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55、エクストリームかくれんぼ





「あーッ!?」


 冒険者との戦闘を終え、スケルトンたちの様子を見て回っていた俺の耳に吸血鬼の悲鳴にも似た叫びが飛び込んできた。

 何事かと吸血鬼のいる最深層フロアへ向かった俺が目にしたのは戦いの末に息絶えた冒険者の死体に手を伸ばそうとするゾンビちゃん、そしてそれを阻止すべく彼女を羽交い絞めにする吸血鬼であった。


「な、なんの騒ぎ?」

「いつもの……つまみ食いだッ」


 吸血鬼はゾンビちゃんを死体から引き剥がして勢いよく地面に転がし、肩で息をしながら眉を吊り上げる。


「少し目を離すとすぐこれだ。お前が肉を食うのは僕が血を抜いてからだといつも言っているだろう、何回言ったら分かるんだ」


 ゾンビちゃんは地面に這いつくばった格好のまま吸血鬼の背後に隠された死体をジッと見つめ、そして唇に付いた血をぺろりと舐める。


「ダッテお腹減ッタんだもん」

「『待て』くらい犬でもできるぞ、全く……ん?」


 吸血鬼は横たわった死体を見下ろしたと思うと、眉間に皺を寄せて慌てたようにそれへと駆け寄った。そして死体の左腕を見て眉間に刻まれた皺をいっそう深くさせる。

 恐らくゾンビちゃんがつまみ食いしたのだろう。死体の左手首から先が無くなっており、その断面の肉には歯型が付いて血も滴っている。

 吸血鬼は手首から先の無い左腕を持ち上げ、ゾンビちゃんの顔と交互に見比べる。


「お前……指輪はどうした」

「指輪って?」


 尋ねると、吸血鬼はいつになく真剣な面持ちで口を開く。


「この冒険者、指輪の形の魔法具を付けていたんだ。それもかなり強力なものだぞ。高値で売れるに違いない」

「へー、それは凄いね。で、その指輪は今どこに?」

「どこにやったんだ」


 俺たちの問いかけにゾンビちゃんは腕を組んで少々考えるようなそぶりを見せたものの、数秒の沈黙の後ケロリとした表情で首を傾げた。


「分カンナイ」

「はぁ!?」


 吸血鬼は素っ頓狂な声を声を上げ、みるみる顔を蒼くさせていく。吸血鬼も俺と同じことを想像したに違いない。

 俺はゾンビちゃんの歯型が付いた左腕を見下ろして頭を抱えた。


「もしかして指と一緒に食べちゃった?」

「なんてことしてくれたんだ!」


 その鋭い牙を剥き、吸血鬼は鬼のような形相でゾンビちゃんを怒鳴りつけた。

 俺は慌てて二人の間に入り、怒り心頭の吸血鬼を宥める。


「ま、まぁ落ち着いて。取り出せば済むことでしょ」

「チッ、余計な手間を……レイス、スケルトンを呼んできてくれ」

「ナニスルの?」


 吸血鬼の吐き捨てるような言葉にゾンビちゃんは首を傾げる。

 すると吸血鬼はスッと目を細め、これ以上ないほど冷酷に言い放った。


「決まっているだろう、腹を掻っ捌いて指輪を取り出す」

「エエッ!」


 途端にゾンビちゃんの表情が恐怖に歪んだ。

 彼女は慌てたように立ち上がり、まるで注射を嫌がる子供のように激しく首を振る。


「ヤダヤダ! 痛いのヤダ!」

「うるさいぞ、暴れるな。大人しくしてろ」


 吸血鬼はウンザリしたように言いながらゾンビちゃんの肩に手を伸ばす。

 だがゾンビちゃんはその手を振りほどき、握り締めた拳を大きく振りかぶった。


「ヤダーッ!」

「ッ!?」


 ゾンビちゃんの体重の乗った重いパンチが吸血鬼の頬を打ち抜く。そのあまりに強烈な攻撃に吸血鬼は数メートルほど吹っ飛び、壁に背中を打ち付けて地面に崩れ落ちた。

 ゾンビちゃんはそのまま俺たちに背を向け、ペタペタ地面を蹴って走り出す。


「ああっ、どこいくのゾンビちゃん!?」


 俺の呼びかけにも応えることなく、彼女は細く入り組んだ通路へと姿を消してしまった。

 後を追うか迷ったが、追いついたところで俺がゾンビちゃんをどうにかできる訳でもない。それより優先すべきは怪我人の救助だ。

 俺は地面に這いつくばって動かない吸血鬼の元へ駆け寄り、彼の真上から声を掛ける。


「大丈夫? 首折れた?」

「……ははは」


 吸血鬼は俺の問いかけに答えるかわりに噛み殺したような笑い声を漏らした。

 頭を打って変になったかと心配していると、彼はゆっくりとした動作で顔を上げる。血の滲んだ口元は三日月形に歪み、一見笑っているようにも見えるがその目は大きく見開かれ怒りに燃えるような赤い瞳をゾンビちゃんの消えた通路に向けている。そのアンバランスな表情はまるで獣が牙を剥いて威嚇しているかのようだ。

