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70、100万回死にかけたねこ






 深夜、ダンジョン勤めのアンデッド達が眠りに落ちた頃。

 俺はいつものように暇潰し兼パトロールのためにダンジョンの中を行ったり来たりして時間を潰していた。とはいってもこんな夜中に冒険者が来ることなどほとんどない。

 ところが、今日はいつもと様子が違った。派手な音はしないものの、ダンジョンを駆けまわる謎の気配を感じる。

 何かとんでもないモノがダンジョンに入り込んだに違いない。そう確信した俺は未知の気配を追いかけてダンジョンを飛びまわる。

 そうやってようやく俺の目が捉えたのは、闇に溶けるような黒い毛皮とそこに浮かぶ金色の丸い眼。そしてツギハギだらけの蒼い腕で誇らしげにソレを掲げるゾンビちゃんの姿だった。


「……なにやってんの」

「捕マエタ!」





***********





「こんな夜中になんの騒ぎだ」


 不機嫌そうな顔の吸血鬼が目を擦りながら通路の角からその姿を現す。

 だがその寝ぼけ眼は地面に転がった簀巻き状態の黒猫を見た瞬間、大きく開かれた。


「あー……それはどういった趣向なんだ?」

「ドロボーネコ! ドロボーネコ捕まえた!」


 ゾンビちゃんは自分の狩りの腕前を誇示するように犬ほどの大きさもある猫を指差し、誇らしげに胸を張る。

 だが吸血鬼はゾンビちゃんがなにを言いたいのかイマイチ分からないらしく、眉を顰めて怪訝そうな表情を浮かべるばかりだ。


「泥棒? ネズミの肉でも横取りされたか」

「ゾンビから肉を奪うなんて真似、馬鹿な犬でもやりませんよ」

「じゃあ一体何を……おいちょっと待て」


 吸血鬼は眼をパチクリとさせ、唖然とした表情で地面に転がる猫を見つめる。


「確認なんだが、今コイツ喋ったか?」

「喋ったね」

「喋ッタよ」

「喋りますよ」


 俺たちはそう言いながら一斉に頷く。もちろん地面に転がった黒猫も同様に頷いた。

 吸血鬼は眉間に深く皺を刻み、珍しい物でも見る様に黒猫を様々な角度から眺める。まぁ実際珍しい物ではあるのだが。

 そしてチラリと俺たちに視線を向け、理解できないと言った風に首を振った。


「君たちなんでそんなに冷静なんだ? というかどうして猫が喋るんだ、腹話術か? それとも幻術? 頼むから仕組みを教えてくれ」


 吸血鬼の言葉にいち早く反応したのは他の誰でもない、簀巻き状態の猫であった。猫は丸い金色の眼を吸血鬼に向けて口を開く。その大きな口から出るのは可愛らしい鳴き声などではなく、流暢で丁寧な人語であった。


