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6、ヘッドハンター現る




 その冒険者は恐ろしく強かった。


 襲いかかるゾンビを一瞬で消し去り、ダンジョン中階から現れるスケルトンを千切っては投げ千切っては投げ、中ボス格のゾンビちゃんをバラバラの肉片にし、あちこちに死体の山が築かれてダンジョンはまさに死屍累々の有様。


 しかしアンデッドたちを蹴散らしたのは冒険者自身ではない。恐ろしく強い彼の従者がやったのだ。

 冒険者はただまっすぐダンジョンを歩き、彼の進行を邪魔するモンスターを従者がなぎ倒していく。彼が通った後には死体が転がっているので、どこをどう通ったのかが一目でわかった。彼らは宝箱に目もくれず、迷路のようなダンジョンを最短経路で進んでいく。彼らが目指しているのはダンジョン最深部、宝物庫と吸血鬼の待ち受けるフロアであるようだ。

 俺は壁をすり抜け、床をすり抜け、何も知らずに冒険者を待ち受けているであろう吸血鬼の元へ急いだ。


「おっ、レイス。冒険者はここまで辿り着きそうか?」


 呑気な声を上げながらにこやかに手を上げる吸血鬼。上のフロアと同じダンジョンとは思えないほどゆったりとした時間が流れている。そんな場所に、俺の焦った声はよく響いた。


「た、大変なんだ。あの冒険者ヤバイよ」

「では気合を入れて相手をしなくてはな」

「いや、もうそんな次元じゃないんだ。逃げたほうが良いかも……」

「逃げるだって?」


 吸血鬼は目を丸くしてとんでもないという風に首をふる。


「僕はこのダンジョンのボスだぞ。そんな無責任なことできるわけないだろ」


 それは確かにそうであろう。ラスボスの逃げたダンジョンなんて噂が流れたら格好がつかない。ならばせめて、と俺は吸血鬼にアドバイスをした。


「できるだけ体を損傷されないように死んでね。ゾンビちゃんみたいにミンチにされたら大変だ。スパッと逝けば再生も早いから」

「えっ……や、やっぱりどこかに隠れてようかな」


 しかし隠れる時間はないようだった。

 なにかが俺の頭をすり抜け、轟音を上げながら壁に当たった。壁は真っ黒に焦げ黒煙を上げている。吸血鬼は俺を、いや俺の透けた体の向こうを見て表情を凍らせた。

 恐る恐る振り返ると、いた。

 死神のような黒いローブを身に纏い、細いフレームの眼鏡をかけた女。そして彼女の傍らにいるのは燕尾服を着て白い手袋をした長身の青年。まるで執事のように女に寄り添うその男は、肌が白く、目が赤く、そして口からは肉食動物のごとく尖った犬歯が覗いている。


「マスター、攻撃が効かないようです」

「見たらわかるわ。でも攻撃魔法が効かないなんて、なかなか変わったレイスね。ちょっと興味湧いちゃう」


 女はそう言って妖艶に笑う。背筋の凍るような笑みだった。

 彼女は視線を俺から吸血鬼へと移し、また口を開く。


「でも今はどうでも良いわ。今日はあなたにお話があって来たのよ」

「貴様……ネクロマンサーか」

「ご名答」


 女は大袈裟に手を叩いてみせる。吸血鬼は彼女を睨みつけながら唾でも吐き捨てるように言った。


「馬鹿にするな。そんなローブを着て、我が同胞に召使のような格好をさせておいて。ネクロマンサー以外に誰がそんな悪趣味なことをする」


 我が同胞――吸血鬼は確かにそう言った。

 見た目からある程度の推測はできたことだが、やはりこの従者は吸血鬼であるらしい。


「うふふ、でも彼は気に入ってくれているわよ。ねぇ?」

「ええマスター」


 従者は控え目な微笑みを浮かべながら恭しくお辞儀をする。

 まさに執事と主人といった様子だ。ネクロマンサーは死体に魂を吹き込み、ゾンビやスケルトンとして使役する魔術師と聞いている。なんらかの術で吸血鬼も支配することができるのだろうか、まさか好き好んで人間に従事しているはずはあるまい。

