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49、ゾンビちゃんのお見合い大作戦





 ダンジョン入り口から見える外の森はもうすっかり夜の闇に沈んでいて、賑やかな虫の歌がそこかしこから聴こえてくる。

 ついこの間までセミたちのけたたましいシャウトがダンジョンの中にまで響いていたというのに、季節の移ろいは早いものだ。

 日が沈んでしばらく経ったからか、ダンジョン付近の森には人の気配もない。この時間ならばもう冒険者の襲撃もないだろう。今日の仕事はこれにて終了。

 スケルトンたちも武器の手入れを終えた頃だろうか。そろそろ遊戯室へ向かおうかと思い始めたその時、ダンジョンの奥から俺を呼ぶ聞きなれた声が聞こえてきた。


「おーいレイス、どこだ!」


 その声の主が吸血鬼であることはすぐ分かったが、彼がどうしてこんなにも切羽詰まった声を上げているのかは分からない。

 俺は壁や地面をすり抜けて声の方に向かう。


「ここだよ」


 ダンジョン地下一階のフロアにいた吸血鬼は俺を見るなり慌てたように駆け寄ってきた。


「大変なことになったぞ……」

「どうしたの、なにかあった?」

「覚えているだろう、夏に僕の血を吸った蚊の魔物の事」


 吸血鬼の言葉により、あの耳障りな甲高い羽音、そして細長い手足と口を持ったシマシマ模様の姿が脳裏に蘇る。


「う、うん。蚊の王だよね?」

「ヤツから手紙が来た」


 尋ねると、吸血鬼は手に持ったクシャクシャの紙を広げて俺の目の前に突き出した。

 意外にも達筆な字で書かれたその手紙には子供が順調に成長していること、吸血鬼が自らの血液を提供した事への感謝、そして自分の子供がどれほど可愛いか、どれほど周囲から愛されているかがつらつらと書かれている。

 3分の1ほど読み進めたところで目が滑ってどうにもならなくなり、俺はとうとう読むことを放棄して顔を上げた。


「これのどこが大変なの……他人の日記読まされてる気分だよ」

「ああ、前半はどうでも良い。問題は最後のここの文だ」


 吸血鬼は俺の努力が全くの無駄であったということを悪びれる様子もなくサラリと口にし、便箋の下の方に書かれた文を指し示した。


「それ最初に言ってよ……」

「そんなのに気が回るほどの余裕が僕にはないんだ! 良いから早く読め」

「わ、分かったよ」


 俺は吸血鬼に気圧され、促されるがままその文章に目を通す。


『知り合いがゾンビを探しています。その方も私の赤ちゃんと触れ合っているうちに自分の子が欲しくなったようで。そちらのダンジョンに可愛い子がいたと記憶しておりますので紹介しておきました。7日後、そちらに伺いますのでよろしくお願いします』


 俺はその短い文章を理解することができず、そこの部分だけを二度三度と読み返す。そのサラリとした短い文章の中にとんでもない事が書かれているように思えて、俺は吸血鬼に恐る恐る尋ねた。


「これゾンビちゃんのこと……?」

「アイツ以外いないだろう。他のゾンビは魂のない空っぽの屍だ。可愛いなんて口が裂けても言えないしな」

「じゃ、じゃあさ。これってその……つまり……」

「そうだな、強いて言うなら『見合い』ってとこじゃないか」

「み、見合い!?」


 見合い――妙齢の男女がおせっかいおばさんの仲介でししおどしの鳴り響く料亭にて引き合わされ、なんやかんやしているうちにあれよあれよと事は進み、最終的に結婚してしまうという魔の儀式。

 結婚式という単語がよぎったのを機に、俺の頭にはこれから起こるかもしれない出来事がフラッシュ暗算の如く次々に映し出された。

 真っ白なウエディングドレスに身を包んだゾンビちゃんがタキシードを着た知らない男と腕を組んでバージンロードを歩く場面、彼女の青白い指にプラチナの指輪がはめられる場面、そしてゾンビちゃんの顔に掛かった薄いベールを男がゆっくりと上げ、彼女に顔を近付ける場面。あわや2人の唇が重なろうとしたその瞬間、ゾンビちゃんは歯を剥いて新郎の尖った唇を噛み千切る。

