71、ライバルに差をつけろ!
ダンジョンに住む魔物にとって「冒険者」とはなにか。
多くの人が最初に思いつくのは「敵」という答えじゃないかと思う。
冒険者と魔物は気が遠くなるほど長い年月自分たちの命と利益のために日々殺し合いを繰り広げている。そんな相手を敵と呼ばずしてなんと呼ぼう。
だが、だからといってダンジョンに冒険者が来なくなってしまったらそこに住む魔物は喜ぶのか。
その質問にほとんどの魔物たちは「いいえ」と答えるはずだ。
大規模なダンジョンでは独立した生態系を持っているところもあるが、ダンジョンに住む魔物は外からやってくる人間――つまり冒険者の肉に依存している場合が多い。
魔物にとって冒険者は敵であると同時に、新鮮な肉や珍しいアイテムをダンジョンにもたらしてくれる「大事なお客様」とも言えるのではないだろうか。
ならば我がダンジョンから大事な客である冒険者を奪う者こそが俺たちにとっての本当の敵なのかもしれない。
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日の出の時刻の少し前。
騒動の発端は吸血鬼協会の会合から帰ってきた吸血鬼の発した一言からだった。
「大変だレイス……どうやら近所にダンジョンができたらしい」
「……は?」
帰宅早々なにを言っているのだ。まさか酔っているのか。
そんな感想以外頭に浮かばなかったが、それを知ってか知らずか吸血鬼は至って真面目な顔で話を続ける。
「森の奥の大樹の根本にあいた大きな穴からツルハシを持った工事ゴブリン達がわらわら這い出てくるのを見たんだ。中にかなり大きな空間が広がってるらしい」
「……それでなんでダンジョンって分かるんだよ。魔物の新居かもしれないじゃん」
「僕も最初はそう思った。だがよくよく見ると穴の近くに立札があったんだ。おどろおどろしい血文字で『虎穴』と書かれていた」
「こ、虎穴……確かに表札ではなさそうだね」
まさか「虎穴さん」という人が住んでいるわけではなかろう。そもそも魔物にとって巣の場所というのは外敵に最も知られたくないことの一つである。巣で寝ている時に奇襲でもされればひとたまりもない。
逆にその穴がダンジョンの入り口ならばどうか。
場所は滅多に人の通らない鬱蒼とした森の中。しかも入口は怪しげな穴だ。ダンジョンと言うのは冒険者が来てくれないと始まらないものである。雰囲気等を考えればあまり褒められたものではないが、看板で自己主張するのも一つの手と言えるだろう。
「まだ確証は得られないけど、そこがダンジョンかもしれないって言うのは否定できないね」
「ああ……だがもし本当にそうだとしたらかなり不味い事になるかもしれないぞ。下手すれば冒険者の取り合いになってしまう」
「そ、そっか。ライバル店――いや、ライバルダンジョンって事になるんだもんね」
ダンジョンというのは他のダンジョンや街などからは離れた場所に点在している事がほとんどなのだが、ダンジョン同士が肩を並べる様にして隣接している例も全くないわけではない。冒険者を取り合った末に全面戦争に陥り、結局どちらも潰れてしまったダンジョンがあると聞いたこともある。
なぜこんな場所にあえてダンジョンを作ったのかは謎だが、とにかくこちらにしてみれば迷惑な話以外の何物でもない。
「ライバルダンジョンの場所は森の奥の奥……立地ではうちに軍配が上がるが、あちらのダンジョンの難易度や宝の質については全く不明だ。まぁ取りあえずは様子を見るしかないな」
そんな呑気な事を言う吸血鬼に、俺はとんでもないとばかりに首を横に振って見せた。