 吸血鬼も同じことを考えたのだろうか。ネクロマンサーの女ではなく従者に向けて口を開いた。


「なぜ人間の従者などしている? それだけの力があれば人の力など借りずともなんだってできるだろう」

「古い考えね」


 従者の代わりに口を開いたネクロマンサーを、吸血鬼は鋭い目つきで睨みつける。


「貴様に聞いているのではない」

「私の言葉は彼の言葉よ」

「仮にそうであっても僕は吸血鬼である者の声でそれを聞きたい」

「ふうん……まぁ良いわ。このダンジョンに来たのはね、あなたをスカウトするためなの」


 女の言葉に吸血鬼は片眉を上げる。

 俺も驚いて目を見開いた。そんなことをしにダンジョンへ足を踏み入れたのは、少なくとも俺の知る限りでは彼女が初めてだ。

 彼女はさらに続ける。


「何体かアンデッドの従者を持っているけど、やはり吸血鬼は良いわ。強くて賢くて、なにより美しい。もう一体くらい吸血鬼の従者がいても良いと思ってね。ノース、この吸血鬼にあなたの暮らしぶりを教えてあげなさい。きっとあなたも私に付き従いたくなるはずよ」

「はいマスター」


 ノースと呼ばれた吸血鬼はスッと吸血鬼の前に歩み出て、彼にニコリと笑いかけた。吸血鬼はというと、仏頂面で値踏みするようにジロジロとノースを眺めている。

 まず口を開いたのはノースであった。


「単刀直入にお聞きしますが、今どのくらいのお給料を頂いていますか」

「きゅ、給料?」


 あまりに単刀直入すぎる言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。吸血鬼も困惑の表情を浮かべている。

 ノースは何故戸惑っているのか分からないとでも言うようにキョトンとした顔で首をかしげた。


「なにかおかしなことを聞きましたか? 私たちアンデッドは普通の魔物とは違い、元は人間。労働を対価に賃金を得るという考えは一般的だと思っていましたが」

「いや……まぁ……そうだが」

「もしかして私が首輪でもはめられて無理矢理従わされているとお思いでしたか?」


 ノースは口元を軽く覆いながらクスクス笑う。


「もちろん私は術によって縛られてはいます。しかしそれは合意の元、きちんとした契約を交わした上でのことです。毎月基本給と働きに応じたボーナスも貰っているんですよ」

「ほう、ボーナス……」

「ちょっと吸血鬼! しっかりしてよ!」


 吸血鬼は俺の呼びかけにハッとし、何かを振り払うように首を振った。


「だ、大丈夫だ、大丈夫。僕は金で自分の魂を売る真似はしないぞ!」

「魂を売る? 面白い事をおっしゃる」


 ノースはまたクスクス笑った。

 

「私は労働を対価に賃金を得ている、それだけですよ。むしろ満足な給料も貰わず冒険者と戦いを繰り広げているあなたこそダンジョンに魂を売っているのでは?」

「……確かに」

「吸血鬼! ダメだってば!」


 恐らく悪魔の囁きで頭が一杯になっているだろう吸血鬼の目を覚まさせるべく、俺は彼の周りを行ったり来たりしながら説得を続ける。しかし吸血鬼は心ここにあらずで俺のことなど眼中にない。


「ところであなた、彼の事を『吸血鬼』と呼ばれていますね。名前を呼んで差し上げないのですか?」


 ノースは空想に耽る吸血鬼に変わり、こちらに声をかけてきた。俺は彼を警戒しつつできるだけ丁寧にその質問に答える。


「ここに吸血鬼とレイスは俺達しかいないし、ゾンビはたくさんいるけど知能のあるゾンビは一体しかいない。スケルトンたちはたくさんいるけど、そもそも数が多すぎて個体を区別しようって意識もないし。それに名前を決めてもどうせゾンビちゃんは覚えられないと思うから……」

「ええっ」


 ノースは憐れみの表情を浮かべ、口に手を当てて大袈裟に驚いて見せる。


「なんと野蛮な……おっと失礼。しかしお互いの名前も呼ばないなんて、信じられません。私の同僚のアンデッドは生前は貴族だったスケルトンや学者だったゾンビなど教養のある者ばかりですから。私から言わせればこんな穴蔵で冒険者をじっと待っているだけのあなた方は知性の無い魔獣と同じだ。我々のところに来ればもっと文化的な生活を送れますよ」


 これには普段温厚な俺も少々頭に来た。

 俺は金で雇われた吸血鬼従者に接近して顔を突き合せ、至近距離から彼を睨みつける。


「人の生活の一部だけを見て野蛮だなんて断定するのは愚かだ。俺達の暮らしを野蛮だと評するのならぜひ聞かせてもらおうかな、あなた達の文化的な生活とやらを」

「ええもちろん」


 ノースは怯むどころか待っていましたとばかりに意気揚々と話し始めた。


「給料は月50万、特別な功労をした者にはさらにボーナスがもらえます。この額は魔物に払われる給料としては破格です」

「ご、50万……! ミラーカ・カーミラのカップが買える!」


 吸血鬼は目を輝かせながら興奮したように声を上げる。「ミラーカ・カーミラ」とは吸血鬼御用達の食器を扱う店であり、アホみたいに値段が高いことでも有名だ。特にココア専用のカップが有名で、吸血鬼が何とか手に入らないものかと様々な策を講じていることは知っていた。しかし彼は元来浪費家であり、高級ブランドのカップを買えるほどの貯金ができた試しはない。