 絶叫し流血する新郎、鮮血に赤く染まったウエディングドレス、逃げ惑う参列者。俺の頭の中はパニック映画さながらの地獄絵図が展開され、妄想にも関わらず俺の腹をキリキリ痛めた。

 俺は頭の中で起こった惨事を必死の思いで振り払い、吸血鬼に縋り付く。


「ゾンビちゃんが結婚なんてできるわけないよ! すぐ断りの手紙書いて!」

「落ち着けレイス、考えてもみろ。蚊の王は由緒ある魔物の一族だ。その知り合いというからにはそれはそれは高貴な御仁に違いない。そんな御方がうちに来るというのをそう簡単に断れる訳ないだろう」


 吸血鬼は冷静に、そして俺を宥める様にしてそう言った。

 確かに吸血鬼の言っていることはもっともかもしれない。だが俺の頭には新郎を貪り食うウエディングドレス姿のゾンビちゃんが頭から離れないのである。


「お見合いの席でゾンビちゃんが何かやらかしたらそれこそ大変なことになるよ」

「まぁゾンビという指定があるくらいだから向こうもアンデッドか、もしくはちょっとアレな性癖のヤツなんだろう。広い心で接してくれるさ。なにより、実はもう断るのは無理だ」


 吸血鬼はそう言いながら便箋下部の横線の入っていない空白に書かれたサインと、その横の日付らしき数字を指差す。


「この手紙、一週間前に来たものなんだ」


 吸血鬼の示した数字は、確かに一週間前の日付と合致していた。

 手紙には『7日後、そちらに伺いますのでよろしくお願いします』との一文が書かれている。そして手紙の日付は一週間前――つまり手紙に指定された「7日後」とは、まさに今日のことである。

 その意味に気付いたとき、俺は悲鳴を上げながら頭を抱え込んだ。


「なんでもっと早く言わないの!?」

「3分の1ほど読んだところでどうにも目が滑ってな。読むのを諦めたんだが、今日になって妙に胸騒ぎがして続きを読んでみたらこれだ。慌てたよ」

「慌てたよ、じゃないでしょ! どうすんの、もう日没だしいつ来てもおかしくないじゃん」

「ああ、残された時間は僅かだぞ。取りあえず部屋の片付けはスケルトンに頼んでおいたが」

「そんなのどうでも良いよ! いや、良くはないけど、とにかくこれからの打ち合わせをしないと。ゾンビちゃんには言った?」

「ああ、今スケルトンたちと打ち合わせをしてる」

「打ち合わせ……?」





********





「うん、馬子にも衣装だな」

「そうかなぁ……服に着られちゃってない?」


 大勢のスケルトンたちの中心にいるのは、いつものツギハギワンピースの代わりに黒いイブニングドレスを身に纏ったゾンビちゃんである。

 いつもより丈が長く重いスカートが気になるらしく、しきりにスカートを足で蹴り上げている。彼女は不機嫌そうな表情を浮かべ、駄々をこねる様に言った。


「コレヤダよう。動きニクイ、ジャマ」

「少しの辛抱だ、我慢しろ」

「こんな衣装着る必要あったの?」


 苦々しい表情を浮かべるゾンビちゃんが可哀想になり、俺は吸血鬼にそう尋ねた。

 だが吸血鬼は俺の言葉に当然だとばかりに頷く。


「向こうはやんごとない身分の魔物だぞ。最低限の礼儀は弁えるべきだ」

「それはそうだけどここまで気合の入ったドレスじゃなくても。どうせ断るんだし、期待させたらかえって悪いんじゃ――」


 そこまで言ったところで吸血鬼は怪訝な表情を浮かべ、俺の言葉を遮って口を開いた。


「レイス、君はどうして見合いを断る前提で話を進めるんだ?」

「どうしてって」


 脳裏に再びゾンビちゃんが新郎の唇を噛みきる場面が浮かび上がる。

 だがこれはあくまで俺の妄想にすぎず、他人に話すのはいささか躊躇われた。そうこうしているうちに吸血鬼が呆れたように口を開く。


「考えてもみろ、相手は上流階級の魔物だ。全ての女が憧れる玉の輿のチャンスが目の前に転がっているんだぞ」

「それは……で、でも相手が金持ちとは限らないじゃん。借金まみれの没落貴族とか、もしくはゾンビも背筋を凍らせるような化け物かも」

「その可能性もある。だからまずは会って相手の情報をしっかり得た上で判断するべきだろう。最初から断ることを前提に事を運ぶのは向こうにも小娘にもプラスにはならない」

「ううっ、いつになく正論……」


 それ以上吸血鬼に反論する言葉が浮かばず、素直に彼への敗北を認めた。

 だが同時に疑問も浮かんでくる。吸血鬼はこんなにまともな男だっただろうか?

