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31、木陰の吸血鬼





「オハヨーレイス」


 ゾンビちゃんが寝ぼけ眼を擦りながら遊戯室から出てきた。恐らくまた冷蔵庫の中で寝ていたのだろう、体から白い冷気がほんのりと立ち上っている。


「ゾンビちゃんおはよう……って、もう朝なの?」

「マダ朝じゃないの? じゃあニドネしてくる」


 冷蔵庫へ戻ろうとするゾンビちゃんの前に慌てて回り込み、彼女の二度寝を阻止する。


「ああっ、待って待って。そうじゃなくて!」


 ゾンビちゃんは目を擦りながら首を傾げた。


「ナニかあった?」

「実はさ、吸血鬼がまだ帰ってないんだ」

「ンー……ドッカ行ってるの?」

「忘れちゃったの? 吸血鬼協会の集まりがあるとか何とか言って昨日出て行ったじゃん」

「ソウダッケ」


 寝起きでまだ頭が回らないらしい。ゾンビちゃんはふわふわした表情であくびをした。


 吸血鬼が出て行ったのは日没後すぐのことだ。

 パーティがあるとかでいつも以上に気合を入れた格好をし、意気揚々と夜の森に入って行ったのである。朝までには帰ると言っていたのに一体どこをほっつき歩いているのか。もういつ冒険者が来てもおかしくないというのに。


「まったく、朝帰りとは良いご身分だよね」

「朝……朝になったら帰れナイよ」

「ええ? あっ、そうか……日が昇ったら帰ってこられないじゃん!」


 日に当たれば吸血鬼の身体は灰になってしまう。馬車など日の光を遮ることのできる乗り物に乗れば帰ることも可能かもしれないが、ダンジョン前の森を果たして馬車が通れるのか。

 まさか夜になるまで帰らないつもりなのか。


「あーっ、もう! アイツなにやってるんだよ!」

「ネェ、冒険者来たら私またボス?」

「ううっ……そうだね、申し訳ないけどまたゾンビちゃんに頼ると思う」

「じゃあまたマント借りちゃおー」

「吸血鬼怒るよ! でもまぁ、無断欠勤の罰も必要かなぁ」


 そんな事を話していたその時、見張り役と思われるスケルトンが慌てたように階段を下りてきた。彼は俺達を見つけるや、バタバタと骨を鳴らしながらなにやらジェスチャーをする。


「な、なに? 敵襲?」


 だがスケルトンは俺の言葉に首を振り、とにかく来いとばかりに手招きをする。

 俺達はスケルトンに導かれるまま階段をどんどん上り、とうとうダンジョン入口にたどり着いた。スケルトンは日の当たらないギリギリのところまで近づいてダンジョンの外を指差す。それと同時に、外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「おーい、助けてくれ!」

