32、ダンジョン・オブ・ザ・デッド
「おなか減ったぁ」
ゾンビちゃんが地面に足を投げ出しながら気の抜けた声を出す。
それに同意するように吸血鬼も腕を組んで首を傾げた。
「ここ数日冒険者の数が減っていないか?」
吸血鬼の言うとおりここ数日の我がダンジョンの状況は酷い物であった。
訪れる冒険者は少なく、その数少ない冒険者は強者ぞろいでなかなか倒すことができない。いや、その表現は適切じゃないな。
厳密に言うと、訪れる冒険者が少ないと言うよりは「俺たちの領域」にたどり着く冒険者が少ないのである。
「実はさ、上階の知能無きゾンビたちの数が増えているみたいなんだ」
そう切り出すと、吸血鬼もゾンビちゃんもさして驚きもせず俺の言葉に頷いた。
「アイツら少しバランスが崩れると虫が湧くみたいに増えるからなぁ」
「マビキしなきゃね」
「ま、間引き?」
ゾンビちゃんの言葉にギョッとして思わず声を上げると、二人とも当然だと言わんばかりにばかりの表情で立ち上がる。
「ゾンビが増えすぎたせいで冒険者がここまで辿り着けないんだろう? 適正な数に戻さないと」
「オニク食べられないよ」
「あー……まぁ確かにそうだね」
ゾンビに遠慮などしていてはみんな飢えてしまいかねない。
向こうはこちらに遠慮して冒険者を分けたりはしないのだ、ならばこちらもそれなりにゾンビの数を管理することが必要なのかもしれない。
「じゃあ行くぞ、スケルトンたちから武器を借りないと」
「ええっ、武器使うの?」
俺は吸血鬼の言葉にしかめっ面を浮かべる。
吸血鬼やゾンビちゃんが武器を持つと不用意に振り回して危ないので基本的に武器は持たないよう言ってあるのだ。だが吸血鬼も今回ばかりは一歩も譲ろうとしなかった。
「素手であんなにたくさん相手にしたら腕が痛くなるだろ! それにできればゾンビにはあまり触りたくないんだ、衛生的とは言い難い見た目だからな」
「アッ! ゾンビをキタナイみたいに言うなッ!」
ゾンビちゃんは頬を膨らませて吸血鬼の肩をポカポカ殴る。だが流石は怪力に定評のあるゾンビちゃん、その威力は「ポカポカ」というオノマトペが似つかわしくないほど大きなものである。ゾンビちゃんの拳は吸血鬼の肩にめり込み、ベキッとかボキッという嫌な音を立てた。相手が吸血鬼でなく人間だったなら肩が吹っ飛んでいたかもしれない。
吸血鬼はゾンビちゃんから飛び退き、肩を庇うように押さえる。
「イダッ! や、やめろ、骨イッたぞこれ!」
「ゾ、ゾンビちゃん落ち着いて。ゾンビちゃんの事じゃなくて上階の知能無きゾンビの話だから」
「ムー」
ゾンビちゃんは相変わらずのふくれっ面を浮かべていたがとりあえずは拳を下ろしてくれた。
俺は吸血鬼に向き直って彼の肩の様子を窺う。
「大丈夫吸血鬼? 治りそう?」
「うーん、最近満足に血を飲めていないから回復に少し時間がかかるかもしれん」
「それは大丈夫じゃないね……ゾンビ退治はまた今度にする?」
「いや、行くよ。ゾンビごとき片腕で十分さ。どっちみちゾンビを倒せないと血も飲めずにジリ貧だからな。しかしゾンビ退治の前にゾンビにやられるとは幸先が悪い」
「フン!」
皮肉たっぷりな吸血鬼の言葉にゾンビちゃんはそっぽを向いてしまった。
俺は二人の間に入り込み、半透明の指を上へ向ける。
「まぁまぁ二人とも。じゃあ早速行っちゃおうか、ゾンビ退治!」
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俺達はその辺にいた数体のスケルトンを伴って意気揚々と上階へ向かったが、上階の実態は俺たちが思っていた以上に酷い物であった。
