると言うのに、これ程失礼な話があるだろうか!


「そ、それを僕に言われても」

「はー、なんか落ち込むなぁ。別に良いけどさ……」

「チッ、面倒くさいな。あー、あれだ。姫様はきっと幽霊は好みじゃな――ッ!?」


 突然「バツン」という何かが破裂するような嫌な音がダンジョンに響き渡った。その瞬間、吸血鬼は胸を抑え、勢い良く口から血を吐きながら地面に崩れ落ちる。

 俺はすぐさま魔王の手が吸血鬼の心臓を潰した事を悟った。

 彼は呻き声を上げながら恨めしそうに俺を見上げる。


「僕から言わせてもらうと、君の悩みは贅沢だ」

「ご、ごめん……」


 なんだかスケルトンたちの様子もおかしい。

 見ると失神した様子の姫を抱えたスケルトンが困惑したようにこちらへ視線を送ってきていた。


「血がダメというのは本当らしいな」

「惚れっぽいってのも本当みたいだね。まだほとんど喋ってもないのに」

「はぁ、憂鬱だ……」


 吸血鬼はそう呟くと地面に突っ伏して大きくため息を吐いた。




********




 それから程なくして、姫は我がダンジョンで一番上等なソファの上で目を覚ました。彼女はキョロキョロとあたりを見回しながらゆっくりと起き上がる。


「……あら、ここは……?」

「起きたか」

「どうしてそんなところにいるのですか?」


 姫は本棚の陰に隠れた吸血鬼を見つめながら首を傾げる。

 どうやら心臓の件を本人は知らないらしい。魔王が秘密にしていることを俺たちが言う訳にもいかない。


「いや、気にしないで。具合の方は大丈夫なの?」

「もう平気ですわ。それより私の荷物はどこ?」

「荷物? ええとどこだっけ」

「ああ、それならスケルトンが。おいスケルト――ゲホッ」


 吸血鬼はまたもや血を吐きながら本棚の陰にうずくまる。

 姫の心臓が再びおかしな動きをしたのだろう。当の本人は突然血を吐き出した吸血鬼を見て顔を蒼くし、口を押さえてソファから飛び上がった。


「キャアッ!?」

「ああ、見ないで見ないで。この人ちょっと吐血癖があってね」


 俺はそう言いながら吸血鬼の吐いた血を隠すように本棚の前に立ち塞がる。俺の透けた体が目隠しになっているかは微妙だが、少なくとも今回は気を失わずに済んだようだ。


「ダメだよ吸血鬼、喋ったら」

「クソッ、迂闊だった……」

「早く姫の気を逸らさないと、このままじゃいたずらに心臓が潰されてくばっかりだ。姫、なにかやりたい事はある?」


 俺は突貫工事で笑顔を作り、姫にそう尋ねる。彼女はまだ怯えたような表情をしていたものの、少し考えるような素振りを見せたあとゆっくりと口を開いた。


「じゃあ……その、私ダンジョンというものが初めてで。良かったら案内していただけるかしら?」

「オッケー、任せて! じゃあほら、ゾンビちゃんも行くよ!」


 俺はそう言いながらソファの下を覗き込む。

 するとソファの脚と脚の間からゾンビちゃんがぬるりと顔を出した。


「エー、冒険者キテナイじゃーん」

「まぁまぁそう言わず」

「ダラダラしてないで早く出てこい!」

「ムー」


 ゾンビちゃんは口を尖らせながら亀がその身を守るようにソファの下へと首を引っ込めていく。

 (少なくとも外見上は)姫と歳の近いゾンビちゃんにこそ姫と仲良くしてもらいたいのだが、彼女は今回の留学騒動にあまり関心がないらしい。

