前へ次へ
65/164

63、囚われの半吸血鬼






「やぁみんな。今日はお願いがあって来たよ!」


 そう言って手を振りながらダンジョンへやってきたのは見慣れた銀髪の男、狼男である。

 だが俺達の目は狼男ではなく彼の隣に立っている緊張したような面持ちの見慣れない少年に釘付けとなった。その不自然で不穏な気配のする組み合わせに俺たちは思わず息をのむ。


「もしかして、隠し子?」

「いつかやるんじゃないかとは思っていたが、お前も年貢の納め時か」

「いや待って、お願いってまさかその子を……処分?」

「お前、女遊びしたいからって自分の子を!?」

「良ク分カンナイけど、食べレバ良イの?」


 ダンジョンに鋭い緊張が走る。クズだクズだとは思っていたが、ここまでのクズだったとは。

 だが俺たちの追及に狼男はゲッソリした顔で首を横に振った。


「君たち俺をなんだと思ってるの?」

「違うの?」

「違うよ。俺がそんなヘマするわけないでしょ」

「そっちかよ」

「それに、お願いと言っても別に俺からのお願いじゃないんだ。ミストレスからだよ」

「ゲッ、ミストレスから?」


 狼男の口から出た「ミストレス」という単語を耳にするや、吸血鬼は思い切り顔を顰めて嫌悪感丸出しの表情を浮かべた。

 恐らく個人……もしくは何らかの組織を指す言葉なのだろうが、俺にはまったく聞き覚えがないし心当たりのある人物も思い浮かばない。


「ミストレスって?」


 尋ねると、狼男は自分に寄り添う少年を見下ろしながら苦笑いを浮かべた。


「恐ろしくタチの悪い魔女だよ。若い……というか幼い男の子が大好きで、この子もミストレスのお気に入りの一人なんだ」

「なにそのヤバそうな人」

「まさかそいつ、吸血鬼か?」


 吸血鬼が怪訝そうな表情を浮かべながら少年の顔をまじまじと見つめる。

 言われてみれば少年の顔色は水死体のように青白く、そしてその眼はうっすらと赤みがかっているようだった。青白い肌や赤い眼は吸血鬼の代表的な特徴である。

 狼男は吸血鬼の指摘に曖昧な笑顔を浮かべた。


「ミストレスは『半吸血鬼』って言ってた。ミストレスお手製人工吸血鬼だってさ、どういう原理かはしらないけど」

「あのババアめ、また変な術を」

「本題に入らせてもらうと、この『半吸血鬼』を一人前の吸血鬼にしてほしいってのがミストレスからのお願いなんだよね」

「はぁ!? なんで僕が」


 目を丸くし、厄介ごとはゴメンだとばかりに首を振る吸血鬼に狼男は遠慮も容赦もなく少年を押し付ける。


「だって吸血鬼の知り合い他にいないもん、後は頼んだからね」


 無責任な事を言いながら狼男は俺たちに背を向けてダンジョン出口を目指しさっさと歩きだしてしまった。吸血鬼は狼男の背中に向けて声を張り上げる。


「待て、僕は了承していないぞ!」


 吸血鬼の言葉に反応し、狼男は困ったような顔でこちらを振り向いた。


「無茶言わないでよ。ミストレスのお願いはお願いじゃなくて『命令』なんだからさ」

「ぐっ……」


 ミストレスというのはよほど力のある人らしい。

 吸血鬼は唇を噛んで何か言いたそうにしていたが、結局言葉を発することはしなかった。狼男は取り繕ったような笑みを浮かべて俺たちに手を振って見せる。


「じゃあそう言う事で。夜になったら迎えに来るから、頑張ってね!」




*********





「よ、よろしくお願いします」


 少年は震える声でそう挨拶すると小さく頭を下げた。

 ミストレスという魔女がどれほど恐ろしいのか俺には分からないが、少なくともこの少年はそれなりの常識と可愛げを持ち合わせているらしい。

 とはいえ、そうは言われても俺たちが何をすればいいのかイマイチよく分からない。


「よろしくと言われてもな。一体何を教えればいいんだ? ヤツは何と言っていたんだ」


 吸血鬼が眉間に皺を寄せながら尋ねると、少年は小さな体をさらに縮こめ、蚊の鳴くような声で答えた。


「ええと……ただ『一人前になって来なさい』とだけ」

「はぁ、やはりいつもの気まぐれか」


 吸血鬼は吐き捨てるように言うと呆れきったようにため息を吐いた。

