27、恐ろしい美食家たち
アンデッドたちの食事はとてもシンプルだ。殺して、あるいは生きたままその肉に食らいついたり血を啜ったりして日々の糧としている。まだ死にたてだった頃はアンデッド達の食事を見るたび、なんて残酷なんだと顔を青くしたものである。そんな光景にすっかり慣れた今でも、やはり彼らの食事が人間のそれよりも「上品」だとは思わなかった。
だがその認識は改めなければならないかもしれない。人間の行う「料理」ほど奇妙で残酷な物はないのだから――
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「みなさん、今日はお集まりいただきありがとうございます!」
暗いダンジョンに似つかわしくない明るい声が響く。
声の主はエプロンをつけた若い女性であり、その赤いエプロンには白抜きで「魔物ごはん」の文字が書かれている。彼女の前方には老若男女数人が簡素な椅子に座り、まるでショーの開演を待つ観客の様に期待で胸を膨らませていた。
そんな観客たちとエプロン姿の女性の間にあるのは簡易ベッドのような大きな台車だ。その上に横たわっているのはついさっきまでこのダンジョンにボスとして君臨していたアンデッド。そして哀れなショーの主役である。
「今日の食材は活きの良い吸血鬼です。見てください、なかなか綺麗な顔をしていますよ」
エプロン姿の女はにこやかな笑みを浮かべながら強引に吸血鬼の顔を観客の方へ向かせる。その身体はぐったりとしていてピクリとも動かない。吸血鬼は唯一自由になる目で観客たちを精一杯睨みつけるが、効果がないどころか観客たちを喜ばせる始末だ。
「まぁ、そんな恐い顔をしていたらせっかくのイケメンが台無し」
女はおどけて見せながらその細い腕には似つかわしくない巨大なナタを取り出した。この瞬間を待っていたかのように観客たちの眼が爛々と輝く。
「そろそろ麻痺が解けてしまいそうですから、サクッとやってしまいましょうか。じゃないと私たちが食べられてしまいますからね」
明るい声でそう言うと、女はナタを何のためらいもなく吸血鬼の首に振り下ろした。ダンッという嫌な音を立てながら大きな刃が吸血鬼の首の骨を断つ。胴体から切り離された吸血鬼の頭は衝撃で台の上から転がり落ち、岩の影へと消えていく。
おびただしい量の血が台を赤く染め、血飛沫が女の頬に斑点を作った。恐ろしく猟奇的な光景であるにもかかわらず、女は非常ににこやかで落ち着き払っている。
彼女は頬についた血を手で拭い、不気味な薄ら笑いを浮かべる観客たちに向かって元気いっぱいに宣言をした。
「ではお料理を開始しましょう!」
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「最悪だ」
冒険者に占領されたダンジョン最深部、宝物庫フロア――の隅っこの岩陰にて。
首だけとなった吸血鬼は虚ろな目で瞬きもせずに空を見つめる。幸か不幸か、この状態になっても意識があるようだ。
俺は岩陰からこっそり顔を覗かせ、まな板の上の首なし死体の様子をうかがう。
「あっ、お腹開いてる……うわっ、皮剥いだ! ひええ、中掻きまわしてるよ!?」
「やめろ、実況するな」
「いやぁ、やっぱ知り合いが料理されてんのキツいわ」
俺はそう言って低く呻きながら舌を出した。
こういった光景には随分慣れたと思っていたが、俺もまだまだ修行が足りていなかったらしい。
しかしそれは吸血鬼も同様らしく、顔を青くさせて虚ろな目を俺に向けた。
「僕も自分の体が料理されてるのはキツいんだ。できるだけ考えないようにしてるんだから余計なこと言わないでくれ」
「はは、ごめんごめん。でもまさか『魔物ごはんツアー』の連中がうちに来るなんて思わなかったね」
「全くだ……」
『魔物ごはんツアー』の噂は回覧板などであちこちのダンジョンを駆けまわり、俺たちもかねがね耳にしていた。しかしその実態は闇に包まれており、半ば都市伝説のように思っていたのだ。
俺たちの知っている噂が正しいとするならば、『魔物ごはんツアー』とはその名の通りダンジョン等で魔物を調理し、食すツアーのことである。戦闘の達人にして料理の鉄人がダンジョン内を駆けまわって『食材』を調達し、その場で調理してツアー客に振る舞うのだそうだ。このツアーに参加するには莫大な参加費と年会費、そして社会的な地位が必要であるとされている。いわば選ばれた美食家だけが参加できる秘密のツアー、それが『魔物ごはんツアー』なのである……らしい。