 吸血鬼はよろよろと立ち上がると、ソファの下に潜り込んだゾンビちゃんを見下ろして忌々しそうに吐き捨てる。


「チッ、仕方ない。スケルトン、例のものを!」


 吸血鬼がそう声を上げると、まるで合図を待ち構えていたかのようにドアが開いて一体のスケルトンが部屋へ入ってきた。その手には短めの釣り竿を構えている。

 魚などいるはずもないこのダンジョンで釣り竿なんて一体なにに使う気なのかと困惑したが、その針に刺さっている肉を見て全てを悟った。


「アッ、ニク!」


 細い糸に吊るされた肉をソファの前に垂らすと、すかさずゾンビちゃんの手が肉へと伸びた。だがスケルトンは絶妙な竿捌きでゾンビちゃんの手をかわし、ソファから離れたところに肉を移動させる。ゾンビちゃんは肉を手に入れるため、スケルトンの思惑のままムカデのような滑らな動きと凄い勢いでソファから這い出てきた。

 肉でゾンビちゃんを釣るというのはこれ以上ないほど的確な判断だが、こんなところをお客様に見せてよいのだろうか。俺はそんな事を思いながら姫に苦笑いを向ける。


「よ、よし。じゃあ姫も一緒に……ゲッ!?」


 あの可憐で、どちらかと言えばおっとりしているように見えた姫の顔が般若の如き恐ろしい形相に変わってしまっている。

 彼女の握りしめているソファの肘掛けは彼女の手の形の凹みを作り、ミシミシと聞いたことのない音を上げている。

 吸血鬼も姫の変化に気付いたらしく、慌てたようにあたりを見回した。


「な、なんだ? 僕らなにかしたか?」

「あれは嫉妬に狂った女の顔だよ……! きっとゾンビちゃんを妬んでいるんだ」

「コイツに嫉妬……?」


 吸血鬼は怪訝な表情を作ってゾンビちゃんを見下ろす。

 彼女は相変わらず地面に這いつくばり、スケルトンの吊るした肉に遊ばれている。


「ええと、自分を差し置いてゾンビちゃんに注目が行ったのが気に食わなかった……のかな? ま、まぁどこに嫉妬するかは個人差があるから。取り敢えずゾンビちゃんはここで待機してて。姫の情緒を安定させないと」

「あっ、それアリなのか? なら僕もここに残らせてもらう」

「ええっ、なんでだよ」

「心臓を大切にしたいからに決まっているだろう!」


 吸血鬼はそう言ってやや大袈裟に胸を抑える。まぁ彼の言いたい事も分かるが、俺だけに姫を任されるのもなんとなく癪に障る。


「ダンジョンボスが付いて行かないのはマズイって。どうしてもって言うなら姫をときめかせないとっておきのアイテムをあげるよ」

「とっておきのアイテム?」

「うん。パンツとストッキングどっちがいい?」

「……待て、何の話だ。それをどうするつもりだ」

「被るんだよ」

「却下」


 吸血鬼は吐き捨てるように言うと、小さく息を吐いてまたわざとらしく胸を抑える。


「第一、僕が一緒にいたって大した事もできないじゃないか。どうせまた心臓を潰されて動けなくなるのがオチだ。さ、君は早くスケルトンでも連れてダンジョンを案内して差し上げたまえ」

「ちぇっ、分かったよ。ああもう、面倒事はいっつも俺に押し付ける……」






 俺は悔し紛れにできる限り大量のスケルトンを掻き集め、それらをぞろぞろ引き連れてダンジョン一周ツアーを行った。

 吸血鬼がいないことで姫が不機嫌になるのではないかと危惧していたが、俺の心配は杞憂に終わった。彼女は意外にもは楽しそうにスケルトンのダンジョン案内に耳を傾けていたのである。

