42、訓練終わってまた訓練
弓のしなる音、風を切る音、そして矢が的を貫く心地の良い音が絶えず部屋に響く。
最近新設された真新しい訓練場にて弓部隊に所属するスケルトンたちが一列に並び、数メートル先に設置された人型の的に矢を放っている。先日の逆鬼ごっこでの反省を踏まえて弓矢部隊の強化を図ろうという試みだ。もちろんこの訓練場を使う権利があるのは弓矢部隊だけではない。今回はスペースの都合上訓練をしているスケルトンは弓矢部隊のみだが、剣や斧など他の武器の訓練ができる設備も用意されている。
そして訓練場の隅っこで、もう一人のアンデッドの「訓練」もひっそりと行われていた。
「準備は良い?」
そう尋ねると、ゾンビちゃんは地面に座り込んだままいつになく真剣な表情で頷く。
「ウン、ダイジョウブ」
「よし……じゃあスケルトン、始めようか」
俺の合図を受け、スケルトンが手に持っていた干し肉をゾンビちゃんの目の前に置く。ゾンビちゃんは手を伸ばせば届く距離に置かれた肉をその大きな瞳に映し、ゴクリと生唾を飲み込む。
俺は彼女の眼をじっと見つめ、置かれた肉を指差した。
「ここに肉があります。これはゾンビちゃんにあげるけど、俺が良いって言うまでは食べちゃダメ。ここまでオーケー?」
「ウン」
「俺が良いって言うまで待てればもう一個肉をプレゼントします。と言う事は? 俺が良いって言うまで待つ方が?」
「オトク」
「はい、正解。じゃあ行こうかスケルトン」
スケルトンは小さく頷き、スッと立ち上がる。
俺達はゾンビちゃんを視界に収めつつ、後ろ歩きで彼女から遠ざかっていく。
「『待て』だよゾンビちゃん。『待て』、『待て』、『待て』……」
ゾンビちゃんは俺と目の前の肉を交互に見ながら苦悶の表情を浮かべる。恐らく彼女の頭の中では天使と悪魔による脳内大戦争が行われていることだろう。
だが3メートルほど離れたところで徐々に肉を見ている時間が増え、5メートルも離れるとほとんどこちらに顔を向けなくなった。
「ダメだよゾンビちゃん! まだダメ、もう少し我慢して――あっ」
ゾンビちゃんはものすごい勢いで肉を鷲掴みにし、口に押し込んだ。パンパンに膨らんだ頬を隠すように手で口を覆いながら、ゾンビちゃんはこちらを上目づかいで見上げる。
「……はぁ、またダメか」
「た、食べふぇナイよ」
「そんなバレバレの嘘ついてどうするのさ」
口をモゴモゴと動かすゾンビちゃんを見下ろしてため息を吐く。最初に比べれば我慢できる時間は伸びたが、それでもまだ十数秒が限界といったところだ。
「長い道のりになりそうだね」
「……なにやってるんだ君たち」
声がして振り向くと、訓練場の入り口近くに吸血鬼が立っているのが目に飛び込んできた。彼は怪訝な表情を浮かべて俺たちを見つめる。
「なんというか、変わった遊びだな」
「遊びじゃない! 訓練だよ、訓練」
「訓練? 犬のしつけの間違いだろう」
吸血鬼は一列に並んで弓の練習に勤しむスケルトンたちの後ろを通りこちらへと歩いてくる。そして肉を咀嚼するゾンビちゃんを見下ろし、やれやれとばかりに首を振った。
「犬ならまだしも、ゾンビに食欲を抑えさせようなんて無理な話だ」
「確かに厳しい戦いになると思うけど、この前みたいに肉に気を取られて負けるようなことがあったらマズいでしょ」
俺は肩を落としてため息混じりにぼやく。
ゾンビちゃんが投げられた肉に目を奪われ、冒険者からの攻撃を防げなかったのは一度や二度のことではない。先日の逆鬼ごっこでもその手を使われてゾンビちゃんは吸血鬼に敗北を喫したのだ。もう二度と同じ過ちを繰り返させまいと「食欲コントロール訓練」を彼女に課したわけである。