「ツギハギだらけの歩く屍や幽霊だって普通に喋ってるじゃないですか。どうして猫だけ喋っちゃいけないんです」

「……まぁそれはそうだが」

「落ち着いて吸血鬼、こいつただの猫じゃなくて『ケット・シー』だよ。高い知能を持つ二足歩行の猫の妖精」


 納得できていなさそうな表情の吸血鬼にそう説明するが、猫は生意気にも俺の説明に首を振って見せた。


「正しくは高い知能と高潔な精神を持つ二足歩行の猫の妖精です。盗みなど働くわけがありません」

「ウソだ! ゼーッタイなんか盗ンダもん!」


 ゾンビちゃんはそう言って簀巻き状態の猫ににじり寄る。その様子に吸血鬼は首を傾げて尋ねた。


「なにか無くなっているのか?」

「ええと、スケルトンたちに調べて貰ったんだけど……」


 俺はそう言いながらスケルトンたちに視線を向ける。

 彼らは一斉にペンを走らせ、ほぼ同時に文字の載った紙をこちらへ掲げた。


『金庫は異常なしだった』

『倉庫も大丈夫』

『荒らされた部屋もなかったよ』

「こんな感じで、今のところ被害は見つかってないんだよね」


 俺がそう呟くと、間髪入れずに猫が口をはさむ。


「当然です。この小さな体と短い手足に一体なにができましょうか」

「デモ怪シイ動きシテたんだよ! 通路をウロウロウロウロ」

「まぁ泥棒かどうかはともかく、不法侵入には違いないな」


 吸血鬼はそう言って猫をジッと見下ろす。

 すると猫は蛇に睨まれたカエルの如く小さく縮こまり、言い訳がましくしゃべり始めた。


「それに関しては本当に申し訳なく思っています。ここがダンジョンだとは露知らず、飢えと寒さを凌ぐため大した確認もせず飛び込んでしまったのです。ここには冷たい風を凌げる屋根と壁がありますし、その上ネズミの気配までする。わたくしにはここが天国に思えてならず、まるで猫のように欲望の赴くままネズミ狩りに夢中になってしまっていたのです」

「ウソだ! 狩リしてる感ジじゃナカッタし、ネズミはアンナとこイナイもん」


 猫の言い分に異議を唱えたゾンビちゃんであったが、猫はゾンビちゃんの言葉にため息を一つ吐き、まるで聞き分けのない子供を諭すように口を開く。


「あのですね御嬢さん、わたくしはあくまで猫ではなくケット・シー。猫ほどネズミを狩るのに慣れていませんし、しかもここは初めて来た場所ですよ。ウロウロしてしまうのも仕方のない事では?」

「ムウ……」


 不服そうな表情を浮かべながらも、それ以上ゾンビちゃんが反論の為口を開くことは無かった。とはいえ、俺たちも猫の言い分を完全に信じたという訳ではない。

 少々の沈黙の後、吸血鬼が俺に尋ねた。


「レイス、君はどう思う?」

「うーん、俺が猫を見たのはゾンビちゃんに掴まった後だったからなんとも言えないけど……ちょっと気になる事はある」

「キニナルコト?」


 俺は簀巻きになった猫をジッと見下ろす。

 黒々した艶やかな毛皮が猫の全身を覆っている。逆に言えば、毛皮以外に猫が身に纏っている物は何一つなかった。俺は注意深く首輪や装飾品の類も付いていないのを確認し、ゆっくりと口を開く。


「君さ、どうして裸なの?」

「……何言ってるんだ、当然だろう。猫なんだから」


 吸血鬼は怪訝そうな表情を浮かべ、呆れたようにそう口にする。

 吸血鬼の言いたいことは分かる。だが、俺たちの目の前に横たわる簀巻きになった黒猫は猫であって猫ではないのだ。


「俺の知ってるケット・シーはみんな服を着てたよ。彼らって知能もプライドも高くて、普通の猫と一緒にされると凄く怒るんだ。だから普通の猫みたいに裸で地べたを這ってネズミを狩るっていうのは違和感があるんだよね。空腹に耐えかねて、っていうのは理解できるけどこんなに寒い中森を歩いてきたのに裸なのはどうして?」

「ほう。なるほど、読めたぞ。服を着ていない方が動きやすいし、都合の悪い時には知能のない猫の振りもできる。泥棒にはお誂え向きの格好だな」

「ホラ! ヤッパリ怪シイ!」


 俺の追及により、ゾンビちゃんや吸血鬼もその眼に宿る疑いの色をいっそう濃くする。

 猫はその丸い眼で俺たちを一通り見回した後、ため息を吐くようにして口を開いた。


「……分かりました。全てお話しましょう」

「自白するという事か」

「いいえ、ここに至るまでの経緯です」

「経緯?」


 困惑する俺たちを横目に、猫はここではないどこか遠くを見つめながらゆっくりと話し始めた。


「その昔、わたくしはある人間に飼われておりました。もちろん猫としてです」

「……なんの話をしているんだ」

「まぁ聞いてください。その昔ケット・シーの国同士で大きな戦争があった事はご存知でしょうか。わたくしも戦いに参加したのですが、元来闘いを好まないわたくしは大した戦果も上げられず、その上敵の攻撃を受けて酷く負傷してしまったのです。出血により朦朧とする意識の中、わたくしは追手から逃れて山の中を彷徨っていました。重い鎧を脱ぎ捨て、四足で猫のように地面を這って山を奥へ奥へと進んでいきましたが、とうとう力尽きて動けなくなりました。そんな時わたくしを助けてくれたのが山に住む木こりの男でした」

