30、ボス不在ダンジョン
朝、なかなか起きてこない吸血鬼の様子を見に行った俺は思いもよらないことを聞かされた。
「風邪ひいた」
「……は?」
吸血鬼は棺の中で毛布にくるまったままワザとらしく咳をして見せる。
「多分冷却石に当たりすぎたんだ。寒いし体はダルいし咳は出るし頭痛も酷い。顔色も悪いだろう?」
「顔色なら普段から悪いじゃん。っていうかアンデッドが風邪ひくって……」
「アンデッドとはいえ君と違って肉体があるんだ、たまには風邪だってひくさ」
「不死身の化け物が風邪ひくかなぁ」
「なっ、仮病だとでも言いたいのか!?」
「うーん……ちなみに熱計った?」
「いいや、うちに体温計なんてないだろ。でもこれは……そうだな、35℃、いや36℃はあるぞきっと」
「平熱じゃん」
「人間と同じ尺度で考えるな! 吸血鬼の体温の低さを知らないからそんな事を言うんだ、36℃もあったらまともに動けなく……うっ」
吸血鬼は突然頭を押さえ、苦しそうな表情を浮かべた。
「うう、喋ってたらますます気持ち悪くなってきた。とにかく今日は休ませてくれ」
「ええ!? や、休むったって、冒険者が来たらどうするの」
「その辺は任せるよ……ダンジョンの事は頼んだぞ……」
「ちょ、吸血鬼!?」
吸血鬼は頭まで毛布を被り、俺の言葉を遮断するように棺桶の蓋を閉めてしまった。どうやら本当に今日は休むつもりらしい。
「ボスのいないダンジョンって……不味いでしょ」
聞こえていないのかそれとも意図的に無視しているのか、棺の中の吸血鬼からは返事がない。
俺は一人ため息を吐きながら吸血鬼の部屋を後にした。
**********
「と、いう訳で今日は吸血鬼お休みです」
そう告げるとスケルトンたちは一斉に骨を鳴らして辺りをザワつかせた。それと同時に何体かのスケルトンが紙にさっとペンを走らせ、俺に向かって掲げる。書いてある内容などれもほとんど同じような物だった。
『ボスはどうする?』
「それなんだよね。やっぱりボスがいないのは不味いから代役を立てる必要があると思うんだ。戦闘力から言ってゾンビちゃんが適任かな。やってくれる?」
「わー、私ボス? ヤッター」
ゾンビちゃんは両手を上げ上機嫌にぴょんぴょんと飛び跳ねてみせる。断られたらどうしようかと思っていたが、どうやら受け入れてくれるらしい。さらにゾンビちゃんは目を輝かせながら俺の方を見上げて言った。
「ねー、ボスならマント着てもイイ?」
「マ、マント? マントって吸血鬼の?」
困惑しながら聞き返すと、ゾンビちゃんは満面の笑みで頷いた。
「ソウ! 前貸してって言ったらコトワラレタ」
「そ、そうなの? 多分聞いたらダメって言うと思うけど……まぁ良いか。マントは冬服だから衣裳部屋にあると思う、あとで取りに行こう」
「ワーイ!」
ゾンビちゃんは子供の様にはしゃいで喜びを表現した。
多分後で吸血鬼が聞いたら怒ると思うけど、彼は仕事を代わってもらっている身だ。多少は大目に見てくれるだろう。
なにより、ボスが風邪で寝込んでいるなんて冒険者に知られると外聞が悪い。ボスがいない今がチャンスとばかりに冒険者に攻め込まれれば宝物をごっそり奪われてしまいかねない。代理ボスのゾンビちゃんが吸血鬼っぽい格好をしてくれれば、多少はボス不在を誤魔化せるかもしれないと考えたのだ。
俺は今日一日を無事に乗り切ることを決意し、できるだけ勇ましく聞こえるような声を上げた。
「よし、そろそろ冒険者が来てもおかしくない時間だ。みんなで力を合わせてボスの不在をカバーしよう!」
「おー!」
*********
「フハハハハ、ヨク来たな冒険者ショクン」
宝物庫前フロアにて、ゾンビちゃんが赤いマントを翻しながら冒険者を迎える。
だが長身の吸血鬼が愛用しているマントはゾンビちゃんには少々大きすぎたらしく、着ているというよりは着られていると表現したほうがしっくりくる有様だ。丈が余って地面に引きずってしまっており、非常に動きにくそうである。その上マントの下はいつものツギハギワンピースだし、吸血鬼の牙もなく、その体は相変わらずツギハギだらけ。
そんな「ボス」の姿をみて、冒険者たちは首を傾げた。
「あ、あれ。ここのボスって吸血鬼のはずじゃ」
「ソウダ、わた……じゃなくてボクが吸血鬼だ! ホントだよ!」
