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60、恐い顔の魔王





 日が沈み、ダンジョン前の森がすっかり闇に飲まれて人の気配を感じなくなった頃。俺たちは一日の仕事を終え、いつものようにのんびりと余暇を過ごしていた。

 ところが、穏やかな時間はそう長くは続かなかった。

 静かだったダンジョンに突然骨がぶつかる騒々しい音が鳴り響いたのである。

 通路に出てみると、スケルトンたちが大慌てで右往左往している光景が目の前に広がった。


「なにかあったの?」


 同じく様子を見に通路へ出てきたらしい吸血鬼とゾンビちゃんにそう尋ねる。するとゾンビちゃんが慌ただしく走り回るスケルトンたちを眺めながら楽しそうに口を開いた。


「オカネモチ来タんだって! オカネモチ!」

「お金持ち?」


 俺の質問に吸血鬼も頷く。


「ああ。僕もよく分からないが、さっきスケルトンがそう言っていた」

「へぇ、温泉客かな」


 こんな時間から大変だなぁ、などと他人事のように話していると、数体のスケルトンが俺を見るなりバタバタと慌ただしく走り寄ってきた。そして彼らは骨を鳴らしながら我先にと紙を俺に向けて掲げる。

 そこには酷く乱れた字でこう書かれていた。


『どうしよう』

『大変』

『リッチが来た』

「……リッチ?」

「リッチってナニー?」

「金持ちってことだろ?」


 ゾンビちゃんの疑問に吸血鬼が答えるが、彼の言葉にスケルトンたちは一斉に頸椎を横に振った。

 まさかとは思いながらも、俺は頭の中の辞書にあるもう一つの「リッチ」を思い浮かべる。


「もしかして……アンデッドのリッチのこと?」


 スケルトンは頭蓋骨が外れるほど激しく何度も頚椎を縦に振った。





********





 リッチは「最強のアンデッド」とも言われる強大な力を持ったモンスターだ。

 その正体は高位の魔導師が秘術によりアンデッドと化したもので、その底無しの魔力や完璧に近い不死性から「不死王」や「魔王」などとも称され恐れられている。


「ヘー、強イノ?」


 ゾンビちゃんの質問に俺は真剣な顔をして頷く。


「そりゃあもう。一体で一国の全兵士を蹂躙できる魔力を持ってるとか持ってないとか」

「それは凄いが、能力と知名度が見合っていないんじゃないか。『リッチ』なんてモンスター初めて聞いたぞ」

「吸血鬼やゾンビみたいに人を襲って食べたりしないし、基本的に住処に籠って魔法の研究に没頭してるらしくて、あんまり表に出てこないんだよ」

「ふうん、そんなヤツがなんでうちに」


 吸血鬼は小さくため息を吐いて遠巻きに噂の客人を眺める。

 その姿は朽ちかけた黒衣に身を包んだ骸骨そのものだ。だが一般的なスケルトンより二回りほど大きく、従者たちの運んできた玉座に座るその姿は王の称号に相応しい威厳と恐ろしさを感じさせる。その格好や骨の体は死神を彷彿とさせるが、手に持っているのは鎌ではなく先端に赤い宝玉のついた身の丈ほどもある漆黒の杖である。

 そして彼の周りには黒い鎧を纏った数十体ものスケルトンが屯していた。恐らくリッチの引き連れている配下の者共だろう。かなり長い距離を歩いてきたらしいことがそのすり減ってボロボロになった靴から分かった。


『お出かけ中らしい』

『装備を整えて態勢を立て直したいんだって』

『少しの間場所を貸してくれって言われたけど』


 スケルトンたちは紙にリッチについての情報を書き、俺たちに向けてそれぞれ掲げる。

 敵意を持って乗り込んできたという訳ではないらしいことにホッと胸をなで下ろしつつ、俺は吸血鬼に確認のため尋ねる。


「場所を提供するのは別に構わないよね?」

「構わないどころの話じゃない、大歓迎だ」


 またなにかロクでもない事を思いついたらしい。吸血鬼はそう言ってにやりと笑った。


「そんな凄い奴と知り合える機会は滅多にないぞ。なんとかしてお近付きになりたい」

「お近付き……ねぇ」


 俺は横目でリッチの軍団を見やる。

 この目で本物を見るのは初めてだが、本で読んだ通り――いや、リッチは本にあった記述を越えてしまう程の恐ろしい威圧感を持っていた。彼に付いた「魔王」という称号も決して大袈裟なものではないのだろう。

 何人たりとも俺に触れることはできないし、もちろん攻撃を加えることもできない。それは恐らくリッチも同じだ。そう頭で分かってはいても、あの化け物にむやみに近付くことは憚られた。