しかしこんな事になるならもっと情報収集をしておけばよかった。本当にうちに『魔物ごはんツアー』の連中が来るなどとは思っていなかったのだ。なにせうちはアンデッドダンジョン。アンデッドに食欲をそそられる層が存在するなんて、まったく驚きである。
「あの人たち平気なのかなぁ。牛とか豚に似た魔物なら食べられなくもなさそうだけど、吸血鬼なんて見た目はほぼ人間じゃん。それを調理して食べるなんて」
「それこそが奴らの狙いなのさ。奴らが本当に食べたいのは牛でも豚でも、ましてや魔物でもない」
「どういうこと?」
尋ねると、吸血鬼は虚ろな目をしたまま自虐的な薄笑いを浮かべた。
「人間だよ、本当は人間を食べたいんだ。だが人間を食べるのは色々とハードルが高いからな、僕は人間の代用品としてまな板の上に乗せられてるに過ぎないのさ」
「ええっ……マ、マジ?」
「ああ、あのまな板の上で至近距離からアイツらを見たんだ。どいつもこいつも目つきが普通じゃなかったよ」
俺は恐る恐る岩影から人間たちに視線を向けた。
普通の人間なら目を覆いたくなるような残虐解体ショーを、あの観客たちときたら瞬きもせず食い入るように見つめている。ただ料理を見るだけならばあそこまで熱のこもった視線にはならないだろう。
金を持った変態程厄介なものは無い。俺は小さく悲鳴を上げた。
「ひえええ恐ろしい。吸血鬼、なんであいつら殺せなかったのさ!」
「仕方ないだろ、卑怯な手を使われたんだ」
「卑怯な手?」
そう言って小さく首をかしげる。
俺が宝物庫に顔を出した時にはもうすでに吸血鬼は身動きが取れない状態であの台の上に横たわっていたから、吸血鬼がどのような経緯で体の自由を奪われたのか見ていないのだ。あの冒険者たち、とくに今包丁を握って吸血鬼の身体をいたぶっている主催者側と思われる女は確かにかなりの強者だったが、吸血鬼を無傷で拘束できるほどの化け物ではない。
拘束というのは殺すよりも技量が必要なことだ。確かになにかトリックや罠を使われたと考えるのが自然だろう。
「いったいどんな手を使われたの?」
「毒だよ、強力な麻痺毒」
「ど、毒? アンデッドに毒が効くの?」
「この通り良く効いたよ、かなり強力な毒だったんだろう。アイツらプロだよ」
「へぇ、毒ねぇ……吹き矢にでも塗られてた? それとも剣?」
「惜しい、水風船だ」
「水風船?」
「ああ、血の入った水風船を投げられてな。飛び散った血が口元についてついペロリと……まぁそれが毒入りだったわけだが」
想像以上の間抜けな回答に、俺は呆れて目を回した。
「……なんというか、バカすぎて言葉が出ないね。普通敵から投げられたもの口にするかよ」
「うっ……き、君は物を食べないから分からないかもしれないが、これは反射的なものなんだよ。君だって唇に蜂蜜を塗りたくられたらきっと無意識のうちに舐めてしまうさ。たとえそれが毒入りでもね」
「うーん、そうかなぁ……まぁそれはそうとして、そんな強力な毒で麻痺した吸血鬼の身体を食べたらあの人たちもタダじゃ済まないんじゃないのかな?」
「その辺はちゃんと考えてあるだろう、解毒剤でも使ってるんじゃないのか」
俺はまた岩陰からこっそりとまな板の上の吸血鬼に視線を向けた。身体の解体はひと段落し、本格的な調理に移行したらしい。一口サイズに切った肉がフライパンで炒められている。フライパンの中には肉のほかに見覚えのある葉も投入されていた。冒険者のお供、毒消し草だ。その横のたっぷりと水の張られた鍋にも毒消し草が浮いている。
「本当だ、ちゃんと対策されてる」
「だから言ったろう、アイツらプロだぞ。そんな下手は踏むまい」
「まぁそうだよねぇ」
「ウデ……ウデ……」
「……え? なに?」
尋ねるが、吸血鬼もキョトンとした顔で俺を見上げる。
「なにも言ってないぞ」
「ええ、でも確かに……」
「アシ……アシ……」
謎の声と共にズリズリと何かを引きずるような音まで聞こえる。
「ほ、ほら聞こえた。あっ」
岩の脇にある通路を覗くと、ゾンビちゃんがズリズリと地を這いながらこちらへとやってくるのが見えた。戦闘によって負った傷がまだ回復されていないのか、その体はボロボロ。俺の姿を確認するや、彼女はベソをかきながら凄まじい勢いで通路を進み、岩陰に勢いよく転がり込んできた。
