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33、自称美食家にはお袋の味を喰わせておけば何とかなる






 日も沈み、冒険者たちの気配も消えた頃。

 「それ」は音もなく俺たちのダンジョンに忍び込んだ。





*******





「うわっ、なんだよこれ……!」


 その光景を見て目を疑った。

 ダンジョンの通路という通路に白いロープのようなものが張り巡らされ、先を見通すのも困難なほどになっていたのだ。物理的干渉を一切受けない俺は問題ないが、この有様では他のアンデッドたちの通行に著しい支障をきたすだろう。


「おーい、誰だよこれやったの!」


 十中八九吸血鬼がまた何かやらかしたのだろうと思いながら通路を進んでいくと、白い糸の向こうに人影がいるのを確認できた。


「あっ、ちょっといるなら返事くらい……」


 そう言いかけて俺は口をつぐむ。

 ゾンビだ、人影の正体はゾンビであった。このダンジョンではゾンビなど珍しくもなんともないが、いつもとゾンビたちの様子が違う。何体ものゾンビが白いロープで雁字搦めにされ、吊るされているのだ。

 そして問題はそのさらに奥だ。何かいる。俺たちの仲間じゃない何かが奥の方で蠢いている。

 誰だろうと俺の身体には絶対に危害を加えられない。そう分かってはいても、奥を覗くのは怖かった。

 進むに進めず、だからと言って戻るわけにもいかず立ち往生していると、奥の方から聞きなれた声が聞こえてきた。


「ギャーッ! ヤダヤダッ助けて」

「ゾ、ゾンビちゃん……?」


 確かにゾンビちゃんの声だった。だが彼女があんなに緊迫した、そして怯えたような声を出すのは初めてかもしれない。

 きっと向こうでは大変な事が起きているのだ。俺は覚悟を決め、白いロープと吊るされたゾンビを突っ切って奥へと進む。


「ゾンビちゃん! ……うっ」


 そのおぞましさに思わず後退りする。

 他のゾンビと同じくロープで雁字搦めにされ吊るされたゾンビちゃんが目に涙と恐怖をいっぱいに浮かべて「ソイツ」を見ていた。右の肘から先が無くなっており、滴り落ちる血によって彼女のロープが赤く染まっていく。

 そいつは恐らく彼女の腕だったものをペッと吐きだし、苦々しい声を発した。


「不味い。どいつもこいつも腐ってる」


 地獄の底から響くような恐ろしく低い声。怖くて怖くて、俺は思わず息をのんだ。

 その時、ヤツは不意にその恐ろしい顔をこちらに向けた。感情の読み取れないたくさんの赤い眼に俺を写し、毛のびっしり生えたたくさんの足を器用に使って俺に迫る。


「……幽霊レイスか。はぁ、このダンジョンにはロクな餌がない」


 その化け物の姿は蜘蛛そのものだった。

 一つ違うところを上げるとすれば、喋ること、そしてその体が数メートルはあろうかという程大きいことくらいか。


「なっ……なんだお前。なにしに来た!」


 声が震えているのを悟られないよう、できるだけ威勢よく声を上げる。

 化け物は奇妙なほど落ち着いて俺の質問に答えた。


「私は旅の途中でね。腹が減ったから寄ってみたんだが、まさかアンデッドダンジョンとは。期待外れも良いとこだ」

「え、餌……」


 よくよくあたりを見ると、そこいらに白いロープ……いや、蜘蛛の糸の絡みついた肉片がいくつも転がっていた。一体一体「味見」をしていった、その残骸だろう。


「これだけ食い荒らしたんなら分かったでしょ、うちにアンデッド以外の魔物はいないよ」

「そのようだね。でも私はお腹が減ってるんだ、そりゃあもう我慢が出来ないくらいにさ」


 そう言って化け物はその長い足を器用に使い、吊るされたゾンビに紛れていた見覚えのある顔を引っ張り出した。糸で雁字搦めにされて自由を奪われ、元々悪い顔色をいっそう悪くさせた吸血鬼だ。