 その様子を見ていたゾンビちゃんがふらりと少年に近付き、値踏みするような目つきで少年を眺める。そしてゾンビちゃんは不意に少年へ手を伸ばした。


「食べていい? ねぇ食べていい?」

「ひっ」

「なにやってるんだお前は」


 吸血鬼が呆れたような声を出しながら少年にのびたゾンビちゃんの手を叩き落とす。

 俺も獲物を前にした肉食動物のように目をギラつかせるゾンビちゃんを慌てて窘めた。


「ダメだよゾンビちゃん。吸血鬼なんて美味しくないよ」

「ムウ……」


 ゾンビちゃんは少々不満げな表情を浮かべながらもゆっくりと手を下ろした。普段魔物やアンデッドには手を出そうとしないのだが……もしかしたらかなりお腹が空いているのかもしれない。

 吸血鬼はゾンビちゃんが大人しくなるのを見届けると、再び少年に向かって口を開いた。


「そもそもなにを持って一人前と言うんだ? 基準が分からないんだが」


 少年もミストレスの狙いを理解できていないらしく、吸血鬼の質問にただ困った表情を浮かべることしかできなかった。

 だが誰かが何か言わなければ何も進まない。俺は少々思案した後、おもむろに口を開いた。


「うーん、やっぱり吸血鬼特有の技を使えれば一人前なんじゃない? 霧になったり蝙蝠に変身したり……あっ、その基準だと吸血鬼もまだ半人前ってことになるけど」

「黙れ」


 吸血鬼は牙を剥いて俺を一睨みすると、何事もなかったかのように話題を変えた。


「お前、どの程度吸血鬼なんだ?」

「ええと、自分でも良く分からなくて……すいません」

「食事は? 血液か?」

「いえ、普通のです。ミストレスに出される薬は毎日飲んでますけど」


 少年の衝撃の言葉に俺は思わず素っ頓狂な声を上げる。


「えっ、血飲んでないの? 吸血鬼が吸血しないって、それ吸血鬼じゃないじゃん」

「す、すみません……」


 少年は今にも泣きそうな表情を隠すようにして俯いてしまった。

 どうやら余計な事を言ってしまったらしい。俺は胸に罪悪感が燻るのを感じながら慌てて首を横に振る。


「いや、謝る必要はないけど……」

「日の光は大丈夫か?」

「は、はい。普通に昼間も外を歩けます」

「不死性はどの程度なんだ。自己修復能はどの程度ある?」

「ごめんなさい、分からないです……」

「じゃあ試しに首でもはねてみるか」

「ひっ」


 吸血鬼の物騒な言葉に少年は小動物のように体を小刻みに振るわせる。俺は慌てて吸血鬼を諌めた。


「なに言ってんのダメだよ!」

「はは、冗談だ。そんなことしてうっかり殺してしまったら僕らがミストレスに殺されてしまう。ちょっと手を貸せ」


 吸血鬼は少年の左手をとると、その手の平をツウッと爪でなぞった。その鋭い爪は少年の皮膚を切り、彼の掌には薄く血が滲んだ。

 吸血鬼ならばこの程度の傷は数秒で修復されて跡も残らない。だが少年の手の平にできた傷はいつまで経っても修復されず、数分経っても精々血が止まる程度の変化しか見られなかった。

 吸血鬼は少年の手の平に付いた固まりかけの血を指ですくい、おもむろに口に運ぶ。


「うん……正真正銘人間の血だな」


 今までの質問で薄々勘付いていたことを、吸血鬼は気持ちがいいくらいにズバッと言ってみせた。


「残念ながら――かどうかは知らないが、お前はただ色が白く目が少々赤いだけの人間だよ。『半吸血鬼』だなんておこがましいにも程がある」

「ああ、だからこんなにゾンビちゃんが反応してたのか……」


 ゾンビちゃんは少年が人間なのではないかと俺たちよりずっと早い段階から疑っていたのだろう。

 見ると、ゾンビちゃんは再び獲物を狙う肉食動物の目を少年にじっと向けていた。今にも少年に襲いかかりそうな勢いであったが、吸血鬼に首根っこを掴まれたことにより彼女の目論見はあっけなく外れた。

 吸血鬼はゾンビちゃんを子猫のように持ち上げながら何事もなかったように口を開く。


「読めたぞ。ミストレスが求めているのは訓練や教育ではなく、もっと根本的なものだ。つまり人工的に作ったなんちゃって吸血鬼に飽きたから本物の吸血鬼にしてくれってことだな」