「いやいや、こういうのは初動が大事だよ。事前に作戦を数パターン考えた上で状況を見極めていかないと手遅れになりかねない」
「作戦……というと?」
「生き残りをかけた経営戦略だよ」
イマイチピンと来ていないのだろうか。吸血鬼はきょとんとした表情を浮かべて俺の顔をジッと見つめている。
俺は冒険者時代の記憶を掘り起し、いくつかのダンジョンを頭に思い浮かべながら口を開いた。
「まずは先駆者に倣おう。ダンジョンにも人気、不人気があるんだ。一番多くの人に支持されるのは少ない労力で大量の収穫を得られるダンジョン。つまり弱いくせにレアなお宝をたんまり溜め込んでるダンジョンってことだね。別名カモダンジョン」
そういう冒険者にとって「おいしいダンジョン」ほどさっさと潰れちゃうんだけどね――
俺がその言葉を口にするより早く、吸血鬼は渋い顔で首を横に振った。
「それじゃあライバルに勝ったとしても冒険者に食い潰されるだろ」
「そこが難しいとこなんだよね。基本的に冒険者の利益って俺たちにとって不利益だし。だから冒険者にとって利益になり、かつ俺たちにとって不利益とならない付加価値を考える必要があるんだ」
「そんな都合良いものがあるのか?」
「そうだね、例えば……立地が良いとか、綺麗な建造物の中にあるとか、ダンジョンからの眺めが良いとか、ご飯の美味しい街が近くにあるとか、そういうダンジョンは冒険者に人気があるし、なおかつ魔物にとって不利益にならないよね」
俺の言葉に吸血鬼の表情はどんどん曇っていく。やがて不機嫌そうな顔へと変わり、俺の話が終わるなり吐き捨てるように言った。
「最近の冒険者は随分贅沢な事を言うじゃないか、旅館でも選んでるつもりなのか? というか、そんなの僕らの力じゃどうしようもないだろう。もっと他にないのか」
「他には……あっ、そういえば宝箱の中にダンジョンオリジナル布の服とかタオルとかうちわとかしか入ってないのに行列のできてるダンジョンがあったなぁ」
「そんなショボい宝で行列? 一体どんな付加価値があるんだ」
「そこの魔物が滅茶苦茶美人でさ。冒険者の間でカルト的人気があったんだよね。その姿をひと目見ようと全国から冒険者が集まったって話だよ」
懐かしさと共に過ぎた日の思い出が蘇る。
そんな美人なら是非ひと目見てみたいと思い俺もダンジョンの前にまで行ったのだが、どこまでも伸びる行列と熱狂的なファンのただならぬ熱気に気圧されてダンジョンに入ることなく敗走してしまったのだ。今更ながらあの時勇気を出して列に並ばなかったことが悔やまれる。
そんな美人と一緒に働けたらさぞかし楽しいんだろうなぁ……
「なるほどな。言っておくがうちにそんな美人を雇う余裕はないからな」
吸血鬼の冷静な声が俺を現実世界へと引き戻す。
なんだか心を読まれているような気がして、俺は慌てて吸血鬼から目を逸らした。
「ま、まだ雇おうなんて言ってないじゃん。でも良い作戦だと思うんだけどなぁ」
「ソンナノ雇ワナクテモ私がイルじゃん」
「うわっ、起きてたの!?」
どこからともなくヌッと現れたゾンビちゃんに驚き、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
彼女は目を擦りながらやや迷惑そうな表情をこちらに向ける。
「ウルサくて目覚メタ」
「そ、そっか。起こしてごめんね。えっと……あっ、そうだ吸血鬼女装すれば?」
「なんでそうなるんだ」
「ネェ私のハナシ聞イテタ?」
「『女吸血鬼』って響きがもう美人っぽいじゃん。暗いし、化粧してカツラ被ればイケるって」
