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65、乾いたアンデッド

ちょっとした挿絵があります。

よろしければ挿絵表示をONにしてお読み下さい。




 妙な音が聞こえる。

 乾いた木の軋むような音、地面を擦るような音、そして洞窟を抜ける風のように低く不気味な音。

 上の階の知能無きゾンビが迷い込んできたのだろうか。いや、それにしてはなにかこう、軽いというか乾いているというか。

 まぁどちらにせよ様子を見に行く必要がある。俺は静かに耳を澄ませ、音を頼りにダンジョンを進んでいく。

 そして壁を擦り抜けた先で、俺は「ソレ」と遭遇した。


「ウウッ……アッ……ウアアアア」

「ひっ……ひええええっ!?」


 恐ろしい顔と共に枯れ木のような細い腕が俺の透けた体に迫る。

 慌てて飛び退くと、ソレは錆び付いた壊れかけの機械のようなぎこちない動きでこちらへ向かってきた。


「ヒイィッ!」

「なんだレイス、情けない声出し……うわっ!?」


 素っ頓狂な声に振り向くと、腰の引けた吸血鬼が苦虫を噛み潰したような顔をこちらに向けていた。


「な、なんだそいつ? 敵か?」

「いや……どうだろ、少なくとも冒険者ではないだろうけど」


 俺は恐る恐るソレに視線を向ける。

 枯れ木のような体、朽ちかけて薄汚れた包帯、そしてなんとも言えない奇妙な動き……その特徴は砂漠に住むアンデッドの一種、ミイラのそれとピッタリ一致している。

 だが同じアンデッドとはいえ、このミイラが俺たちに敵意を持っていないと断言することはできない。


「この人、温泉のお客さん?」


 騒ぎを聞きつけて集まってきたスケルトンたちにそう尋ねると、彼らはそれぞれ困ったように首を傾げた。心当たりはないらしい。


「ええと、どういったご用件で?」

「ウ……アアア……ウア……」


 勇気を振り絞り直接話しかけてみるも、その口から発せられるのは恐ろしげな呻き声ばかり。


「知能のないモンスターなんじゃないか?」

「うーん、でも質問に合わせて唸ってるような気も……」

「アア、ウアアア……ウアアッ!」

「ヒッ……!? こ、恐ッ」


 落ち窪んだ目、叫びを発するように大きく開いた口。スケルトンやゾンビたちの見た目に慣れた俺ですら、このミイラの恐ろしい姿に恐怖を感じずにいられなかった。

 吸血鬼も少なからず俺と同じ感情を抱いたらしく、警戒心と戦意の混在した鋭い視線をミイラに向ける。


「やはり排除しよう。このままでは埒が明かない」

「食ベルの?」


 そう言いながらスケルトンたちを掻き分け、ゾンビちゃんがその姿を現した。

 ゾンビちゃんの質問に吸血鬼は呆れたように首を振る。


「食べるわけないだろう、お前はこいつに可食部があるように見えるのか?」

「ウーン、頑張レバ食べレる。タブン」

「アア……ウウアア……アウア」


 ミイラはまた俺たちを威嚇するような恐ろしい呻き声を上げる。俺は思わずミイラから後退りしたが、ゾンビちゃんはむしろ前のめりになり、ミイラに向けて口を開いた。


「エー、食ベテみないと分カンナイよ」

「ウウウア、アウウウ……」

「ソウカナァ、干し肉ミタイなモノでしょ」

「ちょっと待て、お前誰と話してる?」


 呆然とする俺たちにきょとんとした表情を向け、ゾンビちゃんはそれがさも当然であるかのごとく答えた。


「アノ人」


 そう言って彼女が指差したのは、あの恐ろしげな顔をしたミイラであった。


「えっ、ゾンビちゃんミイラの言ってること分かるの!?」

「ウン」

「アウア……アアウ、ウウウア」

「これは一体なんと言ってるんだ?」


 吸血鬼が尋ねると、ゾンビちゃんはケロリとした顔で口を開く。


「『怪しい者じゃないから殺さないでくれ』テ言ッテるよ」

「ええ、なんで分かるの?」

「んー、ナンデ分カンナイの?」


 どうやらゾンビちゃんには全く普通にミイラの言っていることが理解できるらしい。彼女の意外な特技にただただ感心するばかりである。


