79、法螺吹き男爵の病
このダンジョンで一番タフなアンデッド女子、ゾンビちゃんはそのタフさ故に戦闘後の負傷が一際酷くなる傾向にある。
ところが、今日のゾンビちゃんは様々な怪我を見慣れた俺ですら思わず血の気が引くほどの大怪我を負っていた。
いや、もはや怪我というよりは損壊と言ったほうがしっくりくる。手足はズタズタ、大きく切り開かれた腹からは内臓がぶら下がり、通路は彼女の肉片と血で真っ赤に染まり、思わず目を覆いたくなるほど。
常人なら即死、吸血鬼でも意識を保っていられないほどのダメージだが、絶妙に急所を外れているのか痛覚が鈍いのか生命力が強いのか、ゾンビちゃんはそんな状態でもなおはっきりした意識を持っているらしかった。
「ウウウ。イタイ、イタイ」
「だ、大丈夫……な訳ないよね」
普通の人間が怪我をした場合、傷の縫合をしたり包帯を巻いたり薬を飲ませたりするのだろうが、アンデッドにそのような治療は不要だ。傷の治癒の邪魔にすらなりかねない。
だが何もせず放っておくにはあまりに酷すぎる怪我である。ゾンビちゃんが良くても、俺の良心が痛んで仕方ない。
とは言っても、俺にできることなどたかが知れている。濡らしたタオルや水を持ってくるとか、そういう子供でもできるような単純なことすら俺にはできないのだ。
できることと言えばせいぜいゾンビちゃんの希望を聞き、スケルトンに伝えることくらいである。
俺はその「自分にできること」をすべく、ゾンビちゃんを見下ろしながら口を開く。
「ねぇゾンビちゃん、なにか欲しいものある? 水とか――」
「ニク」
「……うん、まぁそうなるよね。でも肉ならついさっき食べたじゃん」
「食ベタイ……ニク……」
「そ、そんなこと言われてもさぁ」
ゾンビちゃんを傷めつけた冒険者はついさっき我がダンジョンのボスである吸血鬼を倒し、宝箱を取って出ていってしまった。本来ならゾンビちゃんに肉を食べさせてあげる理由はないが……
「イタイ……イタイ……ニク食ベタい……」
「うううーん……」
倒せなかったとはいえ、ゾンビちゃんは冒険者と果敢に戦ったことで負傷したのだ。彼女の頑張りは認めてあげたい。
それに肉を食べれば多少なりとも回復が早くなるかも。
「……分かった分かった! スケルトンたちに肉持ってきてもらうから」
「エッ、ホント!? ヤッタアアアア!」
ゾンビちゃんは叫びにも似た歓喜の声を上げながら手足を振り回して体を揺らせる。
その衝撃で手足はもげ、血肉が飛び散り、顔を覗かせていた臓器が腹を飛び出し、俺の体をすり抜けて地面に転がった。
「あ、安静に!」
俺はゾンビちゃんを宥めながらスケルトンに肉を持ってくるよう指示した。
俺のこの行動が後々自分たちの首を締めることになるとは、この時は思ってもいなかった。
***********
「レイスー、どこー?」
ゾンビちゃんが俺の名を呼びながらウロウロと入り組んだ通路を彷徨っている。
その体はボロ雑巾のごとき有り様で、取れかけた脚を引きずる不気味な音がダンジョンに響く。
「よくあの体で歩けるよなぁ……」
「呼んでるぞ」
「ひっ」
突然の声に慌てて振り向くと、不審そうな表情を浮かべた吸血鬼と目があった。
「ああなんだ、吸血鬼か」
「こんなとこで何してる。どうして隠れてるんだ?」
怪訝な表情を浮かべながら、吸血鬼は俺にそう尋ねる。
正直吸血鬼にその話はしたくなかったが、この状況でしらを切るのは難しい。なにより、俺が無理矢理隠し通したとしてもゾンビちゃんに聞けばすぐバレてしまう話だ。
俺は観念して吸血鬼にザックリと事の顛末を話して聞かせる。
「実は……この前酷い怪我をしたゾンビちゃんに肉をあげたら、怪我するたびに肉をせびってくるようになっちゃって……」
