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28、暑さを乗り切れ!




「暑いッ!」


 吸血鬼が叫びを上げながら勢いよく事務室へ入ってきた。

 その言葉通り、彼の首筋にはじっとりと汗が浮かびシャツが肌に張り付いている。にも関わらず、吸血鬼の格好は涼しげなものとは程遠い。さすがにマントやベストは着用していないものの白いシャツのボタンを首元までしっかりと留め、さらに赤いスカーフなんて締めているものだからシャツの中の温度は上がるばかりだろう。


「そのむさ苦しい格好をやめてアロハシャツでも着れば? そしたら随分涼しくなるから」


 そうアドバイスをするも吸血鬼は素直に頷こうとしない。彼はその辺にあった簡素な椅子に腰を下ろし、腕を組んで口を尖らせた。


「アロハシャツなんて着られるか、僕は吸血鬼だぞ。だいたいそんなもの持ってない」

「じゃあもう全裸で良いんじゃない。なんならスケルトンを見習って肉も削いじゃえば」


 そう言うと、事務室にいたスケルトンたちが一斉に骨をカラカラ鳴らした。その音は風鈴の音に相通じるものがあり、なんとなく涼しくなるような気がしなくもないような。

 しかし吸血鬼の体温を下げるには至らず、彼は相変わらず額に汗を浮かべている。


「随分とぶっきらぼうな事を言うな、君も暑くてイライラしているんだろう」

「そんなクソみたいな理由じゃない!! 今すっごく大変なんだよ!」

「な、なんだ。なにかあったのか?」


 俺はため息を吐きながら机の上に並んだ書類やノートの数々を指差す。


「連日の猛暑で温泉客の数が伸びないんだ。おかげでうちの収入激減」

「なるほど、確かにこの暑さじゃ温泉どころじゃないな」

「気温ばかりは俺らにどうすることもできないからね。とにかくできるだけお金を使わないようこの夏を乗り切らないと……あっ、でも冒険者の入りは上々なんだよね」


 暑いとはいえダンジョン内の気温は外に比べると随分低いらしい。草原や森で魔物狩りをするよりはマシということで、夏は多くの冒険者がダンジョンを訪れるのである。効率的に冒険者を倒すことができれば温泉の売り上げ減少をカバーできるかもしれない。

 ところが、吸血鬼は渋い顔で首を振った。


「実はこっちでもマズイことが起きているんだ」

「マズイこと……?」

「ああ、待ってろ」


 吸血鬼はそう言って席を立ち、部屋をウロウロと歩きはじめた。地面に落ちたなにかを探すように下を向いたままキョロキョロとしている。


「なにやってんのさ」

「だから少し待ってろって。ああ、ここかな」


 部屋の隅で立ち止まったかと思うと、吸血鬼はつま先で地面を引っ掻くようにして掘り始めた。相変わらず何を目的としているのか分からないまま地面を掘ること数分、突然地面からツギハギだらけの青い腕が飛び出して吸血鬼の足を掴む。