 俺は少しの間考え、そして浮かび上がった仮説を確かめるために吸血鬼へ質問をぶつけた。


「じゃあもしやって来たのが貧乏な男で、でもゾンビちゃんが『気に入ったから結婚する』なんて言い出したらどうする?」


 吸血鬼は途端に不貞腐れたような表情を浮かべ、食い気味に即答した。


「は? ダメに決まってるだろうそんな結婚」


 その言葉は俺の仮説を裏付ける決定的な一言となった。

 俺はガックリ肩を落とし、目の前の身勝手な男をジッと見つめる。


「うわ……やっぱり結納金目的だったか」

「ふはははは。結納金だけじゃないぞ、数十年の我慢で遺産も手に入るかもしれん」


 吸血鬼はそう言って悪びれる様子もなく笑った。


「最低だなぁ、他人事だと思って」

「アンデッドの人生は長いんだ。数十年なんてあっという間さ」

「もう吸血鬼の話は良いよ。それよりゾンビちゃんはどう思ってるの?」


 しきりにドレスの裾を気にしていたゾンビちゃんは俺の言葉に顔をあげ、キョトンとした表情で俺を見上げた。


「ドウって?」

「お見合いだよお見合い」

「オミアイってナニ?」


 ゾンビちゃんはそう言って首を傾げる。

 どうやら自分がどうしてこんなドレスを着せられているのかも分かっていないらしい。


「なんだよ吸血鬼、ちゃんと説明してないの?」

「ん? そうだったかな、あちこちに事情を話して回ったからあまり覚えていない」

「当人に言わなくてどうするんだよ! あのねゾンビちゃん、これから男がダンジョンにやって来てゾンビちゃんと話をするんだ。それでお互いがお互いを気に入ったら……まぁ、結婚というか。いや、最初はお付き合いか……まずは友達からとかもアリなのかな……」

「ンー? 結局ドウイウこと?」


 俺のイマイチ要領を得ない説明にゾンビちゃんは怪訝な表情を浮かべる。

 慌てて説明しなおそうとする俺を吸血鬼が制止し、代わりに口を開いた。


「まぁ、お前はニコニコして適当に相槌を打っていれば良い」


 吸血鬼は小柄なゾンビちゃんを見下ろし、ニヤリと笑う。

 彼はさらに悪い大人の権化とでも言うべき邪悪なオーラを放ちながら言った。


「そいつにお前のような大飯喰らいを養えるだけの財力があるかどうか、僕が見極めてやる」





***********





 そしてとうとうその時はやって来た。

 甲高い羽音を立てながら蚊の王が俺たちの前に姿を現した。その体は相変わらず大きく、黒と白のシマシマ模様や細長い手足、そして口を見ていると思わず皮膚が痒くなるような錯覚に陥る。

 彼女は甲高い声を上げながら俺たちに向かってその細長い手を振った。


「お久しぶりですー、押しかけちゃってごめんなさいねぇ」

「あ、ああ……それより、アレ――じゃなくて、あの方が手紙にあった『知り合い』なのか?」


 吸血鬼はそう言って引き攣った笑みを蚊の少し後ろにいる大きな化け物に向けた。

 蚊とほぼ同じ大きさをしており、蚊と同じく背中に羽を持っている。しかし細い手足を持ったスマートな蚊に比べればその体はずんぐりとしており、眼は赤く大きく、その羽音は蚊のものよりもずっと低い。だがその姿に抱く生理的な嫌悪は蚊と同じか、あるいはそれ以上に大きなものであった。

