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38、剣が斬るのは肉だけじゃない




 ダンジョン最深層、戦いが終わり静けさを取り戻した宝物庫前のフロアにて。


「ああクソッ、やられた!」


 吸血鬼は鬼のような形相で動かなくなった冒険者の骸を見下ろす。

 今回の冒険者はここにたどり着くまでの間スケルトンやゾンビちゃんの攻撃を受け、大きく負傷していた。それにより吸血鬼は比較的楽に冒険者を倒すことができたように思う。現に戦いは短時間で終わり、吸血鬼の身体に眼に見えるような負傷はほぼ無い。負傷は無い……が。


「ああああああああ、なんでよりによってこんなとこ!」


 吸血鬼は苦虫を噛み潰したような顔でしきりに前髪を撫でつける。

 彼の常に綺麗に整えられていた前髪は今や見る影もない。というか、床に散らばっている。

 冒険者の振り回した剣を調子に乗ってギリギリで避けたところ、切れ味のよい刃が前髪に当たってそのまま落下したのである。そのせいで吸血鬼の顔色は今やスケルトンたちと同じくらい白いものに変わっていた。


「最悪だ、僕の前髪が……」

「まぁまぁ、怪我はなかったわけだし」

「前髪を切られるくらいなら腕を切られた方がマシだ」

「そんな大袈裟な」

「大袈裟でもないさ。腕くらいならすぐくっつくが前髪はくっつかない」


 吸血鬼はそう言って床に散らばった前髪を悲しそうに見下ろす。

 全身から発せられる哀愁にこちらまで胸が苦しくなるようだ。だが救いもある。


「でも吸血鬼髪伸びるの早いじゃん」


 一度スケルトンたちによって罰せられ丸刈りになったことがあったが、数日もすれば元の長さにまで戻っていた。今回だって2、3日も経てば十分に伸びるだろう。もしかしたら明日には元通りかもしれない。

 だが吸血鬼の表情は晴れない。


「それはそうだが、髪はなんというか、頑張らないと伸びないんだ」

「頑張るって?」

「こう、頭皮に力を入れるというか。身体に傷を負っているわけではないから意識しないとなかなか伸びない。割と疲れるんだよ」


 吸血鬼はそう言って頭に手を添え、険しい表情を浮かべる。


「なにより一日でもこんな髪型でいるのは耐えられない。どうだレイス、酷いだろう?」

「うーん……」


 確かに普段完璧にセットされた髪型を見慣れているだけに、ぶっつりと切られた前髪はより際立って見える。吸血鬼がここまで精神的ダメージを負っていなかったら俺も噴き出していたことだろう。スケルトンなどが見れば骨を震わせて大笑いするかもしれない。

 だが今の吸血鬼にそんな事を言えるはずもなく、さりげなく話を逸らすことにした。


「ま、まぁどうせ見るのは俺とスケルトンとゾンビちゃんと、あとは冒険者くらいのもんだし。そんなに気にすることないよ」

「そうだな……だが今日来た冒険者は絶対殺すぞ。この前髪を見たからには生きてここを出すわけにいかない」


 吸血鬼はいつになく真剣な表情で体中から殺気を発する。

 理由はくだらないが、なにはともあれ殺る気を出してくれるのは良い事に違いない。いつもこれくらいの心持ちでいてくれるといいのだが……。


「アッ、ナニその髪。ヘンなのー!」


 不意にゾンビちゃんの笑い声がして、吸血鬼がそちらをギロリと睨む。


「なんだとボサボサ頭め。お前も同じ前髪に――」


 そこまで言って吸血鬼は言いかけた言葉を飲み込んだ。

 こちらへ歩いてくるゾンビちゃんを見て俺も思わず目を見開く。


「ど、どうしたのその髪!」

「ん?」


 ゾンビちゃんはキョトンとした顔で首を傾げる。いつもならそれに応じて彼女の腰まである長い髪が揺れるのだが、今日は違った。

 彼女の髪のほとんどが首のあたりで無残にも切られていたのだ。

 だがゾンビちゃんはそんな事気にもしていないらしい。髪を手で撫で、そして呑気に声を上げる。


「アア、なんかアタマ軽いとオモッタ」


 そう言った彼女の首には横一文字にうっすら傷が走っていた。

 そういえばゾンビちゃんはこの冒険者との激しい死闘の末、首を刎ねられて倒れたのだった。その時に髪も一緒に切れたのだろう。

 髪は女の命との言葉もあるが、ゾンビちゃんには当てはまらないらしい。


「しかし酷い頭だ。よく僕のことを言えたものだな」


 吸血鬼はそう言って呆れたようにため息を吐く。確かにゾンビちゃんの髪は吸血鬼の前髪など比較にならないほど無残に切られてしまっていた。背後から首を刎ねられたためか顔周りの髪は長いままであり、後ろにも刃から逃れ生き残った長い髪がパラパラと残っている。まるで子供が悪戯して自分の髪を切ってしまったかのようだ。