「この話まだ続くのか?」

「もう少しです。最初は怪我が癒えればすぐ男の元を去るつもりでした。ですが男はわたくしに非常に良くしてくれましたし、静かな山で自然に囲まれながらの生活はとても楽しかった。しかしどんなものにも終わりが訪れるものです。男は突然わたくしを置いて山から出ていってしまいました。少し前のわたくしと同じように戦争に駆り出されてしまったのです。わたくしは男の帰りを待ちました。しかし夏が来て冬が来て、季節が一周しても男は帰ってきませんでした。戦争で出会ったわたくしたちは皮肉にも戦争によって引き裂かれてしまったのです。男がいなくなって二度目の夏を迎えた時、わたくしも山を降りました。この命は男に拾われたもの、次はわたくしが男の命を拾わなければ――そう思い、わたくしは男……いいえ、大切な飼い主を探す旅に出たという訳です」


 目を伏せ、どこか悲しげな様子で猫は自分の半生を語り終えた。

 だが、ゾンビちゃんは最初から猫の長い思い出話などうわの空で聞いていないようであったし、吸血鬼は猫の話を鼻で笑って見せた。


「なんだその雑で安っぽい話。そんなのに絆されるようなヤツはさっさと死んだ方が良いくらいだ」

「ううっ……ぐすっ」

「……は?」


 吸血鬼は俺の顔を凝視しながら唖然としたように口をポカンと開く。俺は皆から顔を背けながら慌てて目を擦った。


「ご、ごめん。俺、動物モノと戦争系の話に弱くて……」


 必死に涙を堪えようとするも、涙なんて自分の意志でそう簡単に止まるモノでもない。

 涙を流し続ける俺を冷淡な眼で眺めながら、吸血鬼は呆れたように口を開く。


「弱いなんてもんじゃないだろう。悲劇でも見ようものなら舞台の前で泣き死ぬんじゃないのか? というか、今の話のどこに服を着ていない理由があるんだ」

「普段裸で過ごしておりましたから、服を着ていたら男がわたくしとは気付かないかもしれないでしょう」

「お前人間を舐めすぎだぞ」

「ぐすっ、ぐすっ……飼い主に会えると良いね……」

「いつまで泣いてるんだ。涙腺ぶっ壊れてるのか君は」

「とにかくわたくしはただ旅をしているだけなのです。すぐに出ていきますから、拘束を解いて下さい」

「ううっ、解いてあげようよ吸血鬼」


 この可哀想で健気な猫をこれ以上辛い目に合わせたくない。その一心で俺は吸血鬼にそう提案する。

 ところが、吸血鬼は怪訝そうな表情を浮かべながら俺の言葉に2、3回首を振った。


「いや、どうも胡散臭い。その芝居染みた喋り方も気に触るしな」

「えっ……で、でも被害が出てる訳じゃないし」

「まだ見つかってないだけかもしれないし、これから出るのかもしれない」


 吸血鬼はそう言って冷酷な視線を猫に向ける。

 猫は必死に首を振り、助けを請うように甲高い声を上げた。


「この小さな体にそんな大それた事はできません! なんなら身体検査もしてくださって結構ですよ、五秒で終わりますから」


 確かに猫は裸であり、盗品を持ち運ぶような鞄も盗品を隠し持つポケットも持っていない。だがそんな事を気にしているのは猫自身だけであるようだった。

 ゾンビちゃんは猫をジッと見つめながらペロリと舌なめずりをする。


「お腹の中にナニカ隠シテるんじゃないかな? 裂イテ調べテ食ベなきゃ」

「それ肉食べたいだけでしょ!? 吸血鬼もなんとか言ってよ」

「いや、後々なにかあっても面倒だ。殺そう」

「そんな! 二人共もっと動物愛護の精神を持つべきだよ!」

「日常的に人を殺しているくせになにが動物愛護だ」

「こ、こんな猫一匹殺したって床が汚れるだけですよう」


 猫は震える声で助けを請うようようにそう呟く。すると吸血鬼は怯えた様子の猫に向けて嫌な笑みを向けた。


「その点は安心しろ、血溜まりの掃除には慣れている」

「ダメだってば! 猫を殺すと七代祟るって知らないの!?」

「そこも安心しろ、お互い家系図は自分のところで行き止まりになっているだろ」

