53、派手な技が欲しい
「……なにやってるの?」
俺はクラゲのようにふらふらと通路を彷徨うゾンビちゃんにそう尋ねる。彼女は右に左に忙しなく眼球を動かしながら首を傾げた。
「ナンカ血の匂いスル」
「血? 冒険者のかな」
「ンー……でもモット新シイ血の匂い」
スンスンと鼻を鳴らしながら通路を進んでいくゾンビちゃん。俺の鈍い嗅覚では血の匂いなど感じられないが、なんとなくその正体が気になって彼女の背中を追いかける。
「アッ、コノ先!」
そう言ってゾンビちゃんが指差したのは、宝物庫のある最深層のフロアへと続く階段だ。
ゾンビちゃんは階段を跳ねるように下り、フロアへ続く一本道を駆けていく。俺も彼女に続いてフロアへと向かう。
フロアに辿り着いた俺たちを出迎えたのは、顔の蒼い吸血鬼と彼の足元に溜まった大量の血であった。
「……あ」
俺は動揺のあまり言葉を失った。
吸血鬼の性質や職業上、彼のそばに血液があるのはいつものことだ。食事、戦い、自分の、他人の問わず生活の様々な面で血が付いてまわる。
だが今回彼の足元に溜まった血液は「生活上必要な血液」でないことが明らかだった。
吸血鬼の白い左手首はパックリと赤く割れ、そこから滴る血液が足元の血溜まりに波紋を広げている。そしてその右手には赤く濡れたナイフが握られていた。
「うわあああっ、なにやってるの!? ゾンビちゃん押さえて!」
「ハーイ」
ゾンビちゃんはサッと吸血鬼の背後にまわりこみ彼を羽交い締めにする。ミシミシという骨の軋む音と共に悲鳴が上がった。
「痛い痛い、なにするんだ! ああっ、肩甲骨が!」
吸血鬼の手からナイフが滑り落ち、血溜まりの中へと沈む。
俺は痛みに目を白黒させ、ゾンビちゃんから逃れようと藻掻く吸血鬼の肩に手を置いた。
「悩みがあるならそんな事してないで俺らに相談してよ!」
「ソーダソーダ!」
ゾンビちゃんも力強く頷きながらより一層吸血鬼を締め上げる。
だが吸血鬼は髪を振り乱して必死に首を振った。
「違う! 自傷癖があるわけじゃないぞ!」
「……えっ、違うの?」
「はぁ、死ぬかと思った」
ゾンビちゃんから解放された吸血鬼は眉間にシワを寄せてやれやれとばかりに肩をまわす。彼の手首の傷はもうすっかり治ってしまっているが、地面に溜まった赤い血液はまだしっかりと残っている。
「で、なんでこんなことやったの?」
尋ねると、吸血鬼はいつもより蒼い顔に苦笑いを浮かべた。
「ええと、なんと説明すれば良いのかな。簡単に言うと、血液を武器にできないかな……と思って」
「は?」
「いやだから血液を武器に……」
「もしかしてなんだけど、吸血鬼頭沸いちゃってる?」
「真顔で人を馬鹿にするな! 別に根拠なく言ってるわけじゃないぞ、実際そうやって戦っている吸血鬼がいるらしいんだ」
一見ふざけているようにも思えるが、吸血鬼は至って真面目な顔でそう言ってのける。
よく考えてみれば吸血鬼には霧化や蝙蝠化、そして不老不死といった馬鹿らしいほどに強力な力が備わっているのだ。俺の知らない能力があっても不思議ではない。
そう思い直し、俺は吸血鬼に対する質問を変えた。
「血で戦うって、一体どうやって?」
俺は毒霧の如く口から霧状の血を吐きかける吸血鬼を想像しながらそう尋ねる。液体を武器にする方法なんてそれくらいしか思いつかない。
だが吸血鬼が口にしたのは俺の想像とは全く違ったものであった。
「僕も実際に見たことは無いんだが、体から出た血を凝固させて文字通り武器にするらしい。剣とか、鞭とかな」
なるほど、凝固させるという手があったか。
そう感心するとともに、新しい疑問も湧いてくる。