「ウワァ、スゴイ数」
ゾンビちゃんはクルリとターンしてあたりを見回し、感嘆の声を漏らす。
吸血鬼も呆れたように首を振った。
「これじゃあ冒険者も来ないはずだ、いくら体力と魔力があっても足りない」
「うわぁ、ここまで酷いなんて……」
あたりにはゾンビゾンビゾンビ、とにかく見渡す限りゾンビだらけだ。数が多すぎるからか、普段はしない腐臭まで漂っている。
「これは骨が折れそうだ……いや、すでに折れていたな」
吸血鬼の言葉にスケルトンたちはバカ受け。顎をガタガタ鳴らせて大笑いしてみせる。
その音でゾンビたちはこちらの存在に気付いたらしい。俺たちを見るや、なんとこちらへ向かってきた。
「……は?」
俺達は顔を見合わせ、再びゾンビたちに視線を向ける。
普段、知能無きゾンビが襲うのは生きた人間だけである。俺達アンデッドはもちろん魔物なども基本的には襲わない。襲わない……はずなのだが、ゾンビたちは明らかに敵意を持ってこちらへと手を伸ばしていた。
「これはもしかすると結構ヤバイんじゃ」
「ぐっ……みんなかかれ! 殺らなきゃ殺られるぞ!」
吸血鬼の声を合図に一斉にゾンビへの攻撃を開始した。ゾンビ一体一体は動きものろく取るに足らないほど弱い。頭部を破壊すればすぐにその朽ちかけた体は最後のあがきをやめて完全な死を迎える。
だが厄介なのはその数だ。吸血鬼はスケルトンから借りた大剣を片手で振るい、ゾンビを次々なぎ倒していく。だが倒せども倒せども次々に新しいゾンビが手を伸ばしてヨタヨタとやってくるのだ。
「クソッ、キリがない。腕が疲れてきた」
「とりあえず地下へ戻ろうよ。一回態勢を整えないと」
「よし、レイスの言うとおりだ。引くぞみんな」
そう言って俺達は階段を駆け下り、自分たちの領域へと逃げ帰った。これで取りあえずは一安心――と思ったその時。
「えっ……マ、マジ?」
上階からゾンビたちが唸り声をあげながら階段を下りてきた。
普段は決してこちらの領域へ足を踏み入れなかったゾンビたちだが、どんな心変わりがあったのか。まるで黒い雪崩のように押し掛けてきたのである。
「どうしてだ! いつもとまるで様子が違う!」
吸血鬼もスケルトンもその数に恐れ戦いてしまっている。
だが一人、ゾンビちゃんだけはケロリとした顔で大挙して押し寄せるゾンビを見つめる。
「オナカ減ってるんじゃない?」
なるほど、と俺はゾンビちゃんの言葉に頷いた。
確かにあれだけ数がいれば食いっぱぐれるゾンビも多いはずだ。
「そういえばゾンビちゃんもお腹すくと俺達を襲うもんね」
「本当に僕らを食おうとしているというのか……まったく、ゾンビというのはどうしてこうどいつもこいつも愚かなんだ」
「それはそうと、どうするのアイツら! このままじゃゾンビにダンジョンを占領されちゃうよ」
「と、とりあえず裏に逃げるぞ!」
俺達は襲いくるゾンビに背を向け、ダンジョンの裏、つまり隠し扉にて冒険者用通路と区切られた関係者通路へと身を隠した。だがホッとしたのもつかの間、壁の向こうからゾンビたちが激しく扉を叩く音が聞こえてきた。これは突破されるのも時間の問題かもしれない。
そんな中、吸血鬼は唇を噛み、わざとらしく負傷した肩に手を置いた。
「くそっ、僕が万全の状態だったらこんな奴らまとめて瞬殺なのに……」
「嘘つけよ、今とそう変わらなかったでしょ。それよりうちには全体攻撃できる人がいないのがネックだと思う」