「……吸血鬼?」


 太陽の光が降り注ぐ中、吸血鬼が膝を抱えてこちらに手を振っているではないか。

 彼のすぐそばには枝を広げた大木があり、それの木陰に身を隠すことでなんとか灰にならずに済んでいるらしい。

 だが彼の側に他に太陽の光を遮ってくれそうな影は無く、森もダンジョンも彼から数メートル離れたところにある。まるで離れ小島に取り残されてしまっているようだ。


「な、なんでそんなとこに?」


 尋ねると、吸血鬼は疲れ切ったように肩を落としため息を吐いた。


「実は昨夜、調子に乗って飲みすぎてしまってな。酔っぱらってこの木の下で眠り込んでしまったらしい。気付いたら朝日が昇っていて、こんな状態だったんだ」

「ワー、バカだ!」


 ゾンビちゃんは吸血鬼を指差してケタケタ笑う。

 本当なら「そんなこと言ったらダメだよ」とゾンビちゃんをたしなめるべきなのだろうが、さすがの俺もゾンビちゃんのその言葉に同意せざるを得なかった。


「本当バカだね。っていうか吸血鬼がなに飲んだらそんなに酔っぱらうんだよ」

「うっ……怒るのも無理はない。僕も馬鹿な事をしてしまったと思っている。だが僕を非難する前にどうかここから救い出してくれ! こんなにピンチなのは数世紀ぶりだ!」

「随分アホな理由でピンチになったなぁ。でも助けるったって……」


 俺はそう言いながらゾンビちゃんとスケルトンに顔を向ける。

 スケルトンは紙にペンを走らせ、吸血鬼向けて掲げた。だが吸血鬼は目を凝らしながら首を傾げる。


「すまない、眩しくて目が良く見えないんだ。なんと書いてある?」

「ええと、スケルトンは基本的にダンジョンから出られない……だって」

「な、なら小娘! 助けてくれ!」


 吸血鬼はすがる様にして俺たちに手を伸ばす。

 だがゾンビちゃんは特に悪びれる様子もなくアッサリと首を振った。


「ムリムリ。外でると腐っちゃうもん」

「……だって。ごめんね吸血鬼、俺らじゃ無理みたい」

「そんな! 薄情者め!」


 その時、森の方から木々を揺らしながら涼しい風が吹き抜けてきた。風は吸血鬼やゾンビちゃんの髪を揺らし、スケルトンの骨をカチャカチャ鳴らす。

 だがそんな爽やかな風に似つかわしくない悲鳴を上げながら吸血鬼は弾かれたように飛び上がった。


「うわッッつい!!」

「どうしたの?」


 吸血鬼は手をさすりながら情けない声を漏らす。その手からは小さく白煙が上がっていた。


「風で木が揺れて光が差し込んできたんだ! もう嫌だ、お願いだから助けてくれよ」

「助けろって言われても……やっぱり日没まで待つほかないよ」

「ううっ、そんなの嫌だぁ。今だって皮膚がジリジリ痛くて仕方ないんだ。それにこれからどんどん日差しは強くなるじゃないか」


 確かに吸血鬼の言うとおり、昼が近付けばもっと日差しは強くなるだろう。そして太陽が真上に上がれば吸血鬼を守る影もより小さくなるはずだ。太陽の光が致命的な弱点である吸血鬼にとってそれがどれほど恐ろしいことかは想像に難くない。

 だが、だからと言って俺たちに何かができるわけではない。


「ごめん吸血鬼、あとたった十数時間の辛抱だから。まぁダンジョンの方は任せてよ」

「なにが十数時間の辛抱だッ! ダンジョンのことなんて今はどうでも――いや、待てよ」


 吸血鬼は元々青白い顔をさらに蒼くさせ、何かに怯える様にあたりを見回した。


「も、もし今冒険者なんかが現れたら背水の陣どころの騒ぎじゃないぞ。全水の陣だ」

「ニク……じゃなくて人間のフリすれば?」


 あっさりとそう言い放つゾンビちゃんを、吸血鬼は恨みがましく睨みつける。


「アンデッドダンジョンの目と鼻の先で、太陽の光に怯えながら人間のフリをしろと言うのか?」

「う、うーん……確かに厳しいかな」


 太陽の下では吸血鬼の一切日焼けの無い青白い肌がより一層際立って見える。着ている物も黒に赤い裏地のマントとシャツ、そして赤い石のついたループタイと「いかにも」な格好。そして少し口を開けばすぐに吸血鬼の特徴である尖った犬歯が見えることだろう。


「せめて曇ってくれればいいんだけどね」

「そうだな、少しの間で良いから日の光を遮ってくれれば――あっ、そうだ!」


 なにか閃いたらしい。吸血鬼はパッと顔を輝かせ、羽織っていたマントを脱いだ。


「マントを持ってきてくれ、できるだけ厚手のやつをたくさん! 体中に巻いて光を遮ってやる」

「ああそうか。なんでそんな単純な事に気付かなかったんだろう! 待ってて、今――」


 と、その時。

 暗雲があたりに立ち込め、みるみる間に太陽を覆い隠してしまった。そして間をおかずにバケツをひっくり返したような雨がダンジョン周辺に降り注ぐ。マントを取りに行くまでもなく、太陽の光はすっかり厚い雲に遮られてしまった。