「じゃあ吸血鬼、ボスなんだし挨拶してきてよ」


 恐怖心を腹の中に隠しながら吸血鬼にそう促すと、彼は冷や汗を流しながら慌てたように首を振る。


「えっ、いや……偵察は君の仕事だろう。君がまず行って、あとから僕が参戦する」

「やだよ、吸血鬼が言い出したんでしょ。早く行ってよ」

「そんなの関係あるか。ボスの命令だぞ、黙って従え」


 「お前が行け」「いやそっちが」の小競り合いが続くこと数十秒。俺たちの醜い争いに終止符を打ったのはゾンビちゃんの明るい一声であった。


「見テ見テ! オチカヅキ」


 ゾンビちゃんは満面の笑みを浮かべながら俺たちに向かって大きく手を振る。

 俺たちはその光景を見て言葉を失った。ゾンビちゃんの腰かけている場所が玉座に座るリッチの膝の上だったからである。呑気に足をぶらつかせているゾンビちゃんとは対照的に、リッチはゾンビちゃんを膝に乗せたまま骨格標本のようにピクリとも動かない。


「うわああああッ!? 何やってるんだ馬鹿、お前は猫か!」

「ひえええ、すいませんすいません!」


 吸血鬼はゾンビちゃんをリッチの膝から拾い上げて肩に担ぎ、俺はリッチに平謝りをし、恐怖のあまりなんだかよく分からない言葉を叫びながら一目散に逃げ出した。



「ナンデ怒ルの? ちゃんとオチカヅイタよ」


 リッチの眼の届かない入り組んだ迷路に逃げ込み、吸血鬼の肩から降りたゾンビちゃんは不服そうな表情を浮かべてそう口を尖らせる。

 俺たちにはゾンビちゃんを叱りつける気力も残っておらず、彼女の言葉にゆっくりと首を振った。


「物理的な意味で言ったんじゃないから……ていうかよくあんな恐ろしい真似を涼しい顔でできるよね」

「恐怖を感じる部分が壊れてるに違いないな……だが膝に乗っても小娘を殺したりはしなかった。僕らに敵意を抱いてないということが分かったのは収穫だぞ。望みはまだある」


 ゾンビちゃんを叱る気力は残っていないが、偉い人とお近づきになりたいという野心はまだ持っていたらしい。吸血鬼は冷や汗を流しながらも獲物を狩る肉食獣の如く目を輝かせている。

 だが吸血鬼には悪いが、俺にはあの威圧感を放つ魔王と親しくなるビジョンも方法も全く浮かばない。


「お近づきになるって具体的にどうすれば良いの? お喋りに付き合ってくれそうなタイプには見えないけど」


 尋ねると吸血鬼は少々の沈黙の後、難しい顔で口を開いた。


「そうだな……やはり『お近づきのしるし』が必要なんじゃないか」

「ニク? ニクあげチャウの?」


 ゾンビちゃんは途端に不安げな表情を浮かべてすがる様に俺と吸血鬼の顔を交互に見やる。

 自分の肉をとられるとでも思ったのだろう。だがゾンビちゃんの考えは全くの杞憂だ。


「肉はダメだよ。リッチって多分なにも食べないし」

「じゃあ骨はどうだ? ヤツの住処がどこかは知らないが、こんなとこまで旅してきたなら道中で欠けた骨の一本や二本はあるだろう」

「うーん、骨かぁ……」


 俺は通路の角から顔を覗かせてリッチたちの様子を窺う。

 リッチは玉座から立ち上がり、彼の前で整列する配下のスケルトンたちの頭上で巨大な杖を一振りした。すると青いベールがスケルトンたちを包み込み、折れていた骨やヒビの入った骨ががみるみる修復されていく。

 俺たちは顔を見合わせ、渋い表情を浮かべた。


「そういえばアイツ魔導師だったな」

「あの人を喜ばせるって相当難しいんじゃないかな。大抵のことは自分でできちゃうだろうし、趣味嗜好も分からないし」

「ヤツの趣味嗜好は分からないが、推測することはできる。ヤツの体を見ろ」

「おっ、なんか探偵っぽい」


 かの名探偵は帽子を観察しただけでその持ち主の人物像を推理し、ピタリと当ててみせたという。

 人間の寿命をはるかに上回る年月を生きてきた吸血鬼ならばリッチのちょっとした動作や癖、骨の形などで趣味嗜好を当てることも可能かもしれない。俺は期待を胸に吸血鬼の推理に耳を傾ける。


