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37、神を愛しすぎたシスター





 上階、知能無きゾンビたちのフロアにて。

 俺はダンジョンに足を踏み入れた冒険者を暗がりからジッと観察していた。この知能無きゾンビたちとの戦いから敵の力量や武器の種類などを特定し、深層にて待ち受ける仲間たちに伝えるのが俺の仕事の一つだ。


 ところが、この冒険者に対してはそれができなかった。

 冒険者がすぐ横を通っているにも関わらず知能なきゾンビたちはその冒険者を襲うどころかそちらを見ようともしないのである。まるで透明人間を見ているかのような不思議な光景だった。


「あの娘何者……?」


 俺は改めて冒険者を見やる。

 冒険者にしては珍しい単身の若い女だ。聖職者だろうか、紺色のシスター服のような物を纏い、ベールを頭に被っている。アンデッド蔓延るダンジョンに足を踏み入れているとは思えないほどの軽やかな足取りで、武器も持たずにダンジョンを進んでいく。

 それ以外は特筆すべきところのないまだ幼さの残る至って普通の女性だ。ゾンビたちに嫌われるような要因は見つけられない。

 下手すれば迷い込んだ魔物にすら喰らいつこうとする悪食ゾンビが倦厭する程不味い肉体を持っているとか? それとも俺の知らない特殊な魔法か何かによってゾンビたちに知覚されないようにしているのだろうか。

 とにかくなにか秘密があるに違いない。俺はサッと地面をすり抜け、仲間たちの待つ地下深くへと潜った。




「なんだそれは、今までにそんな事は無かったはずだぞ」


 俺が話し終えると、吸血鬼は怪訝な表情を浮かべて腕を組んだ。ゾンビちゃんもキョトンとした顔で首を傾げる。


「お腹ヘッテないのかなぁ」


 吸血鬼は呆れたように首を振る。


「ゾンビが腹を空かせていないはずないだろう。そうだな、とんでもなく位の高い神官で、漏れ出る魔力だけで雑魚アンデッドを圧倒できるとかどうだ?」


 その自信に溢れた推理に俺はゆっくり首を振る。


「圧倒とかそんな感じじゃないんだよなぁ。なんていうか、そこにいないみたいな扱いなんだよ」

「うーん、違ったかぁ」


 推理を外した吸血鬼はまた難しい顔をして少々考えこんだあと、おもむろに腰掛けていた木製の椅子から立ち上がった。


「まぁ考えていても仕方がない。上階にいるのだろう、僕自ら出迎えてやろう」

「ええっ、なんの情報もないのに大丈夫?」


 俺の心配をよそに吸血鬼は自信満々とばかりに頷く。


「大丈夫だ、武器も出していないのだろう? 隙をついて首筋に齧り付いてやる」


 その言葉で俺はようやく吸血鬼の意図を察し、あっと声を上げた。


「分かったぞ。若い女の子の生き血を啜るつもりだな」

「若いだけじゃないぞ、そいつが本当に聖職者ならきっと処女だ!」


 吸血鬼は悪巧みでもするように口の端から牙を覗かせて笑う。

 つまり冒険者の正体などはどうでも良く、偏に清らかな乙女の血液を一滴も無駄にせず確実に手に入れるためわざわざ長い階段を上り冒険者を出迎えてやろうという魂胆だろう。なんて悪い男だ。だが止める理由も特にない。