俺は天井からこっそり顔をだし、頭上からゾンビちゃんに声をかける。
「ゾンビちゃん、あんまり話すとボロが出るからもうやっちゃって!」
「ハイハイ」
ゾンビちゃんはマントを引きずったままゆっくりと冒険者たちに近付いていく。冒険者も剣を構え、じりじりとゾンビちゃんとの距離を縮めていく。
両者が出会ったところで、戦いの火ぶたは切られた。
********
「それって、もしかして吸血鬼リスペクト?」
「ソーダヨ」
ゾンビちゃんは冒険者を抱きかかえ、その首筋の肉を噛み千切りながら頷く。今日のゾンビちゃんは吸血鬼を意識したのか、積極的に冒険者の首筋に噛みついて攻撃しようとしていた。戦いの最中、冒険者の頸動脈を切ることに成功したおかげでその体は血に塗れてドロドロだ。もちろんマントも血でグショグショに濡れている。
「あー、これは吸血鬼怒るぞ……」
「洗えばダイジョウブ」
「洗えるのかなそれ、あとでスケルトンたちに確認しなくちゃ。まぁそれはそうと、怪我は大丈夫?」
ゾンビちゃんも冒険者たちの攻撃をかなり受けており、いつもの事ながら満身創痍だ。腕は千切れかけているし足にも深い傷を負っている。
だがゾンビちゃんは怪我などには目もくれず、目の前の食事に夢中だ。
「タブン食べたらスグ治るよ」
「それなら良かった。ゾンビちゃんまで戦えなくなったら本当にボス役が――」
その時、スケルトンが酷く慌てたようにフロアに転がり込んできた。
そして俺たちに向かって敵襲の合図を送る。
「えっ、もう次の冒険者来たの!?」
スケルトンは大きく数回頷く。恐らく彼らにとってもこんなに早く冒険者が来るのは予想外だったのだろう。上階からは酷く慌ただしい音が聞こえてくる。
「どうしよう、ゾンビちゃんまだ戦えないよね?」
「ヨ、四足歩行で良いならナントカ……」
「それじゃあまともに戦えないでしょ。どうしよう、吸血鬼を叩き起こすか? でもあの調子じゃまともに歩けなさそうだし……仕方ない、俺が一肌脱ごう」
「ナニスルノ?」
死体を腕に抱えたままキョトンとした顔でこちらを見上げるゾンビちゃんに俺は笑みを向けた。
「ゾンビちゃんは隠れてて。俺が冒険者を迎え撃つ!」
**********
「ふはははは、良く来たな冒険者諸君!」
宝物庫前フロアにて、俺は高笑いを浮かべながら冒険者たちを迎える。
冒険者たちは天井近くを浮遊する俺を指差して首を傾げた。
「あ、あれ。ここのボスって吸血鬼のはずじゃ」
「そうだ、俺……じゃなくて僕が吸血鬼だ! 信じてよ!」
「でもなんか透けてるし、足がないぞ」
「ああもうウルサイ! 御託はたくさんだ、良いからかかって来いよ」
俺は冒険者を挑発するようにチョイチョイと手招きをして見せる。
冒険者は少し怯んだ風に見えたが、すぐに剣を抜いて俺に襲いかかってきた。
「み、みんな行くぞ!」
その言葉を合図に様々な攻撃が冒険者によって放たれた。
剣による突き、槍による攻撃、弓矢、投石、そして各種攻撃魔法が一斉に俺へ向けられる。当然のことながらそのすべてが俺の身体を突き抜けた。
「なっ……!?」
「どうした冒険者共! もう終わりか」
「クソッ、封魔の呪文はどうだ!?」
問いかけに対し、魔法使いらしき女が悔しそうに唇を噛みながら首を振る。
「ダメ、試したけど効かない!」
「物理攻撃も攻撃魔法も封魔の呪文も効かない!? そんな馬鹿な、無敵じゃないか」
「ふあははははは、分かったか冒険者共め。さぁ、即刻このダンジョンから立ち去れ!」
「何か策はないのか、何か……」
「無駄だ無駄だ!」
「くそっ……」
「……」
「……」
「……」
数秒の気まずい沈黙の後、冒険者の一人がポロリと溢した。
「……ねぇ、もしかしてアイツ攻撃できないんじゃない?」
「ぎくっ」
冒険者たちは顔を見合わせ、こちらに顔を向けながらそろりそろりと宝物庫へ近づいていく。
「あっ、こら! 俺を無視して宝物庫へ入るな!」
「あははは、やっぱりアイツ攻撃できないんだ! こりゃあいい、労せず宝箱が手に入った」
「おい、ルールを無視するなよ!」
「嫌なら力づくで止めるんだな」
冒険者たちはそう吐き捨て、意気揚々と宝物庫へ足を踏み入れる。
が、宝箱に入っていたのは溶けかけたアイスのみ。冒険者はアイスをつまみ、呆然と立ち尽くした。