「うーん、これは流石にもう少し整えた方が良いんじゃ」

「そうだな、ゾンビとはいえこれでは格好がつかない。よし、僕に任せたまえ」


 吸血鬼はニッと笑いその口の端から牙を覗かせる。何をするつもりかは知らないが笑顔が戻ったのは良い事だ、たとえその前髪のせいで全く格好がついていなかったとしても。





*******





「べつにコノママで良いよう」

「ダメに決まっているだろう、ジッとしてろ」


 吸血鬼は半ば強引に嫌がるゾンビちゃんの身体をツルツルした生地のケープで包む。彼の腰には黒い革のシザーバッグが巻かれ、中に様々な種類のハサミや櫛が収められていた。


「本物の美容師みたいだね」

「僕くらいの吸血鬼ともなれば髪を切る技術くらいは持ち合わせているモノさ。この髪も基本的には自分で整えているんだ」


 吸血鬼はそう言ってシザーバッグからハサミを取り出し、手の中で華麗に回してみせる。この慣れた手つきと普段の吸血鬼の髪から察するに、確かにそれなりの心得はありそうだ。あの無残な前髪もこうしていると人とは一味違った個性的なオシャレ前髪に見えなくもないような、そうでもないような。


「器用だなぁ……でも自分の髪を切るだけならシザーバッグいらないんじゃ」

「い、良いだろ別に。形から入るタイプなんだ僕は」


 吸血鬼は口を尖らせながらハサミをいったんバッグに戻し、代わりに櫛を手に取ってゾンビちゃんの髪を梳いた。だがゾンビちゃんの髪は複雑に絡み合い、なかなか櫛を通さない。


「なんだこの髪は、呆れるほど手入れされてない。せめて櫛で梳かすくらいしたらどうだ」


 吸血鬼は文句を言いながら力づくで櫛を通していく。そのたびに髪が引っ張られ、ゾンビちゃんは苦痛に顔を歪めた。


「イタイイタイ! アタマ取れちゃうよ」


 だが吸血鬼はそんなものどこ吹く風と聞き流す。


「それならそれで良い。髪を切りやすくなる」

「そんな意地悪言うなよ吸血鬼。ゾンビちゃん、肉食べて良いからちょっと我慢してて」


 その辺にいたスケルトンに頼み、先ほどの冒険者から保存用として切り取った肉を少し持ってきてもらった。吸血鬼の前髪を見て微かに肋骨を震わせるスケルトンからゾンビちゃんは肉を受け取り、小動物のように抱え込んで齧り付く。少なくとも肉がある間はジッとしていてくれるだろう。