「うええん、レイスゥ」
「うわっ、どうしたのゾンビちゃん」
「ウデとアシ盗られたぁ」
「ええ? 盗られたって……」
見ると、確かに彼女の右手の肘から先と左足の膝から下が無くなっている。
「まさかアイツらゾンビまで食うつもりか?」
吸血鬼は呆れたようにため息を吐く。
首だけになった吸血鬼を見たゾンビちゃんは目を丸くして首をかしげた。
「……ナンカ痩せた?」
「ああ、お前には僕が痩せたように見えるのか。一度目をくり抜いて火で炙って消毒するべきだな」
「ま、まぁそれはそうと、腕と脚はどうしたのゾンビちゃん。俺が見た限りじゃあの女はゾンビちゃんの身体を持ち去ったりしてなかったと思うけど」
「アイツ、アイツが持ってったぁ」
ゾンビちゃんはそう言って最前列に座る若い男を指差した。それと同時に彼の足元にある大きなカバンがまるで羽化寸前のさなぎの様に波打つ。かと思うと、独りでにファスナーが開いて中から青白い腕がヒョッコリとその姿を見せた。
「あっ、出レタ!」
「あの男、ゾンビの腕なんて持ち帰ってどうするつもりだったんだ……」
「変態だ。二重の意味で変態だ……というか、腕の遠隔操作なんてできるの?」
「ウン、できるよ」
ゾンビちゃんの言葉通り、切り離された腕と脚はゾンビちゃんの意志に従って鞄から這い出てきた。腕は指を器用に使って地面を這い、足はまるでケンケンで遊ぶように小さく飛び跳ねて観客の足元を自由に移動する。まるでそれが独立した一つの生命体であるかのように生き生きとしていた。
「うわぁ、器用だね」
「ヘヘヘー、スゴイでしょ」
ゾンビちゃんはそう言って得意げに胸を張る。
「じゃあバレないようにコッソリこっちに来させるね」
「……いや、ちょっと待ってくれ」
待ったをかけたのは吸血鬼である。
吸血鬼は真剣な顔でゾンビちゃんを見上げた。
「良い案を思いついた。奴らに復讐する手立てをな。小娘、力を……というか、お前の手と脚を貸してくれ」
「……? ウン」
ゾンビちゃんは訳も分からぬまま、なんとなくといった風に頷く。
吸血鬼の方は邪悪な笑みを浮かべながら低く呟いた。
「ククク、変態どもめ。僕を食ったことを後悔させてやる!」
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「ん?」
女は焼いた肉を盛りつける手を止め、視線をソレに向けた。
足である。青白い足がぴょんぴょんと独りでに跳ねているのだ。何人かの観客たちはそれに気づき、小さく悲鳴を上げる者もいた。しかし女は特に慌てることもなく、小さなナイフを取り出して持ち主の見当たらない足めがけて投げる。ナイフは見事標的を捕え、壁に足を磔にした。
「誰ですか、あんなものを持ち込んだのは? アレは食材にはなりませんよ、食べるとお腹壊しちゃいますからね」
観客から小さく笑いが起きる。
自分の性癖がバレるのを恐れたのか、ゾンビちゃんの手足を盗んだ男も他の観客と同じように笑みを浮かべていた。だがその額にはしっかりと汗が滲んでいる。
「邪魔が入りましたが、お待ちかねの試食タイムです! みなさんテーブルのセットを手伝ってください、配膳の手伝いもお願いします」
女の呼びかけに答えて一斉に観客たちが動き始めた。携帯テーブルを広げ、テーブルクロスを敷き、次々に湯気の上る皿が並べられていく。ここだけ見れば豪華なキャンプのようだが、その料理に使われているのは例外なく吸血鬼の肉であり、彼の身体の残骸が乗った台はテーブルのすぐ脇に当然の様に置かれている。
「ではみなさん、どうぞお召し上がりください!」
女の明るい掛け声とともに、観客たちはナイフとフォークを使って上品に料理を口に運び始めた。今回の献立は蒸し吸血鬼肉のサラダ、吸血鬼肉のソテー、吸血鬼の内臓を煮込んだ真っ赤なスープである。皆料理を口にするたび、感嘆の声を上げた。
「まぁ、なんて美味しいのかしら!」
「本当だ、臭みが全くないね」
「様々なハーブや毒消し草で毒と臭みを抜いているんですよ」
女は人の良さそうな笑みを浮かべながら料理の細かな解説をしていく。
女の話に耳を傾けながら上機嫌で食事をする客たちだったが、真っ赤なスープに口を付けた瞬間に客たちの顔から笑みが消えた。
「な、なんだかこのスープ、変わった味がするわ」
「なんというか……複雑な味だ」