ところがゾンビちゃんをこの方法で屠った張本人である吸血鬼は、「それはそうだが……」と呟き、少々の沈黙の後口を開いた。
「ゾンビでなくとも戦闘時のように神経が研ぎ澄まされている場面で何かを投げたりすれば多かれ少なかれそちらに意識が行ってしまうものさ。もしどうしてもと言うなら投げられた肉を素早く手に入れ、その上で敵を殲滅できるような身のこなしを訓練すべきじゃないのか」
吸血鬼の意外な言葉に俺とゾンビちゃんは顔を見合わせ、思わず頷く。
「な、なるほど。意外にまともなアドバイス」
「ウム、よくぞ言ッテクレタ」
「なんでそんな上からなんだ君ら……」
「まぁゾンビちゃんへの対応は後で考えるとして、実は吸血鬼にも訓練を用意してあるんだ」
「訓練?」
吸血鬼は心底嫌そうな表情を浮かべ、半歩後退りをする。
「なんで僕が。言っておくがランニングは絶対にやらないからな」
「まぁランニングもしたら良いとは思うけど、俺が用意したのはランニンググッズじゃないよ。アレ」
俺はそう言って頭上に顔を向け、部屋を横断するようにして天井近くに張られたロープを指差す。その両端は壁に取り付けられた鉄製の小さな足場に固定されており、それぞれにハシゴが付けられている。
「なんだあれは。洗濯物でも干すのか」
吸血鬼はその太いロープを仰ぎ見て怪訝そうな表情を浮かべる。
俺は彼の言葉にゆっくりと首を横に振った。
「吸血鬼の弱点は『油断しちゃうこと』でしょ。という訳で少しの油断が命取りになるアクティビティを用意してみました。その名も綱渡り!」
「……えっ、ちょっと待て。僕があのロープを渡るってことか?」
「もちろん」
「冗談じゃないぞ! 曲芸師でもあるまいし、あんなところ渡れるわけないだろう」
「渡レナイの?」
ゾンビちゃんはその大きな目を見開き、吸血鬼をジッと見つめる。穴が開くほど見つめられて居心地が悪くなったのか、吸血鬼はゾンビちゃんからさっと目を逸らした。
「な、なんだその眼は。経験もないのにいきなりやれと言われても困るんだよ」
吸血鬼はそう言って頑なに綱渡りを拒むが、俺達はなおも食い下がる。
「でも吸血鬼身体能力高いからイケると思うんだよね。器用だし」
「ツナワタリ見タイなぁ、見タイなぁ」
「スケルトンたちが苦労して綱を張ってくれたんだよ。ほら、みんなも期待してる」
いつの間にか矢を放つ音は消え、一列に並んだスケルトンたちが弓を片手に持ったままこちらをジッと見つめている。吸血鬼は少しの間苦悩の表情を浮かべて黙りこんだあと、ため息を吐くと共に頷いた。
「……分かったよ。そんなに期待されているなら仕方ない。だが一度だけだぞ」
俺達の猛攻を防ぎきれず折れた吸血鬼は、渋々といった表情を浮かべながら重い足取りでハシゴを登っていく。そして縄が固定された足場へと降り立ち、姿勢よく背筋を伸ばした。
「バランス棒いるー?」
地上からそう呼びかけると、彼は真っ直ぐに前を向いたまま答える。
「いらん、僕は曲芸をする気はない」
吸血鬼は小さな足場の上で体勢を低くし、まるでクラウチングスタートを切るかのように地面を蹴った。足元がロープであることを忘れさせるような見事な走りで吸血鬼はみるみる綱を渡っていく。
その凄ワザにスケルトン、ゾンビちゃん、それからもちろん俺の眼も釘付けになった。
「ウーン、スゴイ。フツウのツナワタリより難シイんじゃないの?」
「そうだよねぇ。でもこのままだとちょっとマズいかな……」
俺は縄を疾走する吸血鬼の元へと浮上し、彼にこう忠告をする。
「吸血鬼、最後まで油断したらダメだよ。落ちちゃわないように気を付けて」