「ならスケルトンたちには待機してもらって、吸血鬼が奇襲をかけるということで」

「ナラ私も行く!」


 吸血鬼に続きゾンビちゃんも軽やかに立ち上がり、ぺろりと舌なめずりをした。まぁゾンビちゃんが肉に食らいつくチャンスをみすみす逃すはずもない。

 吸血鬼は露骨に嫌そうな表情を浮かべ、突然現れたライバルにその顔を向けた。


「お前も来るのか? 言っておくがお前が肉を食うのは僕が血を吸ったあとだぞ、忘れるなよ」

「モチロン分かってるよー」


 本当に分かっているのか定かではないが、その返事だけは元気の良い上等なものであった。

 吸血鬼は嫌そうな表情を変えなかったが、行きたいというのを無理に拒否することもできない。結局三人で仲良く冒険者を迎え撃つこととなった。

 俺たちは暗闇の中をズンズン進み、長い階段をいくつも上って冒険者のいるであろうダンジョン上階へと向かう。

 知能なきゾンビ達のフロアへ続く階段の手前まできたところで吸血鬼はその足を止めた。


「来るぞ」


 吸血鬼は声を潜めて俺たちに合図する。曲がり角からそっと顔を出すと、相変わらず軽い足取りで階段を下りてくる冒険者の姿が目に入った。


「隙だらけだな、本当に冒険者か?」

「ドコカラでも食べられそう」


 ゾンビちゃんはその大きな眼を爛々と輝かせながら冒険者をジッと見つめる。吸血鬼は今にも冒険者に襲いかかりそうなゾンビちゃんの腕を掴み、念を押すように言う。


「いいか、僕が血を吸ってからだ」

「モー、分カッテるってば」


 ゾンビちゃんは眉を顰めて口を尖らせる。「そんなことするワケないじゃん」とでも言いたげだが、吸血鬼が止めなければすぐにでもこの通路を飛び出して冒険者に食らいついていたことだろう。


「うかうかしてると横取りされてしまいそうだ、一気に行こう」


 吸血鬼はため息混じりに呟くとスッと体勢を低くし、地面を蹴って無防備な冒険者に襲いかかる。その動きは風のように速く、冒険者はなんの抵抗もできないまま吸血鬼の接近を許した。

 長年人の血を啜って生きてきただけあり、吸血鬼の動きは非常に手馴れていて流れるように滑らかだ。あっという間に冒険者の背後に周り、そのベールを剥ぎ取って首筋に齧り付いた。

 警戒した割に随分と呆気ない終わりだ。正直拍子抜けである。


 だが首筋に齧り付いて数秒もしないうちに、吸血鬼は弾かれたように冒険者の首筋から口を離した。

 吸血鬼は酔っ払いの千鳥足のごとく通路をよろめき、壁に手を付いてゴホゴホむせる。


「うえっ……な、なんだこれは」


 吸血鬼は汚らわしいものでも口に入れてしまったかのように厳しい表情で何度も何度も口を拭う。

 冒険者はその様子を怯えるでも慌てるでも怒るでもなく、微笑みを携えて見つめていた。彼女の首筋からは血液にしては色が薄くサラリとした液体が漏れ出ており、そのシスター服にシミを広げている。


「ふふ、ダメですよ吸血鬼さん。血液など当の昔に排水溝へ流してしまいましたわ」

「何者だ? 魔物……ではなさそうだが」

「まぁ失礼な方ですわね。私は魔物でも、ましてや冒険者でもありません。シスターです」


 冒険者改め「シスター」はふくれっ面をして吸血鬼にそう言い返す。


「もちろん宝箱を頂きに来たのではありません、ご安心ください」

「なら何をしに来た」


 よほど酷い味だったのか、食欲もやる気もすっかり落ちてしまったらしい。吸血鬼はゲッソリした表情で迷惑そうにシスターを見つめる。

 彼女はそんな事気にもせずマイペースに答えた。


「私は迷える魂を一つでも多く神の元へ送ることを天より課せられた使命として活動しております」

「ほう、アンデッドダンジョンにピッタリの活動だな」


 吸血鬼はそう言って皮肉な笑みを浮かべる。

 確かにここはあの世へ行き損ねた者達で溢れかえっている。だが一体誰がどんな方法で俺たちをあの世へ送れるというのか。そんな事を考えているとシスターはどこからか小さなナイフを数本取り出して構えた。


