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54、ダンジョンハザード





 その男は今日も前触れなくやってきて厄介事をダンジョンに運んできた。



「わぁ、また来た」

「また来たのか……」

「マタ来タノ?」

「やぁみんな、また来たよ!」


 俺たちの訝しげな視線をものともせず笑顔で手を振るのは銀色の髪と琥珀色の目を持つ好青年の皮を被ったバケモノ、狼男である。


「なにしに来たんだ。また女から逃げてるのか」


 吸血鬼が呆れたように言うと、狼男は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。


「逃げてるっていうか、逃げてきたっていうか……あっ、でも今日はお土産があるんだよ。いつもお世話になってるからね」


 彼は思い出したようにポケットに手を突っ込み、目の眩むような激しいピンク色の薬液が入った注射器を取り出した。その先端には銀色に光る細長い針も付いている。


「な、なにそれ。凄い怪しいんだけど」

「これは今朝、俺が女の子に打たれそうになった薬だよ」


 狼男は事も無げにそう言って笑う。

 その激しい色に興味をそそられたのか、ゾンビちゃんが注射器を見ながら首を傾げた。


「なんのクスリ?」

「さぁ、栄養剤とか言ってたけど」

「絶対違う、もっとヤバいものだよコレ……」

「うん、俺もそう思ったからちゃんと抵抗して逃げてきたよ。その時ドサクサに紛れて注射器奪ってきちゃったからさ、せっかくだし何の薬なのか調べてみようと思って」

「なにが土産だ、自分がなんの薬か気になっただけだろう」


 吸血鬼の迷惑そうな表情にも一切動じることなく、狼男は注射器を軽く振って笑顔を見せる。


「まぁまぁそう言わないで、みんなもこれがなんなのか気になるでしょ?」


 狼男はそう言って地面に視線を落とし、通路の隅を彷徨くネズミを素早く拾い上げた。そして背中の皮を掴んでひっくり返し、ネズミの柔らかい腹に針を押し当てる。


「ネズミ量ってどれくらいかな、全部入れると多すぎるよね?」


 狼男はそう言いながらピストンをゆっくりと押し、えげつない色をした薬液を少量ネズミの体内に注入していく。


「さてどうなるかなー。眠る? 痺れる? それとも死んじゃう?」

「なんで楽しそうなんだお前」


 呆れたように言いながらも、吸血鬼の眼は狼男の手のひらに乗ったネズミに釘付けだ。俺達も息を呑んでネズミの動向を見守る。


 だがネズミは眠ったりひっくり返って動かなくなったり泡を吹いたりすることもなく、ただ狼男の手のひらと戯れるばかり。


「あれ、おかしいなぁ。なにも起こらない」


 狼男は指に戯れついてくるネズミを見て首を傾げる。そして残念そうな表情を浮かべながらも諦めたように顔をあげた。


「ネズミには効かないのかも。吸血鬼君打ってみて良い?」

「ふざけるな自分で打て。骸はゾンビに喰わせてやる」

「あっ、そうだここ普通のゾンビもいるんだっけ!」


 狼男はそう言ってなにか思いついたように手を叩く。

 彼の狙いがネズミからゾンビに変わったことを察し、俺は思わず目を丸くした。


「ええっ、もしかして上の階のゾンビに打つ気? ゾンビに薬って効くのかなぁ」

「ものは試しだよ、さぁみんな行こう!」


 俺達は狼男に急かされ、半ば強引に知能無きゾンビのいるフロアへと案内させられた。

 地上に近い階では多くの腐りかけた死体が彷徨い歩き、慣れない者が見れば卒倒してしまうような異様な雰囲気を放っている。だが狼男は狼狽えることも怯えることもなく冷静にゾンビたちを見回し、髪の長い若い女のゾンビを見つけ出した。


「せっかくだから女の子のゾンビに打とうっと」


 狼男に見初められたその女は他のゾンビと同じく身体の腐敗が進んではいるものの、よく見ればなかなか整った容姿をしている。生前はかなりの美人だったに違いない。こんな状況でも的確に美人を見つけ出す狼男の嗅覚に呆れつつも少々感心してしまった。

 狼男は低い呻き声を上げるゾンビの腐りかけた腕を掴み、その二の腕へシリンジに残った薬液を全て注入する。


「さてさてどうなるかな?」


 狼男は悪戯っぽい光を瞳に宿し、薬の効果を見届けようとジッとゾンビを観察する。

 大方の予想に反し薬の効果はすぐに現れた。

 だがゾンビの身体が示した薬の効果は催眠でも麻痺でも毒殺でもない。みるみるうちに予想外の変化を起こしていくゾンビの身体を前に、俺たちは恐怖に染まった顔を見合わせた。


