25、高級食材(エルフ)がやってきた!
俺の眼は一瞬で彼女たちに釘付けになった。
一人は長い髪を三つ編みにした長身の少女、もう一人は幼さの残るショートボブの小柄な少女。暗いダンジョンで彼女たちの白い肌と美しいブロンドの髪が一際輝いている。その顔はまるで人形のように完璧で、アンデッドとは違う意味で生命を感じさせない。
彼女たちは剣を構え、恐る恐るといった足取りでダンジョンを進んでいく。戦闘に不慣れであることは明らか。もしかしたら冒険者ですらないかもしれない。
ごく稀にいるのだ、このダンジョンに入り込む一般人が。
彼らの目的はお宝や鍛錬ではない。ダンジョンを抜けることそのものが目的なのである。このダンジョンは地下を通り、最短距離で山を越えることができるのだ。もちろんダンジョンを通らなくても山を越えることは可能だが、切り立った崖を迂回し、鬱蒼とした森を抜け、大きな川を渡る必要がある。ダンジョンを通る道に比べれば圧倒的に遠回りしなければならないのだ。
狩るのが簡単な獲物が入ってきてくれるのは我々としては嬉しい事だが、こんな若くて美人な女の子がむざむざと殺されるのは可哀想な気もする。
「でもまぁ、仕方ないよね」
俺は上階の知能無きゾンビと奮闘する二人をしばし眺めた後、自分の仕事をするためにダンジョン深くへと潜った。
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「相手の主な武器は剣、人数は二人、戦闘習熟度低、魔法の使用については不明。みんないつもの位置について!」
スケルトンたちが俺の指示に従い慌ただしく冒険者を迎え撃つ準備を始める。あまり強くはなさそうだがきちんとアンデッド対策をしているし、恐らく知能無きゾンビのフロアは抜けられるだろう。
「お肉ドンナ感じー?」
騒ぎを聞きつけてゾンビちゃんがトテトテ走り寄ってきた。まるでオヤツを待ちわびる子供の様に目を輝かせている。
「美味シソウ? 美味シソウ?」
「そうだね、今回はちょっと珍しい冒険者だよ。色が白くって金髪の可愛い女の子二人。でも小柄だからゾンビちゃんには物足りないかな。吸血鬼は喜びそうだけど」
「オンナノコ……?」
「ど、どうしたの?」
ゾンビちゃんの眼の色が変わった。笑顔が消え、珍しく真剣な表情を浮かべている。
「ソレ、耳尖ってた?」
「え、耳? ええと……どうだったかな。少し尖ってたような気がしなくもないような」
ゾンビちゃんは俺の言葉を最後まで聞くことなく走り去ってしまった。彼女の向かった方角には上階へと通じる階段がある。よほどお腹が減っていて、彼女たちを我先に食べようという魂胆だろうか。
それにしても、ゾンビちゃんに狙われるとは運が悪い。
「どう足掻いてもゾンビちゃんには勝てないだろうなぁ、お気の毒に……あの子たちも死んだら幽霊にならないかな?」
「おい何をブツブツ言ってる?」
声がして振り返ると、怪訝そうな表情をした吸血鬼が俺の透けた体をジッと見つめていた。
「あ、ああ、吸血鬼。冒険者が来たよ」
「そうらしいな。相手はどんな感じだ?」
「すっごい美人の女の子二人。でも戦闘には不慣れな感じだったから多分吸血鬼が戦うまでもないと思うよ」
「女か! それは楽しみだ、是非その首筋に牙を突き立てたい」
「あー、でももしかしたらゾンビちゃんが食べちゃうかもしれない。その話をしたらゾンビちゃん、階段の方に走って行っちゃったんだ。よっぽどお腹が空いてたんだね」
吸血鬼は腕を組み、俺の言葉に首をかしげた。
「小娘が? 随分仕事熱心だな、前回肉を食べてからそれほど時間は経っていないはずだが……いや、ちょっと待て。まさかその冒険者の娘二人、耳が尖っていたか?」
「ああうん、多分。ていうかその質問ゾンビちゃんにもされたんだけどなに?」
「……それは不味い!」
吸血鬼の眼の色が変わった。
彼は真剣な表情で俺を見つめ、緊迫した声を上げる。
「小娘が走って行ったというのはいつごろだ?」
「ついさっきだけど……一体どうしたって言うんだよ」
「その冒険者たち、人間じゃない。エルフだ!」
吸血鬼はそう言って慌てたように走り出した。俺も吸血鬼について上のフロアへと向かう。
「ええ、エルフ!? 俺初めて見たよ、どうりで綺麗だと思った。けどなんでエルフだとマズイの? 実はメチャクチャ強いとか?」
「違う! いや、まぁ確かに普通の人間よりは強い個体が多いのも確かだが問題はそこじゃない。エルフの血の味と来たら、アンデッドが死ぬほど美味いんだ。そして残念な事に、肉も同じように美味いらしい」