「いつまでも肉体に縛られているのは苦痛でしょう。今から殺しますので、死んでください!」


 ストレートすぎる台詞を吐き、シスターは至近距離から吸血鬼の身体めがけてナイフを投げる。だが吸血鬼が黙って殺されるはずもなく、投げられたすべてのナイフをかわし、そしてナイフを一本だけ手に取って眉を顰めた。


「……なんてちゃっちいナイフだ」

「ああっ、避けないでくださいよう」


 シスターは困ったように眉を八の字に寄せる。だがその表情をしたいのはむしろ吸血鬼の方であろう。


「こんなので僕を殺せるはずないだろう、舐めているのか」

「ええ? でもみんなコレで殺せましたよ?」


 シスターはそう言って首を傾げる。なんて物騒な物言いだろう、聖職者とは思えない。


「はぁ、なんというか……面倒くさいな」


 吸血鬼はこちらに目配せをしてため息を吐く。それを合図にゾンビちゃんが通路から飛び出し、シスターに襲いかかった。ゾンビちゃんはシスターの頭を壁に叩き付け、その怪力でいとも容易く腕をもぐ。シスターの後頭部は熟れた果実の様にグチャリと潰れ、あのごく薄い色の血を壁に広げる。その瞬間、微かな腐敗臭と何とも言えない強烈な薬品臭があまり敏感とは言えないはずの俺の鼻を刺激した。


「な、なんだ……?」


 俺も通路の影からそろりと這い出し、妙な臭いを発するシスターへ近づく。その臭いはゾンビちゃんの無尽蔵の食欲をも減退させるらしく、彼女は決してその肉に口を付けようとはしない。


「ううっ、コンナのニクじゃないよう。キモチワルイ」


 ゾンビちゃんは顔を引き攣らせながら吸血鬼にもいだシスターの腕を差し出す。吸血鬼はその腕を手に取るや、眉間に皺を寄せて心底不快そうな表情を浮かべた。


「死体だ……いや、違うな。死体を材料にした人形のようだ。色々と加工されているが、ほとんど腐っている」


 その腕の表面は確かに滑らかで美しい。だがよく見れば表面は透明な膜によりコーティングされており、断面から「中」を覗き見れば、その肉は死にたてとは思えないほどにどす黒く異様な臭いを放っている。


「本当に、なんなんだコイツは……」


 吸血鬼は頭の半分を潰されたシスターの死体を見下ろしてそう呟く。すると、その言葉に反応するかのようにシスターの身体がビクリと震えた。彼女はまるでゾンビのように立ち上がる。いや、ゾンビでも頭を潰されれば動けなくなる。彼女の生命力はゾンビをも凌駕していた。


「もう! この体はまだ使えましたのに」


 彼女はそう言って軽く頬を膨らませる。その光景はアンデッドである我々からしてもかなり異様だ。彼女はまるで痛みを感じていないかのように涼しい顔をしているのである。


「なんだこのおぞましい肉体。一体お前はなんなんだ!」


 吸血鬼は頬を引き攣らせながら本日何度目か分からない疑問を彼女にぶつける。シスターは少々の沈黙の後、その重い口を開いた。


「私はシスターです、ずっと前からシスターだったのです。私はたくさん神様のお役にたてるよう頑張って参りました、この人生の全てを神様に捧げ、尽くして参りました。しかしどうしてか、私は死んでも神様の元へ行けなかったのです」

「やはりアンデッドか。だが修復能はなさそうだな、防腐処理も完璧じゃない。もうじき大好きな神様の元へ行けるさ」


 吸血鬼は鼻を鳴らし吐き捨てるように言い放つ。

 だがシスターは切ない表情を浮かべてゆっくりと首を横に振った。


「ダメです、ダメなのです。この身体が朽ち果てても私の魂が天へ昇ることはないのです。神様にまだお許しを得ていないのです」

「お許し?」

「はい、多分神様への貢物が足りなかったんだと思います。生前も同じように迷える魂を一つでも多く神の元へ送るため活動をしておりました。しかしやはり生身の体では限界がある上、途中で捕まってしまったので送れた魂はせいぜい数十個……」