「ワー、スゴイムキムキ」

「こ、これはどういう事だ」

「本当になんの薬なのコレ!?」

「いやぁ俺にもサッパリ……」


 そう言って苦笑いを浮かべる狼男にゾンビの……いや、ゾンビだったモノの手が迫る。狼男はヒラリと身をかわしてなんとかその攻撃から逃れるが、目の前に立ち塞がる強大な危機から逃れられた訳ではない。


「うっ……いよいよ不味いことになったぞ」


 すっかり薬による変身が完了し、ゾンビの身体はみるもおぞましいモノへと変貌を遂げていた。

 命を落としてゾンビとなり、腐りかけながらも辛うじて保っていた生前の姿は見る影もない。今や彼女は肥大した筋肉の鎧に覆われ、歯をむき出しにして怒りの表情を浮かべる化け物だ。その腐りかけた皮膚は身体の急激な発達に対応できず、ズルズルに剥げて血色の悪い筋肉を剥き出しにしてしまっている。

 そして彼女の濁った眼はしっかりと狼男を捉えていた。


「ひええ、吸血鬼君助けて」

「自分で撒いた種だろう。お前がどうにかしろ!」

「そんな酷いこと言わないでよ、俺じゃあんなの倒せない! それにアレがずっとダンジョンにいたらみんなも気が休まらないでしょ?」

「くそっ、このクズ野郎め……」


 吸血鬼はそう言いながらも体勢を低くし、鋭い目で化け物を睨みつける。

 だが身長三メートルはあろうかという屈強な肉体を手に入れた化け物に立ち向かっていく勇気がイマイチでないのか、吸血鬼はなかなか行動を起こそうとしない。

 俺は吸血鬼へそっと近づき、彼の背中を押すべく口を開く。


「大丈夫だよ。アイツ、多分見た目ほど強くない」

「ど、どういうことだ」

「ゾンビのボロい身体がこんな急激な変化に耐えられる訳ない。筋肉だってきっと腐っちゃってるし、見掛け倒しもいいとこだよ」

「本当か? よし……分かった」


 吸血鬼は決心した様に頷き、巨大な化け物に助走をつけて飛び掛かる。

 だが化け物は蚊でも払うかのように吸血鬼に強烈な平手打ちをぶち込み、彼を壁にめり込ませた。

 吸血鬼はなんとか壁から這い出し、砂埃で汚れた顔を俺に向けて叫ぶ。


「全ッ然ダメじゃないか!」

「ゴメン、適当言った」


 化け物は吸血鬼には目もくれず、俺たちを見下ろして蛇が威嚇するような音を口から漏らした。


「ナンカシューシュー言ッテる」

「もしかして怒ってる?」

「に、逃げろ!」


 俺たちは化け物から逃れるべく慌てて走り出した。

 だが化け物もそう易々と俺たちを逃がすつもりは無いらしい。ダンジョンを揺らしながらもその巨体に似合わぬスピードで通路を駆け抜け、俺たちに迫る。

 化け物の手が俺たちの背中をかすり、もうダメかとあきらめかけた瞬間。突然すぐ後ろまで迫っていた化け物の足音が止んだ。

 どうやら俺たちは狭い通路に逃げ込むことに成功したらしい。化け物はその大きな体がつかえてこちらの通路に入ってこられないようだ。

 だがその両の眼はまだ執拗にこちらへ向けられている。俺たちは化け物の視線から逃れるべく、曲がりくねった細い通路をさらに奥へ進んだ。


「と、とりあえず助かった……」


 狼男は安堵の息を吐くが、吸血鬼は彼を睨み吐き捨てるように言った。


「助かっただと? 馬鹿言え、ダンジョンを化け物が彷徨いているんだぞ!」


 ゾンビちゃんも通路にへたり込み、膝を抱えて不安そうな声を漏らす。


「アノ人凄イいっぱい食ベソウ。私の冒険者(ニク)盗ラレチャウよう」

「冒険者を食べるだけならまだマシだよ。下手したらゾンビちゃんや吸血鬼まで食べられちゃうかも」

「あーッ、どうしたら良いんだ! 食べられたくない食べられたくない……」


 そう言って頭を抱える吸血鬼を横目に、狼男は呑気な声を上げた。


「あっ、俺そろそろお暇しようかな。これから女の子と約束が」

「待て」

「絶対逃サナイよ」


 吸血鬼とゾンビちゃんは恐い顔をして狼男に詰め寄る。

 だが狼男はヘラヘラ笑いながらゾンビちゃんを見つめ、彼女の手を握った。