「えっ……どういうことだコレ」
アホ面を晒す冒険者たちを見下ろしながら俺は高笑いを上げる。
「ハハハハハ、ボスも倒さず良い宝物が手に入ると思うなよ!」
「くそっ、なんだコイツ。死ね!」
「もう死んでるわアホ!」
冒険者たちはアイスを投げ捨て、暴言を喚きながら出口へと向かう。すっかり油断しているらしい。まだダンジョンの中だというのに武器は腰に下げた鞘の中に収められている。
「ニク……ニク……」
隠し玉がそろり、そろりと音もなく四足歩行で冒険者の背後に忍び寄る。
冒険者がその存在に気付いたのは、ゾンビちゃんが彼らの仲間の喉を噛み切った後のことであった。
********
「レイス、結構ノリノリだったね」
「へへへ。いつも裏方だから一回やってみたかったんだよね」
俺は頭を掻きながら照れ笑いを浮かべた。
無茶な案かとも思ったが、こんな滅多にないであろうチャンスみすみす逃すわけにはいかなかったのだ。ゾンビちゃんの手を借りたが、一応は冒険者を打ち取ることに成功できた。自分的には大満足の出来である。
「いやぁ、吸血鬼いなくても一日くらいならなんとかなるかもなぁ」
「ウン、私もケガなおったよ」
そう言ってゾンビちゃんは俺に腕を見せてきた。さすがの回復力だ、傷は治ってすっかり元通りである。
だが体は治っても、血塗れの服やマントはいくら時間が経ってもそのままだ。地面に裾を引きずっているせいか、吸血鬼愛用のマントは土と血に塗れてすでにボロくなりつつある。
「ねぇ、そろそろマント脱いだら?」
「エーヤダー」
ゾンビちゃんはマントをギュッと握りしめて首を横に振る。
「気に入ったの? だったらもう少し小さいサイズのヤツを探したら? それじゃあ動きにくいでしょ。もう一回衣裳部屋行こうよ」
「ウー、ウン。分かった」
こうして俺たちは再び衣裳部屋へと向かったが、衣裳部屋には意外なほどたくさんの人……というかスケルトンたちでごった返していた。
俺は衣裳部屋の天井近くにまで浮き上がり、スケルトンたちに声をかける。
「なんの騒ぎ? なにかあった?」
尋ねると、彼らは互いに顔を見合わせてバツが悪そうに俯いてしまった。
「えっ、な、なに?」
困惑する俺に、一体のスケルトンが恐る恐るといった具合に紙を掲げる。
『ボス、やってみたくって』
「ええっ、スケルトンたちが?」
スケルトンたちは一斉に頷く。そしてさらに数体のスケルトンが紙を掲げた。
『吸血鬼の服、一回着てみたかった』
『いつもは触らせてくれないし』
『マントバッサァってやりたい』
「ああ、服を着てみたかったのか。確かにこの清々しいほどに吸血鬼感を前面に押し出した服はちょっと着てみたくなるよね。コスプレ的な感じで」
スケルトンは息をのむ様に俺をジッと見つめる。
少し考えた挙句、俺は小さく頷いた。
「まぁ、吸血鬼はダメって言うと思うけど……今日はみんな頑張ってくれたし……ちょっとだけだよ」
ワッとスケルトンたちが歓声……というか歓喜の音を上げる。
スケルトンたちによる骸骨ファッションショーが幕を上げた瞬間だった。
*********
「おーいレイス……何の騒ぎだ全く。ダンジョンの方はどうなって――」
吸血鬼はそう言ったまま体を硬直させた。
俺達も突然ドアを開けて衣裳部屋に入ってきた吸血鬼を見て表情を凍らせる。
仮設ステージにてマントを翻し、気取ったポーズを取っていたスケルトンもその格好のまま時が止まったように動かなくなった。
「こっ……これはどういう事だ、説明してもらおうか」
「あっ、ヤベッ」
吸血鬼の顔がみるみる怒りに歪んでいく。鋭い犬歯をむき出しにしたその表情はまさに鬼の形相というにふさわしい。
「ヤベッじゃないだろう。こっちは寝込んでるって言うのに、人の服を勝手に……!」
だがそこまで言ったところで限界が来たらしい。
頭に血が上ったのも悪かったのか、鬼の形相を保ったまま地面に倒れてしまった。
「わあああああっ、大丈夫吸血鬼!? ちょっ、誰か運んであげて!」
この出来事が原因かは定かではないが、吸血鬼の熱はさらに上がって回復に2日ほどの時間を要した。
回復後、耳が腐り落ちるほどの小言を言われ、さらにマントを弁償させられたことは言うまでもない。