俺の話をが進むにつれ吸血鬼の口がどんどんへの字に曲がっていき、俺が話し終えると彼は呆れきったようにため息を吐いた。
「はぁ? 君はほんと馬鹿だな。『迂闊に獣へ餌をやらない』、常識だろう」
「け、獣って……」
「あんなのは獣だよ、獣。ヤツの知能は小型犬以下だ」
「酷い言い草だなぁ」
「まぁ弱ってる時優しくされたいという気持ちは分からんではないが。ああそうだ」
吸血鬼は思い出したように声を上げると、突然腕をありえない方向にブラブラと振ってみせた。
「そういえば僕もさっきの戦いで腕を折ってしまったんだよな」
「ふーん……あっ、ヤバイ。ゾンビちゃんこっち来る!」
「えっ……ああ、そうだな……」
***********
冒険者との戦闘の度に肉をせびるゾンビちゃんから逃げ続けること数日。
その日、とうとう事件は起こった。
「一体なんの騒ぎ――うわっ!」
スケルトンたちの人垣を掻き分けて入ってきた吸血鬼は、輪の中央にいるゾンビちゃんを見て目を丸くした。
まるで開腹手術中にオペ室から抜け出してみたいに彼女の腹は大きく開かれ、血に濡れたグズグズの内臓が見え隠れしているのである。
だが酷く損傷した腹部とは裏腹に、彼女の顔や髪はほとんど汚れておらず、四肢はなんのダメージも受けていない。受けていないはずなのに、不思議なことに彼女の両腕は血でぐっしょり濡れていた。
「こ、これは何事だ? 冒険者は……今日はまだ来ていないよな?」
吸血鬼は困惑の表情を浮かべながら周りを見回し同意を求める。何人かのスケルトンが吸血鬼の問い掛けに頷く中、ゾンビちゃんは腹部を押さえながら上目遣いで俺を見つめ、言った。
「レイスー、ニク食ベタイ」
「ヒッ……お、おい。まさかそれ自分で――」
吸血鬼の声が聞こえていないかのように、ゾンビちゃんは澄ました顔で吸血鬼から目を逸らす。
だが状況から見てゾンビちゃんが自らの腹を裂いて中をかき混ぜたことは明白だ。俺は彼女の代わりに、吸血鬼に向かって小さく頷く。
すると吸血鬼は呆れを通り越し、恐怖しているともとれる表情で身体を少しのけ反らせる。
「お前……なんて馬鹿なことを」
吸血鬼はゾンビちゃんの顔を見つめたまましばし絶句した後、不意に俺の方を向いて小さく手招きして見せた。
「レイス、ちょっとこっち来い」
ゾンビちゃんに聞かれない場所で話をしたいという事だろうか。
俺は吸血鬼に促されるまま彼の後をついて通路を奥へ奥へと進んでいく。ゾンビちゃんから十分離れたところで、沈黙と静寂に耐えられなくなった俺の方から口を開いた。
「ど、どうしよう吸血鬼。まさかゾンビちゃんがこんな事するなんて思ってなくて――」
「君の餌付け事件について言いたい事もあるが取りあえず置いておく。それよりも今後の対策だ」
吸血鬼は不意に立ち止まり、腕を組んで壁にもたれ掛りながら真剣な表情でジッと一点を見つめる。そして彼はやがて独り言のようにポツリと呟いた。
「小娘は本当に肉が欲しくてあんなことしたんだろうか」
「え……だ、だって肉食べたいって自分で」
「いや、肉が欲しいというのは確かに本心だろう。アイツはいつだって肉を欲しがっている。だがヤツが欲しがってるのは肉だけじゃない」
「……と、言うと?」
「前にも言ったろ。誰だって弱ってる時には優しい言葉と態度を欲するものだ。時に目的と手段が逆転してしまう程にな。僕らはアンデッドだ。どんな酷い怪我を負っても死なないし、腕や首が飛ぶのも日常茶飯事。そんなの気にしてたらキリがない。だがな、だからってそれが平気な訳じゃない。僕らだって斬られれば痛むし血も出る」
吸血鬼はスッと俺に視線を移し、ハッキリと、そしてゆっくりと俺に向けて口を開いた。
「小娘はお前に心配されること自体を求めているんじゃないか」