 俺は驚きのあまり小さく悲鳴を上げたが、吸血鬼は迷惑そうに眉間に皺を寄せただけだった。


「触るな、靴が汚れるだろ」


 吸血鬼はそう言いながら青い腕から強引に脚を引きはがす。

 すると数十センチ離れたところからもう一本腕が伸び、やがて土の中からゆっくりとその姿を現した。地面から這い出てきたのは、全身を土まみれにしたゾンビちゃんである。

 眠っていたのだろうか、彼女にいつもの覇気はなくどこか気怠そうだ。


「もー……ナニ?」

「な、なんでそんなところに?」

「だってアツイんだもん」

「いや……まぁ土の中は涼しいだろうけど」

「夏バテのようだぞ。ゾンビというのは特に暑さに弱いからな」


 吸血鬼は土塗れで地面にへたり込むゾンビちゃんを見てため息を吐いた。


「コイツ、あまり暑いと食欲までなくすようなんだ。食欲がないとなると戦闘力もガタ落ち、これじゃあ倒せる冒険者も倒せないぞ」

「ええっ、そうなの!?」


 見ると、ゾンビちゃんは苦しそうな表情を浮かべながら額に浮かぶ滴を指で拭っている。


「うー……アセ出てきた……」

「うわぁっ、それ多分汗じゃないよ! 体からでちゃいけない汁だよ!」

「ううー……」


 暑さに耐えきれなくなったのか、ゾンビちゃんは再び穴の開いた地面に身体を横たえた。

 吸血鬼は椅子に腰を下ろし、偉そうに足を組んでゾンビちゃんを見下ろす。


「な、マズイだろう? それはそうとレイス、冷却石と言うのがあるんだが」

「ダメ、買わない」

「最後まで聞けって! 冷却石というのはその名の通り冷気を放出する宝石で、大きなものだとダンジョンをまるまる冷やすことができるんだ。これがあれば小娘の夏バテも治り、ダンジョンの戦力も大幅向上。悪くないだろう?」

「冷却石なら知ってるよ、すごーく高価でグラム当たりの値段が金と変わらないって聞いた」

「い、いや……それは少し大袈裟だが」

「ダンジョンまるまる冷やせる冷却石がいくらすると思ってるんだよ」

「うっ」


 吸血鬼は一瞬怯んだが、すぐに穴の中でうめき声を上げるゾンビちゃんに視線を向けて再び立ち向かってきた。


「しかしこんな状態ではどう頑張ってもまともには戦えないだろう。このままでは宝箱の中身をとられるばかりだぞ」

「ぐっ」


 確かに吸血鬼の言うとおり、このまま何もしなければジリ貧状態に陥ることだろう。戦力が落ちて負けが続けばそれだけ経費が掛かってしまうのだ。

 ダンジョンを丸ごと冷やす冷却石を買う事は無理でも、なにかそれに代わるようなアイデアが必要である。これ以上宝箱の中身を奪われるともう宝物の在庫が――


「……あーッ! そう言えば宝箱に入れる物の在庫も無くなってきたんだった、注文しなくちゃ。ああ、お金ばっかりかかるよ」


 スケルトンたちも頭を抱えてガックリうなだれる。

 宝箱の中身にはそれなりに気を使わねばならない。あまりにお粗末なものでは冒険者たちからの人気が落ちてしまうし、かといってあまりに豪華なものだとダンジョン経営が立ち行かなくなってしまう。

 とりあえず最も豪華な品を入れる必要のある宝物庫の宝箱の在庫はまだ大丈夫。問題はダンジョンの道中に点在する宝箱の在庫だ。ダンジョン最深層にたどり着くまでに引き返したり脱出魔法で逃げる冒険者もおり、道中の宝箱の在庫は無くなりやすい傾向にあるのだ。


「とりあえずゾンビちゃんの件は後にして! 宝箱の中身を決めてからじゃないと暑さ対策に使える予算も決められない。安く済んでそれなりに冒険者からの人気が高いアイテム……なにかある?」