「ちょうどいいや、今がチャンスだよ吸血鬼!」


 嬉々として呼びかけるが、吸血鬼はなぜかそこから動こうとしない。


「吸血鬼?」

「ダ、ダメだ。これはこれで不味い」

「なんだよ。早く来いって!」


 吸血鬼は激しく首を振り、泣きそうな顔をこちらに向ける。


「川ができてる。僕は流れる水を渡れない!」

「はぁ!?」


 見ると確かに激しい豪雨により地面の上を水が流れているが、深いところでもせいぜい足首が浸かるかどうかといったところだろう。この程度じゃ子供でも溺れやしない。


「なにバカなこと言ってるんだよ、温泉には入れてたじゃん」

「温泉は流れてないだろう! 別に水が嫌いとかカナヅチとかそういう訳じゃなくて、吸血鬼の性質として流れる水がダメなんだ」

「もう、また弱点かよ! 吸血鬼ダメなもの多すぎだよ!」

「し、仕方ないだろう。吸血鬼になってできることが増えたんだ、できないことも増えるのが道理ってものさ」


 雨の中言い争う俺達の横で、ゾンビちゃんがポツリと呟いた。


「飛べばイイんじゃないの?」

「飛ぶ……って?」


 尋ねると、ゾンビちゃんはきょとんとした顔で吸血鬼を指差す。


「コウモリ、なれない?」

「あっ……そうか! 吸血鬼、霧にだってなれるんだからコウモリにも変身できるでしょ!」

「コ、コウモリか。ずいぶん変身してないしあまり自信がないんだが……」

「そんなこと言ってる場合じゃないよ! ほら飛んで!」

「うう……」


 吸血鬼は少々渋っていたが、やがて決意した様に立ち上がった。


「分かった、行くぞ」


 そう宣言し、吸血鬼はその体をコウモリに変える。

 だが俺の思っていた「変身」と実際のそれは随分とかけ離れたものだった。


「ナンカ、カッコ悪い」

「う、うん」


 言っちゃ悪いと思いつつも、ゾンビちゃんの言葉に同意してしまった。

 俺がイメージしていたのは吸血鬼の身体が無数のコウモリに変わり、パズルのピースが散らばる様にして空に飛んでいく――といったものだった。

 だが実際の姿は、巨大な一匹のコウモリが必死に羽をバタつかせて地面スレスレを飛行しているという無様なものである。

 俺たちのガッカリした視線に気づいたのか、吸血鬼は羽をバタつかせながら声を上げる。


「だから自信ないと言ったろ! 体を分散させて小さいコウモリを作るのは結構高いスキルのいることなんだ」

「分かったって。ほら、あと少しだよ」

「ガンバレガンバレ、ソンナノじゃ墜落しちゃうよ」

「う、うるさいな――」


 そう言った次の瞬間。

 黒い物が上空からものすごいスピードで下降してきたかと思うと、その鋭い爪で吸血鬼の身体を鷲掴みにし、瞬く間に空の上へ連れ去ってしまった。気付いて空を見上げた時には吸血鬼は遥か上空、羽を持たない俺達には到底手出しできない場所にいた。


「わー、ナニアレ」


 「狩り」を目の当たりにしたゾンビちゃんは興奮したように声を上げる。俺は小さくなっていく吸血鬼を見ながらゾンビちゃんの質問に答えた。


「鷹……かな。もしくは鷲か……いや、それにしてはデカすぎるか。猛禽類型の魔物かも」

「ヘェ、吸血鬼どうなっちゃうの?」

「巣に連れ込まれて食べられるんじゃないかな」

「ヘェ」


 俺達は誰から言うでもなく入口に背を向け、ダンジョンの奥へと戻っていく。


「この雨じゃ冒険者来ないとは思うけど、もしきたらゾンビちゃんボスやってくれる?」

「ウン! マントマント~」




 その夜。鳥に襲われたのか、吸血鬼は体中を穴だらけにして満身創痍でダンジョンへと帰宅した。きっとここにたどり着くまでに俺達には分からない様々な試練を乗り越えてきたのだろう。今朝よりも少し逞しくなっている気がした。




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