26、愛玩モンスター
「なぁレイス、ちょーっと相談があるんだが」
気味の悪い猫撫で声を上げながら吸血鬼が擦り寄ってきた。
手に分厚い冊子を持ち、その顔には媚びるような笑みが浮かべられている。
「……なに?」
俺は十分な警戒心を持って吸血鬼に向き合った。
どうせまたろくでもない「相談」に決まっている。小遣いアップの交渉か、買い物の相談か、もしくは部屋のリフォームの要求か。
どうやって要求を突っぱねようかと考えていると、吸血鬼は持っていた冊子の表紙を俺に向けた。予想通り吸血鬼がよく利用している大手通販会社の最新カタログだったが、その表紙にはおぞましい怪物のイラストとゾッとするような文言が躍っている。
「ダンジョンで飼える……愛玩モンスター……?」
「ちゃんと世話するからさ、良いだろう?」
手を揉みながら俺の顔色を窺う吸血鬼。その眼を期待で輝かせながら俺を見つめている。
俺は静かに、しかしハッキリと口を開いた。
「ダメ」
「ええっ、なんでだよ!」
「なんでって、お金もかかるし世話だって大変だしうるさいし。そういうのに一番神経質なのは吸血鬼じゃん、大丈夫なの? 鳴き声がウルサイとか言って殺しちゃったりしない?」
「僕をなんだと思っているんだ……安心しろ、ちゃんと躾ければ大丈夫。餌だって人の肉でも喰わせておけば金はかからないぞ」
「そんなに上手くいくと思えないなぁ。ペットなんてそう簡単に飼うべきじゃないと思うし」
「ちゃんと責任もって面倒見るから! それに可愛いだけじゃない、我がダンジョンの新たな戦力にもなるんだぞ」
「うーん、そうは言ってもさ。吸血鬼にペットの世話なんてできるの? スケルトンたちに丸投げするんじゃ」
「まぁ、可能性は大いにある」
「認めるの早いな……」
「ふふ、この流れは想定内だ。つまり世話係を味方に引き込めば良いわけだろ?」
「いや……うーん」
「嫌とは言わせないからな、多数決こそ正義! おーい、スケルトンたち集まれ」
吸血鬼の呼びかけに応じ、近くにいた数体のスケルトンたちが集まってきた。
確かに吸血鬼の言うとおり、実質世話を担当するであろうスケルトンたちがどうしてもと言うならそれ以上の反対はできない。所詮俺に出せるのは口だけなのだ。
集まってきたスケルトンたちを前に、吸血鬼は意気揚々と愛玩モンスターの有益性について語り始める。
「諸君、我がダンジョンには癒しが足りないと思わないか? 日々の疲れを癒し、そして共に戦ってくれるモンスターがいれば僕らの生活はより豊かになる。今こそ愛らしくそして頼もしい『愛玩モンスター』をこのダンジョンに迎え入れようではないか!」
吸血鬼の熱弁とは対照的にスケルトンたちの反応は薄い。どうやら「ダンジョンでモンスターをペットとして飼う」ということにピンと来ていないらしい。
吸血鬼もそれに気付いたのか、持っていたカタログを広げてスケルトンたちに差し出した。
「ほら見ろ、色んなのがいるぞ。スライムとかも面白いし……そうだドラゴンなんてどうだ? ドラゴンゾンビなんて我がダンジョンにピッタリじゃないか」
そう言いながら吸血鬼は皮膚がズルズルに溶けかかっているおぞましい姿のドラゴンを指示した。確かに強そうではあるが、愛玩動物としては最悪だ。まったく可愛くない。俺は思わず「うげぇ」と声を上げて舌を出した。
「ゾンビだったら上階にいっぱいいるじゃん。一匹捕まえて首輪でもつけて鎖でつないでおけば?」
「そんな趣味悪いペットは嫌だ! それにドラゴンは男の夢じゃないか、全く分かってないな」
「いやぁ、確かにドラゴンはカッコイイけどこのビジュアルはちょっと……」
そう言いながら横目でスケルトンたちの様子を窺う。だが予想に反してスケルトンたちの反応はそう悪いものではなかった。やはりアンデッドと人間の感性には多少ズレがあるのだろうか。
一体のスケルトンがウキウキ骨を鳴らしながらペンを走らせる。
『もっと骨が出てるやつはないの?』
「ほ、骨?」
吸血鬼は困惑したように首をかしげる。改めてカタログをみると、たしかにドラゴンゾンビの朽ちかけた体からは太い骨が覗いている。なるほど、彼らはココに反応したらしい。スケルトンたちは次々にペンを走らせて紙を掲げた。
『ドラゴンゾンビよりスケルトンドラゴンの方がカッコイイ』
