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78、憑いてる






「ククク……はははは!」


 ダンジョン最深層に狂ったような声が木霊する。

 フロアの中心で歪んだ笑顔を見せるのは血に塗れた満身創痍の冒険者だ。吸血鬼との戦いに敗れ、今まさに命の灯を消そうとしている。

 にも関わらず、冒険者は命乞いするでも苦痛に呻くでもなく、笑い声をあげているのである。それは決して強がりではなく、それどころかその笑いは吸血鬼に向けられたものですらないらしかった。


「なんて清々しい気分だ。これでやっとお前とお別れできる」


 冒険者は血と共にそんな言葉を吐きだし、虚空に向けて笑いかける。

 そして最期の力を振り絞る様に吸血鬼に向き直り、意地の悪い笑みを見せた。


「次はお前だ……精々頑張れよ」


 そして次の瞬間、吸血鬼のとどめの一撃を受け、冒険者の命の灯はとうとう消え失せた。






「一体なんだったんだろうね、気味が悪いなぁ」


 冒険者の亡骸を見下ろし、先ほどの彼の言葉を思い出しながら思わずそう呟く。

 すると吸血鬼は空き瓶片手にヤレヤレとばかりに首を振った。


「ただのハッタリだろう。殺される前にせめて相手に嫌な思いを残してやろうって魂胆だ」


 吸血鬼はなんでもない風にそう言って見せる。その表情がいつもより少々強張っているのは多分気のせいだろう。


「ふうん、だとしたら大したお芝居だね」

「ああ、その演技力をもっと別の場所で生かせばよかったのにな」

「ふふ……」

「変な声出すな気色悪い」


 吸血鬼はそう言って俺の顔をジロリと睨む。

 だが俺は慌てて首を振った。


「俺何も言ってないんだけど」

「はぁ? だって今……」

「いや、うん。俺も聞こえたけど。なんか笑い声みたいなの……」


 俺たちは顔を見合わせ、咄嗟に地面に横たわる冒険者に視線を移す。

 だが冒険者は確かに死んでおり、とても笑えるような状態ではない。彼は単身でダンジョンに乗り込んできており、仲間がいるとの情報もない。


「僕を驚かそうってワケか? 君も悪趣味だな」


 吸血鬼はそう言って頬を引き攣らせながら口の端から牙を覗かせる。

 だがもちろん俺はそんな真似していない。誓っても良い。


「そんな訳な……あ……」


 誤解を解こうとそう言いながら吸血鬼の顔を見た瞬間、俺は言いかけていた言葉を飲み込んだ。


「な、なんだ」

「う……後ろ……」


 俺は怪訝そうな表情を浮かべる吸血鬼の顔のすぐ横を指差す。

 吸血鬼は眉間に刻んだ皺をいよいよ深くしながらゆっくり後ろを振り向く。次の瞬間、背後にいた髪の長い女と目が合い、彼はダンジョン中に響き渡るような絶叫を上げた。


「なッ、なんだ貴様アアアア!?」


 吸血鬼は無茶苦茶に叫びながら女を殴りつける。ところが彼の渾身の一撃は全く手ごたえなく女の身体をすり抜けてしまった。

 その光景は俺にとって非常に見覚えのあるものである。


「ま、まさか……」


 俺はじっとその女の姿を凝視する。

 暗闇に浮かび上がるような白いワンピース、それと対照的な漆黒の髪、そこから覗く肌は青白く、血走った眼は大きく見開かれている。


「幽霊?」





********





「ねぇねぇ、君はどうして死んじゃったの? ちなみに俺はゾンビに喰われちゃったんだけどさー」

「お話し中のとこ悪いが、ナンパはよそでやってくれないか? 声が頭に響く」


 吸血鬼が蒼い顔に鬱陶しそうな表情を浮かべてこちらを振り向く。かなりイライラが募っているらしく、地震でも起きているのかと思うほど激しく脚を揺らしていた。


「ナ、ナンパだなんて失礼な。情報収集だよ、情報収集」

「ほう。で、なにか分かったのか?」

「い、いや……だって話しかけても答えてくれないんだもん」

