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40、ダンジョン内逆鬼ごっこ(前篇)




 フロアを覆い尽くす大量の血液。

 その中心にいるのはもちろんこのダンジョンのボス、吸血鬼である。彼は血だまりの中に横たわり、視線の定まらない眼で虚空を見つめている。

 この血が冒険者のものならば吸血鬼として格好がつくというものだが、残念ながらこの大量の血液は彼自身のものだ。

 その首からは小川の様にとめどなく血が流れ出し、なおも血だまりを広げている。人ならばとっくに死んでいるであろう出血量のせいか吸血鬼の顔は溺死体のように唇まで真っ白だ。

 俺は冒険者たちが宝を持って出て行くのを見計らい、血だまりに浮かぶ吸血鬼の元へ飛んだ。


「いつまで寝てんだよ、起きろコラ! オフィーリアきどりか!」

「こんな状態で起きられるわけないだろう、君は鬼畜か? だいたいなんだオフィーリアって」


 吸血鬼は虚ろな目を俺に向け、蚊の鳴くような弱々しい声を絞り出す。

 確かにこの出血では体を起こすだけの力が出ないのも頷ける。だが今はそんな事を考慮する気が起きないほど俺は吸血鬼に怒り、そして呆れていた。


「なんなのさっきの戦い? ねぇなんなの?」

「そ、そう責めないでくれよ。僕だってたまには失敗もする」


 吸血鬼はそう言ってバツが悪そうに目を泳がせる。

 俺だって普通に戦った結果敗北したのならここまで吸血鬼を責めることはしない。だが今回は「普通に戦った結果敗北」したのではないのだ。


「格下相手にあんな舐めた戦い方して負けるって一番格好悪いよ。もうゾッとするほど格好悪い。格好悪すぎて死ぬかと思った」

「うぐっ……」


 一応自覚はあったらしく、吸血鬼は苦い表情を浮かべて唇を噛む。


 今回吸血鬼を血の海に沈めたのは決して戦いに慣れた冒険者ではなかった。運よく最深層にまでたどり着いたが、本来ならば吸血鬼の足元にも及ばないような冒険者。

 だからこそ油断したのだろう。吸血鬼は彼らを見くびり、おちょくったのだ。冒険者の攻撃をギリギリで避け、致命傷を与えずじわじわとなぶり、挑発的な言葉を投げかけた。

 そうして戦いを長引かせたところ、冒険者の流した血がフロアのあちこちに飛び散り、吸血鬼はそれに足を滑らせて転んだ。その隙を突かれた結果がコレである。


「ええと『もう終わりか冒険者。僕をもっと楽しませてくれ!』……だっけ? それから、『あっはは、なんて無様な姿だ。ネズミの方がまだ美しく戦うぞ』……か。名台詞だね。まさに窮鼠猫を噛むって訳だ。ネズミに噛まれた感想はどう?」


 吸血鬼は顔を手で覆い、血だまりの中で足をバタつかせる。


「やめろォ! 戦闘中の台詞をピックアップするな!」

「別にそう言う台詞を吐くのは悪い事じゃないよ。でもね、こんだけ煽っておいて負けるってとても恥ずかしい事だよ。分かってる?」

「もうやめてくれ……ただでさえ血が足りないのに精神攻撃まで。確かに僕にも責任はあるが、アイツらほぼ無傷だったぞ。小娘たちは何やってたんだ」


 吸血鬼はそう言うと寝返りを打って顔を血だまりに沈め、不貞腐れたようにブクブクと泡を吹く。

 その上をウロウロと飛びながら俺は腕を組んでため息を吐いた。


「人のせいにするな……って言いたいとこだけど、一理あるんだよなぁ」


 ポツリと呟いたその時、ドタドタという音が細い通路の奥から近付いてきた。ソレは暗い通路から飛び出し、俺たちの前に踊り出る。


「レイス見てー! トンネルーッ!」


 ケラケラと明るい声で笑うのはツギハギだらけの少女、ゾンビちゃんである。

 彼女は身体を折り曲げて腹に開いた巨大な風穴からこちらを覗き込み、満面の笑みを見せる。


「……ゾンビちゃん、ちょっとそこ座って」

「エー、ナンデー?」


 風穴に腕を突っ込みながらゾンビちゃんは首を傾げる。

 俺は静かに彼女へ言った。


「説教するから」




 今回は吸血鬼の失敗もさることながらゾンビちゃんの戦いも酷い物であった。

 冒険者は生肉でゾンビちゃんの気を引き、その隙をついて彼女の腹に風穴を開けたのである。まぁ一度ならそういうこともあるだろう。だがゾンビちゃんがこの手に引っかかるのは初めてのことではない。