『もっと骨モンスターはいないの?』
『邪魔な肉は削ぎ落とせ!』
スケルトンの強い要望に、吸血鬼は呆れたようにため息を吐いた。
「君たちは本当に骨が好きだな……」
「でも骨モンスターなら餌はいらないはずだよね? お金かからなくて良いかも」
それに腐乱したドラゴンよりは白骨化したドラゴンの方がずっとマシである。
だが吸血鬼は腕を組んで渋い顔を見せた。
「たしかに餌はいらないかもしれないが、戦闘に参加するとなれば少なからず骨にダメージを負うだろう? 人間の骨ではサイズが合わないからどちらにせよ替えの骨を買う必要がある。ええと、専用の骨パーツは……ああこれか」
そう言って吸血鬼はカタログを捲り、あるページを指差した。どうやらペット用品の特集らしく、専用のエサや小屋が華々しく並んでいる。その中で竜骨は一際異彩を放っていた。さすがは竜の身体を支えている骨、丸太の如く太くてデカい。
だが俺の目が釘付けになったのは骨ではなくその下についた数字であった。
「……えっ、これ誤植じゃなくてほんとにこの値段?」
「ああ、竜骨は貴重なものだからな」
ペット用品のコーナーに並んだ竜骨の値段は、桁数が多すぎて一瞬では数字を把握しきれないほどであった。
俺はカタログから目をそらし、静かに首を振る。
「骨モンスター却下」
予想通りあちこちから骨を鳴らす抗議の音が上がった。だがいくら文句を言われても駄々を捏ねられてもできることとできないことがある。俺は天井近くまで浮き上がり、一同を見下ろしながら怖い顔を作った。
「もしこれをどうしても飼うと言うのなら全員の小遣いカット、スケルトンたちの武器防具も全部剥奪して売りさばく、休憩中もカードゲームを禁止して内職、くらいはやって貰わないと困るよ。それでも良い?」
途端にスケルトンたちのざわめきが消えた。数秒の沈黙の後、彼らは互いに顔を見合わせ小さく首を振る。どうやら懸命な判断をしてくれたようだ。
「ペットを飼うのはお金も手間もかかるんだよね。思ってたのと違うって言って放り出す訳にもいかないし、やっぱりうちでモンスターを飼うのは……」
「い、いやちょっと待ってくれ。君が却下したのはあくまでスケルトンモンスターだろう? スケルトンじゃないモンスターだってたくさん――」
「ダメだよ吸血鬼、見てほら」
俺は苦笑いを浮かべながらスケルトンたちに目をやった。その暗い眼窩はもはやカタログには向けられておらず、それぞれあらぬ方向に目線を送っている。
「完全にペットへの興味をなくしてる」
「お前らは骨以外に興味を持てないのか!」
スケルトンたちは特に返事もせずただゆらゆらと骨を鳴らす。さっさと話しを終わらせてくれとでも言わんばかりだ。
吸血鬼は頬を引きつらせ、口の端から尖った牙を覗かせた。
「よし分かった、貴様らの腐った性癖を僕が叩き直してやる。そこになおれ!」
「また無茶苦茶言って……もう諦めなよ吸血鬼。籠にネズミでも入れて飼育すれば?」
「そんな地味なの嫌だ! クソッ、誰か僕の味方をしてくれるやつは……そうだ小娘はどこだ!」
吸血鬼が呼びかけると、通路からゾンビちゃんがニュッと顔を出した。
「ヨンダ?」
「来い小娘、今の僕は藁にもゾンビにもすがるぞ」
「どんだけペット飼いたいんだよ」
「アレ、ナンカ私バカにされてる?」
「してないしてない。それより見ろ、お前の好きそうな可愛いらしいモンスターもいるぞ! ほら、このお化けコウモリなんてどうだ?」
吸血鬼はそう言ってカタログをゾンビちゃんに押し付ける。どうやら小型モンスターを特集するページらしく、先ほどのドラゴンゾンビなどに比べれば天使にも見えるようなモンスターたちが並んでいた。ゾンビちゃんも可愛らしいモンスターに惹かれたのか、食い入るようにカタログを見つめている。
「ほら、どれが好みだ? 言ってみろ」
「んー……じゃあコレ!」
ゾンビちゃんが目を輝かせながら指差したのは、白っぽい毛に覆われたイノシシのようなモンスターだ。ドラゴンゾンビ等の目を逸らしたくなるほどおぞましい姿をしたモンスターたちを思えばそれなりにマシな見た目ではあるが、進んで愛玩動物にしたくなるほど可愛らしい風貌とは言えない。
「ええ、なんでこれが気に入ったの?」
尋ねると、ゾンビちゃんは舌なめずりしながら答えた。