「リッチの体は骨でできてる。スケルトンと同じだ」

「うんうん、それで?」

「つまり、趣味嗜好もスケルトンと同じである可能性が高い」

「う、うーん? そうかな?」

「ヤツが欲するのはズバリ骨グッズだ!」

「……なにその雑な推理」

「えっ、ダメか?」


 吸血鬼はハトが豆鉄砲を食らったように眼を瞬かせる。「自分の推理にケチをつけられるとは思ってもみなかった」とでも言いたげだ。俺としては今の推理のどこに自信を持ったのか尋ねたいくらいである。


「ダメでしょ、安易すぎ。それなら俺の推理の方がまだマシだよ」


 吸血鬼は腕を組み、口をへの字にして不服そうな表情を浮かべる。


「そこまで言うなら聞かせてもらおうじゃないか」

「え? うーん」


 啖呵を切ったはいいものの、俺の推理だって別にそんなに大したものではない。

 だが吸血鬼が恐い顔で睨むので、俺は渋々パッと思いついた推理を披露する。


「リッチってのはとんでもなく優秀な魔導師で、アンデッドになって手に入れた膨大な時間を魔法の研究に注ぎ込んでるんだ。つまり、魔法の研究に役立つものをあげれば喜ぶ……かも」

「ふうん、なるほどな。だが魔法の研究に役立つものなんてうちにあるか?」


 俺は静かに吸血鬼の腹部を指差す。

 吸血鬼の肝臓が魔法薬や魔法の儀式に使用されるというのはよく知られた話だ。




********




「アゲルー」


 ゾンビちゃんが明るい声を上げながらリッチに駆け寄り、満面の笑みで血の滴る肉塊を差し出す。

 半ば押し付けられるようにして肉塊を受け取ったリッチは、手にそれを乗せたまま再び骨格標本のように固まった。


「……なんか持て余してないか?」


 腹の縫い目から血が漏れ出ているらしく、吸血鬼のシャツには鮮やかな赤い血が滲んでいる。出血のためか痛みの為かは分からないが、その顔色は輪をかけて酷い。

 そして吸血鬼の苦痛に見合った成果が得られたかと言うと、全くそんなことは無かった。


「あっ、周りのスケルトンたちドン引きしてる」

「まぁ当然の反応だな……いきなり臓物を渡されたら誰でもそうなる」

「そういえば吸血鬼の肝ってダイエットブームの影響で一回価格高騰したけど今は乱獲で値崩れしてるみたいだからなぁ。自分でいくらでも買えるか」


 俺の言葉に、吸血鬼は血相を変えてこちらを振り向き目を見開いた。


「なんで今それを言う!? 何のために痛い思いをして肝臓を取ったんだ!」

「あはは、ごめん。ていうかリッチなら魔法の研究に使うものぐらい自分で調達できるよね。肝臓だってお金出せば買えるし」

「だからなんでそれをもっと早くに考えないんだ。本当にポンコツだな君は。というかなに笑ってるんだ殺すぞ」

「そう怒んないでよ、お客さんの前だよ」


 俺は怒りと痛みに顔を顔を歪ませる吸血鬼を窘めながら顔を上げてリッチの方を見やる。

 すると、リッチの膝の上で手と口を血塗れにしながら臓物に齧り付いているゾンビちゃんが目に飛び込んできて、俺たちは元々蒼めの顔をいっそう蒼くさせた。


「コラァッ! 何食ってんだ!」

「ひえええっ、重ね重ねすいませんすいません!」




*********




「ナンデ怒ルノ?」


 ゾンビちゃんは口に付いた血を舐めながら不服そうな表情を浮かべる。


「だから物理的にお近付きになりたい訳じゃないんだって!」

「お前に僕の大事な肝臓を託したのが間違いだった」


 ゾンビちゃんを担いで走ったことにより腹部の傷口が開いたらしい。

 吸血鬼は血に染まったシャツの上から腹を押さえ、苦しそうに肩で息をしている。

 だがゾンビちゃんはそんなこと気にするそぶりも見せない。


「ダッテ食べて良イって言ワレタんだもん。あんなマズイの、自分カラ食ベないよ」

「嘘つくな。アイツが喋るわけないだろ、骸骨だぞ」

「ホントに言ッタもん!」

「食べたすぎて幻聴でも聞こえたんじゃない?」


 そんなことを話しているうちにリッチたちのいる方からガシャガシャとやかましい音が聞こえてきた。

 俺たちはそっと曲がり角から顔を出して彼らの様子を窺う。リッチの配下のスケルトンが荷物を抱えてゾロゾロ列を作りダンジョン出口に向けて行進しているのが目に入って、俺たちは小さくため息を吐いた。