「ネー食ベテ良い? 食ベテ良イ?」


 目をギラギラ輝かせ、今にも猫に手を伸ばしそうな勢いのゾンビちゃんを吸血鬼が宥める。


「まぁ待て。せっかくだから革を剥いでマフラーでも作ろう」

「エー、私が食ベテからにシテよー」

「お前革ごと食べるだろ」

「ねぇそんなの可哀想だって! 逃がしてあげようよ!」


 二人の残虐な行為を止めるべく、俺は必死に声を張り上げる。

 だが二人とも困ったような表情を浮かべながらこちらを見てため息を吐くばかり。


「君もしつこいなぁ」

「シツコイナァ」


 二人とも俺の言葉に全く耳を貸そうとしない。どうしたものかと考えていると、急にスケルトンたちがガチャガチャと骨を鳴らして騒ぎ始めた。


「なんだ、君たちも文句があるのか」


 吸血鬼は怪訝そうな表情を浮かべて吐き捨てる様にそう言った。

 だがどうも様子がおかしい。酷く慌てたようにバタバタと骨を動かしている。


「なにか訴えてるみたい……あっ!?」


 その時、俺はようやく気が付いた。

 先ほどまで猫が転がされていた場所には蛇の抜け殻の如く簀巻だけが残され、中身――つまり、猫だけがそっくりいなくなっていたのである。

 猫はすでに通路を曲がった後であるらしく、どちらへ逃げたのかすら俺たちには分からなかった。


「クソッ、マフラーが逃げたぞ!」

「ニク! ドコ行ッタ!」


 逃した獲物を血眼になって探す二人を見て、あの猫が無事にダンジョンを脱出できることを願わずにはいられなかった。






*******





 それから数日後。

 猫騒動の記憶も薄れてきた頃、ダンジョンには異変が起こっていた。冒険者たちの動きがおかしいのだ。


 冒険者には出来る限りダンジョンの中を歩いてもらい、より多くのスケルトンたちとエンカウントし、戦闘をしてもらわねばならない。スケルトンたちとの戦闘で仕留められればベスト、ダメでも複数回の戦闘によって冒険者たちの体力やアイテムを消耗させればボス戦を有利に運ぶことができ、ダンジョン全体の勝率が上がる。そのためにダンジョンの通路は入り組んだ迷路となっているのだ。

 ところが、最近「迷路で迷わない冒険者」が続出している。

 最短距離でダンジョンを進まれてしまうと、下手すればほぼ無傷の状態でボスである吸血鬼と戦うことになってしまう。その場合、吸血鬼の勝率は著しく低下してしまうのだ。俺たちは一刻も早く原因を解明すべく調査に奔走していた。


 そんな時、最短距離でダンジョン最深層へ向かい、吸血鬼との戦闘で惜敗した冒険者の遺品からとんでもないものが見つかった。


「大解剖……ダンジョン完全攻略ブック……」


 表紙に赤い色でマル秘マークの付けられたその本には、我がダンジョンの地図やアンデッドの潜んでいる場所、その攻撃パターンに至るまでが克明に記されていた。


「な、なんだこの本……こんなの個人に書けるものじゃないよ」

「一体どこが出してるんだ」


 吸血鬼は本を一度閉じ、表紙を見つめ、次に裏表紙に目を通す。

 すると、吸血鬼はあっと声を上げて裏表紙の下部に書かれた赤いマークのようなものを指差した。猫のシルエットを模したマークだ。俺たちの脳裏に数日前捕まえ損ねた黒猫の姿が浮かぶ。


「あのドラ猫、やはり泥棒だったじゃないか。大事な情報をまんまと盗まれた」

「や、やられた……」


 俺たちはため息を吐きながらガックリと肩を落とす。

 ケット・シーは猫ではないと頭では分かっていたが、やはり俺たちは彼を心のどこかで舐めていたのかもしれない。


「どうやらダンジョンの大規模リフォームが必要なようだな」


 吸血鬼は頭を抱えながらうんざりした様に呟く。

 それにかかる手間と金額を考えただけで眩暈がしてくるようだった。







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