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69、アンデッド式風邪の治し方





 唐草模様の風呂敷に包まれた巨大な荷物が通路を塞ぐようにして置かれている。その大きさたるや、自分の身体が小さくなってしまったような錯覚を覚えるほどであった。


「どうしたのそれ……?」


 そびえ立つ唐草模様の巨大な風呂敷包みに向かって俺は恐る恐る声をかける。するとその影からゾンビちゃんがひょっこり顔を覗かせ、したり顔で風呂敷包みを持ち上げた。


「倉庫カラ集メテ来た」

「そ、そうなの? ええと、頼んでたものは持って来てくれた?」

「ウン」

「良かった。それじゃあ行こうか」


 その言葉を合図に俺たちは二人で通路を進んでいく。大の男でも数人がかりでなければ到底持ち上げられないであろう巨大風呂敷包みを抱えたゾンビちゃんの姿は、まるで荷物から足が生えて自立歩行しているかのようだ。


 先日の降雪による飢餓で著しい知能低下を起こしたゾンビちゃんであるが、最近ようやく森に積もった雪が解け、少しずつではあるがダンジョンを訪れる冒険者の数が増えてきた。

 それによりゾンビちゃんの飢えも解消され、彼女の知能も人間並み程度には回復したのである。


 だが飢えた獣状態のゾンビちゃんとの生活には想像を絶する苦労があった。その苦労が祟ったらしく、ここに来て一番の功労者に皺寄せがいったのである。


「入るよー」


 俺はそう言いながら扉をすり抜け室内へと入る。俺の後を追ってゾンビちゃんも部屋へと足を踏み入れる。轟音と共に扉を吹っ飛ばしながら。


「ちょ、何してんのゾンビちゃん!?」


 俺は木端微塵に砕けた扉とゾンビちゃんを見比べながら目を丸くする。

 ゾンビちゃんは蟻を踏みつぶした程度の認識しかないらしく、木くずと化した扉を見ようともせず部屋の中央へと歩いていく。


「ゴメン、手元ガ狂ッタ」

「うるさいな……」


 扉を破った轟音に反応したのか、部屋に安置された大きな棺の蓋がゆっくりと開く。中から顔を出したのはもちろん我がダンジョンのボス、吸血鬼である。


「なんの音だ?」


 聞き取りにくい掠れた声で吸血鬼はそう尋ねる。その顔はいつも以上に青白く、普段完璧にセットされている髪もボサボサ、寝間着のまま毛布に包まって小さくなっている。アンデッドにこう言うのもなんだが、生命力と言うものがまるで感じられない。