「あのねゾンビちゃん、この前も言ったけど目先の小さな肉に惑わされちゃいけないよ。その先に冒険者おおきなニクがあるってことを忘れないで」

「ウン、ワカッター」


 ゾンビちゃんは吸血鬼の首から流れ出た血液を指で弄びながら頷く。吸血鬼から止めどなく流れる鮮血は鮮やかな赤色で、美味しそうに見えたのかゾンビちゃんは指に付いたそれをおもむろに口に運んだ。

 その途端、ゾンビちゃんは顔を顰めて赤く染まった舌を出す。


「ワー、マズーい!」

「勝手に飲んでおいて文句言うな……というか飲むな」


 吸血鬼は血に濡れた顔をゾンビちゃんに向け、不服そうな表情を浮かべる。

 あまり期待してはいなかったが、やはりゾンビちゃんに俺の言葉が届いたとは思えない。


「本当に分かったのかな……二人にシャキッとしてもらわないとスケルトンたちの士気にも関わるんだ。なんかこう、みんな緊張感がないというか必死さが足りないというか。だから調子に乗って足元すくわれたり、失敗を繰り返したりすると思うんだよなぁ」


 俺のボヤキに吸血鬼がため息を吐いた。


「それは当然だろう。命を懸けている冒険者と違って僕らはアンデッドだし、戦いはもはや日常の一部だ。どう足掻いても彼らと同じ緊張感は持てないぞ」

「そ、そうか。傷ついてもすぐ再生するし、失う物がないんだもんね……本当は訓練とかしてもっとみんなの弱点や長所を炙り出したいんだけど、この調子じゃ真面目にやってくれなさそうだなぁ」


 吸血鬼は遠慮も躊躇いもなく大きく頷く。


「ああ、実戦でもやる気が起きないのに訓練なんて死ぬほど面倒な事ゴメンだな」

「随分と偉そうに言うね。んー……ならイベント的な感じでやれば真面目に取り組んでくれるかな」

「ナニナニ? なにかタノシイことするの? 私タノシイことダイスキだよ」


 ゾンビちゃんは目を輝かせながら俺ににじり寄る。

 吸血鬼も血だまりの中で薄ら笑いを浮かべた。


「そうだなぁ、なにか『頑張りがいのある』ことでもあれば僕も全力を出すよ」

「ふうん……分かった、ちょっと考えてみる」






********






 次の日の夜。

 ダンジョン中の知能あるアンデッドの集まった会議室にて、俺はたくさんの視線を一身に浴びながらそれの開会を宣言した。


「第一回、ダンジョン内逆鬼ごっこ大会を開催します!」


 事前に話を通していたスケルトンたちは俺の宣言にワッと湧き上がり、ガシャガシャと骨を鳴らす。ゾンビちゃんも恐らくなんのことだか分かっていないだろうが、雰囲気だけでなんとなく騒いでいる。

 だが事情の分かっていない吸血鬼は首を傾げて怪訝そうな表情を浮かべた。


「なんだそれは?」

「ふふふ、みんなに緊張感を思い出してもらえるイベントを考えたんだ。勝者には賞金を出すから頑張ってね」

「賞金!」


 吸血鬼の表情がパッと輝き、その目の色が変わる。想定通りの反応だ。


「じゃあルール説明ね。とはいっても基本は鬼ごっこのルールと同じだよ。逃げる範囲はダンジョン内の冒険者用通路全域。制限時間までに鬼から逃げ切れたら子の勝ち。子を時間内に戦闘不能に追いやることができれば鬼の勝ち。鬼が勝った場合は致命傷を与えた者にのみ賞金を――」


 そこまで言ったところで吸血鬼が俺の言葉を遮るようにして声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。なんなんだ戦闘不能とか致命傷とか。鬼ごっこにそんな用語あったか?」