「アアウ……アウアアア……ウアア」


 ミイラも言葉の通じる者がいて安心したのか、威嚇のようだった呻き声もやや柔らかく落ち着いた感じになったような気がする。

 だが、ゾンビちゃんの訳したミイラの言葉は俺たちが想像もしていなかった事であった。


「『このダンジョンでしばらく雇ってくれないか』ッテ言ッテる」

「ええっ、うちで!?」

「お前戦えるのか?」


 ミイラは小刻みに頷くと、腰のあたりに巻いた包帯の隙間から二本の小型ナイフを取り出し構えてみせる。

 構え自体はそこそこ様になっていたものの、その動きはやはり「奇妙」と形容するしかない代物であった。


「すっげー恐い……」

「迫力は十分だが、ゾンビより動きが遅いのは頂けないな」


 吸血鬼の言う通り、ミイラの動きは素人の子供でも見切ることができるほど鈍いものであった。

 壊れたからくり人形のようなナイフ捌きは見る者に不安と恐怖を与えるが、それ以上の効果は皆無と言えるだろう。砂漠にあるという古代遺跡のダンジョンに住まうミイラはもう少し手強いモンスターだと聞いていたが。


「……アウ……」

「『体が湿気って本来の力が出ない』ッテ言ッテる」


 肩を落とし、しょんぼりした様子で手に持ったナイフを元の場所にしまうミイラに、吸血鬼は呆れたような口ぶりで言った。


「ここは洞窟だぞ。湿気に弱いならうちじゃやっていけないだろう」

「そうだよ、もっと乾燥した職場を見つけるべきだよ」


 ミイラたちの故郷である砂漠とこのダンジョンの環境はあまりにも違いすぎる。

 ミイラもそれが分かっているのかしばらく俯くようにして黙っていたが、不意にパッと顔を上げ、なにやら再び呻き声を上げた。


「アウアアア……ウッアアア……アウウアア」

「『確かに武器を取って直接戦うのは無理だが、我に任せてもらえればダンジョンにやって来た冒険者を呪い殺すことも可能だ』ダッテ」

「ほう、うちにはいないタイプだな」

「呪いって具体的にはどんな感じなの?」

「ウククク……アアウアアア……ウアウウウ……ウアア、アアアウウウ……ウアアアウウアアアアウ……ククク」


 呪いについて熱く語っているのだろうか、いつもより呻き声が長い。だがいくら良い事を言おうと、俺らにはミイラがなにを言っているのかさっぱり分からない。ミイラの長台詞が終わると、俺たちの視線は自然と通訳者であるゾンビちゃんへと注がれた。

 だが慣れない通訳と突然の長台詞にゾンビちゃんもタジタジである。


「アッ、エッ、エエト……『呪いにかかった哀れな人間はまず高熱に冒され』……『体に帯の痣できて』……アー……『最期には弱くなって死ぬ』……ソレカラ『痣が蛇だから蛇の呪いとかみんな呼ぶよ』……ダッテ」

「なんだそのヘッポコ通訳は」


 吸血鬼が眉間に皺を寄せて呆れたようにため息を吐く。

 どうやらミイラの長台詞にゾンビちゃんが目を回してしまったらしい。


「もっと短く端的に喋ってあげて! 通訳者がいっぱいいっぱいになっちゃってるから!」

「アッ……アウア」

「『とにかく凄く怖い呪い』ダッテ」

「ま、まぁ凄そうなのはなんとなく分かった」


 吸血鬼はそう言って感心したように頷く。

 たしかにこの特殊能力は凄い。「アンデッドダンジョン」というコンセプトにも沿っている。

 だが俺には一つ引っかかることがあった。


「ちょっと待って、『まず』とか『最期には』とか言ってたけど、呪いにかかった人間って一体いつ死ぬの?」

「ククク……アウアアアウア」

「『呪いは7日間続き、蛇が獲物を絞め殺すようにじわじわと人間を苦しめる』ッテ言ッテるよ」

「……それじゃダメだよ。即効性の呪いじゃないと」


 俺の言葉にミイラはカクカクした動きで首を傾げる。


「ウウ?」

「『なぜだ?』」

「ダンジョンの外で死なれたって死体を食べられるわけでも装備品を取れるわけでもないし、俺たちになんの得もないじゃん。むしろ恐がって冒険者がダンジョンに近寄らなくなっちゃうかも」