 彼はフラリと立ち上がり、シャツに付いた砂埃を払うこともせずただ一言、こう言った。


「ヤツは僕を怒らせた」





*********





 重い鎧の擦れる音と騒々しい足音が響き渡り、ダンジョンには張り詰めた空気が充満している。

 緊急配備されたスケルトンたちがゾンビちゃんを探しまわっているのだ。もちろんスケルトンたちにこのような指示を出しているのは他ならぬ吸血鬼である。

 彼はどこから出してきたのか軍服風の黒い衣装を纏い、まるで軍司令官のごとく物々しい雰囲気を放っている。「吸血鬼って結構形から入るタイプだよね」などとは口が裂けても言えそうにない。

 吸血鬼はゾンビちゃん捜索に当たるスケルトンたちに向けて声を張り上げた。


「ツギハギだらけの薄汚い小ネズミを探し出せ、そう遠くへは行っていないはずだ。そして見つけ次第矢を放て、剣を振り下ろせ、四肢をもいで八つ裂きにしろ!」


 吸血鬼の物騒な言葉にギョッとし、俺は思わず声を上げる。


「ちょっと待ってよ、八つ裂きにする必要がどこにあるの?」


 すると吸血鬼は涼しげな表情を浮かべて当然だとばかりに口を開く。


「アイツがおとなしく捕まって開腹されるわけないだろう。手足は邪魔だ。おっと首は落とすなよ、手術中のBGMはヤツの悲鳴と決まっている」

「多分に私怨が含まれている……顔を殴られたこと根に持ってるな」

「ふふふ、どこへ隠れようと無駄だ。ヤツはもはや袋のネズミさ」


 吸血鬼は背筋の凍るような凶悪な笑みを浮かべ、血走った眼をダンジョンのあちこちに向けてゾンビちゃんを探す。

 もしこのまま吸血鬼がゾンビちゃんを捕らえることに成功したら、吸血鬼は間違いなく喜び勇んで必要以上の苦痛をゾンビちゃんに与えることだろう。

 もちろん腹を裂いて指輪を取り出すことは避けられないだろうが、ゾンビちゃんが無意味な苦痛を与えられ苦しみ悶えるところなど見たくはない。

 俺は事を穏便に済ませるべく独自にゾンビちゃん捜索に乗り出した。




「おーい、ゾンビちゃーん」


 俺はやや声を潜めてゾンビちゃんに呼びかける。

 相変わらずスケルトンたちはダンジョン中をウロウロと彷徨っているから、まだ彼女は吸血鬼にも発見されていないらしい。これだけの人数がダンジョンをシラミ潰しに探し回っているにも関わらずまだ見つからないということは、かなり特殊な方法で隠れているに違いない。

 俺は地面スレスレの低空飛行を行い、僅かな異変も見逃すまいと目を皿にしてダンジョンのめぼしい場所を探し回る。

 隠れられるような障害物もないある通路の一角にて俺は立ち止まった。地面にできた小さな土の盛り上がり――顔をあげて二足歩行していてはとても気付けないような僅かな異変だ。

 辺りを注意深く見回して吸血鬼やスケルトンが近くにいないことを確認し、俺はその小さな小さな土饅頭に向けてそっと囁く。


「ゾンビちゃんいるんでしょ? 出てきてよ」


 返事はない。本当にただ少し土が盛り上がっているだけなのだろうか。


「大丈夫だよ、吸血鬼はいないし悪いようにはしないから」


 念のためもうひと押ししてみる。が、やはり返事はない。


「……違うのかなぁ」


 考えすぎだったかと顔を上げ、再び捜索を続けようとしたその時。

 突然土饅頭からズボッと青白い手が伸び、凄い勢いで地面を掴む。土饅頭は崩れ去り、中からゾンビちゃんがモグラのごとくヌッと顔を出した。


「ゾ、ゾンビちゃん! やっぱりそこにいたのか」


 ゾンビちゃんはズルリと穴から這い出し、土と恐怖に塗れた顔で俺を見上げる。


「レイス、ドウシヨウ。ミンナ探してるよう」

「そうそう、もう吸血鬼がカンカンでさ。スケルトン総動員でゾンビちゃんを探してるんだ。このままじゃすぐ見つかって目も当てられないような酷い事されちゃうよ」

「ヒエエ……」

「でも大丈夫。スケルトンに口利きしてあげるから吸血鬼に見つかる前に指輪を出しちゃおう。それ持って謝れば吸血鬼もさすがにそこまで酷いことはできないはずだよ」

「エー、痛イのヤダなぁ」

「吸血鬼にされるより百倍マシだよ。ほら行こう、多分スケルトンがその辺に――」


 そう言いながら後ろを振り返った俺の目に飛び込んできたのは、スケルトンの白い体ではなく暗闇に浮かぶ赤い瞳であった。

 彼は俺の驚いた顔をその眼に映すなり不気味なほど満面の笑みを浮かべる。


「みーつけた」


 途端に辺りから物々しい足音が響き、大量のスケルトンが現れた。スケルトンは俺たちを取り囲み退路を塞ぐ。


「レイス、捜索ご苦労だったな」

「くそっ、なんで」

「なんで僕がここにいるのか?」


 吸血鬼は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、唇の端からその尖った牙を覗かせる。


「全部分かってたんだよ。君なら小娘を見つけ出せることも、君が僕に協力しないだろうことも、君の呼びかけならば小娘が素直に出てくることも。分かったうえで泳がせていたのさ!」