「それって普通に剣とか鞭使うのはダメなの?」
俺の言葉に吸血鬼は困ったような表情を浮かべて一瞬言葉を詰まらせた。
「うっ……身も蓋もない事言うな! 僕が言いたいのはそう言う事じゃなくて」
「じゃなくて?」
「……戦いにもっと派手さが欲しいんだよ!」
その言葉の意味が良く分からず、俺は頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。
吸血鬼は引き続き子供が駄々をこねるようにして声を張り上げた。
「冒険者たちが派手なエフェクトの出る魔法使ってるっていうのに、僕は殴るとか蹴るとかばっかりだ。もっと派手で格好良い技が欲しい!」
「あー、そう言う事かぁ」
なんとなく吸血鬼の言いたいことが分かり、俺は腕を組んで数回頷いた。
魔法など特殊な技を使わない吸血鬼の戦いは意外と地味だ。もちろん吸血鬼の身体能力は生身の人間よりずっと高く、その身のこなしは軽やかかつ華麗である。だがやはり炎の玉やら氷の刃やらをバンバン降らせる魔法などの大技に男ならば誰でも一度は憧れる。
ゾンビちゃんはどうも吸血鬼の言葉にピンとこないらしく、怪訝な表情を浮かべて首を傾げた。
「殺シテ食べられればソレで良イじゃん」
「はぁ……分かってないな。これだからゾンビは」
吸血鬼はわざとらしくため息を吐き、ヤレヤレとばかりに首を振る。
「良いか、僕らは冒険者に恐怖を与える存在でなくてはならないんだ。だが僕らの見た目は良くも悪くも人間とそれほど変わらない。なら他の部分で恐怖を与える必要がある……それが『派手な技』だ!」
「ンー、ナンカ短絡的」
「そんなことはない、お前が思っている以上に人間というのはパッと見の印象に左右されやすいんだぞ。例えばナイフでの刺殺と断頭台での斬首、どちらがより人間に恐怖を与えられるかは明白だろう。断頭台を使ったほうが早く確実に楽に逝けるという事実よりも仕掛けの派手さに目を奪われ恐怖するんだ」
吸血鬼は身振り手振りを交えて熱弁をふるう。
言っていることはそれっぽいが、ただ格好良く戦いたいだけじゃないかという疑問が浮かばないではない。まぁ気持ちは良く分かるのであえてその疑問は口に出さず、俺は吸血鬼の足元に溜まった固まりかけの血液を指差した。
「ちなみにその血を武器にするってやつはどうだったの? 上手くいきそう?」
俺の言葉に吸血鬼は肩を竦め、すっかり傷の治った手首を撫でながらその蒼い顔に無念の表情を浮かべる。
「いや、何度もやってみたんだが地面に流れ落ちるばかりでな。眩暈がしてきたからやめようと思ってたところだ」
「貧血起こす前に諦めなよ……ていうかそんな事しなくても吸血鬼派手な技あるじゃん。霧化とか、蝙蝠化とか、催眠術の練習もしてたよね? ああいう技を使えば良いんじゃないの」
「あー……まぁその手もないことはないが……」
吸血鬼はバツの悪そうな表情を浮かべて俺たちから視線を逸らす。
その様子で吸血鬼が「吸血鬼特有の技」を使った時の顛末を思い出し、俺は思わず手を叩いた。
「ああ、そういえば吸血鬼って『吸血鬼の技』がイマイチ下手だよね。他の事では器用なのになぁ」
霧化した時はダンジョン中に広がって仲間の視界まで遮ってしまったし、蝙蝠化した時は無数の蝙蝠の群れではなく一体の巨大蝙蝠にしか変身できず挙句猛禽類に攫われたし、吸血鬼の催眠術にかかって暴走したゾンビちゃんは彼を食い殺した。
全く能力が使えない訳ではないが、そのクオリティは実戦で使えるレベルではない。
「チャント練習シナイからだよ」
ゾンビちゃんの言葉は図星だったらしく、吸血鬼は眉間にシワを寄せて露骨に嫌そうな表情を見せた。