「勝手な人だなぁ……」

「ねぇ食べて良い? 食べて良い?」


 吸血鬼に首を掴まれながらも、ゾンビちゃんは果敢に少年へ手を伸ばす。

 怯えた顔の少年がゾンビちゃんの目には食べ物としか映っていないらしい。吸血鬼はため息を吐きながら小さな少年を見下ろした。


「なんの力もない生身の人間がこんなところにいたら命がいくつあっても足りない。やるならさっさとやってしまおう」

「ちょ、そんな簡単に決めて良いの!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げると、吸血鬼は怪訝な表情で首を傾げた。


「決めるも何も、ミストレスがそう望んでるんだから仕方ないだろう」

「いや、こういうのはちゃんとデメリットを提示して本人から許可を得ないと!」

「吸血鬼化のデメリットなんてそんなにないぞ? 日の光で身体が灰になるくらいだ」

「そのデメリットだいぶ大きいから!」


 吸血鬼になってから時間が経ち過ぎているためか、吸血鬼の常識は普通の人間とはかけ離れてしまっているようだ。俺の指摘にもピンと来ていないらしく、困ったような表情すら浮かべている。


「不老不死が手に入るんだ、そのくらい安いものだろ」

「不老不死だって必ずしも良いとは限らないよ。君何歳? その歳で成長止まるんだよ、良いの?」


 見た目から推測するに、少年の年齢は十歳そこそこ。大人への憧れだってあるだろう。身長だってこれからぐんぐん伸びていくはずだ。そんな当たり前の未来を簡単に潰していいのか。

 重大な決断を迫られて混乱してしまったのか、少年は消えてなくなってしまいそうなほど体を小さく縮こませ、鼻をすすりながら俯いてしまった。


「うう……」


 そんな中、さらに少年を追い詰めるような言葉を吸血鬼が呑気な声で口にした。


「ああ、そういえば体質が合わないと拒否反応を起こして吸血鬼化せずそのまま死んだり知能のない出来損ない吸血鬼になったりすることがあるらしい。それは了承しといてくれ」


 その衝撃の告白と無責任な物言いに俺は思わず目を丸くする。


「な、なんでそんな大事なこと言わないの!」

「今言ったじゃないか」

「もっと早く言ってよ! それどの程度の確率なの?」

「僕も人から聞いた話だから詳しくは知らないが、多分そんなには高くないぞ。十か……まぁ二十パーセントくらいじゃないか」

「十分高いよ!十人中一人か二人死ぬってことだよ!?」

「まぁ統計を取ったわけじゃないから本当のところは分からないがな。それにこの数字を高いかどうか決めるのは僕らじゃないだろう」


 吸血鬼はつまらなさそうにそう言うと、じっと少年を見下ろした。

 少年は蒼い顔で地面を見つめ、体を小刻みに振るわせている。この顔の蒼さはミストレスの薬のせいだけではないだろう。


「まぁまだ昼間だからな。狼男が来るまで時間はある、それまで悩むと良い。人間のまま館に帰ったお前にどんな処遇が待ち受けているかは知らないが」




**********




 それから数時間後。

 ゾンビちゃんから身を守れるよう一人部屋に隔離された少年の元を俺はこっそりと訪ねた。

 壁からヌッと姿を現した俺を見て目を丸くする少年に、俺は意味もなく小声で尋ねる。


「どうするの? 決めた?」


 少年は小さな手をギュッと握りしめ、口を一文字に結んだまま何も話そうとしない。

 彼はまだ幼い子供である。

 余命僅かな老人でもあるまいし、不老不死よりも目先の死への恐怖や化物になることへの嫌悪が先に来るのではないだろうか。


「なにを迷ってるの? 吸血鬼になりたい?」


 「なりたくないでしょ?」と続けそうになるのを無理矢理飲み込み、俺は少年の返事を待つ。

 すると少年は俺に返事をするかわりに唇を震わせ、眼からボロボロと大粒の涙を流した。なんだか悪い事をしたみたいで、再び罪悪感により胸が重くなる。


「ご、ごめん……泣かないでよ。そんなに嫌ならやめれば良いのに。俺会った事ないんだけど、ミストレスってそんなに怖いの?」


 少年は顔をくしゃくしゃにしながら何度も大きく頷く。

 死への恐怖に勝る恐ろしさ……ミストレスがどれほど恐いのかますます想像がつかない。だがそれ程の恐怖を与える人間の元で暮らすことが青少年の教育に良いとはとても思えなかった。