「今のうちにサササッとやっちやって」

「ああ任せろ。僕の華麗なハサミさばきをよく見ておくんだぞ!」


 吸血鬼はカリスマ美容師さながらの無駄にダイナミックな動作でゾンビちゃんの髪にハサミを入れていく。


「ちょ、吸血鬼それ大丈夫なの? もう少しゆっくり切ったほうが」


 あまりに速いハサミさばきに少々不安になって吸血鬼をたしなめるが、彼はあろう事かゾンビちゃんの頭から目を逸らし得意気な表情を俺に向けた。


「大丈夫大じょ……」


 その時。

 ぶちりという嫌な音がしてなにかが地面に落下した。


「あっ……」


 赤い雫がケープの表面を滑り落ち、地面に小さなシミを広げていく。呆然と立ち尽くす吸血鬼の握るハサミも真っ赤に濡れていた。

 恐る恐る地面に顔を向ける。

 蒼く平たい肉片が血溜まりに浮かんでいるのが目に飛び込んできた。


「う、うわぁ……コレ……」

「ン? ナニ?」


 吸血鬼は目にも止まらぬ速さでソレを拾い上げ、サッと後ろ手に隠す。


「なんでもない! 前向いてろ!」

「ゾ、ゾンビちゃんお肉もっと食べるよね? スケルトンたちにもっと持ってきてもらうから」

「ホント? ワーイ」


 人より痛覚が鈍いのか、それとも肉に夢中になっているおかげか、ゾンビちゃんは自分の身体に起こった変化に気付いていないようである。

 俺達は肉を貪るゾンビちゃんの後ろでコソコソと相談をする。


「ど、どうするのこれ」

「どうするもこうするも、くっつけるしかないだろ」

「血止まらないよ」

「ええと、こういう時どうしたら良いんだ」

「冷やすとか、患部を圧迫するとか――」

「アレ、この血ナニ?」


 床にたまった血だまりを眺めながらゾンビちゃんが首を傾げる。吸血鬼は素早くゾンビちゃんの頭を両手で挟み、半ば強制的に真正面を向かせた。


「こ、これはお前が食ってる肉から滴ったものだ。それより首を動かすな、1ミリもだ」

「ソンナニこぼしたかなぁ。そういえばナンカ耳が聞こえにくいような」

「ゾンビちゃんほら肉食べて肉! 美味しいでしょ? 美味しいよね?」

「ウン。オイシイけど……」

「なら良かった! ほらゾンビちゃん吸血鬼の気が散るからお喋りは慎むんだよ。動いたりしてもダメだからね。なんなら目もつむってて!」

「ワ、ワカッタ」


 俺達の必死さに気圧されたのか、ゾンビちゃんは訝しげな表情を浮かべつつもその目を閉じた。




*******




「……よし、できた!」


 吸血鬼はそう言って大きく息を吐き、乾いた血のこびりついたハサミをシザーケースに戻す。俺も安堵のあまり胸を撫で下ろした。


「とりあえずくっついて良かった……」

「クッツイタって? 髪切ったんでしょ?」

「あ……ああ! ごめんごめん、言い間違えちゃったよ。はは……」

「そ、それよりほら見ろレイス! どうだ、悪くないだろう?」

「ええと、どれどれー?」


 俺は吸血鬼の出した助け舟に乗っかり、ゾンビちゃんの真正面に周る。

 ハプニングのせいで正直あまり髪型を気にできていなかったが、そのあまりの変わり様に思わず息を飲んだ。


「うわぁ、別人みたい!」


 ボサボサだった髪は顎の下辺りで短く綺麗に整えられ、どことなくモードで、より大人っぽい雰囲気を漂わせている。ワックスで毛先を遊ばせるなどと言う高度な技も使われており、今までのゾンビちゃんからは考えられないほどの「オシャレな髪型」だ。あんなハプニングがあったことはこの髪型からはとても連想できない。


「凄いよゾンビちゃん、まるで女優さんだ」

「エヘヘ、ホント?」


 髪に無頓着であるゾンビちゃんだが、褒められたのが嬉しかったのか満更でもない表情を浮かべている。吸血鬼も満足のいくカットができたらしく、色々な角度からゾンビちゃんの髪を眺めては何度も頷いた。


「うん、なかなかの自信作だ。せっかくの髪を崩すなよ」

「ハーイ」


 ゾンビちゃんは元気よく返事をし、椅子から飛び降りて踊る様にクルリとターンをして見せる。彼女の短い髪がふわりと風に揺れた。

 なんとも爽やかな光景――と思ったのもつかの間。おもむろにはしゃぐゾンビちゃんの肩を掴み、吸血鬼が低い声で言う。


「あまり暴れるな。髪が乱れるだろ」

「エッ?」


 ゾンビちゃんは思わぬお叱りに目をパチクリさせるばかり。俺も吸血鬼の言葉には疑問を抱かざるを得なかった。


「別にこれくらい良いじゃん、そんな人形みたいにじっとしているなんて無理なんだし」

「いいや、人形みたいにじっとしていてもらうぞ。この髪形は見た目以上に繊細なんだ」


 吸血鬼は大真面目にそう言い放つ。どうやら冗談で言っているのではないらしい。


「ウワー、ヤな予感するよう」


 ゾンビちゃんはガックリと肩を落とし、今にも泣きそうな表情を浮かべる。

 残念ながらゾンビちゃんの予感は大当たりすることとなった。



 ゾンビちゃんが冒険者と戦えばすぐに吸血鬼が飛んできて髪を整え直し、

 ゾンビちゃんが冒険者の肉を食べれば「髪に血を付けるな!」と言って髪を耳にかけさせ、

 ゾンビちゃんが地面に寝そべろうとしようものなら「髪が汚れるだろう!」と言って自分のソファを提供し、

 朝は早く起きてゾンビちゃんを叩き起こし彼女の髪のセットを一日の仕事始めとした。


 ある意味至れり尽くせりの毎日といえなくもないが、ゾンビちゃんにとってはいい迷惑だったようである。日に日に彼女の眼からは光が失われていった。

 だが思っていたよりずっと早く吸血鬼の献身的な生活は終わりを迎えることとなる。吸血鬼の前髪が伸びるより早く、ゾンビちゃんの髪は元の長さにまで戻ったのだ。


「うわぁっ、なんで一晩でこんなに!」


 いつものボサボサ頭に戻ったゾンビちゃんを見て吸血鬼はあんぐり口を開ける。一方、ゾンビちゃんは嬉しそうに伸びっぱなしのロングヘアを撫でた。


「早くノビローノビローって思ってたらのびた!」

「そういえばアンデッドは意識して頑張ると髪が伸びるって言ってたね」


 吸血鬼は俺の言葉にガックリ肩を落とし、眉を八の字に寄せる。


「いったいどれだけ頑張ればそんなに髪が伸びるんだ。ああ、僕の芸術作品が……」

「ま、まぁショートカットも良かったけどね。でもやっぱりゾンビちゃんにはこの髪形が一番だよ、ね?」

「ウン! これでヤット土のウエで寝られる」


 ゾンビちゃんはそう言って大きく伸びをした。

 だが吸血鬼は未練たらしくゾンビちゃんの長い髪をじっと見つめる。


「……もう一度切ってやっても良いぞ」

「ウザいから絶対ヤダ」


 この後互いの髪を引き千切り合う大喧嘩が始まり、結局髪の回復にはもう数日かかる事となった。




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