「うっ、うるさいな……お前こそ取り柄は怪力だけじゃないか」
「私は派手ナ技アルもん」
「ゾンビにいったいどんな技が使えると言うんだ。口から火でも吐くのか? 目からビーム?」
「ンー、じゃあ見セテあげる。チョット待ッテ」
ゾンビちゃんはそう言うと自らの腕を口に運び、そのままなんの躊躇いもなく齧り付いた。彼女はブチブチと音を立てながらとうもろこしでも食べるように腕をぐるりと一周齧っていく。
彼女の腕や口周りは血だらけ、齧った肉の間から赤く濡れた骨が見えている。
ゾンビちゃんは涼しい顔でやってのけているが、目を逸らしたくなるほど痛々しい光景だ。
「ちょっと、大丈夫なのそれ?」
あまりの奇行っぷりに少々心配になってきて、俺はゾンビちゃんにそう尋ねる。
するとゾンビちゃんは「ダイジョウブダイジョウブ」などと言いながら肉を失って外へ露出した腕の骨を事も無げに折った。
千切れかけてブラブラになった満身創痍の腕をゾンビちゃんはゆっくりと振り上げ、そして風を切る音を立てながら凄い勢いで振り下ろした。
「遠距離パーンチ」
千切れかけていたゾンビちゃんの腕は遠心力によって完全に本体から切り離され、さながらロケットパンチのように真っ直ぐ宙を飛んでいく。
ゾンビちゃんの腕は目にも止まらぬ速さで吸血鬼の頬をかすめ、彼の背後の壁にめり込んでその動きを止めた。ひび割れた壁を横目に、吸血鬼は蒼い顔をして息を飲む。
「ヒッ……」
「チッ、外シタ」
ゾンビちゃんはつまらなさそうにそう言って壁にめり込んだ腕を回収する。
吸血鬼は恐怖で固まった顔をほぐすようにゾンビちゃんのパンチがかすめた頬を擦った。
「な、何だその技!」
「ウデがもげかけて使イモノにならなくなった時の奥ノ手だよ」
ロケットパンチはロボットの専売特許だと思っていたが、どうやらアンデッドにも使える技らしい。
「起死回生のチャンスを掴み取る捨て身の必殺技……なんか格好良いじゃん、吸血鬼も真似しなよ」
吸血鬼は首がもげそうな勢いで首を振り、俺の提案を却下する。
「嫌だ! 君の目は腐っているのか? 全然格好良くないだろう、もっと真面目に考えてくれよ」
「うーん……あっ、そうだ。魔法の付与された武器を使うってのはどう? 炎を刀身に纏った剣とか、伸縮自在の薔薇の鞭とか、冷気を放つ氷の槍とか」
冒険者の中にも吸血鬼と同じく格好良くて派手な技を求める者は多い。それらの武器は魔法の使えない者にも扱える「格好良い武器」として高い人気を誇っているのだ。
案の定、吸血鬼も俺の言葉に目を輝かせた。
「良いじゃないか、そういうのだよそういうの。どこに売ってるんだ?」
「ええとね、炎の剣は『赤の女王の地下迷宮』、薔薇の鞭は『眠りの森』、氷の槍は『永久凍土の古城』だったかな」
「聞いたことない店だな。通販やってるか?」
「いや、店じゃなくてダンジョンだから」
「は? ダンジョン?」
思いがけない言葉に目を丸くする吸血鬼に、俺はそれらの武器の入手経路を伝えた。
「どれもダンジョンのボスを倒すと手に入るレアアイテムだよ。一番近いのは眠りの森かな、ここから馬を走らせて二週間以上かかるけど」
「イッテラッシャーイ」
ゾンビちゃんは千切れた腕を手に持って大きく振る。
だが吸血鬼は期待ハズレだとばかりに大きくため息を吐いて壁にもたれかった。
「行けるわけないだろう、同業者だぞ」
「もしかしたらどこかの武器屋で中古のが売ってるかもしれないけど、結構高いだろうなぁ。俺も薔薇の鞭は持ってたけど結構高値で売れたから」
俺の何気ない言葉に、吸血鬼は目の色を変えた。