「こいつは他のよりは少しマシかな」


 蜘蛛はじろじろと吸血鬼を見回しながらその前足で吸血鬼の身体を小突く。その度に吸血鬼の身体は揺れ、顔に浮かんだ怯えの色を濃くしていった。


「ふうん、お前吸血鬼だな。ボスはお前か?」

「そ……そうだ」


 吸血鬼は声を震わせながらも気丈に頷いて見せる。

 すると化け物は悪魔が契約に漕ぎ着けたときの様な不敵な笑い声を上げ、その前足で吸血鬼の糸を解いていく。


「では私と取引しようじゃないか。私を満足させられる餌を出してくれれば私はすぐにこのダンジョンから立ち去る。だが私を満足させられなければお前の肉で腹を満たさせてもらう。どうだ、悪くない条件だろう」

「くっ……なんで僕がお前なんかのために」

「嫌ならお前を食うだけだ。頭からな」


 もはや吸血鬼に選択権などあってないようなものだ。吸血鬼は恐怖に顔を引き攣らせながら頷いた。

 化け物は満足げに息を吐き、吸血鬼を地面に下ろす。そして毛むくじゃらな前足をゾンビちゃんにも伸ばし、彼女を拘束していた糸も解いた。


「私の好みは血の滴るような狩りたての獲物だ。楽しみに待っているからね」





*******




「うわあああああっ、なんだあの化け物!!」

「ワーン、恐かったよぉ」


 吸血鬼もゾンビちゃんも恐怖で体を委縮させながらそれぞれ押し殺していた声を上げる。アンデッドとはいえ、化け物に捕食されかけたのは酷い恐怖だったのだろう。ゾンビちゃんに至っては腕を齧られたのだ。


「ゾンビちゃん、腕は大丈夫?」

「エッ、ウデ? ああ……」


 ゾンビちゃんは噛み千切られた腕を一瞥し、なんでもないように視線を上げる。


「ソノウチ治るよ」

「な、なんかやけにアッサリしてるね。あんなに怯えてたのに」

「だってクモキライなんだもん! アシいっぱいでキモチワルイ」

「ええっ、あの化け物の『蜘蛛』ってとこに怯えてたの? ゾンビちゃん恐がるとこおかしいよ」

「ソウ?」

「おいっ、ペチャクチャ喋ってる場合じゃないぞ!」


 吸血鬼が恐い顔をして声を上げた。その顔色は相変わらず悪く、死人の方が健康的に見えるほどだ。


「夜明けまでにアイツを満足させられないと、僕は――」

「ああ、食べられちゃうんだよね。頭から」

「ううっ、ハッキリ言うなよ……」


 吸血鬼はがっくり肩を落とし、壁に手を付いて頭を垂れる。

 その時、ふと素朴な疑問が頭に浮かんだ。


「でもさ、アンデッドって食べられるとどうなるの? 死にはしないんでしょ?」

「頭から食われたことなんてないから分からないが……下手したらヤツの腹の中で再生するか、もしくはフンに混じった肉片から再生するかも……」

「うわーっ、キッツイなぁそれ」


 俺はそう言って思わず舌を出す。

 ようやく蘇ったと思ったら蜘蛛のフン塗れなんて死んでも嫌だ。もう死んでるけど。


「そう思うんなら協力してくれよ! ヤツに何を食わせたら良い!?」

「ええと……普通サイズの蜘蛛なら蝶とか蠅とか食べるんだろうけど」

「蝶や蠅かぁ、デカい蚊の知り合いならいるんだが」

「知り合いを売るような真似しないでよ……」

「カなんか細くてタベルとこないよ。やっぱりニクでしょ」


 ゾンビちゃんはそう言ってペロリと舌なめずりしてみせる。確かにあの巨体を動かすには相当なエネルギーが必要だろうし、本人も「血の滴るような獲物」が好物だと言っていた。ゾンビちゃんの言うとおり、用意すべきは肉だろう。