 ゾンビちゃんは眉間に皺を寄せ、怯えたように後退りをする。


「ウワァ……でっかいハエ……」

「うん……どう見てもハエだね……」


 巨大なハエの化け物は手を擦り合わせながらハエの羽音の様な低い声で俺たちへ挨拶をした。


「どうも初めまして、ハエの王よ。よろしくね」


 ハエの口調に違和感を覚えて俺は思わず首を傾げた。吸血鬼も同じことを思ったらしく、俺にそっと耳打ちをする。


「な、なんというか随分とフェミニンなハエだな」


 羽音と同じ低い声でありながら、その口調はキャピキャピした若い女性のそれである。

 3人で首を傾げていると隣にいた蚊が甲高い声で「ウフフ」と笑った。


「この子ハエの王家に嫁いだばかりの若奥様なのよ。そろそろ子供が欲しいって言うから、なら赤ちゃんへのとびきりのベッドとご飯を用意しなくちゃって事になってね」

「そ、それって……ゾンビに卵を産み付けて、そのまま蛆虫のエサにするって意味?」


 俺はエイリアンの如くゾンビの腹を食い破る巨大蛆虫の姿を想像し、ゲッソリとしながらそう尋ねる。

 するとハエは買い物中の女子高生の様な浮かれた声を上げた。


「ええ、ゾンビの新鮮な腐肉は赤ちゃんへの良い栄養になるのよ。ここに来るまでに上の階をザッと見てきたけど、良い腐り具合の可愛いゾンビ達がいっぱいいたわ。……あら? その娘もゾンビ?」


 俺の透けた背中に隠れるゾンビちゃんの姿に気付いたらしい。ハエは素早くゾンビちゃんに近付き、怯える彼女の頬をその細い手で撫でる。

 だがハエはゾンビちゃんを気に入らなかったらしく、すぐに彼女から手を離した。


「うーん、全然腐ってないじゃないの。可愛くないわね」


 吐き捨てる様にそう言うとハエは身を翻してゾンビちゃんに背を向ける。


「この辺にはゾンビはあまりいないみたいね。あとで謝礼はあげるから、上の階のゾンビをいくらか貰うわよ」

「あ、ああ……どうぞ、お好きなだけ」


 吸血鬼が困惑しながらもそう言うと、巨大なハエと蚊はそれぞれけたたましい羽音を出しながらダンジョン上階へと姿を消した。

 残された俺たちは顔を見合わせ、色々な感情の混ざったため息を吐いた。


「結局ナンダッタの」


 ゾンビちゃんはハエに撫でられた頬を手で拭きながら怪訝な表情を浮かべた。

 吸血鬼はポケットに入れていたクシャクシャの手紙を広げ、それに視線を落とす。


「知り合いがゾンビを探してる……子供が欲しい……ダンジョンに可愛い子がいる……な、なんでこんな紛らわしい書き方をしたんだアイツは!」

「うーん……確かに手紙にはお見合いとも結婚とも書いてなかったけど。まぁ良かったじゃん、謝礼はくれるって言ってたし」

「だが結納金の額には及ばないだろう……」


 吸血鬼はこの期に及んでもまだ結納金の夢を捨てきれないらしく、悔しそうに唇を噛む。


「じゃあゾンビちゃんじゃなくて自分が婿入りすればいいんじゃない。贅沢な暮らしができるよきっと、新婦は巨大昆虫かもしれないけど」

「それだけは絶対嫌だ」

「ワガママだなぁ」

「良く分カンナイケド、コレ脱いで良い?」


 ゾンビちゃんは疲れ切った顔をしてドレスの裾を軽く持ち上げた。

 良く分からないまま衣装を着せられ、俺たちに良く分からない説明をされ、良く分からない化け物に「可愛くない」呼ばわりをされた彼女はまさに今回の事件の最大の被害者と言えるだろう。

 とりあえず彼女が良く分からないまま結婚をせずにすんだ事に俺は安堵し、いつもの服に着替えてくるよう言った。

 ゾンビちゃんは小走りに通路を進んでいくが、ドレスの長い裾に足を取られて今にも転んでしまいそうである。


「やっぱりゾンビちゃんにドレスは似合わないなぁ」


 俺は通りがかったスケルトンに駆け寄るゾンビちゃんの背中を見ながらポツリとつぶやいた。





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