「女の子にそう言われるとなんか嬉しいなぁ。じゃあゾンビちゃんが俺と遊んでくれる?」

「絞め殺せ小娘」

「言ワレナクテモ」


 ゾンビちゃんは狼男の背中に飛び掛かり、彼の首に腕をまわして締め上げる。

 狼男の首はミシミシと音を立てて軋み、彼は目を白黒させながらギブアップとばかりにゾンビちゃんの腕を叩いた。


「じょ、冗談だって! 折れちゃう折れちゃう!」

「ちょっと、遊んでる場合じゃないよ! ずっとこうやって細い通路に隠れてるつもり?」

「それはもっともだが、あんな化け物三人がかりでも倒せるかどうか」

「あ、俺を頭数に入れないでくれる? 俺あんなのと戦えないよ」


 ようやくゾンビちゃんから解放された狼男は肩で息をしながら蒼い顔で首を振った。

 吸血鬼は狼男の言葉にガックリと肩を落とす。


「はぁ、お前が大人しく女に薬を打たれていればこんな事にはならなかったのに」

「あはは、危ないとこだったよ。あんな姿じゃ女の子に恐がられちゃうからね」

「……ちょっと待って。もし狼男が逃げずに薬を打たれてたらその女の人だって無事では済まなかったんじゃない?」


 俺の言葉に狼男は目を丸くして手を叩いた。


「ああ、確かにそうだよね」

「お前命を投げ打ってでも復讐したいと思われるほど恨まれてたのか? 一体なにしたんだ」


 怪訝な表情を浮かべる吸血鬼の言葉に、狼男は激しく首を振って見せた。


「そんな酷いことしてないよ俺!」

「じゃあ良好な関係だったの?」

「あー……いや」


 狼男は苦笑いを浮かべ、少々言いにくそうに口を開く。


「その娘結構ベタベタしてくるタイプでさ。ほら、俺追いかけたいタイプじゃん?」

「いや、知らないけど」

「狩った獲物には興味なくなってきちゃうんだよねぇ。だからそのまま姿くらまそうとは思ってた」

「サイテー」


 ゾンビちゃんはそう言って心底軽蔑したような眼差しを狼男に向ける。

 もちろん酷い男だとは思うが、正直そのくらいならば良く聞く話だ。


「その程度なら自分の命を投げうってまで怪物にしようとは思わないよね普通」

「でしょでしょ?」

「もっと酷いことしてたんじゃないのか? 正直に言え」


 吸血鬼は怪訝そうな表情を浮かべて狼男を問いただす。

 だが狼男は口を尖らせ、不服そうにつぶやいた。


「してないってば! みんな俺をなんだと思ってるんだよ……ん?」


 狼男は不意に視線を足元に落とし、そして地面から何かを拾い上げた。

 彼の手のひらの上で丸まっているのは、灰色の毛皮に身を包んだ小動物である。確証はないが、その顔にはなんとなく見覚えがあった。


「あっ、さっきのネズミかな」

「ほーら、動物には分かるんだ俺の優しさが」


 狼男はそう言ってゴワゴワしたネズミの背中を撫でる。

 だが吸血鬼は眉間に皺を寄せ、ネズミから一歩二歩と後退りした。


「大丈夫なのかそれ、あの薬打ってるんだろ。今にムキムキになってお前を食い殺すぞ」

「そ、そんなことないでしょ……」


 狼男はそう言って笑うが、先ほどの化け物の姿が脳裏によみがえったのかその笑顔はどこかぎこちない。彼は手のひらの上のネズミを地面にそっと下ろした。

 だがネズミはどこへも行かず、狼男の靴に身体を摺り寄せる。まるで長年連れ添った主人にじゃれ付く犬の様だ。


「狼に懐くなんて命知らずなネズミだ」

「餌付けでもしたの?」


 俺の言葉に狼男はとんでもないと言う風に首を振る。


「するわけないでしょ、俺が餌付けするのは女の子だけだよ」


 ゾンビちゃんは地面にしゃがみこんで素早くネズミの背中をつまんで持ち上げ、その腹部を覗き込んだ。


「アッ、このネズミメス」

「いやいや、さすがの俺もそこまで守備範囲広くないかな」

「でも変だな、こんなに懐くなんて。野生のネズミなのに」


 吸血鬼はそう言って腕を組み首を傾げる。

 ダンジョンに住むほとんどのネズミは懐くことはおろか、人が近付くと逃げ出してしまうほど臆病な性格だ。餌付けもしていない初めて会う人間にここまで懐くなんて正直ありえない。