「他の二品とテイストが違うね。内臓を使っているから?」
みな複雑な表情を浮かべながらスープを口に運ぶ。
ハッキリとは口に出さないが、つまり微妙な味ということだろう。だが器をひっくり返すほどマズくはないらしく、首を傾げながらもスープを口に流し込んでいく。このスープを作った張本人である女ですら困ったような笑みを浮かべながら無言でスプーンを口に運んだ。
そのスープの異変に気付いた者が現れたのは、ほとんどの客がスープの入った器を空にした後であった。
「あれ……これ、指……みたい」
客の一人がそう言いながら、スープの中から何かをすくい上げた。赤い汁に塗れてスプーンの上に乗ったそれには爪の様な物もついており、確かに人の指先のように見える。
スープを作った女はそれを見て首をかしげた。
「おかしいですね、今回の料理に手は使っていないハズですけど」
女の言うとおり、台の上に横たわる吸血鬼の身体には指がきちんとついている。それにこの指、吸血鬼のものにしてはやや小ぶりであるし、赤いスープで煮こまれているにもかかわらず色も妙に青っぽい。
だがやがてみんな青い指の正体などどうでも良くなってしまった。
食事を終えた客たちが次々に椅子から崩れ落ちたのである。みな冷や汗をかきながら地面に横たわり、ピクリとも動かなくなった。だが決して死んだわけではなく、唯一自由になる目だけをせわしなく動かしている。
立っている者や椅子に座る者がいなくなったのを確認し、俺は二人に目配せした。
「成功だよ」
それを合図にゾンビちゃんが立ち上がり、岩陰から颯爽とその姿を現す。片方しか無い腕には吸血鬼の首が抱きかかえられている。
吸血鬼は地べたに這いつくばる冒険者たちを見下ろしながら、生首とは思えないほどのドヤ顔を見せた。
「んん? どうした冒険者諸君、調子が悪そうだが」
対照的にゾンビちゃんは眉間に皺を寄せて酷く機嫌が悪そうな表情を浮かべている。
彼女は吸血鬼の首を無残な首なし死体の横たわる台の上に置いた。そして自らは磔にされた青い足の元に駆け寄り、足を貫くナイフを恭しく抜き取る。
「あー、アナあいちゃった」
ゾンビちゃんはブツブツと文句を言いながら切り取られた足を膝にあてがう。足はみるみるゾンビちゃんの膝にくっつき、すぐに歩き回れるようになった。さすがはゾンビちゃん、アンデッドらしい超回復だ。
だが回復力が凄いのはゾンビちゃんだけではない。
吸血鬼もまた、その首を体にくっつけて生首状態を脱したのである。
とは言っても冒険者から奪われた臓器や肉を一瞬で再生できるはずもなく、彼の身体は相変わらず目を覆いたくなるほど無残な状態である。だが久しぶりに身体を取り戻したことが嬉しいのか、吸血鬼は笑みを浮かべて這いつくばる冒険者たちを見下ろした。
「ははは、なんだか体が軽いなぁ」
「ソンナコトより早くウデ返してよぉ」
ゾンビちゃんはそう言って肘から先が無くなった腕をブンブン振り回す。
吸血鬼はニヤリと笑い、近くにあったスープ入りの鍋を蹴り飛ばした。鍋は派手な音を立てて転がり落ち、地面に真っ赤なシミを作る。そして鍋の底からまるで蜘蛛のように青い手が這い出てきた。
「おっと異物混入だ。ダメじゃないか、異物混入は食中毒の元だぞ。毒消し草もほら、こんなところに」
吸血鬼はそう言ってダンジョンの壁を指差す。まるで誰かに投げ捨てられたように、ふやけた毒消し草が壁に張り付いていた。
「異物のせいか僕の肉に回った麻痺毒のせいかは分からないが、とにかく運が悪かったな」
「ウデ返してよ、ユビも!」
ゾンビちゃんは肩を怒らせながら地面から腕を拾い上げ、さらに客の皿の中に沈んでいた指も回収した。だが鍋で煮こまれたせいか、腕に火が通ってしまったらしい。
「あー、なんかフニャフニャ!!」
「僕の体も穴だらけだよ。食材役はもうたくさんだ、そろそろ役を交代しようじゃないか」
吸血鬼は口の端から牙を覗かせ、怪しく目を光らせる。
ゾンビちゃんも地面に転がった多数の無抵抗な肉の塊を見下ろしながら口を大きく開けて笑う。
「美食家のニクはやっぱりオイシイのかなぁ?」
「試してみる必要があるな。なんせ次の食材役は諸君らなのだから」
冒険者の眼が恐怖の色に染まっていく。
だが毒の回った彼らはもはや抵抗することはおろか断末魔の叫びを上げることすらできない。静かにアンデッドに食されていくその姿はまさに「食材」というにふさわしい有様であった。