 そんなこんなで、姫様を連れたダンジョン一周ツアーは終始和やかなムード漂う、なかなか楽しいものであった。



 が、事件は吸血鬼とゾンビちゃんの待つ部屋へ戻った際に起こった。



「ただいまー……うわっ!?」


 ドアをすり抜けて部屋に入って早々、俺の目に飛び込んできたのは部屋の中心でうつ伏せに倒れた吸血鬼であった。また血を吐いたらしく、地面に小さな血溜まりができている。

 ゾンビちゃんはというと、倒れて動けない吸血鬼の体をなぞるようにチョークで白い線を書いて遊んでいる。

 俺は今にも扉を開けようとする姫とスケルトンにしばらく中へ入ってこないよう告げ、呑気に遊んでいる第一発見者に尋ねた。


「なにこれ、殺人現場みたいになってるけど」

「ナンカ、急に倒レタ」


 ゾンビちゃんはそう言ってチョークの先で吸血鬼の後頭部をつつく。

 すると吸血鬼は苦しそうに肩を上下させながら僅かに顔を上げ、こちらへ苦しそうな表情を向けた。幸か不幸か意識はあるらしい。


「レ、レイス。お前たちが部屋を出た後からずっと心臓を潰され続けている状態だ。一体何があった」

「ええっ、なにって言われても。普通に談笑しながらダンジョンを周ってただけ……いや、ちょっと待てよ」


 よくよく考えれば、そもそも姫は別に吸血鬼の事が好きだと声高らかに宣言したわけではない。なんとなく吸血鬼だろうと決めつけてしまっていたが、姫が心をときめかせている相手が誰なのか姫自身にしか分からないのだ。

 そして吸血鬼不在のツアー中に姫の心臓の鼓動がおかしくなったという事は、つまり。


「まさか姫、俺の事が好――」

「ああなるほど。姫は不整脈なんだな」


 吸血鬼はそう言って納得がいったように手を叩く。が、その行動に俺は全く納得がいかない。


「ちょっと! なんでそうなるんだよ!」

「当然だ。君の文字通り薄い存在感とつまらない話で姫の心が動くはずないだろう」

「失敬な! 姫が好きなのは絶対――」


 そう言いかけた時、ドアの開く音がして俺は慌てて口をつぐむ。恐る恐る部屋の入り口を見ると、案の定姫が小刻みに震えながらこちらを見つめていた。


「ああ、やはりお気づきになってしまわれましたか。私の秘めたる想いに!」


 会話が外に漏れていたのだろうか、姫は紅潮した頬を隠すように両手で顔を覆う。


「ほら、ほら、ほら! 見たか吸血鬼!」

「そ、そんな馬鹿な」


 吸血鬼は信じられないとばかりに目を丸くして首を振る。なんて失礼な反応だろう。

 だが俺が吸血鬼の言葉に文句を言うより早く、姫がそれに反応するようにそっと自らの胸に手を置き、口を開いた。


「馬鹿……そう、みんな私の事をそう罵るかもしれませんわ。でも私の誰にも想いは止められはしないのです。自分自身にすら」

「いやぁ、そんな情熱的に言われると困っちゃうなぁ」


 俺は照れ隠しに頭を掻きながら思わず姫から目を逸らす。

 すると姫は不意に俺たちに背を向け、部屋の入り口に視線を移した。


「私は……私はスケルトン様をお慕いしております!」

「ははは、ほら見てよ吸血鬼。姫ってばスケルトンの事……えっ、スケルトン!?」


 予想外の展開に目を見開く俺を尻目に、姫は部屋の外からこちらの様子を伺うスケルトンの胸……いや、肋骨に飛び込んだ。

 彼女は困惑するスケルトンの白い腕を手に取り、手袋を脱ぎ捨ててその尺骨をうっとりと撫でる。


「極限まで無駄を省いたスマートな体! そして体を構成するこの白く輝くリン酸カルシウムの結晶……ああ! なんて素晴らしい! 私も汚らわしい肉や血など早く脱ぎ捨ててしまいたいわ」


 ここに来て俺はようやく昨日の魔王の言葉を思い出した。

 魔王は確かに姫について「酷い潔癖症、特に血や肉や内臓に拒否反応を起こす」と言ってはいたが――

 