 冬の厳しい寒さと飢餓状態の暴れゾンビちゃんの世話の疲労が吸血鬼の不死身の肉体を襲い、体調を崩してしまったのだ。症状から見るにどうやら風邪であるらしい。

 俺は壊れた扉を隠すように吸血鬼の前に立ち塞がる。


「ごめんごめん、ちょっとトラブルが」

「カンビョーしに来タよ!」


 俺の言葉を遮り、ゾンビちゃんが棺桶の脇に巨大風呂敷包みを下ろしながら言った。

 その言葉に吸血鬼はあからさまに苦い表情を浮かべる。


「看病だって? 乱暴の間違いじゃないのか」

「そう言わないでよ。ゾンビちゃんが吸血鬼に迷惑かけちゃったからお返しをしたいって、ね?」

「ウン」


 俺の言葉にゾンビちゃんは機械的に頷く。

 吸血鬼はというと、苦い表情に怪訝さをプラスした顔でジッと俺たちを見比べ、咳を一つしてから口を開いた。


「本当かそれ……? というか、君たちがこんなとこにいていいのか。ダンジョンの方はどうなってるんだ」

「心配しなくても大丈夫。外は曇ってて夜みたいに暗いし寒いし、今日は冒険者は来ないと思うよ。だから今のうちにゆっくり休んで早く治して」

「そうか、それは何よりだが」

「ネー欲シイモノある? 欲シイモノある?」


 そう言って目を輝かせながらゾンビちゃんは床に座り込み、棺の縁を掴んで吸血鬼の蒼い顔を覗き込む。


「棺を揺らすな……欲しいものってのは?」

「ゾンビちゃんが色々持ってきてくれたみたいだよ、看病グッズ」

「ナンデモ揃ッテるよー」


 ゾンビちゃんは唐草模様の風呂敷に包まれた過剰なまでの看病グッズの隣で胸を張る。これだけの物資があれば100人の病人を快方に向かわせる事ができるのではなかろうか。

 いつになく気合の入った様子のゾンビちゃんに吸血鬼の表情も僅かに緩む。


「ほう、珍しく気が利くじゃないか。どんなものがあるんだ?」

「んーとね、マズ栄養トルための血」


 ゾンビちゃんは風呂敷包みに手を突っ込み、中から血液の入ったボトルを一本取り出す。風邪を引いたときこそ十分な栄養補給が必要なのは人も吸血鬼も同じだろう。


「水分補給ノ血」


 ゾンビちゃんは風呂敷包みに手を突っ込み、中から血液の入ったボトルを一本取り出す。発熱により汗をかくことで体内の水分が失われていく。こまめな水分補給を心がけるのは風邪を治す上で基本中の基本だ。


「口寂シイ時ノ血」


 ゾンビちゃんは風呂敷包みに手を突っ込み、中から血液の入ったボトルを一本取り出す。風邪を引いた時と言うのは基本的にベッドで何もせずに過ごすもの。すなわち暇なのである。暇な時ほど人は口寂しくなりがちだ。


「カサついた喉ヲ潤ス血」


 ゾンビちゃんは風呂敷包みに手を突っ込み、中から血液の入ったボトルを一本取り出す。代表的な風邪の症状の一つに「喉の乾燥や痛み」というのがあることは周知の事実だろう。比較的粘度の高い血液は喉の粘膜を潤し、乾燥から喉を守ってくれるに違いない。


「小腹空イタ時ノ――」

「ちょ、ちょっと待て」

「ウン?」


 吸血鬼の言葉にゾンビちゃんはボトルを手に持ったままその動きを止めた。

 吸血鬼は目の前に並んだ血液入りボトルを眺めながら困ったような表情を浮かべる。


「どれも中身は同じものだろう。持ってきてくれたのは有り難いが二本もあれば十分すぎるくらいだ」

「エッ、ナンデ?」

「なんでって、普段でもそんなに大量に飲まないぞ」


 信じられないとばかりに目を丸くするゾンビちゃんに、吸血鬼は呆れ顔で言葉を返す。

 するとゾンビちゃんは半目で吸血鬼をじっと見つめ、彼を牽制するように口を開く。


「……小腹空イテモ知らないよ。ニクはアゲナイよ」

「そういう事じゃなくてだな……というかこんな状況で小腹が空く訳ないだろう」

「ゾンビちゃん風邪引かないからその辺分からないのかも」


 外の気温に比べれば随分とマシではあるものの、真冬でもゾンビちゃんはノースリーブのワンピースに裸足という小学生もビックリの格好で生活している。その上夜になると毛布もかけないで土の上で寝ているにも関わらず、ゾンビちゃんは健康そのもの――とアンデッドに言うのはなんだか変な感じがするが、少なくとも風邪を引いたような症状は見られない。


「ゾンビちゃんこそ風邪引いてもおかしくない生活してるのに、不思議だなぁ」

「馬鹿だから風邪引かないんだろ」

「ま、まぁ取りあえずボトル置いとくから喉乾いたら飲んでよ。でも普通の病人はおかゆとか生姜湯とか色々必要なのに、それが血液だけで賄えるなんて便利な身体だよね」

「病気知らずの幽霊にそう言ってもらえるとは光栄だ」


 吸血鬼はそんな事をいいながら俺の透けた体を眺め、苦笑いを浮かべる。


「ネー、コレモ飲んで、コレ!」


 次にゾンビちゃんが風呂敷から取り出したのは茶色い小さな瓶だ。大きなラベルが巻きついており、商品名と一緒に原料と思われる動植物のイラストが描かれている。どうやら人間の間では良く知られたメーカーの栄養ドリンクであるようだ。