「オイシソウだから」
「……吸血鬼、やっぱりゾンビちゃんにペットは早いよ」
「い、いやいや! 食べちゃいたいほど可愛いって意味だろ?」
「マルマルしててプニプニしててオイシソウ、早くタベタイ」
ゾンビちゃんは明らかに愛玩動物へ向けるものとは違った視線をカタログの中のイノシシモンスターに向けている。もはやどうフォローしても無駄だと気付いたのだろう、吸血鬼は頭を抱えて天を仰いだ。
「ああもう、お前に食欲以外の欲は無いのか!」
「まぁそう怒るなよ吸血鬼。やっぱりうちでペットを飼うなんて無理だったんだよ、小さいモンスターだとゾンビちゃんが捕食しかねないし」
「だったら小娘じゃ歯が立たないような強大なモンスターを飼うまでだ」
「ドラゴンとか?」
「そう、ドラゴンとかだ!」
「……うん、じゃあ分かった。ドラゴンを飼うと仮定するよ」
吸血鬼は俺の言葉にパッと顔を輝かせる。
「おおっ、飼って良いのか?」
「最後までちゃんと聞いてよ。ドラゴンって成長するともの凄く大きくなるんだよね。冒険者たちと戦わせるとなると、飼育できるような広い場所は一つ。最終決戦の場、吸血鬼がボスとして君臨する宝物庫フロアだけ」
「いや……まぁそうなるが」
「なら吸血鬼はどうするの?ドラゴンに場所取られちゃったよ」
「一緒に戦えばいいじゃないか。ドラゴンに乗って戦う、男の夢だ」
「気持ちは分かるけどさ、立派なドラゴンが宝物庫前にいるのを想像してみて。その巨体と強さはまさにダンジョンボスの風格だよ。その上に吸血鬼がちょこんと乗ってることに誰か気付くかな? ていうか、ドラゴンいるなら吸血鬼いらなくない?」
「うっ」
「完全に喰われちゃうよね、ダンジョンボスの地位」
「……それは困る」
吸血鬼はガックリ肩を落とし、カタログを静かに閉じた。
*********
その夜、俺は自らのファインプレーを噛み締めながらダンジョンをひとりさまよっていた。アンデッドたちも眠りにつき、ダンジョンはとても静かだ。
「良かった、吸血鬼がすぐ諦めてくれて……ん?」
どこからか微かに声が聴こえてくる。こんな夜中に一体どうしたと言うのか。俺は耳を澄ませて音の聴こえる方へと進んでいく。
辿り着いた先にあったのは、吸血鬼の部屋へと通じる扉であった。声は明らかにこの中から聴こえてくる。
「――、――り! ああもう――」
吸血鬼の声だ。誰かと話しているみたいだが、こんな夜中に誰と話していると言うのか。俺は悩んだあげく、恐る恐る扉をすり抜けた。
「吸血鬼、なにやってーー」
「おすわり!おすわりって言ってるだろう!」
「……えっ」
「ん? ……あっ」
俺たちは目を合わせたまま、互いに動くことができなかった。凍りつくほど静かな部屋に低い唸り声だけが響く。
俺は恐る恐る視線をソレに向けた。白目を向き、肉食獣のように止めどなく涎を垂らしている。その体は朽ちかけ、元の形を失いつつあるが、乱れた長髪や華奢な体から「女」であることは一目で分かった。
恐らく上階の知能なきゾンビだ。だが上で自由気ままに人を襲うゾンビたちとは違い、首には首輪が嵌められてその上鎖に繋がれている。それに吸血鬼が右手に持っているあれは……黒い鞭、だろうか。
俺はそっと吸血鬼に背を向けた。
「ご、ごめん。次からはちゃんと声を掛けてから部屋に入るようにするから……」
「いやいやいや! 待て、お前なにか誤解してるだろう!?」
慌てふためく吸血鬼に、俺は優しく微笑みかけた。だが頬がひきつって痙攣してしまっているのが自分でも分かる。
「良いんだよ吸血鬼、俺は人の性癖をとやかく言うつもりは……」
「やっぱり誤解してるじゃないか!だいたい、これは君のアイデアだろ」
「ええっ、俺ゾンビとSMプレイしろなんて言ったっけ?」
「だから違うって! 君がモンスター飼うのダメって言うから、気分だけでも味わおうと思って上階からゾンビを連れてきたんだ」
「じゃあその鞭は?」
「芸のひとつでも覚えさせられたらと思ったんだよ。でもコイツ全然言うことを聞かなくてね」
「そりゃあ知能無いんだし……まぁとにかく、趣味悪すぎるからやめた方が良いよソレ」
そう言うと、吸血鬼は鞭を握りしめたまま情けない声を上げた。
「だ、だから君が提案したんじゃないか……」