 辺りを見回しながら意見を募ると、スケルトンたちは次々に紙とペンを取り出して何やら書き始めた。


『薬草』

『骨』

『うちわ』

「薬草はちょっと無難すぎるかなぁ、うちわは……まぁ発想としては良いんだけど宝箱に入れるには寂しいような。骨についてはノーコメント」


 スケルトンたちは首を傾げながら掲げていた紙を下ろした。

 次に声を上げたのは吸血鬼だ。


「僕は服を入れてほしいなぁ」

「服? なんで?」


 尋ねると、吸血鬼は口をへの字に曲げて答えた。


「あいつらすっごい汗かいてるんだよ。服に触るとベシャッとしてて嫌なんだ」

「宝箱に服入れてもその場で着替えてくれる訳じゃないと思うよ」

「じゃあ着替えコーナーも作ってくれよ」

「無茶言うなって……でもやっぱり冒険者も暑がってるんだね」

「そりゃあそうだろう。いくら外より気温が低いとはいえ襲いくるゾンビやスケルトンたちと絶え間なく戦いながらダンジョンを進むんだから」

「暑いのはアンデッドも人間も変わらないんだなぁ」


 俺は頭の中にうだるような暑さを思い浮かべる。

 この体になってから暑さや寒さに鈍感になってしまったらしく、気温を意識するのは久しぶりだ。

 暑くて仕方ないとき、俺は何を求めただろう。


「……あっ、そうだ」

「なにか思い付いたか?」

「うん。良いこと思い付いた、かも」

「よし、なら次は暑さ対策を」

「それも一緒に考えた」

「ん? どういうことだ」


 キョトンとする吸血鬼に、俺はニヤリと笑いかけた。


「きっと冒険者も吸血鬼も喜ぶよ。ゾンビちゃんもね!」


 呼び掛けると、穴の中から呻き声の返事が聞こえてきた。




**********




「暑いッ!」


 吸血鬼が叫びを上げながら勢いよく扉を開けて遊戯室に入ってきた。だが部屋に入るや、吸血鬼の額からスッと汗が消えていく。


「はぁー、ここは涼しいなぁ」

「奮発したからね!」


 俺は胸を張り、部屋の壁際に置かれた鉄の箱に目をやる。箱とは言っても膝を抱えた人が一人すっぽりと収まるほどの大きさがあり、その中の側面には青い氷にも似た美しい宝石が埋め込まれている。小さいが、これこそが冷却石だ。

 吸血鬼は嬉々として箱に駆け寄り、まるで暖炉で暖を取るようにして箱から漏れ出る冷気を浴びる。


「あー、涼しい……ん?」


 箱の中を覗きこみ、吸血鬼は呆れたようにため息を吐いた。


「また中に入っているのかお前は」

「エヘヘー」


 膝を抱えたゾンビちゃんが箱の中から吸血鬼を見上げる。まるで毛布のように彼女の体を覆っているのは、大量のアイスキャンディや瓶入りジュースの数々だ。


「新しい宝物の評判はどうなんだレイス」

「上々だよ。やっぱり疲れたときには甘いもの、暑いときには冷たいものだよね」


 吸血鬼は箱の中から赤いアイスキャンディを摘み出し、その細長い氷を上にしたり下にしたりしてジロジロと眺める。


「傷も癒せず魔力の回復もできない色付きの液体や氷がどうしてそんなに持て囃されるのか。薬草の方がよほど役に立つと僕は思うが」

「薬草なんてダンジョンを訪れる人はだいたいみんな持ってるでしょ。でも冷たいアイスやジュースはそうそう持ち歩けないからね。それにダンジョンで食べるアイスはきっと美味しいよ。祭で食べる綿菓子や海で食べるスイカみたいに」

「ふうん、良く分からないがそういうものなのか」

「そういうものだよ。ただ、冷却石がやっぱり高かったから節約になったかは微妙なんだよね。アイスキャンディとかは薬草よりも安いから長い目で見ればコストが抑えられるけど、いつになったら元が取れるかな……」

「なに言ってる、僕らはアンデッドだぞ。呆れるほど長い目で物事を見るくらいが丁度良いんだ」


 ゾンビちゃんも箱の中で吸血鬼の言葉に賛同の声を上げた。


「ソウダソウダ」

「二人ともただ涼みたいだけでしょ。まぁとにかく頑張って冒険者倒してよね。冷却石のせいでますますお金ないんだから」

「分かってるさ」

「マカセテよ」


 冷気のおかげか、二人ともキリリとした表情で胸を叩いて見せる。まるでおもちゃを買ってもらったばかりの子供みたいだ。いつまでこの覇気が持つかは分からないが、少なくともこの暑さが続く間くらいは頑張ってほしいものである。


「二人とも気合い入れてよ、まだまだ夏はこれからだからね!」




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