吸血鬼はガックリと肩を落として頭を抱える。
「ああ、僕も魔法の勉強しておくべきだったか」
「うーん……あっ、そうだ。スケルトンたち、アレない? アレ」
「な、なんだアレって?」
「聖水だよ!」
このダンジョンはアンデッドダンジョンゆえ、冒険者の多く、とくに初心者冒険者などは懐に聖水を忍ばせていることが多いのだ。まぁ聖水などアンデッドの皮膚を少々焼くにすぎず、瓶に入っている程度の量ではほとんどダメージを与えることはできない。だが大量に使用すればアンデッドの動きを止めることができるため、スケルトンたちは聖水を回収した後一ヵ所に集めて、吸血鬼やゾンビちゃんに対抗する必要がある時使うのである。
どの程度の効果があるかは分からないが、無いよりはマシであろう。もしかすると下級アンデッドである知能無きゾンビたちには聖水も致命傷を与える武器になりうるのかもしれない。
「聖水、このあたりにある?」
尋ねるとスケルトンたちはとても残念そうに小さく頷く。
そして桶に入った聖水と柄杓を人数分持ってきてくれた。
「ゴメンね、せっかくコツコツ溜めた武器なのに」
「コツコツ溜めてるの?」
「恐ろしいな、ゾンビたちにじゃぶじゃぶ使ってやろう」
スケルトンたちを怒らせ、滝のような聖水を浴びせられたのを思い出したらしい。二人ともその身を震わせながら桶を受け取る。
その時、とうとう限界が来たらしい。扉が崩壊し、外にいたゾンビたちが一斉になだれ込んできた。
「よし、放水だッ!」
吸血鬼の合図で一斉にゾンビたちに向かって聖水がかけられる。聖水での攻撃を受けたゾンビたちは苦しそうに聞こえなくもないうめき声を上げ、その体から白煙を上らせる。
だがダメージを受けているのはこちらも同じであった。
「うわ熱ッッい!? 誰だ今聖水かけたの、僕に当たってるぞ!」
「ギャッ、水はねた! イタイ!」
やはり液体の扱いは難しいらしい。時には味方に、時には自らに聖水の水滴が飛んでしまう。本当は防護服でも着られれば良いのだろうが、今そんな余裕はない。
そしてゾンビたちは立ち上る白煙の中から姿を現し、先ほどと変わらない歩調でこちらへと攻めてきた。
「……数、減ってるかなぁ」
吸血鬼は桶にたまっていた聖水を全てゾンビたちにぶちまける。だが聖水はゾンビたちの身体表面を焼くにすぎず、倒れるゾンビもほとんどいなかった。
「ほとんど変わってないじゃないか、焼け石に水だ!」
「その言葉がこんなに似合う状況は初めてかもしれない……」
俺達は頭を抱えて絶望に浸る。それなりに広いとはいえ所詮はダンジョン。ゾンビたちから隠れられる場所などは無いし、これだけの数を相手に剣やら斧やらで戦っていくなんて気が遠くなるようだ。
そんな事を考えながら暗い表情を浮かべる俺達の横で、ゾンビちゃんはなにやらもちゃもちゃと口を動かしていた。
「……何食べてるの?」
「ウデー」
ゾンビちゃんはそう言って朽ちかけた腕を高く掲げて見せる。この黒ずんだ皮膚……間違いない、ゾンビの腕だ。
「ゾ、ゾンビちゃん。共食いはどうなのかな」
「そう言う問題じゃないだろう、こんな時になに呑気に食事なんてしてるんだ!」
「ダッテお腹へったもん」
ゾンビちゃんはそう言ってまたゾンビの腕に噛り付く。その時、ゾンビたちにわずかながら変化が見られたことに気が付いた。
ゾンビたちの動きが明らかに遅くなったのだ。
「あれ……なんか、様子がおかしいよ」
よく見ると、ゾンビたちはみな一様にゾンビちゃんの方を見ており、その表情にはわずかながら怯えの色が浮かんでいるように見える。
