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51、秋の夜長の過ごし方

 





「あああああ、暇だぁ。暇すぎて死ぬう」


 静かなダンジョンに俺の声が良く響く。だがいくら叫んでも俺に「大丈夫?」などと声をかけてくれる者は現れない。

 なぜならみんな早々に自分の部屋へと行ってしまい、通路に誰もいないからである。

 夏が終わり季節が秋に移り変わったことで日の出の時間は遅く、日の入りの時間は早くなってしまった。それに伴い冒険者たちの活動時間は短くなり、代わりにアンデッド達の睡眠時間が増えた。

 だが幽霊レイスである俺は睡眠を必要としない……というか、睡眠をとることができない。皆が寝静まった夜から皆が起き出す朝までの間は一人ダンジョン内をウロウロとパトロールすることで暇を潰していたが、さすがにこう毎日変わり映えしないダンジョンを眺めていると気が狂いそうになる。

 何か暇を潰せる方法は無いかと考えてはみたものの、俺の「物に触れることができない」という致命的な弱点が邪魔をして一人ではほとんどの娯楽を楽しむことができない。

 夜、幽霊が人間達を脅かすのは、もしかしたら暇に耐えられなくなったからではないだろうか。


「……みんなもう寝たかな」


 それぞれの部屋へと皆が向かってからそう時間は経っていない。

 早くも孤独感に苛まれ始めた俺は、少しでも時間を潰すため迷惑を承知の上で皆に助けを求めることにした。





********





「うらめしやー」

「……なんだレイス、変なものでも食ったか」


 もう寝るところだったのだろう。すでに着替えを済ませ、パジャマに身を包んだ吸血鬼は壁から這い出た俺を見るなり怪訝そうな表情を浮かべた。寝る前に読書を楽しんでいたらしく、机に向かって本を開いている。


「おっ、読書の秋かぁ。何読んでるの?」


 俺はすかさず吸血鬼が机の上に置いた本を覗き込む。だが本には文字ではなく色とりどりの写真やイラストがショーウィンドウのように並べられていた。ページ上部には「ダンジョンにピッタリのインテリア特集」との見出しが躍っている。