「君そんな良い武器持ってたのか? どうして売ってしまうんだ!」
「鞭って扱いが難しいんだよね。それにああいう魔法付きアイテムは繊細だから手入れが大変だし」
「冒険者のくせにそんな軟弱な事言ってるから小娘なんかに食い殺されるんだぞ!」
「そんなこと言われてもなぁ」
「ワー、ヤツアタリだー」
ゾンビちゃんはそう言って悪戯っぽくケラケラ笑った。
「まぁ無いモノは仕方ないでしょ。やっぱり吸血鬼特有技の練習したほうが早いって。蝙蝠化とか極めて実戦に生かせれば格好良いと思うけどなぁ」
吸血鬼は不機嫌そうにそっぽを向き、腕組んで唸るような低い声で言う。
「簡単に言うな、ああいうのは結構難易度が高いんだぞ。僕はもっとお手軽に格好良い技を習得したい!」
「うわぁ、とうとう本音出したな」
吸血鬼の気持ちも分からないではないが、やはり派手で強力な技の習得はそう手軽にできるものではない。
俺は考えた挙句、吸血鬼に一つ提案した。
「じゃあ無理に新しい物を取り入れようとしないで今の戦い方をもっと派手にしてみたら良いんじゃない」
「具体的に言うと?」
「うーん、例えば……技名を叫ぶ、とか?」
********
「真夜中の刺客!」
吸血鬼はそう叫びながら冒険者に強烈な正拳突きを放った。だが冒険者はそれを軽い身のこなしでヒラリとかわす。
相手の実力は吸血鬼と拮抗しているように思う。だが長く激しいが続き、吸血鬼の体力は酷く消耗していた。疲れているのは相手も同じはずだが吸血鬼の方が呼吸が荒く、ゼェゼェと苦しそうな喘鳴が聞こえる。
なぜなら吸血鬼は冒険者よりずっと多く喉を使っているからだ。攻撃の度に叫ぶ技名が吸血鬼から無駄に酸素を奪っていく。
「トワイ……イト……」
声は掠れ、もうなんと言っているのかよく分からない。激しく動きながら口を動かしたことでもう何度も舌を噛んでしまっており、口の端から冒険者から受けた攻撃とは関係のない血を流している。
それでも吸血鬼は技名を叫んでから殴るのをやめない。一度「技名を叫ぶキャラ」を設定してしまったら、疲れたからといってそう簡単にキャラ設定を壊す訳にいかない。もう後には引けないのだ。
だが吸血鬼にもとうとう限界が来たらしい。
疲れとダメージの蓄積により、足をもつれさせて体勢を崩した。その隙をついた冒険者の攻撃は吸血鬼の腹部を貫き、彼に致命傷を与えた。
血の海に沈んでもまだ息のある吸血鬼に、冒険者は白く光る剣の切っ先を彼の胸に突きつける。
「止めを刺す前に一つ聞かせてくれ」
冒険者は長時間に渡り命のやり取りを行った「強敵」を見下ろし、そして尋ねる。
「なんで魔法も使わないのに詠唱してんの?」
冒険者の非情な一言に、吸血鬼の蒼白い顔がみるみる紅潮していった。
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「こんなの全然スマートじゃない! 格好悪すぎるじゃないか!」
心臓に剣を突き立てられ血の海に沈んだ吸血鬼は胸から血が吹き出ることも厭わず足をバタつかせる。
「俺はそんなに悪くなかったと思うよ、バトル漫画みたいで格好良かったよ!」
俺は吸血鬼を見下ろしながら精一杯のフォローを送るが、彼は虚ろな目を俺に向けて言った。
「恥ずかしくて死にそうだ、いっそ殺してくれ……」
「殺したって死なないでしょ。そうだよ、吸血鬼には『不老不死』っていう派手で強力な能力があるじゃん! こんな凄い力のあるヤツはそうそういないよ」
「それもっと早く言ってくれよ……」
吸血鬼はそう言いながら寝返りをうち、血溜まりに顔を伏せて不貞腐れたようにブクブクと泡を出した。