「ちょ、ちょっと待って」


 俺は自分の認識と彼女の言葉との間に食い違いを感じ、慌てて話を止めた。


「迷える魂っていうのはアンデッドとかレイスとかの事……だよね? そういうのをあの世へ送るって事だよね?」

「いいえ、アンデッドに着手したのは今回が初めてです。でもアンデッドを殺すのは骨が折れそうですね、人なら何人いても大抵はすぐ殺せるんですけど」


 シスターはそう言って残念そうに潰れた後頭部を撫でる。

 これはアンデッドよりタチが悪いかもしれない。「食べるために殺す」という目的のほうがよほど健全に感じる。俺は背筋に冷たいものを感じながら呟いた。


「シリアルキラーかよ……」

「そんなんだから神のとこへ行けないんじゃないのか」

「タマシイとかどうでも良いけどニクは私にクレルと良いよ」


 俺たちの言葉を無視するようにシスターは口を開く。


「良いのです、良いのです。これは神の与えた試練……いいえ、私は多くの魂を肉体から開放して神の元へ送って差し上げるため天より遣わされた天使なのです」


 なにが良いのかはよく分からないが、取り敢えず彼女が人の話を聞かないタイプの人間だということは分かった。


「随分と血生臭い天使だな。光り輝く輪がないばかりか、あるべき大事な部分が欠けてるぞ」


 吸血鬼はそう言って後頭部へ指を指す。

 だがシスターはそんな事気にもしないようにケロリとした表情で口を開く。


「仕方ありませんね、どこかの街で新たな肉体を調達します」

「……なるほど憑依系のアンデッドか。それも死体への」

「そうなんです、血抜きして薬品を入れたり皮膚のコーティングをしないとすぐに腐るから不便なんですよね」


 シスターはそう言って少し眉間にシワを寄せた。なんだか人間と話しているとは思えない。いや、彼女はもうずっと前から人間ではないのだろう。


「と、とにかくあなたは一人でも多くの人を殺したいんだよね? なら俺たちを殺そうとするのはお門違いだよ、俺たちが死んだらそれ以上に冒険者の死亡者が減る」


 とにかく帰って欲しい一心で無理矢理笑顔を作り、彼女に優しく話しかける。

 すると彼女はまんまと膝を打ち、パッと顔を輝かせた。その口から血の泡を吐き出しながら笑みを浮かべる。


「確かにその通りでしたわ、私ったらとんだ勘違いを。あなた方はいわば同士ですものね」


 全く持って心外だが、俺は特に否定はせず曖昧な笑みを浮かべた。


「ここから北にずーっと行ったとこに街があるからそこへ向かうと良いよ」


 もちろん北の方角に街などない。

 だが彼女は嬉しそうに大きく頷き、俺の言葉を厚意として受け取ってくれたようである。


「分かりました、親切にありがとうございます!」


 シスターは落ちていたベールを被って損傷した頭を隠し、吸血鬼から腕を受け取って断面に接着剤を塗り、肩にくっつけた。


「ではみなさん、お騒がせいたしました。また通りがかりましたら寄らせていただきますね」


 シスターは恐ろしいセリフを残してダンジョンを引き返していく。できればもう二度と会いたくないが、お互い死なない体を持つ身。いつかまた顔を合わせるかもしれない。

 それまで彼女はまた殺戮を繰り返し、若い女の肉体を奪い続けるのだろうか。それが神への貢物になると信じて。


「はぁ、酷いものを齧ってしまった。乙女の血どころか化物の体液を啜るところだったよ……口直ししよう」


 吸血鬼はまた思い出したように苦虫を噛み潰した表情を浮かべて口元を拭う。

 ゾンビちゃんも「ふう」と息を吐き、お腹をさすった。


「私もアイツいなくなったらお腹ヘッター。干し肉ちょうだい」

「うーん……一個だけだからね」


 俺たちはまだ微かに薬品臭の漂うフロアを離れ、ダンジョンの奥へと潜っていった。




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