「でも血の滴るような肉……って言われてもなぁ。今うちにあるのは干し肉だけだよ」

「うーん、僕の持ってる血で干し肉を戻すというのは」

「いやいや。椎茸じゃないんだから」

「そうなるとうちにある新鮮な肉はネズミくらいなものだぞ」

「ネズミで良いんじゃない? 大抵の肉食動物はネズミ食べるでしょ」


 俺の言葉にゾンビちゃんも大きく頷く。その顔にはなぜかドヤ顔が浮かべられていた。


「ウンウン、私もたまにタベるよ」

「ほら、ゾンビちゃんお墨付き」

「悪食ゾンビのお墨付きなんていらないよ」


 食べられるかもしれないプレッシャーで頭がいっぱいなのか、吸血鬼にはイマイチ覇気がない。

 俺はできる限り明るい声を出してダンジョン奥を指差した。


「まぁでも現状それしかアイデアないし、取りあえず持って行ってみよう」

「イコウイコウ」


 吸血鬼は苦い顔をしてため息を吐く。


「君たちは呑気なものだな……」





*******





「なんだこれは」


 蜘蛛の化け物は目の前に出された血の滴るネズミの死体を見て一言そう言った。

 ネズミには加工もされておらず、誰がどう見てもネズミ以外の何物でもないのだが、この化け物はネズミを知らないのか。俺は恐る恐る化け物のバカバカしい質問に答える。


「ネズミですけど」

「お前たち、私にネズミなんかを食べさせようとしているの?」


 その声は一応冷静ではあったが、奥の方で怒りが見え隠れしているのが分かった。

 どうやらネズミはNGらしい。蜘蛛の好みなど知ったことではないし、情報が少なすぎて推理することもできない。俺は勇気を振り絞り、恐怖を抑えて口を開いた。


「あの、せめてヒントをくれないと。ネズミは何がダメだったんですか?」


 化け物は少々の沈黙の後俺の質問に答えた。


「強さだ、私は腹と心を満たす強い獲物が好きだ。ネズミみたいな小動物は食っても食ってもなにも満たされない」

「強い獲物……ねぇ」

「分かったらさっさと次のを持ってこい。夜明けまでとは言ったが、あまり失敗が続くようだと怒ってあんたらのボスを食っちまうかもしれないよ」


 化け物はそう言うと、口から飛び出た牙を威嚇するようにガシガシ鳴らした。




*********




「ダメだったね」

「ダメダッタねー」

「おいッ! どうするんだ一体!?」


 吸血鬼は髪型が乱れるのも構わず頭を掻き毟る。


「強い獲物なんてダンジョンにいるわけないだろう!? 狩りがしたいなら森で鹿と追いかけっこでもしていればいいんだ!」

「確かに言えてるけど、それ本人に言えないしなぁ」

「あっ、そうだ。いっそ僕が外へ出て狩りをしてくるというのはどうだ?」

「逃げる気か」

「そ、そんな訳ないだろ……はは」


 吸血鬼は俺から目を逸らしながら薄く笑って見せる。

 俺は薄目で吸血鬼を見つめ、釘を刺すように言った。


「吸血鬼が逃げたらアイツ何するか分からないよ。ダンジョンを壊して回るかも」

「わ、分かったって。なら他に良い方法を考えてくれよ」

「そうだなぁ。食通を唸らせる料理は――やっぱお袋の味じゃない?」

「お袋の味? なんでまたお袋の味なんだ」

「食通って色々な美味しい物を食べて舌が肥えているけど、逆に普段食べなれていない昔ながらの家庭料理を出した方がコロッと行くこと多いんだよね」


 まぁ、全部グルメ漫画の話だが。

 しかし吸血鬼は俺の言葉に興味を持ったらしい。藁にもすがりたい気分なのだろう。


「なるほど、確かに真正面から攻めるよりそういう裏ワザを使ったほうが良いのかもしれないな。しかしアイツにとってのお袋の味ってなんだ? やっぱり母乳とか? 小娘、出せるか?」