 自慢の特殊攻撃がまさか否定されるとは思わなかったのだろう。ミイラは狼狽えたように落ち窪んだ目をあちこちに向けながら途切れ途切れに呻き声を発する。


「ァ、アウウ……アウアアア……」

「『なら即効性の呪いにもチャレンジしてみるから』ダッテ」

「うーん……呪いは確かに凄いけど、それ以前にやっぱり直接意思疎通できないのはキツいんじゃないかなぁ」

「ウン。私モウ疲レタよう……」


 ゾンビちゃんもゲッソリした顔で頷いた。

 戦闘においても共同生活を送る上でもコミュニケーションというのは最も大事なことの一つである。それを他人の通訳に頼っていてはいつまで経っても打ち解けることはできない。

 吸血鬼も腕を組んで難しい表情を浮かべる。


「毎回小娘に通訳させるのも面倒だしなぁ……そうだ、スケルトンみたいに筆談すれば良いじゃないか」


 吸血鬼に促され、一体のスケルトンが恐る恐るといった様子でミイラに紙とペンを差し出した。

 ミイラはそれを受け取り、意気揚々と紙にペンを走らせる。そして(恐らく)ドヤ顔で紙を掲げた。






挿絵(By みてみん)






「……これは字なのか?」

「ええと、ゾンビちゃん分かる?」

「ンー、『鳥食ベタイ』」


 ミイラは慌てたように首を振る。どうやら鳥は別に食べたくないらしい。


「やはりダメだな、うちでは雇えない。申し訳ないが他を当たってくれ」

「うんうん、そうだよ。探せばもっと他にミイラに適したダンジョンが見つかるよ」


 俺はミイラを慰めつつも実は内心ホッとしていた。

 一緒に戦い、生活するのにミイラの見た目や動きは少々怖すぎる。知能なきゾンビたちの腐敗した体には慣れたが、ミイラの見た目はゾンビともまた違った恐ろしさがあるのだ。

 ミイラはしばらく落ち込んだように俯いていたが、やがて意を決した、もしくは諦めたように顔を上げた。


「アウ……アウア……アウウウ……」

「『じゃあせめて温泉を貸してくれ。入ったらすぐ出ていくから』ダッテ」

「えっ、温泉? ミイラって水濡れ厳禁じゃないの?」

「アウアウウ……ウア」

「『下手に湿気ったままでいるより、いっそ完全に濡れてしまった方が良い』ダッテ」

「そ、そうなんだ。 まぁそれくらいは構わないけど……」


 一抹の不安を感じつつも、俺たちはミイラを連れてぞろぞろと温泉へと移動する。

 蒸気と湿気のこもった浴室に案内すると、ミイラは朽ちかけた包帯を付けたまま紫の毒沼の張った浴槽に躊躇なくダイブした。頭まで不透明な沼に浸かったため、ミイラが浴槽の中でどうなっているのか俺たちが知ることはできない。最初のうちは沼の底からブクブクと気泡が上がってきていたが、やがてそれもなくなった。


「だ、大丈夫か?」

「もしかして、ふにゃふにゃに溶けてなくなっちゃったんじゃ……」


 一度パサパサに乾燥されたミイラの体はすっかり脆くなってしまっているはずだ。それを再び水で戻したら一体どうなってしまうのだろう。

 おぼろ昆布のようになって温泉を漂うミイラを想像し思わず身震いしたその時。ザバンと音を立ててミイラが突然水面からその姿を現した。


 ……いや、これは本当に先ほどのミイラなのだろうか。まぁ包帯を巻いているから恐らくはそうなのだろうが、たっぷりと水分を吸ったミイラの体はすっかり様変わりしてしまっていた。

 ハッキリしたエキゾチックな目鼻立ち、水を弾いて輝く滑らかな褐色の肌、長い手足、細く締まったウエスト、そして朽ちかけた包帯から溢れんばかりの豊満なバスト。

 おぼろ昆布なんてとんでもない。彼女の体は水で戻した干し椎茸のようにぷりぷりとしていた。


「……ねぇ、やっぱり追い出すなんて可哀想だよ。彼女も同じアンデッドなんだし、ダンジョンの仲間にいれてあげようよ!」

「何勝手なこと言ってるんだ、ダメに決まってるだろう……というか、君は本当に分かりやすいな」


 吸血鬼は俺の提案をバッサリ切り捨て、全てを見透かしたような目を俺に向ける。

 ミイラはと言うと、水分を吸ったことによる体の膨張のせいで包帯の面積が足りなくなり、露出の多くなった上半身をその細い腕で隠しながら上気した顔で俺をキッと睨みつけ、吐き捨てるように言った。


「……死ね変態」

「『死ね変態』ッテ言ッテルよ」

「ゾンビちゃん、それは訳さなくて良いから……」





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