「最初から俺をつけてたのか」

「ははは、僕は君よりほんの少し長生きしているからな。これくらいの知恵はまわるのさ。さぁ小娘、指輪と殴られた頬の落とし前をつけてもらおうじゃないか」


 吸血鬼はゾンビちゃんを指差し、勝利宣言とばかりに高らかに言い放った。このままでは本当に八つ裂きされかねない。

 俺はゾンビちゃんと吸血鬼との間に入り、なんとかこの場をおさめようと説得を試みる。


「そ、そんな残虐な方法じゃなくても指輪は取り出せるじゃん。もう少し穏便に……」

「君は甘いなレイス、僕らは最初から残虐な化け物じゃないか。全員構えろ」


 吸血鬼は説得を拒絶するかのように俺の言葉を遮り、スケルトンたちに指示を出す。

 そして吸血鬼がその右手を振り下ろすや、ダンジョンに矢の雨が降り注いだ。ゾンビちゃんは体に数十本の矢を受け地面に崩れ落ちる。その姿はまるでハリネズミか剣山のようだ。いくら頑丈なゾンビちゃんとはいえここまで矢を受ければもはや満足に動くこともできないだろう。

 だが本当に不味いのはこれからだ。


「さぁ皆さんお待ちかね、ゾンビ解体ショーの始まりだ」


 吸血鬼は凶悪な笑みを浮かべて動きの封じられたゾンビちゃんの元へゆっくりと嬲るように歩み寄る。


「もう動けないんだから八つ裂きにする必要ないでしょ!」

「いや、まだ手足は動くだろう。ゾンビのしぶとさと怪力の恐ろしさは良く知っている」


 吸血鬼は無慈悲にそう言い放ち、ゾンビちゃんの矢が刺さった蒼い腕に手を伸ばす。次に起こるだろう残虐な光景が頭に浮かび、思わず目をつむったその時。

 俺たちを囲むスケルトンの壁を割って一体のスケルトンがガシャガシャと骨を鳴らしながら飛び込んできた。


「なんだスケルトン、小娘はもう見つかったぞ」


 楽しみを邪魔された吸血鬼は不機嫌そうに眉間にシワを寄せて後ろを振り返る。だがスケルトンの持ったモノを見て吸血鬼はその表情を凍らせた。


『指輪ってこれ?』


 スケルトンはそう書かれた紙を左手に持ち、右手には肌色の短い棒のようなものをつまんでいる。よく見ればそれには爪や関節がついており、さらにその根本には青い石のはめ込まれた銀色のリングが付いていた。

 吸血鬼はそれを指差し、震える声で問いかける。


「あ……え? ちょ、それどこに」

『宝物庫のあるフロアに落ちてた』

「ちょっとそれ見せて!」


 俺は慌ててスケルトンに駆け寄り、切り取られた指を見る。その断面はまるで刃物に切り取られたように滑らかで、ゾンビちゃんの歯型は見られない。


「もしかして……吸血鬼が戦いの途中で飛ばしたんじゃないの」


 ゾンビちゃん、そして俺たちを囲んでいたスケルトンたちの視線が一斉に吸血鬼に注がれる。

 彼は動揺を隠せず額に汗を浮かべながら目を泳がせていたが、やがてヘラリと笑って頭を掻いた。


「……あはは、いやぁ指輪が戻って良かった良かった」


 そう言って笑う吸血鬼の胸に一本の矢が突き刺さる。

 ゾンビちゃんが自分の体に刺さった矢を抜き、ダーツのごとく飛ばしたのだ。ゾンビちゃんは次々に体中の矢を抜き、壁に手を付いてフラリと立ち上がる。


「ど、どこにそんな力が残ってるんだ!」


 吸血鬼は自分の胸に刺さった矢と満身創痍のゾンビちゃんを見比べて怯えたような表情を浮かべる。


「ゾンビのしぶとさ、知ラナイノ?」


 ゾンビちゃんは血塗れの顔をにっこり歪ませ、抱え込んだ大量の矢のうちの一本を手にとった。


「待て、無意味な報復合戦はもうやめに――うっ」


 吸血鬼による説得力ゼロの説得は彼の腹を貫いた矢によって無慈悲に遮られた。

 交渉が無理だと悟った吸血鬼は慌てたようにゾンビちゃんに背を向けるが、退路はスケルトンによって塞がれている。もはや逃げ道はどこにもない。

 ゾンビちゃんは次の矢を構え、俺たちに向けて高らかに、そして残酷に宣言した。


「サァミナサンお待ちかね、吸血鬼串刺しショーの始マリだよ」




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