「なんだ、またカタログか。あんまり無駄遣いしない方が良いと思うけど」

「み、見てるだけだよ。それより一体なんの用だ? まさかカタログを見ていることにケチを付けに来た訳ではあるまい」

「実は俺、夜中凄い暇でさ。もう気が狂いそうなんだよ」


 俺が普段どんなに寂しく退屈な夜を過ごしているかを涙ながらに力説するが、吸血鬼の反応はイマイチ薄い。彼は頬杖をつき、あくび混じりに口を開いた。


「それは気の毒だが、僕にどうしろと言うんだ」

「なんか暇を潰す方法を考えてよ。吸血鬼って俺より何倍も長く生きてるじゃん。どうやって暇を潰してきたの?」

「そうだな……街にいた頃は絵を描いたり、楽器を奏でたり、演劇を見に行ったりもしたな」


 思いの外ハイセンスな吸血鬼の「暇潰し」に、俺は思わず口を尖らせた。


「へー、なんかオシャレでムカつく」

「君が聞いてきたんじゃないか。なんだか今日はやけにやさぐれているな」

「毎日毎日行くあてもなくダンジョンをウロウロしてると心が荒んでくるんだよ。吸血鬼も今度試してみると良いよ」

「それをして僕に何のメリットがあるというんだ。とにかくこの話は明日にしてくれないか。僕はもう寝る」


 その冷酷な宣言に俺は身体を強張らせる。そしてあの暗く寂しい通路へ戻りたくないがために、俺は恥も外聞もかなぐり捨てて吸血鬼に泣きついた。


「ええっ、そんなぁ。もう少し暇つぶしに付き合ってよう。もしくは一人で出来る暇つぶしを教えて」


 吸血鬼は面倒そうな表情を隠そうともせず俺へ向けていたが、やがて思いついたように手を叩いた。


「ああそうだ、どこかでジャケットのボタンを落としたんだ。暇なら探しといてくれ」

「なんだよそれ、そういう事聞いてるんじゃないんだけど!」


 俺は怒りを爆発させながら吸血鬼の発言に対して抗議をするが、彼は取り合おうとしないばかりかヘラヘラ笑いながら立ち上がり、俺の透けた体を指差した。


「どうせ彷徨うなら目的があって彷徨うほうが有意義じゃないか。君の体は物探しに向いているしな」

「くっそー、ボタンなんて見つけても絶対教えないからな。あとお前が寝静まった頃枕元に立って寝言リスニングしてやる」

「気味の悪い事はやめろ!」


 吸血鬼は吐き捨てるように言うと、クッションの敷き詰められた寝心地の良さそうな棺桶に入って毛布にくるまり、俺をキッと睨みつけた。


「とにかく僕はもう寝る! おやすみ!」


 吸血鬼は乱暴に棺桶の蓋を引っ掴み、大きな音を立てながらそれを閉めた。






*************






 吸血鬼に半ば追い出されるようにして部屋を出た俺は結局いつものように行く宛もなく静まり返った通路を彷徨った。


「くそっ、吸血鬼め。だいたい吸血鬼が夜寝るなんておかし……ん?」


 通路の真ん中にツギハギの塊みたいなのがうつ伏せになって倒れている。服にはところどころ赤黒くなった血が付着しており、知らない人が見たら間違いなく死体だと思うだろう。いや、それもあながち間違ってはいないのだが。

 俺は音もなく彼女に忍び寄り、真上からお決まりの台詞を囁く。


「うらめしやー」

「…………」


 まだ寝入っていなかったらしく、ゾンビちゃんは俺の声に反応して僅かに顔をあげる。だが半目で俺の姿を見るや何も言わずにまた地面へ顔を突っ伏してしまった。


「いやいや、起きてるなら無視しないでよ」

「ンー……ナニ? 朝?」


 ゾンビちゃんは目を擦りながら寝返りを打って仰向けになり、浮遊する俺を見上げる。寝かけていたところを起こしてしまって申し訳ないと言う気持ちももちろんあったが、結局寂しさには勝てなかった。


「朝じゃないんだけど……実は夜暇でさぁ、なんか良い暇潰しないかな?」


 尋ねると、ゾンビちゃんは不機嫌そうに目を細めて首を傾げる。


「……寝レバ良イじゃん」

「それができないから困ってるんでしょ」

「じゃあナンカ……食ベレバ……」

「だからそれもできないんだって! じゃあ質問を変えるよ。ゾンビちゃんは普段何して暇潰してる? 寝ることと食べること以外で」


 ゾンビちゃんは僅かに開いた目でどこか遠くを見ながら、俺の質問にむにゃむにゃと答える。


「ウーン……ゴロゴロしたり……ウロウロしたり……バラバラしたり……ボコボコしたり……バキバキしたり」

「よ、よく分からないけど後半ちょっと物騒だな」

「レイスも……バキバキすれば……?」


 ゾンビちゃんはそう言って今にも閉じてしまいそうな寝ぼけ眼を俺に向けた。

 せっかくの提案ではあるが、俺はゆっくりと首を振る。


「多分俺に『バキバキ』はできないなぁ。できればもう少し穏やかで平和な暇潰しを――」

「ウー……」


 ゾンビちゃんはおもむろに拳を振り上げ、それを虫でも殺すみたいに何のためらいもなく俺の体に振り下ろした。彼女の拳は風を切りながら俺の透明な身体をすり抜け、凄い音を立てて地面に叩き付けられる。ヒビの入った地面を見ながら俺は身体を強張らせた。

 ゾンビちゃんは完全に目を瞑り、寝言のようにムニャムニャと呟く。


「レイスウルサイ……」


 俺は引きつった笑みを浮かべ、反省と本能的な恐怖を胸にそっとゾンビちゃんから離れた。


「ご、ごめん……おやすみ」





********





「ちぇー、ゾンビちゃんにもフラれちゃった」


 俺は口を尖らせながら再びダンジョン内を行く宛もなく彷徨う。日の出の時間はまだまだ先。あと数時間も一人でいったいなにをしていれば良いのか。静かすぎて暇すぎて孤独すぎて気が狂いそうだ。