吸血鬼は口を開かず、「そんな事は分かってる」とでも言いたげな視線で俺を一瞥する。
確かに吸血鬼の体の軸は全くブレることなく、不安定な縄をうまく蹴って前へと進むことができている。だがゴールが目前に迫った時にこそ人は失敗をしやすいのだ。そして罠はそういう場面に使用するのがもっとも効果的である。
「ッ!?」
吸血鬼はゴールまであと数メートルといった場面で急激に体勢を崩した。
「ワワッ、ドウシタノ」
「縄の一部にちょっと油塗っといたんだ。まさか縄の上を走るとは思わなかったから」
「オー、ナイストラップ」
ゾンビちゃんはそう言って感心したように頷く。
吸血鬼の足は完全に縄を離れ、その体は宙を舞った。さすがの吸血鬼もここでリタイアか。思わず目を覆いそうになったその時。
吸血鬼は膝を折り曲げて縄に脚をかけ、まるでコウモリのようにぶら下がった。彼は肩で息をし、額に汗を伝わせながらあたりをキョロキョロ見回す。そして息を飲んで見守る観客たちに向かって声を上げた。
「お、落ちてないぞ……今のはノーカンだ」
ピンチを乗り越え、再び縄の上に立つ吸血鬼にスケルトンたちは割れんばかりの拍手を送る。吸血鬼は一メートルほど残った縄を一気に飛び越えて縄を固定している足場へと着地した。
綱渡りを見事成功させ、芝居がかったお辞儀をする吸血鬼をより一層の歓声……いや、骨を鳴らす歓音が包む。
「凄いよ吸血鬼、滑った時はもうダメかと」
「ははは、見たかレイス。大事なのは失敗しないことではなく失敗した時どうカバーするかだ」
吸血鬼はそう言いながら興奮覚めやらぬ観客たちを得意顔で見回し、高さ10メートルはあろうかと言う足場から軽やかに飛び降りる。
だが吸血鬼の格好良い姿はそう長くは続かなかった。具体的に言うと空中に滞在している数秒の間しか持たなかったのである。
着地の瞬間、砂埃と悲鳴を上げながら吸血鬼は地面に吸い込まれた。
まるでイリュージョンのような光景にゾンビちゃんは目を丸くする。
「キエタ!?」
「いや、落ちたんだ」
砂埃が徐々に収まり視界が良くなってくると、地面に開いた大きな穴がその姿を現した。俺たちは穴の周りに集まり、中を覗き込む。
「おーい、大丈夫?」
返事より先に穴から飛んできた大きな石が俺の頭をすり抜ける。石が虚しく地面に落ちる音を聞きながら、俺は小さく笑った。
「うん、大丈夫そうだね」
「大丈夫なわけないだろ……」
声とともに穴からぬっと手が伸びて穴の縁を掴む。次の瞬間には顔を土で汚した吸血鬼が穴から這い出てきた。
彼は俺をギロリと睨み、低い声で言う。
「なんのつもりだレイス、嫌がらせか?」
「まさか! 言ったでしょ、訓練だよ訓練。『最後まで油断するな、落ちないよう気を付けて』ってヒントまであげたのに、まさかあんな勢い良く自分から穴に突っ込んで行くとは」
「こんなの誰が予測できるって言うんだ!?」
「予測できなくても良いよ、こういう不測の事態も起こり得るんだって事を意識させるのが訓練だから。それに吸血鬼も言ったじゃん、『大事なのは失敗しないことではなく失敗した時どうカバーするかだ』って」
俺はそう言って穴から這い出た吸血鬼を改めて見る。
自慢の白いシャツや高そうなベスト、ズボンは土で薄汚れてしまっているが、これだけの高さから落とし穴に落ちたにもかかわらず足が変な方向を向いていたり関節がありえない曲がり方をしていると言った様子は見られない。
「うん、ちゃんと受け身も取れたみたいだね。さすが吸血鬼、どんな落とし穴にでも対応できそう」
「そう何度も落とし穴なんかにハマってたまるか」