 確かに月50万も自由に使える金があれば吸血鬼の限りない物欲を多少満たすことができるだろう。50万と突然言われて興奮するのも分からなくはないが……


「仕事内容は冒険者であるマスターの補佐です。ダンジョンの探索、馬車の操作、その他雑用などが主ですね」

「うーん、僕は長らくこの場所で冒険者を待っているばかりだったから、行ったこともないダンジョンの探索などできるだろうか。馬などもう何年も見ていないし、雑用はすべてスケルトンたちがやってくれているからあまり自信がないのだが」


 吸血鬼がこのダンジョンでやっている仕事と言えば宝物庫までやってくる冒険者と戦うことくらいだ。途中でスケルトンに倒されたりゾンビちゃんに喰われたりして宝物庫まで辿り着くことのできない冒険者も多いため、いわば彼はこのダンジョンで最も仕事をしていないアンデッドである。

 そんな生活を何年、いや何百年も続けてきた彼が突然新しい仕事をできるとも思えない。

 しかしノースは笑顔で首を振った。


「大丈夫です、うちは未経験者歓迎ですから。先輩が優しく指導致しますし、マスターはやる気を評価してくださいます。色々なダンジョンへ行ったり仲間たちと共同生活をおくることでご自身のスキルがどんどん磨かれていきますよ。笑顔の絶えないアットホームな職場で、私どもと共にスキルアップにまい進致しましょう!」


 人間というのは甘い囁きを信じてしまいたくなるもの。そして隣の芝生が青く見えてしまう生き物だ。元々人間であった我々にもそれは当てはまるらしく、耳触りの良い言葉に彩られた新しい世界に吸血鬼は目を奪われてしまったようである。

 しかしまだここに来てから日の浅い俺から言わせれば、こいつらからはどこか怪しい匂いがする。甘い事しか言わない奴ほど信用できない人間はいない。

 なにより、吸血鬼がいなくなったら誰がゾンビちゃんの暴走を止めるのか。とにかく彼をとられるわけにはいかない!


「それって、そんなに割の良い仕事なのかなぁ」


 俺は今にも契約書を取り出しそうなノースと今にもサインをしてしまいそうな吸血鬼との間に割って入り、異議を唱えた。ノースは微笑みを浮かべたまま小さく首を傾げる。その後ろでネクロマンサーの女主人がスッと片眉を上げた。


「アンデッドに払う給料がいくらなら適正なのかは良く分からないけど、命の危険がある仕事でしょ? まぁアンデッドは死なないけど、キツイ仕事なのは確実だよね」

「……まぁ確かに仕事は大変ですが、とてもやりがいがあるんですよ。世界中を旅して、誰も足を踏み入れたことの無い森や、空を突き破らんばかりに伸びる塔を探検し、見たこともないようなお宝を手に入れる。こんなところでは味わえない楽しさがあるのです」


 ノースは微笑みを絶やすことなく俺に仕事の楽しさを力説する。しかしその表情と声からは「必死さ」が見え隠れしているように思えた。本当に楽しい職場ならわざわざ必死に他人を説得する必要もなく就職希望者が集ってくるのではないだろうか。

 少なくとも俺の介入により向こうのペースが崩れ、先ほどまでの余裕が少なからず無くなっているのは確か。押すなら今だ。


「ふうん、旅をしているわけね。ちなみに今、外は昼だよね? このダンジョンには昼でも日の光が差さないから俺たちは冒険者がほとんど訪れない夜に休息をとっている。でも普通アンデッドは昼に眠り、日の沈んだ夜活発に動くもの。なのにこうして君は真っ昼間からダンジョンで暴れている。そちらは昼間働くスタイルなのかな。それで夜はどうしているの? まさか昼も夜も休まず働かされてるなんてことは無いよね?」


 ノースの口元には相変わらず笑みが浮かんでいるものの、その眼は明らかに泳いでいる。そして彼は俺の質問に答えることができなかった。見かねた女主人が後ろから援護射撃に乗り出すまで、ノースは瞬きすらせず体を強張らせていた。