「はー、なんか良い遊びはないかな……おっ?」


 視界の隅でチョロチョロ動くものを見つけ、俺はサッとそちらに顔を向ける。すると長い尻尾の生えた黒っぽい毛玉が地面を嗅ぎながらウロウロしているのが目に飛び込んできた。ダンジョンの同居人にしてアンデッドたちの非常食、そして温泉で売られている串揚げの材料、ネズミさんである。そしてたった今、ネズミさんの肩書に「寂しさを紛らわす愛玩動物」が付け加えられた。


「こんばんはネズミさん。君も一人なの?」


 そう話しかけるとネズミさんはつぶらな瞳を俺に向け、その長いヒゲをひくひく動かした。


「ウン、ヒトリデ寂シインダ。レイス君オ話シシヨウヨ」

「もー仕方ないなぁ、三時間だけだよ」

「エー、ナンデ?」

「三時間したら吸血鬼の寝言リスニングしに――」


 その時、「カタカタ」という音が背後から飛んできて、俺は体を石のように固まらせた。恐る恐る振り返ると、通路の曲がり角から顔を覗かせる三体のスケルトンたちと目が合う。


「あっ……えーとこれはその……」


 スケルトンたちは俺が言い訳を口にするより早くペンを走らせ、紙を俺に向けて掲げた。


『大丈夫?』

『休んだ方が良いんじゃない』

『悩みがあるなら聞くよ』

「あ、ありがとう……でも疲れてる訳じゃなくて暇すぎるだけなんだ」


 俺はスケルトンたちに毎晩毎晩退屈で寂しくて仕方ないこと、それから吸血鬼やゾンビちゃんに冷たくあしらわれた事を涙ながらに訴える。

 事前にネズミとの一人遊びを目撃していたからか、スケルトンたちは俺の言葉に優しく耳を傾けてくれた。


「でさぁ、なんか良い暇潰しないかなぁ。ちなみにスケルトンたちはどうやって暇潰してる?」


 尋ねるとスケルトンたちは互いに顔を見合わせ、ほぼ同時にペンを走らせた。


『みんなでちょっとトランプするくらい』

『仕事が色々あるから』

『潰すほどの暇はない』


 予想外の悲哀を感じさせる回答に俺は思わず目を伏せる。


「うっ、そうなんだ……もしかしてこの時間まで起きてたのって」

『残業』

『残業』

『残業』


 スケルトンたちは三体揃ってガックリ肩を落とし、ため息でも吐くようにして歯を悲しげに鳴らした。


「……なんかゴメン、贅沢な悩み話しちゃって。仕事手伝おうか?」

『さっき終わったとこだから大丈夫』

「ふーん、そっか……でもそんなに仕事があるなら俺がこうしてブラブラ何もせずにいるのってなんだかもったいないよね。労働力を無駄にしてるってことでしょ。そうだ、スケルトンたち夜勤も導入して3交代制で働かない? もちろん俺も手伝うし」


 俺の申し出にスケルトンたちはカタカタと首を振り、慌てたようにペンを走らせた。


『夜勤はちょっと』

『生活リズムが乱れる』

『夜は寝たい』

「そ、そっか……そうだよね。でも俺一人で夜過ごすの寂しいなぁ。あっ、そうだ。スケルトンたちローテーション組んで俺の話し相手してくれない? スケルトン一体につき一時間程度ならひとりひとりの負担も少ないよ」

『夜勤はちょっと』

『生活リズムが乱れる』

『夜は寝たい』


 スケルトンたちはペンや新しい紙を取り出そうともせず、先ほど書いた紙を掲げたまま少しも動こうとしない。


「……ま、まぁそれも分かるよ。みなさんの貴重な睡眠時間をいただくのは本当申し訳ないと思うんだけどさ、俺も暇すぎてヤバイんだよ。本当冗談じゃなく精神が削れてくのが分かる。こんな生活は精神衛生上良くないよ」