「はぁ……少しでも期待した僕が馬鹿だった」


 吸血鬼はそう言って頭を抱える。

 幽霊に憑かれているせいだろうか、肩凝り、悪寒、頭痛、吐き気、眩暈などの症状が吸血鬼を苦しめているらしい。

 彼は大きな溜息と共に吐き捨てるように言った。


「なんでアンデッドが幽霊に憑りつかれるんだ」

「まぁまぁ、そうイライラしないで」


 確かにおかしな話だが、実際そうなってしまったんだから仕方がない。

 俺にできるのはこの幽霊となんとかコミュニケーションをとり、吸血鬼から離れてもらう方法を知る事だけである。そのためにも、なんとしてでも彼女との親睦を深めなくては。


「いやぁ、自分が幽霊になったって分かった時はビックリしたよね。俺なんか目の前に自分の死体があったんだけど、それはもうグッチャグチャでさぁ――」


 和気藹々と自分の死ネタを話していたその時、乱暴にドアを開ける音がして俺は思わず後ろを振り返る。

 そこには鬼のような顔をしたゾンビちゃんが仁王立ちでこちらを睨んでいた。


「ど、どうしたのゾンビちゃん?」

「私のニク! ドコヤッタ!?」

「肉? 何の話?」

「土に埋メテ隠シといたニクがナイの!」


 ゾンビちゃんは血走った眼を見開いて俺たち一同を見回す。

 隠した肉が無くなってパニック状態に陥っているのだろう、肉を食べられないどころか触れもしない俺や吸血鬼に憑いた幽霊にまで疑いの目を向けている。

 俺がゾンビちゃんを宥めるべく口を開くより早く、吸血鬼が唸り声にも近い声を上げた。


「そんなの僕らが知るわけないだろ。良いから出てってくれ、こっちは体調最悪なんだ」

「……怪シイ」


 吸血鬼の言葉をどう捉えたのか、ゾンビちゃんは一言そう言うと吸血鬼に駆け寄り、まるで尋問でも始めるみたいに吸血鬼の顔を覗き込んだ。


「食ベタ? 食ベタノ?」

「食べてないって言ってるだろう、誰がお前の肉になど手を出すか!」

「怒ッタ! ヤッパ食ベタんだ!」

「だから――」


 吸血鬼が口を出すより早く、ゾンビちゃんの拳が吸血鬼の腹を貫いた。

 吸血鬼は血を吐きながら椅子から崩れ落ち、風穴のあいた腹を抱え込むようにして地面に横たわる。


「な、なにやってんのゾンビちゃん!」

「ニク食ベタ罰!」

「吸血鬼が地面に埋まってる肉なんて食べるわけないでしょ。もっとよく考えて行動しないと」

「フン!」


 ゾンビちゃんは俺の説教にそっぽを向いたかと思うと、肩を怒らせながら踵を返して吸血鬼の部屋を出て行ってしまった。


「本当に人の話を聞かないなぁ、吸血鬼大丈……ん?」


 俺は思わず首を傾げた。

 吸血鬼に憑いているはずの幽霊が俺の脇をすり抜けて吸血鬼から離れていくのだ。


「あれ? どこ行くの?」


 これまで通り返事はなく、幽霊は壁をすり抜けてどこかへと消えていく。

 俺は少々悩んだ挙句血だまりに沈む吸血鬼を放置し、壁の向こうに消えた幽霊の後を追うことにした。


 俺も壁をすり抜けられるとはいえ、やはり幽霊の後を追うのは大変だ。何度か姿を見失いながらも、俺はようやく彼女に追いついた。


「あ、レイスー。ニクあった!」


 穴ボコだらけの地面の上で薄汚れた顔に笑みを浮かべながら、ゾンビちゃんは土に塗れた肉塊らしきものを掲げる。だが俺の目はゾンビちゃんの背後に佇む青白い顔に釘付けだ。


「……で、なんでゾンビちゃんの後ろにいるの?」





***********





「いやぁ、体が軽い軽い!」


 吸血鬼は肩を回しながら軽やかな声を上げる。

 腹に風穴を開けられたことより幽霊から解放された事の方が大事らしい。


「だが、どうして小娘に取り憑いたんだろうな」

「もしかしたら……取り憑いた人間が殺されると、殺した相手に取り憑き先を移すタイプの幽霊なんじゃないかなぁ。あの冒険者もそんなような事言ってたし」