「潔癖症のレベルが高すぎるよ!」


 俺は悔しさと恥ずかしさを紛らわすため声を上げるが、どうやら姫の耳に俺の声は届いていないらしい。それどころか、もはや俺の事など眼中にないようだった。

 期待して損はしたが、まぁそれならそれで仕方がない。

 だが、ここには「仕方がない」とも言っていられない状況の者が一人いる。そいつは胸を押さえ、盛大に血を吐きながら姫を睨んでいた。


「くそっ、姫をスケルトンから隔離させる!」


 自分へ向けられた好意があるならともかく、他人へのときめきの代償に心臓を潰されるなんて理不尽極まりない。

 吸血鬼は瀕死に近い状態にも関わらず、スケルトンから引き剥がすためその手を姫に伸ばす。


 が、俺たちは大事なことを忘れていた。

 どんなに可憐な少女であろうと、彼女は魔王の娘なのだ。


「離して!」


 姫はチンピラに絡まれた時に出すような被害者ぶった声を上げると、空を切る音を響かせながら吸血鬼の腕を払い落とした。その瞬間、骨の砕ける音とともに吸血鬼の腕があらぬ方向に曲がる。

 腕を庇って体勢が崩れたところで、姫は吸血鬼のがら空きになった鳩尾に拳を打ち込む。無茶苦茶なフォームで繰り出された正拳突きは吸血鬼の腹を突き破り、姫の腕を血に染めた。

 父親と娘からの理不尽極まりない仕打ちにより、吸血鬼は湿った音を立てながら血溜まりの中に崩れ落ちる。


「は、話が違うぞ。血がダメなんじゃ……」


 吸血鬼は虫の息になりながら血の海の中で恨めしそうに声を上げる。

 吸血鬼の吐血程度で倒れていた姫が、今やドレスを返り血で真っ赤にさせながらスケルトンの肋骨に頬ずりしているのだ。


「愛の力……流石は魔王の娘。凄いパワーだ」

「おい、僕はどうすれば良いんだ!?」

「選ぶしかないよね。魔王に心臓を潰され続けるか、姫にボッコボコにされるか」

「嫌だッ、僕関係ないじゃないか! グフッ」


 今度は父親からの攻撃が吸血鬼を襲ったらしい。

 吸血鬼は貴重な血液を再び盛大に吐き出し、血の海をますます広げていった。




********




「姫ッ、その血まさか……」


 日が沈む少し前。

 姫を迎えに来た魔王は吸血鬼の返り血で真っ赤に染まった姫に目を丸くし、感嘆の声を上げた。


「潔癖症を治せたのかい!?」


 姫から滴るその血を見て姫の怪我の心配を全くせず、返り血であるとすぐさま判断したところは流石魔王とその娘といったところか。

 姫も満面の笑みで父親の問いかけに頷く。


「ハイ、お父様。それから……大事な人も見つかりました」


 姫はそう言って薄っすら頬を染める。

 その様子に魔王の顔は絶望に打ちひしがれたような表情に変わり、その責任を押し付けるように吸血鬼を睨み付ける。


「どうやら娘が大変世話になったらしい。血も克服できたようだし、結構結構」


 魔王はそう言って口を大きく開き口角を上げてみせるが、笑顔と言うには禍々しすぎる表情だ。その目は吸血鬼の体を射抜くような恐ろしい視線を放っている。


「い、いや。ちょっと待ってくれ、姫の心拍数がおかしいのは僕のせいじゃ――ッ!?」


 吸血鬼は誰かに口をふさがれた様に突然言葉を止め、自らの喉を掻き毟る。

 一見しただけだと吸血鬼の気が狂ったとしか思えないような光景だ。だが彼の隣にいた俺には細い透明な手が吸血鬼の首を締め上げているのがハッキリ見て取れた。

 魔王の仕業かと思ったが、どうやら違うらしい。

 首を傾げる魔王の背後から、姫がにやりと笑いながらこちらを見つめていたのである。


「お父様、あまり長居してはお邪魔でしょうから今日は城へ帰りましょう。皆様、是非また遊びに行かせてくださいね」


 姫はそう言うと血塗れのスカートの裾を軽く持ち上げ、上品にお辞儀をしてみせる。全く末恐ろしい娘だ。

 そして煙の様に消えていく魔王親子を生気のない目でみつめながら、満身創痍の吸血鬼は絞り出すような声を上げた。


「頼む……二度と来ないでくれ……」






前へ次へ目次