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76、呪いの仮面





「ん? どうしたの?」


 ダンジョンへ侵入してきた冒険者パーティの殲滅に成功し、それぞれ食事や作業に勤しんでいる時。

 冒険者の持ち物や装備を調べていたスケルトンたちが困ったようにこちらへ視線を向けてきた。近づいていくと、彼らは手に持った茶色い物を掲げて見せる。


「なにそれ? ……仮面?」


 スケルトンたちは俺の言葉に自信なさげに頷いた。

 スケルトンが手に持つソレは鬼や悪魔を思わせる禍々しい顔をかたどった仮面であるらしい。だがその表情は苦悶に満ちていて、恐ろしいと同時に同情にも似た気持ちが湧いてくる不思議な仮面だ。まぁどちらにせよ気味の悪い仮面である。


「でも、どっかで見たような……」

「ナニソレ、カワイイ!」


 吸血鬼の血抜き作業がまだ終わらないらしく、暇を持て余したゾンビちゃんがこちらへやって来るなり目を輝かせてそう言った。


「可愛い……かな?」


 俺の疑問にスケルトンたちも互いに顔を見合わせながら首を傾げる。

 そんな事気にも止めず、ゾンビちゃんはスケルトンの手から仮面を半ば強引に取り上げた。そして彼女はなんの躊躇いもなくその恐ろしい顔の仮面を自らの顔に宛てがう。


「ちょ、なにしてんの……」

「ヘへー」


 ゾンビちゃんは小さな子供のような笑い声を上げながら首を傾げてみせる。だが彼女の顔を覆う恐ろしい面のせいで可愛らしい仕草も台無しである。


「へへーじゃないよ。恐いし、オッサンが被ったかもしれない仮面なんて汚いから外しなって」

「デモ良いニオイするよ」

「良い匂いがするイコールオッサンじゃないとは限らないよ。香水付けたオッサンだって珍しく――」

「ナンカ、オイシソウなニオイ」

「……美味しそう?」


 ゾンビちゃんの言葉に、スケルトンたちの骨のざわめきがピタリと止まった。

 彼女は言うまでもなくゾンビである。そして彼女の主食もこれまた言うまでもなく肉だ。そんな彼女が「美味しそう」と感じる匂いが仮面の裏から漂っている。

 ……思わず背筋が凍った。


「な、なんか嫌な予感する。ゾンビちゃんそれ早く外して!」

「エー」

「早く!」


 俺は渋るゾンビちゃんを説き伏せ、一刻も早く仮面を取るよう指示する。

 ところが、仮面は取れなかった。

 ゾンビちゃんが嫌がったのではない。ゴムやヒモなど付いていないはずなのに、手を離しても仮面はまるでゾンビちゃんの顔に吸い付いているかのように落ちなかったのである。そしてゾンビちゃんがその怪力を存分に発揮してもなお仮面は剥がれなかった。

 色々と四苦八苦した挙句、ゾンビちゃんはお手上げとばかりに声を上げる。


「取レナイよー?」

「やっぱりか……これ、多分呪いの装備だよ」


 俺の言葉でにわかにスケルトンたちがザワつく。

 そんな中、ゾンビちゃんは首を傾げ、当事者とは思えない呑気な軽い口調で尋ねた。


「ナニソレ?」

「呪いの装備を迂闊に身に着けると着用者に悪い影響が起きるんだ。そして多くの場合、着用者はその装備を取ることができない」

『悪い影響って?』

『例えば?』


 スケルトンたちが恐る恐ると言った風にそんな文言の並んだ紙を掲げる。呪いの仮面を装備してしまったゾンビちゃんの前で不安を煽るような事を言うのはどうかとも思ったが、このままではなにも解決しない。それに、彼女が煽るような不安を持ち合わせているのかは甚だ疑問だ。