「でも吸血鬼が綱を走り出した時は驚いたよ。もし綱渡りに失敗されたらせっかく掘った穴の意味がなくなるからね」
「やっぱりただ穴に落としたかっただけじゃないのか?」
吸血鬼は不機嫌そうな表情でベストを脱ぎ、土ぼこりを丁寧に叩いて落とす。ベストから舞い上がる土ぼこりがだいぶ減ったころ思い出したように声を上げた。
「そうだ、この前の戦闘訓練では一応君が優勝者と言う事になったんだろう? 僕の手からスリかトンビのように掻っ攫っていった賞金の使い道、教えてもらおうか」
「言葉に棘がありすぎる……ええと、賞金は訓練場を作るのに使ったよ」
俺の答えに吸血鬼は心底つまらなさそうな表情で舌打ちをする。
「なんだその優等生的な答えは」
「な、なんで不機嫌そうなの? 自分で企画しておいて得た賞金を自分のために使うのはどうかと思ったんだよ」
「まったくもってその通りだな。せっかく君の事を糾弾しようと思ったのにそんなまともな金の使い方をされてはそれも叶わない。心底残念だよ」
「……吸血鬼もしかして根に持ってる?」
「はは、まさか。君に実体があったら落とし穴にはめて生き埋めにしたいなぁと思う程度の感情しか抱いていないよ」
「めっちゃ怒ってるじゃん……」
吸血鬼は冗談めかして「ははは」と笑ったが、その目までは笑っていないことに俺は気付いていた。
「それはそうと、この部屋を作るだけであの大金が消し飛ぶとは思えないのだが」
「うん、実はあと少し残ってるんだ」
「ふうん? で、なにに使うつもりだ」
「え、ええと……特には決めてないけど」
俺も開催者でありながら賞金を奪ってしまったことに罪悪感を抱いていないわけではない。なにかみんなのためになるような使い道を、と考えてはいるのだが。
「スケルトンたちに新しい武器や鎧を買うか、もしくはダンジョンの備品を新しくするか――今思ってるのはそんなとこかなぁ」
「なんだかパッとしないな」
「そうなんだよねぇ。でも派手なことができるほどはお金残ってないし……」
そう呟くと、今まで傍観していたスケルトンの一人がおもむろに何かを紙に書きだして俺に向けて掲げた。
『欲しい物のアンケートをとって一番票の多かったモノを買うと言うのは?』
「なるほどね。うん、それいいかも。みんな満身創痍になって頑張ってくれたし」
途端にスケルトンたちが骨を鳴らしてざわめきはじめる。何が欲しいかを議論しているのだろうか、どことなく浮ついたような音がする。
だがもっとも浮ついてはしゃぎ出しそうな吸血鬼は、眉間に皺を寄せ、なにやら呆れたような怒っているような表情を浮かべている。
「多数決だなんて、正気か?」
「なんで? 話し合いじゃあ決まらないだろうし、多数決でぱぱっと決めちゃうのが手っ取り早くていいと思うけど」
「まぁ確かに楽で良いと言えば良いがな。集計するまでもなく、アレが一番人気に決まっている」
「アレって……あっ」
俺はこの時になってようやく気が付いた。
このダンジョンで最も数が多いアンデッドこそ、今ダンジョン中に骨を鳴らす音を響き渡らせているスケルトンたちである。そして彼らには喉から手が出るほど欲しい物があるのだ。
話を聞きつけた他のスケルトンたちもどんどんこの訓練場に集い始めている。一度口に出した言葉を撤回するには少々遅すぎたようだ。
「ま、まぁ……あの落とし穴だってスケルトンが掘ってくれたものだし、それでみんなの士気が上がるなら……」
「はぁ、結局僕のとこに賞金は来てくれないのか」
吸血鬼はそう言ってガックリと肩を落とす。
投票の結果、スケルトンたちの数の暴力により残りの賞金は予想通り「等身大骨格標本」を買うための貯金に当てられることとなった。