「どうしたのそれ?」

「倉庫にアッタ」

「冒険者の遺物か。人間以外にも効くのか?」


 吸血鬼はそう言ってゾンビちゃんの手の中の栄養ドリンクに怪訝そうな表情を向ける。


「まぁ毒ではないだろうし、試しに飲んでみたら?」

「グッとイッテ下サイよ、グッと」


 ゾンビちゃんは栄養ドリンクの蓋を開け、改めて吸血鬼に差し出す。

 吸血鬼は眉間に皺を寄せながらもそれを受け取ろうと手を伸ばしかけたが、すぐに手をひっこめて口元を覆い隠した。


「うっ……!?」


 吸血鬼はゾンビちゃんから顔を背け、苦しそうにむせ込む。


「大丈夫!?」

「タイヘン。ホラ早く飲ンデ」


 ゾンビちゃんは手に持った栄養ドリンクをグイグイ吸血鬼に押し付ける。吸血鬼は眼に涙を浮かべ、弱々しい動きで懸命にそれを拒否しているようだった。

 しばらく吸血鬼の動作の意味が分からなかったが、栄養ドリンクのラベルに描かれた見覚えのある白い球根が目に付いた瞬間にようやく俺はすべてを悟った。

 だが吸血鬼に助け舟を出すには遅すぎたようだ。


「お前ッ、それッ、にんにく入っ」


 吸血鬼の口がわずかに開いた瞬間を狙い澄ましたかのようにゾンビちゃんは栄養ドリンクを吸血鬼の口にねじ込む。

 必死の抵抗も虚しくにんにく入り栄養ドリンクは吸血鬼の喉に強引に流し込まれ、やがて彼は棺桶に沈み込んでしまった。


「飲メ飲メ」

「前言撤回! ゾンビちゃんそれ毒だから! やめてあげて!」


 俺は慌てて棺桶を覗き込み、そこに横たわる吸血鬼を見下ろす。

 彼の顔からは色というものが消え失せ、まるで人形のような生気のない瞳がここではないどこかを見つめていた。


「うわあああっ! 大丈夫か吸血鬼!?」


 吸血鬼は眼を見開いたまま瞬きもせず、胸を押さえつけながら消え入りそうな声を絞り出す。


「のっ、喉が熱い……眩暈がする、吐きそうだ。気持ち悪い……」

「しっかりして吸血鬼!」

「ダメだ……頭がぼーっとする。意識が遠のいてきた」

「ジャア熱を下ゲよう」


 呑気な声が部屋に響き、俺は慌てて後ろを振り返る。

 ゾンビちゃんは風呂敷から分厚い氷の板を取り出し、それを吸血鬼の元へと運ぶ。そしてそれをおもむろに吸血鬼の頭へ振り下ろした。

 ゴッという鈍い音が響き、砕けた氷塊が棺桶の中に散らばる。


「ちょっ……なにやってんのマジで!」

「熱下ガッタ?」

「熱っていうか意識レベルが下がっちゃってるよ! 起きろ吸血鬼、寝ちゃダメだ!」

「ここはどこだ……? 寒い……寒い……」


 思わぬ攻撃でトドメを刺された吸血鬼は自分の肩を抱いてブルブル小刻みに震え、やがてゆっくりと目を閉じた。


「ヤバイヤバイ……今暖めるからもう少し頑張って! ゾンビちゃん氷除去、それから頼んどいたアレ取って!」

「ハーイ」


 ゾンビちゃんは緊迫した状況に似合わない明るい声を上げながら棺桶の中に散らばった氷の塊を取り除き、言いつけどおり風呂敷から黒い鉄製の小さな壺を取り出した。


「取ッタよー。コレナニ?」


 そのころんとした形が珍しいのか、ゾンビちゃんは手のひらの上に壺を乗せ様々な角度からそれを眺める。


「『サラマンダーの鱗』だよ」

「鱗? ヘンナ形」

「鱗はその中に入ってるよ。蓋を開けると鱗が燃えて暖炉みたいに部屋を暖めるんだ」

「寒い……寒い……」


 吸血鬼の助けを求めるような声が棺桶の中から弱々しく聞こえてくる。彼に意識があるとは思えないが、急かされているような気がして俺は思わずあっと声を上げた。