 俺は冒険者時代に聞いた話を思い出し、皆に伝える。


「ポピュラーなのは正気を失うとか少しずつ生き血や生命力を吸われるとかだけど……」


 俺はそう言いながらゾンビちゃんの様子を伺う。


「なにか痛いとか苦しいとか、いつもと違う事ってある?」

「ゼンゼン!」


 ゾンビちゃんはそう言って大袈裟に胸を張ってみせた。

 確かに苦悶の表情を浮かべた面とは裏腹に彼女は非常に元気そうで、苦しむような仕草も気が狂ったような様子もない。気味の悪い仮面を着けているということ以外に普段と違うところは見られなかった。


「もしかしてゾンビって呪い耐性とかあるのかなぁ。それとも遅効性の呪い?」


 首を捻っていると、スケルトンがペンを取り出し、なにやら紙に書き出してコッソリと俺の方に掲げて見せる。


『元々が正気じゃないから呪いに掛かってないように見えるんじゃ?』

「な、なかなか失礼な事を言うね。でもありえなくはないかな……」


 「呪い」と一言で言えど、その効果や程度は千差万別だ。地獄の苦しみを与えながら対象者を嬲り殺す恐ろしい呪いもあれば、ちょっとした嫌がらせ程度の効果しかない呪いもある。

 まぁどちらにせよ、今の俺たちは根本的解決のための手段を持ち合わせていない。


「ま、取り敢えずは様子見だね」


 ゾンビちゃんも特に気にしていない様子であるし、俺たちさえその気味の悪い面に慣れてしまえば案外普段と変わらない生活ができそうだ。解決策はゆっくり考えれば良いのかもしれない。

 そんなことを考えていると、不意に背後から声が飛んできた。


「君たちなにペラペラ喋って――うわっ、なんだそれは」


 振り向くと、血液の回収を終えたらしい吸血鬼が少し離れたところからこちらを見て顔を引き攣らせていた。その視線の先にあるのはもちろんゾンビちゃんの顔に貼り付いて離れない呪いの仮面である。


「随分と悪趣味な仮面だな。造りは悪くなさそうだが……」

「あっ、吸血鬼聞いてよ。ゾンビちゃんがさ――」

「ニク! モウ食べてイイ!?」


 言いかけた俺の言葉を遮り、ゾンビちゃんが吸血鬼に縋り付くようにしてそう尋ねる。仮面のせいで表情は読めないが、その足取りと声色はまるでおやつを欲する子供のようである。

 足元に纏わりつくゾンビちゃんに、吸血鬼は鬱陶しそうな視線を向けた。


「血は抜いたから、あとは好きにしろ」

「ワーイ!」


 ゾンビちゃんは小走りで死体の山に近付いていき、冒険者の腹に顔を埋める。

 だがいくら経っても腹を食い破ったり内臓に齧り付いたりする湿った音が聞こえてこない。しばらくはその状態で固まっていたゾンビちゃんだったが、不意に顔を上げてこちらにその恐ろしい表情のお面を見せた。


「……食ベレナイ」

「なに言ってるんだ、当然だろう。肉を食うならその気味の悪い仮面を外せ」


 呆れたように言う吸血鬼に、ゾンビちゃんは不機嫌そうな声で答えた。


「ダッテ取レナイもん」

「はぁ?」


 吸血鬼は怪訝な顔でゾンビちゃんを見下ろし、そして助けを求めるように俺の方に視線を向ける。

 だが俺の方も吸血鬼に現状を説明する余裕などない。

 その仮面の載った書物を、俺は一度読んだことがあった。


「思い出した……それ、『餓鬼の面』だ!」


 身に着けると着用者に災いが降りかかり、その上で装備が外れなくなるというのが一般的な呪いの装備である。ところが、「餓鬼の面」というのは取れないことそのものが呪いなのだ。

 この面は着用者の顔にピッタリとくっつき、外れなくなる。この面に開いた穴は目の部分に当たる非常に小さなもののみ。

 つまり――


「この仮面を着けてる限り、ゾンビちゃんは肉を食べることができないんだよ!」

「ナンダッテ!?」


 俺たちはここに来てようやく事の重大さに気付いてしまった。

 普通の人間なら飢えにより衰弱し、最終的には死ぬのだろう。だがゾンビちゃんの場合、もしかしたらいくら食べなくても死にはしないのかもしれない。いや、この場合死ねないと言ったほうが適切か。