 ゾンビちゃんは少々考えた後、ケロリとした顔で頷いた。


「ウーン、頑張ってみる」

「なにを頑張るんだよ……頑張らなくていいしそもそも蜘蛛は母乳飲まないよ。哺乳類じゃないんだから」

「ああ、そうか。なら蜘蛛にとってのお袋の味ってなんだ? やっぱり昆虫か?」

「うーん……あっ」

「おっ、思いついたか?」


 吸血鬼は期待に満ちたまなざしで俺を見つめる。

 確かに思いついた……が、それは色々な意味で一か八かの賭けだし、吸血鬼に大きな負担を強いる物であった。

 俺は背筋を伸ばし、吸血鬼に問いかける。


「殺されるかもしれないんだけど……やってみる?」




*******




「そろそろ夜明けだぞ、用意できたのか」


 俺は蜘蛛の正面に立ち、自信たっぷりに頷いて見せる。


「はい、最高の餌を用意しています」


 蜘蛛は口から出た牙をカチカチと鳴らす。威嚇しているというよりは、お腹の空いた子供が箸で茶碗を鳴らしているようだった。


「それは楽しみだ。で、それはどこに?」

「今から狩るんです」


 その言葉を合図に岩陰に隠れていた吸血鬼が飛び出し、蜘蛛の後ろ脚を一本その鋭い爪で切り落とした。蜘蛛は悲鳴のような鳴き声を上げ、まだたくさんある脚をバタつかせる。そのうちの一本が吸血鬼の腹を的確に貫いた。


「ぐっ……」


 吸血鬼は貫かれた腹部と口から血を流し、地面に倒れ込む。

 化け物は倒れた吸血鬼を見下ろし、忌々しそうに吐き捨てた。


「ふん、残念だったね。最後の悪足掻きもお終いだ、私の腹の中で反省するんだね」

「ちょっと待ってください!」


 俺は吸血鬼と化け物の間に入り、吸血鬼を守る様に腕を広げる。

 化け物はイラついたように牙を鳴らした。今度のはれっきとした威嚇だろう。


「なにを待つって言うんだ」

「だって、まだ最高の餌を食べていないでしょ?」

「最高の餌だって? 餌が用意できないから私に刃向ってきたんだろう、窮鼠猫を噛むとはこのことだ」

「違いますよ、吸血鬼は最高の餌を用意していたんです。これですよ」

 

 俺は床に倒れてなお吸血鬼が握りしめている切り取った蜘蛛の脚を指差した。


「お袋の味ですよ、さぁどうぞ」

「……あんたがなにを言っているかさっぱり分からないんだけど」

「蜘蛛が生まれてから最初に食べるものって自分の母親なんですよね?」

「……」


 その赤いたくさんの目からは感情らしい感情が読み取れない。だが、化け物は吸血鬼を食べようとはせず、黙って彼の握る足を見つめていた。

 俺は内心緊張を抱きつつ、食べるのがさも当然であるかのように明るい声を上げる。


「さぁどうぞ、狩りたてですよ。きっとお母さんに似た懐かしい味がします」


 化け物は何も喋らず、そっと吸血鬼に手を伸ばした。





*******





「うわあああ、恐かったああああ」


 吸血鬼は腹を押さえて安堵の声を上げる。

 すでに腹の風穴は塞がっているが、血が付き穴の開いたシャツはそのままだ。

 今スケルトンたちが通路の掃除に当たっているところだが、吸血鬼が新しいシャツを取りに行けるのはもう少し先のことだろう。


「しかし本当に自分の脚で満足するとは。昆虫というのはつくづく分からないものだな」

「俺も正直無茶苦茶な作戦だなぁと思ってたんだけど、案外いけるもんだね」

「君もそう思ってたのか……まぁおふくろの味は偉大と言うことだな」

「でもあんなアシ、オイシイのかなぁ?」


 ゾンビちゃんは膝を抱え、体を左右に揺らしながら呟いた。


「出ていってくれたんだから美味しかったんだろうけど……まぁ昆虫の味覚なんて俺らには分からないからね」

「ふうん……アシ……オイシイかな」


 ゾンビちゃんはあろうことか自分の脚を見てそう呟いた。

 俺達は不穏な空気を感じ取り、釘を刺すようにゾンビちゃんに言う。


「食べちゃダメだからね」

「馬鹿な真似するなよ……」






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