「誰もが君のように節穴の目を持ってるわけじゃないぞ」
「無視スンナ!」
ゾンビちゃんは頬を膨らませて吸血鬼の脇腹に拳を打ち込む。
彼女にとっては軽く小突いた程度の攻撃なのだろうが、ゾンビの怪力により吸血鬼の肋骨は悲鳴を上げた。
「なんで僕なんだッ!?」
吸血鬼は脇腹を庇いながら苦しそうに肩で息をしつつゾンビちゃんに抗議の声を上げる。
俺も子供の様なふくれっ面を見せるゾンビちゃんに向けて恐る恐る口を開いた。
「お、落ち着いて。ゾンビちゃんはもちろん可愛いんだけど、見慣れてない人からすると『可愛い』より『恐い』の方が先に来ちゃうんだよ。ほら、うちのダンジョン暗いから顔よく見えないし」
「ムー……」
膨れたゾンビちゃんを宥めるために言った言葉ではあるが、この言葉自体に偽りはないつもりだ。
だがゾンビちゃんはふくれっ面のまま半目で俺をじっと睨むばかりである。俺の台詞が嘘っぽかったのか、それともフォローの内容自体が気に入らなかったのか。とにかく俺は彼女の機嫌を直すためがむしゃらに口を動かす。
「でもそれは悪いことじゃないよ! アンデッドなんて恐くてなんぼだよ!」
「ウーン……ウン……」
「あ、あれ? ゾンビちゃん?」
ゾンビちゃんは2、3歩よろめいた挙句、パタリと倒れ込んでそのまま動かなくなってしまった。
あまりに急すぎて死んでしまったのかとすら思ったが、どうやら寝入ってしまったらしい。不幸中の幸いである。
「ふう、良かった。明日この事聞かれたら『夢でも見てたんじゃないの?』で押し通そう」
「と、とにかくこの案は廃案だ。他になにかないのか」
ゾンビちゃんを通路の隅に転がしながら吸血鬼がそう尋ねる。
俺は必死に頭を捻り、なんとかライバルダンジョンに対抗するための案を捻りだした。
「……そうだ、他のダンジョンにはないレアなお宝のあるダンジョンとかも人気あるね。その場所でしか採れない鉱石とか、特殊な効果のある薬草とか」
「なるほど、ダンジョンで採れる物なら金も掛からないし一石二鳥だな」
「とは言ってもうちのダンジョンにそんな良い物は……」
「なに言ってる。とっておきのがあるじゃないか」
吸血鬼は不敵な笑みを見せると、少し待っていろなどと言いながら小走りでどこかへ行ってしまった。嫌な予感を胸に抱えながらも言われた通り吸血鬼を待つ。
すると数分後。彼は我がダンジョンの特産品を両手に抱えきれないほど持ってきた。
「そ、それは……」
「そう、錯乱キノコだ!」
吸血鬼の腕の中でストライプや水玉など様々な柄のキノコが蛍光色の淡い光を放っている。そのファンシーな見た目と魔物の目にも優しい光を利用し、今はこのキノコを温泉客用通路の照明として使っている。
だがこのキノコ、ひとたび口にすれば刺激的で常人には理解できないような幻覚が目の前に現れるという色々な意味でキケンなシロモノなのだ。
吸血鬼は腕の中で光るキノコによって顔に影を作りながら邪悪な笑みを浮かべる。
「ククク、意志も体も貧弱な人間が一度こいつを口にすればその刺激的な幻覚体験の虜となり、もはやそれ無しでは生きられない体になること間違い無し。じきに愚かなる人間達がキノコを求めて僕にひれ伏す世界ができあがる事だろう」
「……そういうのはダメ、ゼッタイ」
「なぜだ!?」
吸血鬼は信じられないとばかりに目を丸くする。キノコの光でできる顔の影のせいで迫力三割増だ。
俺は吸血鬼の迫力に少々気圧されつつも、毅然とした態度を心がけながらゆっくり首を横に振る。
「人間をそういう方法で追い詰めると後で痛い目見るよ。冒険者に長く愛されるには健全で真っ当なダンジョン運営を心がけなきゃ」