吸血鬼もそれに気付いたらしい、ゾンビたちの表情をみてアッと声を上げた。
「そうだ、アイツらのほとんどはゾンビに齧られてゾンビになったんだろう? 死んでもなおそれがトラウマになって残っているんじゃないか?」
「な、なるほど……ならみんな、ちょっと止まって!」
俺達は恐る恐る足を止め、動きのノロくなったゾンビたちと対峙する。
いつもはなんとも思わないが、やはり自分たちを捕食しようと迫るゾンビの姿は恐ろしかった。しかも凄まじい数だ。だが怯んでいる今がチャンス。
俺はゾンビちゃんに真剣な口調でお願いした。
「ゾンビちゃん、アイツらに見せつけるようにしてその腕を食べて」
「ウン、分かった」
ゾンビちゃんは大きな口でゾンビの腕を齧って見せる。するとやはりゾンビたちは怯えたように足を止めた。
それを見た吸血鬼が興奮気味に声を上げる。
「やっぱり僕の仮説は正しかったぞ!」
「よし、じゃあゾンビちゃん言ってやってよ!」
「ナニを?」
「ええと、そうだな。元の階に戻るよう……いいや、このダンジョンから出てくようにさ!」
「ンー、分かった」
ゾンビちゃんは肉を貪りながらゾンビたちに一歩近づき、声高らかに言った。
「ゾンビたち、森へお帰り」
ゾンビたちは唸りながらも一歩ゾンビちゃんから距離をとる。だが言い方が優しかったせいか、ゾンビたちを追い払うには至っていない。
「ゾンビちゃん、もう一声!」
「エート……食ベチャウゾ!」
ゾンビちゃんはそう言ってお茶目に両腕を上げてみせる。
この動きも効いたのか、ゾンビたちは逃げるようにして階段を上っていく。大量のゾンビたちによる地響きのような足音はどんどん小さくなり、やがて聞こえなくなった。
「やっ……た、のか?」
「やった……うわぁ、良かったぁ。ゾンビちゃんすごいよ、良くやってくれたね!」
「へへへ」
俺達はホッと息を吐き胸をなで下ろす。スケルトンなどは脱力したようにしゃがみ込んでしまった。吸血鬼もなんだかいつもより顔色が悪い。ゾンビの大群というのは下手な冒険者よりも恐ろしい物であった。
だがゾンビちゃんだけはいつも通りマイペースに肉を齧っている。
こうして我がダンジョンは平穏を取り戻した――かに思えたが、数日後意外な形でしっぺ返しを食らう事となる。
「ちょっとォ! これあんたらんとこのゾンビやろ!?」
頭から角を生やし、ただでさえ恐ろしい顔を怒りに歪めた一つ目の巨大な鬼が突然ダンジョンに怒鳴り込んできたのだ。その手には確かにゾンビの首がいくつか握られている。
「サイ子さん落ち着いて、一体どうしたって言うんだ?」
「知り合い?」
そっと耳打ちすると、吸血鬼は小さく頷く。
「ああ、近隣ダンジョンのボス……つまりご近所さんだ」
「なるほど……」
「今日、あんたらのとこのゾンビがうちに大挙して押し寄せよったんや。うちはアンデッドダンジョンと違うっていうのに、ほんま手間かけさせおって! 子供たちが怯えるからアタシが全部叩き潰したんやぞ!」
どうやらダンジョンの外で行き場を失ったゾンビの残党が他所のダンジョンに押し寄せてしまったらしいのだ。鬼は大きな目玉をギョロギョロさせながらこめかみのあたりに青筋を浮かべる。
「自分とこのモンスターは自分とこで管理せんかい!」
「すいません……すいません」
俺と吸血鬼は身を寄せ合って縮こまりながら永遠にも思われるほど長く恐ろしい鬼の叱責に耐えた。
解放後、俺達はゾンビの様な顔になりながら思った。「間引きは早めにやろう」、と。