 吸血鬼の疑問はもっともである。実際にこれから行う事と比べて少し大会名がポップすぎたようだ。

 俺はポンと手を打って説明を付け加えた。


「ああ、言うの忘れてたけどこれ遊びじゃなくて戦闘訓練だから勘違いしないでね。もちろん子も鬼を殺して数を減らしていって良いよ。武器の使用、罠、挟み撃ち、飛び道具、その他冒険者に使えるような手なら何でも使っていいから」

「鬼ごっこというよりはバトルロイヤルってとこだな……」


 吸血鬼は難しい表情を浮かべて何かを考える様に視線を泳がせた。他のアンデッドたちをどう蹴散らすか考えているのか、はたまた自分が優勝した時に備えて取らぬ狸の皮算用をしているのか……まぁ確かに吸血鬼はこの大会の最有力優勝候補と言えるだろう。

 だからこそ、このチーム分けにしたわけだ。


「じゃあ鬼と子を発表するね。鬼から逃げる『子』は吸血鬼、子を追う『鬼』はその他のアンデッド全員。俺からは以上だけどなにか質問は?」

「……えっ、ちょっと待ってくれ。僕以外全員鬼?」


 吸血鬼は呆然とした表情を浮かべ、額から一筋の汗を流す。

 俺は彼に満面の笑みを向けた。


「うん。鬼と子の人数比が普通の鬼ごっこと逆だからこその『逆鬼ごっこ』だよ」

「い……いやいや! なんだよそれ、僕に不利すぎないか!?」

「そうかなぁ、冒険者たちはいつもスケルトンやゾンビちゃんとの戦いを乗り越えて吸血鬼の元にまで辿り着いてるんだよ。冒険者にできることをダンジョンのボスができないってのはちょっとね」

「うっ、それは……」

「それにアンデッド全員が鬼とは言っても、本当にダンジョン中のスケルトン全員が大会に参加してるわけじゃないから。明日の業務に障るのは不味いし、救護係も必要だからね。それに吸血鬼足速いから大丈夫大丈夫」


 俺がそう畳みかけると、吸血鬼は眉間に皺を寄せて唇を噛みつつもそれ以上の反論をしようとはしなかった。ただ辺りにいる「鬼」を見回して表情を固くする。なぜなら「鬼」もまた、唯一の獲物である吸血鬼をジッと見つめていたのだ。

 部屋に重苦しい空気が流れ始めたところで、吸血鬼は不意に立ち上がった。


「分かった……良いだろう。思い出させてやる、このダンジョンのボスが誰かってことをな」


 吸血鬼は勇ましい言葉を吐き、部屋を後にした。

 あんなに闘志を燃やす吸血鬼はそうそうお目に掛かれない。それだけでもこの大会を開いた甲斐があるというものだ。


「じゃあ30分くらいしたら始めようか。あ、もしゾンビちゃんが勝ったら賞金の代わりに貯蔵庫にある肉をあげるから頑張ってね」


 イマイチピンときていなさそうな表情を浮かべていたゾンビちゃんも、「肉」というワードを聞くや背筋を伸ばして目を輝かせた。


「エッ、ホント? なら私ガンバる、吸血鬼殺す!」


 ゾンビちゃんはその笑顔に似合わない物騒な言葉を吐きながらぺろりと舌なめずりをする。肉のためとはいえゾンビちゃんも殺る気を見せてくれて俺は嬉しい。

 スケルトンたちも普段ならとても手に入らないような多額の賞金を手に入れるため、その暗い眼窩から並々ならぬ執念を覗かせていた。聞いたところによると彼らはチームプレイを行い、得た賞金もスケルトンなら誰もが欲しがると言う共通のお宝を買う費用に充てるらしい。お宝がなんなのかは教えてくれなかったが、まぁ聞かずとも分かる。十中八九骨格標本だろう。

 彼らは憧れの骨格標本を手に入れるため、今必死に鎧を磨いたり剣の素振りをしたり骨格標本専門カタログを捲ったりしている。

 そんな中、俺はそっとある一体のスケルトンに近付き、誰にも聞こえないよう耳打ちした。


「アレ……準備できてる?」


 スケルトンはカタログを捲る手を止めてゆっくりと頷いた。

 俺は小さく息を吐き、部屋にいる「鬼」達を見回してそっと呟く。


「ま、俺にアレを使わせないようみんなも精々頑張ってよね」






長くなったので前後篇に分けました。

後篇も今日中に投稿しますのでよろしくお願いします。

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