 このまま本当に仮面が取れなければ、彼女は餓えによる地獄の苦しみを味わいながら永遠にこのダンジョンを彷徨い続けるほかない。


「……もしかして俺たち物凄くピンチなんじゃ」

「ドウシヨウ! 外れナイッ!」


 ゾンビちゃんは半狂乱になって仮面を殴りつける。だがその一見脆そうな仮面は彼女の怪力を持ってしてもヒビ一つ入らなかった。


「スケルトン、剣でやってみて!」


 俺の言葉にスケルトンは小さく頷き、鞘から剣を抜いて構えてみせる。そしてスケルトンはその剣をフルスイングで仮面に叩き込んだ。

 だがやはり仮面はビクともしない。


「やっぱ物理的な攻撃じゃダメか」


 スケルトンはガックリと肩を落とし、のろのろと剣を鞘に収める。他のスケルトンたちもオロオロと右往左往しながら紙にペンを走らせた。


『なにか他に方法は?』

「うーん、冒険者は呪いを解くのに神官の力を頼るけど……ゾンビが教会に行くわけにいかないし」


 次の一手が見つからず、暗い空気がダンジョンを支配しはじめる。これはいよいよ不味いことになったかもしれない。

 そんな中、一人の男が場の雰囲気にそぐわない声を上げた。


「ちょっと待て、僕にもちゃんと説明してくれよ。僕には君らの気が狂ったようにしか見えないぞ」


 見ると吸血鬼が苦虫を噛み潰したような顔でこちらを眺めていた。

 そういえば彼にはこの仮面が呪いの面だと説明していない。突然仮面を殴り始めた俺たちが彼の目にはさぞ奇怪に映ったことだろう。


「ええと……ゾンビちゃんのこのお面、呪いの面なんだ。色々手を打ったけど顔にくっついちゃって外れないし、見てたと思うけど仮面を破壊することもできなくて」

「つまり、この仮面を外せば良いってことか?」

「うん、そうなんだけどもう他に手が……」

「なんだそんな事か。簡単じゃないか」


 吸血鬼はなんでもないようにサラリとそう言って見せる。

 どうやらまだこの厄介な呪いの意味を理解していないらしい。


「いやいや、物理的な手は使えないんだって」

「まぁ見ていろ」


 吸血鬼はそう言って、そのへんに転がったままになっていた冒険者のカバンに手を突っ込む。彼がカバンから取り出したのは、冒険者の必需品である小さなナイフであった。


「小娘、こっちを向け」


 吸血鬼はそれを右手に持ち、左手でゾンビちゃんの頭を鷲掴みにする。スケルトンの剣でビクともしなかった仮面がそんな小さなナイフでどうにかできるとは到底思えない。


 だが吸血鬼はナイフを仮面に突き立てるのではなく、ゾンビちゃんのこめかみあたりから仮面の中にナイフを滑り込ませた。


「ギャッ!?」


 ゾンビちゃんの悲鳴と共にナイフから滴った鮮血で吸血鬼の袖口が赤く染まる。逃げようと藻掻くゾンビちゃんに、吸血鬼は彼女の頭を左手で押さえつけながら言った。


「動くなよ。綺麗に剥げないだろ」

「ま、まさか生皮ごと……?」

「ああ。多少痛いだろうが飢えるよりはマシだろう?」


 吸血鬼はそう言いながら貝の殻でも外すようにゾンビちゃんの皮膚の下に刃を滑り込ませていく。その度にブチブチという嫌な音と鋭い悲鳴が上がった。

 その苦痛が「多少痛い」なんて言葉では言い表せられないことは明白である。だがその痛みよりも肉が食べられないことの方が辛いのだろう。ゾンビちゃんは時折悲鳴を上げながらも、生皮を剥ぐ吸血鬼に抵抗しようとはしなかった。


「ああ……だから『美味しそうな匂い』がしたのか」


 俺は呪いの仮面が血に染まるのを眺めながらポツリと呟いた。



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