「そりゃあ私たちは旅をしているんですもの、役人のように時間を区切って働いてもらうなんてことは不可能よ。その代わり彼らには相応の賃金を払っている」

「相応の賃金? 果たしてそうかな、月給50万ってことは日給約17600、1日20時間労働をしたとすれば時給は830程度。その辺のアルバイトの方が高い時給で働けるよ。そっちは残業代も有給も取れるしね」


 吸血鬼の妄想がパチンと音を立てて弾けた。目が覚めた吸血鬼が心配そうに俺と女主人に交互に視線を向ける。

 しかし女主人は一切慌てることも狼狽えることもなく淡々と答えていく。


「毎日20時間もの労働を強いているわけではないわ。一日中馬車に積んだ棺桶の中で眠っていてもらう時もあるし街の夜市へ共に出かけることもある」

「ふーん、夜市ねぇ。ところでノース、君は毎日何を食べているの? まさか人間を襲って生血を啜るなんてことはできないだろ?」

「そりゃあもちろん。そんなことは致しません」

「なら何食べてんの?」

「それは……」


 口ごもるノースを押しのけ、女主人が前へと出てきた。


「新鮮なまま冷凍乾燥させた血液粉末よ。お湯に溶かせば新鮮な血液ができあがるわ」

「ふーん、インスタントかぁ。そうだよね、そのままの血液じゃ嵩張るし常温じゃ保存も効かないもんね。吸血鬼、貯蔵庫にある血液コレクションは持っていけないみたいだしきちんと処分してから就職してよ。大事に大事にとってある1000年物の瓶もさっさと開けて飲んじゃえば? あと部屋にある家具もキングサイズの棺も持っていけないね、あれは売っちゃっても良い?」

「何言ってる、僕はこのダンジョンのボスだぞ! どこにも行くわけ無いだろう?」


 吸血鬼は爽やかな笑みをこちらへと向ける。まるで最初から転職など考えていなかったような口ぶりに、呆れて思わずため息が出た。


「良く言うよ……まぁ良いや、とにかく吸血鬼もこういっているんで今日のところはお帰りいただけます?」

「残念ね、まぁ良いわ。気が変わるころにまた来るかもしれないからその時はよろしくね。行くわよ、ノース」


 もしかしたら無理やりにでも吸血鬼を外へと連れ出すのではないかと少々身構えたが、意外にもネクロマンサーの女主人はあっさりと身を引いた。

 彼女は宝物庫に目もくれず出口へと歩いていく。しかし女主人の従者はあっさり身を引くという事ができなかったらしく、じっとその場を動かない。


「なにやってるの?」


 女主人の呼びかけにようやく顔を上げたノースは、自らの主人ではなく俺達に向けて口を開いた。


「こちらには血液の貯蔵庫があるのですか?」

「う、うん」


 思いもかけない質問に、俺らは戸惑いながらも頷く。ノースの口からは堰を切ったように質問が溢れ出た。


「そちらのダンジョンでは自分の部屋が持てるのですか? 棺桶はキングサイズ? 毎日新鮮な血液が飲めるのですか? 決まった時間に眠れますか?」

「ノース!」


 主人の怒鳴り声でノースはサッと口をつぐんだ。

 しかし日頃から抱いていた不満や疑問が体内で渦巻くのを止めることはもはや誰にもできないのであろう。彼は怯えたような顔をしながらも、ハッキリと自らの主人に言った。


「マスター。私、もう辞め――」


 そこまで言ったところで、ノースの首が飛んだ。

 胴体は地面に崩れ落ち、その首は数メートル離れたところで湿っぽい音を立てながら落下した。


「えっ……えっ?」

「何が起きた」


 困惑する俺達をよそに、女主人はため息を吐きながら従者の首を抱きかかえる。


「はぁ、ヤレヤレだわ。きちんと記憶を消せると良いけど」

「なにをするんですか」


 恐る恐る尋ねると、彼女は静かな微笑みをこちらに向けた。


「脳をちょっと弄るとね、短期記憶なら消すことができるのよ。アンデッドって本当に便利だわ」

「ひえっ」


 俺たちは思わず息を飲む。

 彼女はその細い腕でノースの身体を包む燕尾服の襟元を掴むと、ズルズル引きずる様にして出口へと向かう。最後にこちらを振り向き、女主人は言った。


「これは彼のためにやっているのよ。彼は私の元で働けて本当に幸せなのだから、余計な情報によって彼の幸せが壊れたら可哀想でしょう?」


 俺たちはもはや何も言えなかった。

 彼女はそれだけ言うとクルリと前を向き、馬車が待っているであろう光の中へと消えていった。



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