「あー、時間切れだね」

「ぐっ……折角のチャンスだったのに」


 吸血鬼は腹部を押さえながらも悔しそうに唇を噛む。

 だが俺はリッチ達が出て行くことに正直ホッとしていた。リッチの威圧感に押しつぶされそうになったり、ゾンビちゃんの行動にハラハラしたりするのはそう何度も経験したい事ではない。

 だが、どうやらホッとするには早すぎたようである。


「あ、あれ……なんかこっちに来てないか」


 吸血鬼は顔を強張らせて通路の先を指差す。

 配下のスケルトンがぞろぞろと出て行く中、リッチだけが出口には向かわず、俺たちの方にゆっくりと近付いて来ているのだ。


「な、なんだ。一体何の用だ」

「もしかして失礼な事したから怒ってるのかも」

「ひいっ、殺される!」


 俺たちはじわじわ嬲るように近付いてくるスケルトンの威圧感に気圧され、逃げることもできずただ震えていた。そしてとうとう目前に来たリッチは俺たちを見下ろし、そしてゆっくりとした動作で俺たちに細く白く硬そうな手を伸ばす。伸ばした手の先にいたのは、キョトンとした顔でリッチを見つめるゾンビちゃんであった。

 リッチはそっとゾンビちゃんの頭の上に手を置く。

 ああ、やはりゾンビちゃんはリッチの怒りを買ってしまったのだ。今にゾンビちゃんの頭は脳髄をぶちまけて四散するに違いない……そう思ったが、いつまでたってもゾンビちゃんの頭は爆発することも変形することもなかった。ただ、リッチがゾンビちゃんのボサボサ頭を撫でつけたことで彼女の髪が少しだけ落ち着いた。


「通りかかったらまた寄っても良いかい?」


 地獄の底から響くような恐ろしい声が頭上から聞こえる。それは紛れもなくリッチの口からでた言葉であった。

 ゾンビちゃんは怯えることも萎縮することもなく、まるで親戚のおじさんの問いかけに答えるようにして頷く。


「良イよー」


 その言葉を聞くや、リッチはゾンビちゃんにニッコリと微笑みかけた。

 ……比喩ではない、本当に笑ったのだ。骨の持つ物理的性質を一切合切無視し、頬骨をぐにゃりと持ち上げ、眼窩を細めて「笑った」のである。

 その不自然で恐ろしい笑顔に俺と吸血鬼は思わず頬を引き攣らせる。この笑顔を見て平然としていられるのはゾンビちゃんくらいのものだろう。リッチ本人すら鏡で自分の顔を見たら背筋を凍らせるに違いない。

 リッチもその顔の恐ろしさに自覚があるのか元の「自然な骸骨」の表情を取り戻し、そしてすぐ配下のスケルトンの後を追って去っていってしまった。






「ネ、喋ッタでしょ?」


 リッチがダンジョンから出たのを見届けた後、ゾンビちゃんはそう言って得意気な笑みを見せた。

 確かに喋ったのも驚きだが、驚くべきことはもっと他にある。


「あの顔どうなってんの……」

「というか小娘、お前一体なにしたんだ?」

「ンー、肝臓アゲタよ」


 ゾンビちゃんの言葉に吸血鬼は口をへの字に曲げる。


「それは分かっているが……ならお前に感謝するのは見当違いじゃないか。僕の肝臓だぞ」

「頭撫でて褒めて欲しかったの?」


 尋ねると、吸血鬼はとんでもないという風に首を激しく横に振る。


「そんな訳ないだろう、恐ろしい。心臓が止まったらどうするんだ」

「まぁそうだよね……もしかして自分を恐がらないゾンビちゃんが物珍しかったんじゃない? こんなに肝が座ってる人、魔物でもそうはいないでしょ」


 俺は大きな目をパチクリと瞬かせるゾンビちゃんを見下ろしてそう呟く。

 不老不死を求める人間は多いが、大きな力には大きな犠牲が伴うものだ。代表的なアンデッドである吸血鬼にも数えきれない程の弱点と制約がある。俺やゾンビちゃんだってそうだ。

 リッチが不老不死と引き換えに失ったなにかを、ゾンビちゃんは多少なりとも思い出させることができたのかもしれない。


「でも……また来るのかなぁ、あの人」

「あの顔夢に出てきそうだ」


 吸血鬼はそう言って引き攣った笑みを浮かべる。

 多分その顔から連想されるほど恐い人ではないのだろう。もしかしたら俺たちの想像よりずっと良い人かもしれない。

 だがあの笑顔が俺たちに俺たちには少々刺激が強すぎたようである。

 もう一度リッチに会いたいなんて到底思えなかった。





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