「じゃあ逃げちゃえばいいじゃん。日が出てるうちなら吸血鬼も追いかけられない、逃げるなら今だよ」

「逃げてどこ行けば良いの? 家ないし、どうすれば良いか分かんないし……」


 少年は蚊の鳴くような声でそう呟くと、再び視線を地面に落とした。

 確かにミストレスのところにいれば取りあえず衣食住の保証はされるのだろう。だが、探せば衣食住の保証をしてくれるところは他にもある。もちろん贅沢な暮らしはできないだろうが、少なくとも命の危険を伴う事を強いられている今よりは安らかに暮らせるに違いない。


「確かに一人で生きていくのは大変だけど、生きていけないということはないよ。とにかくそんな大事なことを人に指示されたからといって何も考えず選択するのは良くない。色々考えて、リスクも了承したうえで君が吸血鬼になるって言うなら止めないよ。でももしそれが嫌で逃げ出したいっていうなら手助けするけど、どうする?」

「うっ……ええと……」


 少年はあちこちに視線を泳がせ、返事に困ったように口をモゴモゴとさせている。

 少年に選択を任せるような事を言ったものの、本心としては少年に吸血鬼になって欲しくは無かった。未来ある穢れを知らない幼気な少年をこんな血生臭い道に引き込むなんて、まともな良心を持っていれば決してできない事である。だが残念ながら我々の世界にまともな良心を持っている者は少ない。

 なにか少年を踏みとどまらせる一言は無いだろうか。もうひと押し、なにかもうひと押しあれば少年を向こうの世界に帰してあげられると思うのだが……。

 そこまで考えたところで、俺の頭に少年を踏みとどまらせる「もうひと押し」が浮かんだ。


「……言っておくけど吸血鬼になったらまともな人間関係は築けないよ。見た目は人と変わらないけど吸血鬼なんて結局化物だからね。周りも当然化物ばっかりになるよ。可愛くておしとやかな女の子とかまずいないから。たとえ見た目が可愛くても中身絶対化物だから」


 俺は自分の周囲の人間……いや、化物たちを思い浮かべながら口を動かす。

 冒険者時代に周りにいた人間も変わり者ばかりだったが、今俺の周りにいるアンデッドや魔物たちはそれに輪をかけて酷い連中ばかりである。まともな連中は駆逐されてしまうのか、それとも朱に交われば赤くなるとばかりに悪い影響を受けてまともじゃなくなるのかは定かじゃないが、とにかくみんな酷い。

 だが人生経験の乏しい少年は俺の言葉にピンと来ていないらしく、俺が熱弁をふるうのをキョトンとした表情で眺めるばかりである。どうにかして彼に俺の気持ちを理解させるべく、俺は必死に頭を回転させた。


「ええとつまり何が言いたいかというと……吸血鬼になんかなったら、ミストレスみたいな人に囲まれちゃうよってこと!」


 俺の言葉に、少年の顔がみるみる蒼くなっていった。




*********




「どこだ! 探せ!」


 吸血鬼の怒号とスケルトンたちの慌ただしい足音がダンジョンに響き渡る。いなくなった小さな客人を捜索しているのだ。

 だがいくら捜索しても少年の姿が見つかることはない。少年はもう数時間も前に太陽の光降り注ぐダンジョンの外へと脱出を果たしたのだ。

 少年は日の光の下を自分の足で歩いていく決意をしたのである。彼は正しい選択をしたと俺は信じている。今は辛くとも、彼にはきっと幸せな未来が待っているはず。

 なんだか久しぶりに凄く爽やかな気分だ。だがそんな俺とは対照的に、吸血鬼はこの世の終わりの様な顔をして頭を抱えていた。


「不味い不味い不味い不味い」


 吸血鬼は頭を掻き毟り、やがて膝から崩れ落ちると発狂してしまったかのような叫び声を上げた。


「嫌だッ死にたくない! まだ死にたくないッ! 助けてくれぇ!!」

「大袈裟だなぁ、吸血鬼が死ぬわけ無いじゃん」


 ハハハと笑いながら軽い気持ちでそう言うと、吸血鬼は死んだ魚の様な濁った眼でこちらを見上げ、気が狂ったような薄笑いを浮かべた。


「いや、ミストレスなら殺りかねない……むしろ殺してくれと懇願したくなるような酷い目に合う可能性すらある」

「えっ……マジ?」

「なんせミストレスからの預かりものをなくしたんだ。どんな目に合わされるか……」

「あれー、俺判断ミスったかな」


 もしかしたら俺は人の心配をしている場合ではなかったのかもしれない。

 だがもはや少年はダンジョンの外だ。今はただ、死の恐怖より恐ろしいと噂の「ミストレス」を想像して震え上がるほかなかった。






前へ次へ目次