「呑気に話してる場合じゃない! じゃあゾンビちゃん、それを地面に置いてゆっくり少しずつ蓋を開け――」

「ホイ」


 俺の言葉を完全に無視し、ゾンビちゃんは手のひらに壺を乗せたまま勢い良く蓋を開く。

 その瞬間、壺の中から天井を焦がすような火柱が上がって部屋の中を明るく照らした。


「ワッ!」


 火柱に驚いて体勢を崩したゾンビちゃんの手のひらから壺が転がり落ちる。

 壺から上がった火柱は一瞬で収まったものの、ゾンビちゃんの手を離れたそれは吸血鬼の毛布の塊の中へ吸い込まれ、やがて煙と共に焦げ臭い匂いが立ち上った。


「うわああっ!? 急に開けちゃダメだって! 消火! 消火しなきゃ!」

「水アルよ」

「早く早く、吸血鬼が火葬されちゃう!」


 ゾンビちゃんは風呂敷の中から緑色のガラス瓶を取り出し、中の液体を棺桶へ注ぐ。

 黄色っぽいその液体が毛布にかかったその瞬間、毛布から勢い良く火の手が上がった。

 火の海と化した棺桶を見下ろしてゾンビちゃんは首を傾げる。


「アレ、水燃エタ」

「それ油じゃないの!?」



 結局スケルトンたちに応援を要請し鎮火するに至ったが、その頃にはすでに吸血鬼の肉体は消し炭と化していた。





**************





「ああ、素晴らしく清々しい気分だ」


 あの惨劇から数時間後、身体の再生を終えた吸血鬼は何とも晴れやかな表情で伸びをした。


「か、体の方はもう大丈夫なの……?」


 恐る恐る尋ねると、吸血鬼は笑顔で俺の言葉に頷いた。


「ああ、全快だよ。案外あの栄養ドリンクが効いたのかもしれないな」


 どうやら栄養ドリンク以降の記憶が曖昧らしい。自分が一度消し炭になったことなど露知らず、眠りから目覚めたら風邪が治っていたと彼は信じているのである。


「ナンデ風邪治ッタのかなぁ?」


 不気味な程に元気な吸血鬼を横目に、ゾンビちゃんは俺にそっと耳打ちする。

 俺はしばらく考えた挙句、吸血鬼の風邪と炎についてある仮説を立てた。


「高温の炎で焼かれて風邪菌が死滅した……とかどうかな?」

「フーン。じゃあ次カラ風邪引イタラ燃ヤせば良イんだ」

「さすがにそれは可哀想じゃないかな……」


 俺は火だるまになった吸血鬼を思い浮かべながらゆっくりと首を振る。

 吸血鬼の意識が曖昧だったから良かったものの、アレを意識がハッキリした状態でやるのはこちらの精神衛生上もよろしくない。


「そう言えば部屋から棺桶が無くなってたんだが、どこ行ったか君知ってるか?」


 吸血鬼が思い出したように声を上げ、その赤い目を俺に向ける。

 あの地獄のような炎によって棺桶は持ち主の吸血鬼共々灰になってしまったのである。吸血鬼は不死鳥のごとき見事な復活を果たしたものの、棺桶の方はそうもいかない。

 ゾンビちゃんの壊した扉と共に部屋の隅に転がった炭と灰こそが棺桶の成れの果てだ、なんて俺の口からはとてと言えなかった。俺は彼と目をあわせることができず、あらぬ方向に視線を向けつつ言う。


「あっ、ええと……古くなってたし吸血鬼が寝てる間に壊れちゃってさ。この際新しいの買っちゃいなよ、好きなの選んでいいから!」

「本当か? 今日は随分優しいじゃないか」

「そ、そりゃあ病み上がりの人には優しくしないと」

「ふうん、たまには風邪を引くのも悪くないな」

「はは……」




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