「うーん、良い案だと思ったんだが」
吸血鬼は不服そうに口を尖らせながら抱えたキノコを横たわるゾンビちゃんの上に容赦なくばら撒く。
ごみ捨て場のような扱いに苦笑しつつ、俺は吸血鬼を宥めるように口を開いた。
「まぁそれは最後の手段として、最後の手段をとらなくて済むような手段を考えようよ。手はあればあるだけ良いんだから」
「手と言われてもなぁ……ん?」
吸血鬼が不意に顔を上げ、俺の後ろに伸びる通路の方に視線を向けた。
つられて俺も吸血鬼の視線の先に目をやる。そこにはなんてことないいつもの通路が伸びているだけに思えたが、数秒後、通路の曲がり角から突然見慣れない魔物がその姿を現した。
魔物の外見はまさしくパーカーを纏った二足歩行のトラそのもの。俺の脳裏に「虎穴」の二文字が浮かぶ。
「お出ましのようだぞ」
どうやら近所に出来たというライバルダンジョンからの刺客らしい。
彼は俺たちを見るなり牙を剥き出しにして口角を上げてみせる。笑っているとも威嚇しているとも見える不思議な表情だ。
「今日はこの土地の先輩方に挨拶を、と思いまして」
「なにが挨拶だ、敵情視察ってとこだろう」
「ククク……最初はそのつもりでしたがね、ここに来て確信しましたよ。あなた方は俺の店の敵ではない」
「なんだと?」
敵の挑発的な言葉に吸血鬼の声が低くなる。
だがトラは吸血鬼の威圧感に怯む様子もなく、それどころか本格的に我がダンジョンへのダメ出しをし始めた。
「まず店構え。看板も出ていない、客を拒むかのような入り口。『知る人ぞ知る感』を出したいのかもしれませんが、正直滑ってますよ……」
「看板? そんなダサい真似できるか、貴様のところはダサい真似しているようだがな」
吸血鬼は相手を嘲笑するように口角を上げて口の端から牙を覗かせる。
ダンジョンというのは雰囲気を重視しているところが多い。「ここはダンジョンです」なんて看板を出したらそれこそ雰囲気ぶち壊しだ。
看板を出しているダンジョンがない訳ではないが、できればそんなもの出したくないと言うのが多くの魔物たちの本音ではないだろうか。
だが、トラは吸血鬼の言葉を鼻で笑ってみせた。
「そういう考えが滑ってると言っているんです。それだけじゃありませんよ。ここに来る途中ゾンビやネズミが彷徨いているのを見かけました。腐肉に害獣……非常にイメージが悪い。普通の感性を持っている者ならこの時点で引き返します。ここは味以前の問題だ、飲食店として失格です」
「なぁレイス、コイツ殺していいか?」
「お、落ち着いて吸血鬼――あれっ、ちょっと待って。今なんて?」
トラの台詞に違和感を覚え、俺は吸血鬼を宥める事も忘れてそう聞き返す。
トラは俺にニヤリと笑いかけ、腕を組んでその厚い胸板を張った。
「今度是非食べに来てください……心血注いでようやく完成した究極の黄金スープをご覧に入れます」
「だ、だからスープって一体」
そう言い終わらないうちに、トラは俺たちの眼前に一枚の紙切れを突きつけた。
大きなどんぶりに入った麺類のイラストと「虎穴スペシャル」や「特製虎穴」などと言ったイマイチ味の想像できないメニューらしき文字が俺たちの視界を埋める。
「俺はこの一杯で天下を獲りますよ……!」
トラは大きな牙を見せながらニヤリと笑い、俺たちに背を向けて元来た道を戻っていく。その背中には大きく「麺屋 虎穴」との文字が躍っていた。
残された俺たちはしばらくの沈黙の後、独り言のように呟いた。
「ラ、ラーメン屋……?」
「あいつ、うちを何屋だと思ってるんだ……」