「そ、そんな。ただ心配されたいってだけでこんな事……?」
正直、ゾンビちゃんが食欲を満たす以外の目的で何らかの行動を起こすというイメージが湧かない。
だが吸血鬼は俺の疑問など意に介す様子もなく話を続ける。
「何度も言うが俺たちにとって怪我は日常だ。自分の怪我ならまだしも、すぐに治るし死にもしない他人の怪我など気にしない。互いにな。僕らは人から心配されることが少ないんだ。だからこそヤツは君に労わってもらったのが嬉しかったんだろう」
ゾンビちゃんがそんな事を思っているだなんて考えもしなかったし、そもそもゾンビちゃんが肉以外の事を考えているだなんて正直驚きだが俺より付き合いの長い吸血鬼が言うんだ。もしかすると彼の言う通りなのかもしれない。
「そう……なのかな」
「怪我をしない、痛みも感じない君だからこそ、他者へ気配りができるんだ。きっと」
吸血鬼はうっすら口角を上げながらそう言うと、突然思い出したように「あっ」と声を上げた。
「そういえば僕もさっき腕を折ってしまっ」
「よし、早速ゾンビちゃんのとこに行こう! そんな事しなくてもちゃんと心配してるよって伝えなきゃ」
「えっ……ああ、そうだな……」
*********
「ハ?」
ゾンビちゃんは眼を大きく見開き、大袈裟に首を傾げてこちらににじり寄る。
俺は彼女の奇妙な勢いに気圧されながらも、先ほどの言葉をもう一度口にした。
「えっ、いやだから。そんな事しなくてもちゃんと心配して」
「シンパイ? シンパイってナニ? ニクくれるコト?」
「いや……その、なんというか、労りの言葉を」
ゾンビちゃんは見開いた眼をこちらにグイッと寄せ、俺の言葉を遮って彼女のものとは思えないドスの効いた声を上げる。
「言葉ァ? 同情スルならニクをクレよう」
「ええー……やっぱ肉目的かよ……」
どうやら予想は外れていたようだ。俺は助けを求めるように吸血鬼に視線を向ける。
吸血鬼もまた目を見開いてゾンビちゃんを見つめていた。彼はゾンビちゃんに向けて威嚇するような低い声を出す。
「甘ったれるなよ小娘」
吸血鬼はゆっくりと大股でゾンビちゃんへと近付いていく。近くにいたスケルトンの腰にささった剣をすれ違いざまに抜き、流れるような動作でその白刃を振り上げ、そして思い切りゾンビちゃんに叩き付けた。
皆が予想外の吸血鬼の怒りっぷりに目を見張る中、彼は二撃、三撃と矢継ぎ早に攻撃を繰り出していく。
「うちはなぁ、実力主義なんだよ! 結果を出さぬ弱者に食わす肉などない。欲しけりゃ自分で捕ることだ! 出来なきゃ死ねこのクズがァ!」
もともと怪我を負っており、不意打ちだった事もあってゾンビちゃんはほとんど抵抗することもできずどんどん細切れになっていく。
吸血鬼が剣を振り下ろすたびに湿っぽい音がダンジョンに響き、剣が振り上がるたびに肉片の混じった血液が飛び散る。
歴戦のアンデッドであり凄惨な戦いを腐るほど見てきたであろうスケルトンがドン引きする中、吸血鬼はほとんど原型を失った赤黒い肉の塊に剣を叩き付け、肩で息をしながら吐き捨てるように言った。
「覚えておけ小娘、ここは弱肉強食のダンジョンだ!」
「うわぁ、吸血鬼超怒ってる……」
まるで部外者のような気分でその凄惨な現場をぼんやり眺めていると、吸血鬼は突然視線と矛先を俺に向けてきた。
「だいたいお前は甘すぎなんだ。こんなヤツバラバラになったって死なないんだから放っとけ!」
「ええー……さっきと言ってること全然違うじゃん。大体、なんで吸血鬼がそんな怒ってるの?」
「黙れこのスケスケ野郎がァ!!」
この後肉片と化したゾンビちゃん、それから無関係なスケルトンたちまで巻き込んだ吸血鬼のブチ切れ説教に長々と付き合わされ、解放されるころにはゾンビちゃんもすっかり原型を取り戻していた。