「なるほど。まぁ僕は厳密に言えば殺されてはないが、何はともあれ助かったよ」

「うん、吸血鬼に関して言えば良かったけど、あっちは大変そうだなぁ……」


 俺はそう言って哀れみの目をゾンビちゃんたちに向ける。

 彼女はキョトンとした表情を浮かべて首を傾げた。


「ナニがー?」

「いや……それよりゾンビちゃん、体調はどう? 肩が重かったり、寒気がしたりとか」

「ベツに」

「や、やっぱりそうなんだ……」


 俺は吸血鬼と顔を見合わせ、思わず苦笑いを浮かべる。


「確かに大変そうだな……幽霊が」


 吸血鬼と違い、ゾンビちゃんは霊への感受性が低いようだ。姿は見えているようだが体調不良などは特になく、ゾンビちゃん自身自分に憑いた幽霊にあまり関心がないらしい。

 それが気に入らないのか、幽霊は先程からゾンビちゃんの背後で彼女を怖がらせる、もしくは苦しめるために試行錯誤を繰り返している。ゾンビちゃんにはどれもあまり効果がないようだが。

 ところが、幽霊がその蒼白い手でぬるりと頬を撫でるとゾンビちゃんは微かだが顔を顰めてみせた。

 心なしか幽霊の口角が上がっているような気がする。ゾンビちゃんはその手を鬱陶しそうに振り払いながら言った。


「手、暑い! 腐るカラ触ルナ」

「ええ……幽霊の手が暑いの?」

「お前幽霊より体温低いのか……」


 俺達の言葉を受けて幽霊はゆっくりと手を引っ込める。

 心なしか口元が震えているような気がした。











「――――――」

「うううーん、おニクオイシイ……」


 深夜、アンデッドも寝静まる丑三つ時。

 幽霊は健気にも取り憑いたゾンビちゃんの枕元に立ち、耳元でなにやら恨み言を繰り返している。だがゾンビちゃんは女の囁き声で眠れなくなるような繊細なゾンビではない。対象が起きなければせっかくの恨み言も子守唄とそう変わらない。

 なんと哀れで可哀想な幽霊か。

 俺はそのいじらしさに胸の締め付けられるような思いを感じながら彼女の元へ駆け寄る。


「そんな声じゃゾンビちゃん起きないよ」


 そう声をかけるも、幽霊からの返事はない。それところか、ゾンビちゃんへの囁きもやめてしまった。取り憑いた者にしか声を聞かせてはいけないルールでもあるのだろうか。まぁそれならそれで別に良い。夜通し起きていてくれる人がいるというだけでありがたい事だ。

 なにせこのダンジョンの夜は暇すぎるのだ。

 どこにもいかずに俺の話を聞いてくれる人がいるなんて夢のよう、しかもそれが女の子だなんて!


「ねぇねぇ、君ってどんな剣が好き? 俺はロングソードが好きなんだけど――」










「で、どうしたんだ?」

「夜通しお喋りに付き合ってもらったよ」


 昨晩の語らいを思い出しながらそう答えると、なぜか吸血鬼は口をへの字にしてげんなりした表情を見せた。


「一晩中剣の話? 幽霊とはいえ若い女に?」

「うん」

「……君、相当モテないだろ」

「はぁ!? そそそ、そんな事ない! 失礼だな!」

「まぁ僕は別にどうでも良いが、あの幽霊、幽霊のくせに昨日よりやつれた気がするぞ」


 吸血鬼はそう言ってため息混じりにゾンビちゃんの背後に佇む幽霊を指差す。


「べ、別に昨日と変わらないと思うけどな! 吸血鬼こそ観察力が足りないんじゃないの!」

「分かった分かった。それにしてもアイツ、とんでもないところに来てしまったなぁ」





***********





 それから数日、ゾンビちゃんに取り憑いた幽霊と俺たちの交流は続いた。

 とは言っても吸血鬼やゾンビちゃんは幽霊にあまり関心がないようで、夜通し行われる俺とのお喋り以外に交流らしい交流はない。

 もしかしたら寂しい思いをしているんじゃないかと俺は毎晩毎晩彼女の元を訪れ、より熱心に俺の好きなものの話をするよう心掛けた。そのお陰か、彼女も随分俺に心を開いてくれた気がする。まぁ未だに彼女の声は聞けていないが。