「……もしかして、これこそ薬の作用なんじゃ」

「どういうことだ?」

「ネズミ、ムキムキじゃナイよー」


 三人はキョトンとした表情を浮かべてジッと俺を見つめる。

 俺は断片的に得られた情報を頭の中で組み立てながらゆっくりと口を開いた。


「化け物化はあくまで副作用というか、本来想定されている効果じゃないんじゃないかな」

「じゃあその本来想定されている効果ってのは何なんだ?」


 俺は目を瞑り、ゆっくりと慎重に考える。

 彼女の元を離れようとしていた狼男、妙に懐くネズミ、そして化け物が狼男に伸ばした手――俺はそれらから一つの解を導き出した。


「あの薬は、惚れ薬だったんだよ!」


 俺はネズミを指差して決め台詞の如く高らかに声を張り上げたが、意外にも三人の反応は冷静かつ冷ややかな物であった。


「……なんで惚れ薬でムキムキになるんだ」


 予想外の反論に一瞬言葉を詰まらせたが、俺は動揺を悟られないよう胸を張ってその質問に答える。


「そ、それは副作用だってば」

「惚れ薬の副作用がムキムキってどうなの?」

「うるさいな、得体のしれない薬と生ける屍だよ? 何が起きてもおかしくないじゃん」

「ソウカナァ」


 口々に反論を唱える三人を何とかなだめつつ、俺は頭の中で組み立てた推理をみんなに披露する。


「まぁ聞いてよ、当てずっぽうで言ったわけじゃないんだ。まず狼男はその女の人の元を離れようとしてたんだよね? 彼女は薄々それに気付いてた。だから惚れ薬で気持ちを繋げ止めようとしたんだ」


 俺の言葉に狼男は考え込む様に腕を組み、そして小さく頷いた。


「んー、まぁありえない話じゃないかな」

「でしょ? ネズミが狼男に懐いてるのも惚れ薬のせい、化け物も真っ先に狼男に手を伸ばそうとしてた。ほら、辻褄が合う!」

「ナルホドナルホド」


 ゾンビちゃんも納得した様に数回頷く。

 だが吸血鬼はため息を吐きながら肩をすくめ、呆れたように言った。


「ちょっと待て、あの薬の正体が分かったところでなんになる? ダンジョンを化物が彷徨いてることには変わりないぞ」

「いや……副作用であんな体になったとしてもあれはあくまで『惚れ薬』。主作用が消えた訳じゃない。つまりあの化け物の目的は――」


 俺たちは弾かれたように狼男へ6つの眼を向けた。


「あ……ええと、やっぱ俺帰ろうかな」


 狼男は冷や汗と苦笑いを浮かべて俺たちから逃げる様に後退りをする。

 だが彼を挟む二人の化け物から逃れる手段などありはしない。吸血鬼とゾンビちゃんは狼男をジリジリと壁際まで追い詰め、そしてニッと口元を歪めた。


「自分で蒔いた種だ、責任を取ってもらおうか」

「『オンナノコ』とイッパイ遊べるよ。嬉シイでしょ?」




*********




 ロープで手足を拘束された狼男が吸血鬼とゾンビちゃんにより神輿のように担がれ細い通路を進んでいく。

 狼男は拘束から逃れようと暴れるが、力でこの二人に敵う者などそうはいない。それを悟ったのか、彼は縋るような視線を俺に向けてきた。


「た、助けてレイス君。二人にやめさせるよう言って! 他に方法があるはずだよ」

「ごめんね狼男、君のことは忘れないよ」

「うわああっ、鬼! 悪魔!」


 狼男の叫び声がダンジョンに響き渡る。

 その声を聴きつけたのか、細い通路の先から濁った二つの目が覗いた。彼女は地響きのような呻き声を上げ、檻に囲まれた飢えた獣が肉を求める様にその腕を俺たちの方へ伸ばす。


「ひいいっ、助けて! 考え直してよ!」

「大丈夫、女の扱いには慣れているだろう?」

「行クヨー、セーノ」


 ゾンビちゃんの掛け声に合わせて狼男の身体は弧を描いて飛んでいき、化け物の固い胸へと飛び込んだ。

 化け物はガラス細工の人形でも扱うように狼男を優しく担ぎ上げる。これからの二人の生活に希望を抱いているのだろう、彼女の顔はどことなく満足げだ。

 一方の狼男はこの世の終わりの様な表情を浮かべ、なおも抵抗を続けている。


「うわあああ、助けてーッ!」

「達者デナ」

「元気でやれよ」

「あ、出口あっちです」


 俺たちに見送られ、二人は光の降り注ぐ外の世界へと歩いていく。まるで二人の新しい門出を世界が祝福しているような爽やかな天気だ。


 やがて二人の背中は見えなくなり、ダンジョンに平和が訪れた。






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