 俺はなんとか彼らを説得しようと懸命に訴えるも、スケルトンたちは唯の屍のように返事をしようとしない。ただただ先ほど書いた台詞を俺に向けて掲げている。


『夜勤はちょっと』

『生活リズムが乱れる』

『夜は寝たい』

「ねぇ頼むよ、この通り! 人助けだと思って!」


 俺は縋る様にして透明な手をスケルトンたちへ伸ばすが、彼らは紙を掲げたまま骨格標本のように動かない。


『夜勤はちょっと』

『生活リズムが乱れる』

『夜は寝たい』

「スケルトンまであの薄情者みたいに俺を突き放すのかッ!」


 泣き落としが通用しないと踏んだ俺は方向性を変えてスケルトンを揺さぶろうと試みるが、やはり彼らの動きに変化はない。


『夜勤はちょっと』

『生活リズムが乱れる』

『夜は寝たい』

「くそー、紙の使い回ししやがって……っていうかスケルトンって骨じゃん、睡眠必要? 本当は寝なくて良いんじゃないの?」


 万策尽き、とうとう逆切れモードに入ったところでようやくスケルトンの動きに変化が見られた。

 彼らはゆっくりと紙を下ろし、新しいまっさらな紙になにやらペンを走らせる。スケルトンたちはその真っ暗な眼窩を俺に向け、高く紙を掲げる。


『レイス』

「……はい」

『おやすみ』





***********





「なんだよスケルトンまで。どいつもこいつも薄情だな!」


 スケルトンにも見放された俺はまた目的もなく通路を彷徨うことを余儀なくされた。俺はブツブツと悪態をつきながら静かなダンジョンをうろつく。


「毒吐けど毒吐けど我が気持ち楽にならず……」


 俺は自分の憎らしい透けた手を見つめ、そしてハッとした。


「あれっ、ちょっと待てよ。そもそもこんな体にしたのアイツらじゃん! あー腹が立ってきた、悪霊化しそう」


 俺は負のパワーをため込みすぎて悪霊になったという設定を作り髪を振り乱して地面を這ってみたが、その行動で得たのは鉛のように重く圧し掛かる虚しさだけであった。だいたい幽霊なんてものはリアクションを取ってくれる人間がいるからこそ映えるのだ。一人寂しく地面を這っているだけならばそれはただの匍匐前進ではないか。


「あーダメだ、役になりきれない……なんかないかな、一人でできる楽しいこと」


 俺は必死に頭を働かせ、一人寂しく一人○○を列挙していく。

 一人焼肉、一人遊園地、一人旅、一人ボウリング、一人カラオケ――


「……カラオケ?」


 俺の普段よりでかい独り言がダンジョンの通路に良く響いた。

 そうだ、カラオケだ。この洞窟特有の良く響く空間はさながらお風呂場のように俺の声へエコーをかけてくれる。人前では恥ずかしくて歌えないが、誰もいない深夜帯ならば下手だろうがうろ覚えだろうが関係なく熱唱できるじゃないか。

 そう、ここは通路ではなくステージ。出演者俺、観客はネズミさんの路上ライブだ!

 俺は誰もいない通路の真ん中で声を張り上げた。


「ふぁんふぁふぁんふぁふぁーふぁんふぁふぁんふぁふぁーアイワナビア……ふぁんふぁふぁーさぁみんなで歌おうー……あっ、俺一人だった。へへへ」


 そう言って思わず頭を掻いたその時、不意に背後から地面を蹴る音が聞こえてきて俺は慌てて振り返る。


「……そんなまさか」


 その光景に俺は我が目を疑った。夢か幻か、吸血鬼、ゾンビちゃん、そして十数体のスケルトンたちがこちらに向かって歩いてきているではないか。どうにも信じられなくて俺は自分の頬をつねってみた。痛くないが、それはこれが夢だからなのではなく俺が幽霊だからである。


「み、みんな……みんなーッ!」


 俺は両手を広げて彼らへと駆け寄った。

 絶望の夜に暖かい太陽が昇っていく。空っぽだった心に何か温かい物が満たされていくのを感じる。そうだ、俺は一人なんかじゃない……こんなに素晴らしいダンジョンの仲間たちがいるじゃないか!


 彼らは満面の笑みを浮かべる俺を見るなり、口々に声を上げた。


「レイスウルサイ! あとソノ歌キモチワルイ!」

「今何時だと思ってるんだ、気味の悪い声を出すな!」

『人の迷惑を考えろ』

『明日も仕事だから勘弁して』

『その歌色々酷すぎない?』


 「仲間」から集中砲火を受け、俺は両手を上げたポーズのまま無様に固まる。歓喜の両手あげポーズは今や降伏の合図となってしまった。

 彼らの惜しみない罵声から逃れるため、俺はゆっくりと地面へ沈む。


「……ですよね、ごめんなさーい」






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