 ところが、彼女との別れはある日唐突に訪れた。

 攻めてきた冒険者にゾンビちゃんが敗れたのである。


「ん? なんか寒気が……」


 ゾンビちゃんを手に掛けた冒険者は自分の肩を抱いてブルリと身震いしてみせる。彼女の所有権がゾンビちゃんからこの男に移ったからだろう。

 彼女は今、地面に伏しているゾンビちゃんではなく大剣を手に持った大男の背後で気丈にも静かに笑っている。

 彼女のことを考えれば、アンデッドなんかよりちゃんとした人間に憑いた方が幸せなのかもしれない。

 でも――


「……さよならも言わずお別れなんて、俺はそんなの納得できないよ」


 吸血鬼はきっとこの冒険者を倒したがらないだろう。吸血鬼は彼女が自分に取り憑くことを嫌がるはず。

 ならば、俺がやるしかない!


「そこの人、ちょっと助けてください!」

「ん? なんだ?」


 俺は岩陰に消えかけた下半身を隠し、必死に冒険者を手招きする。

 冒険者は警戒したように剣を構えながらも、ゆっくりとこちらに近付いてくる。


「あと少し……あと少し……」


 そして次の瞬間、轟音を立てながら大男は地面へと吸い込まれていった。

 慌てて岩陰を飛び出し、祈るような気持ちで通路にあいた大きな穴を覗き込む。おびただしい量の槍の生えた穴の中を血で満たし、男は既に絶命していた。


「よし! やった!」


 俺はガッツポーズをしながら、穴の中を呆然と覗き込む幽霊ににっこり微笑みかけた。


「ビックリした? 実はゾンビちゃんが殺られたときの為に、ちょっと前から準備だけはしといたんだ。ええと、この場合……君は俺に憑くのかな?」


 なんだか恥ずかしくなって、俺は思わずハニカミながら頭を掻く。

 すると彼女は俯いていた顔を少し上げ、俺の目をジッと見つめる。次の取り憑き先は俺――ということは、もしかしたら俺と喋ってくれるのかもしれない。

 俺は奇妙な緊張感を胸に彼女の第一声を待つ。

 すると彼女はゆっくりと口を開いた。


「……嫌だ」

「ん?」

「ヤダヤダヤダヤダ! あんたになんか憑きたくないしこんなとこもう沢山!」


 幽霊はまるで子供のように駄々をこねると、バンシーのような金切り声を上げながら壁をすり抜けていく。


「ちょ、待って!」


 俺は慌てて彼女の後を追う。相変わらず壁をすり抜ける相手を追いかけるのはなかなかに困難だが、ダンジョン中に響き渡る金切り声を上げているぶんこの前より難易度は低い。

 そして辿り着いたのはダンジョンの入り口であった。彼女は金切り声を上げながらなんの迷いもなく陽の降り注ぐダンジョンの外へと飛び出していく。

 日光が彼女を貫いた次の瞬間、まるでドライアイスの欠片が蒸発するように彼女は消えてしまった。


「え……えー」


 思わぬ結末に俺は成すすべなく立ち尽くした。

 どれくらいそうしていただろう、背後から不意に足音が聞こえる。振り向くと、なんとも微妙な顔をした吸血鬼とスケルトンが恐る恐ると言った風にこちらへ歩いてくるのが目に入った。


「あー……スケルトンから聞いたぞ。ええと、成仏した……のか?」

「ねぇ吸血鬼……俺、そんなウザかったかな……」

「ま、まぁアレだ。一人の迷える魂を救ったんだから、元気だぜ」


 俺は吸血鬼の言葉に小さく頷き、少しだけ泣いた。



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