「じゃあゾンビちゃんはエルフの肉が美味しい事を知ってて……」
「ああ、独り占めしようって魂胆だろう」
吸血鬼は悔しそうに唇を噛み、走る速度を上げる。
「そんなの絶対に許さない、エルフの血は僕のものだ!」
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知能なきゾンビのフロアを抜けたところにて、ゾンビちゃんとエルフ二人の激しい戦いが繰り広げられていた。とはいってもエルフたちは防戦一方。戦うというよりはゾンビちゃんから逃げ惑っていると言った方が正しいかもしれない。
長髪のエルフの細い腕から放たれる斬撃はゾンビちゃんの皮膚表面にダメージを与えるので精一杯、またその程度の傷はあっという間に再生して彼女の動きを止めることすらできていない。
短髪のエルフの繰り出す攻撃魔法やバリアにより何とかゾンビちゃんの攻撃を凌いでいるが、もう息が上がっていて魔力も枯渇しかけているらしい。
二人とも体力と精神力と魔力をすり減らしながら懸命に闘っている。だがもう限界が近いようだ。
ゾンビちゃんはエルフの振り下ろした剣をいとも容易く払いのけた。エルフは衝撃で剣と共に吹っ飛び、壁にたたきつけられてそのまま地面に崩れ落ちる。
ゾンビちゃんは弱った獲物を見下ろしてペロリと舌なめずりをする。身体を震わせながら怯えた眼差しでゾンビちゃんを見上げる長髪のエルフ。短髪のエルフが必死に呪文を唱えて仲間を助けようとするが、もはや小さな火の玉を出す魔力すら彼女には残されていなかった。
「イタダキマス」
ゾンビちゃんがその青い腕をエルフに伸ばす。エルフはもはや反撃を諦め、恐怖を堪えるようにギュッと目を閉じた。
だがゾンビちゃんの手がエルフの身体に触れることは無かった。
ゾンビちゃんはその脇腹に華麗な蹴りをくらい、通路を数メートル吹っ飛んだ。突然で予想外の攻撃に目を回しながらも、ゾンビちゃんは慌てて体を起こす。
「ナ、ナニスル!?」
「独り占めは許さないぞ!」
息を切らしながらゾンビちゃんを見下ろすのは、ここまで全速力で駆け上ってきた吸血鬼である。エルフがまだどこも齧られたりしておらず、なおかつ息があることを確認すると吸血鬼はホッと胸をなで下ろした。
「どうやら間に合ったようだな」
ゾンビちゃんはバツの悪そうな表情を浮かべ、脇腹を押えながらふらりと立ち上がる。
「別にヒトリジメする気はないよ」
「そうか、ならお前はそっちのエルフを捕まえておいてくれ。僕は至高の血液を頂くとしよう」
吸血鬼は口元を歪めてその鋭い牙を覗かせる。
自分の身をゾンビちゃんから守ってくれたこの男が決して味方ではないと気付いたのだろう。エルフは再びその綺麗な顔を恐怖で染め、ここから逃げ出そうと立ち上がる。だが吸血鬼が彼女をみすみす逃がすはずもない。
吸血鬼はエルフの細い首を掴んで地面に押し付け、猫でも持ち上げるみたいに軽々とその体を浮かせた。
「うん、流石はエルフ。食欲をそそられる見た目だ。ではさっそく――」
吸血鬼は暴れるエルフの手を押さえつけ、その白い首筋に口元を寄せる。
だが吸血鬼の牙がエルフの首筋に突き刺さることは無かった。ゾンビちゃんのドロップキックにより、吸血鬼は通路を数メートル吹っ飛んだのである。
「な、なにをする!?」
「ヒトリジメする気はない……けど! 蹴られてハラ立ったから、やっぱりゼンブ私食べる!」
強烈な蹴りで内臓を痛めたのだろうか。吸血鬼は血を吐きだしながらゾンビちゃんを睨みつける。
「そんな事させるかッ!」
吸血鬼は鬼の形相でゾンビちゃんに襲いかかった。ゾンビちゃんも最高の肉を得るため、吸血鬼を迎え撃つ。
不死身同士の戦いというのは本当に厄介だ。足が折れても立ち上がり、腕が折れても拳を振り下ろすことを止めない。きっとどちらかが動けなくなるまで戦いは続くだろう。いや、その前にこの狭い通路が熾烈な戦いに耐え切れなくなって崩れてしまうかも。
俺は激しい攻防を繰り広げる二人の間へと入り込み、思い切り声を張り上げた。
「もう、二人ともいい加減にしなよ!」
吸血鬼はゾンビちゃんの腹部に蹴りを入れながら思い切り顔を歪める。
「コイツが独り占めしようとするから! 第一、血は僕が貰えると決めてあるだろう!?」
「血抜きするとニクが縮むからヤダ!」
ゾンビちゃんはそう言いながら吸血鬼の顔に強烈なパンチを放つ。それを皮一枚で避けると、吸血鬼は目を見開いて顔を青くさせた。
「か、顔はやめろ!!」
「ヤメナイ! そのムカツク顔グチャグチャにして豚の皮貼り付けてヤル!」
「なっ……聞いたかレイス!? くそっ、二度とそんな口が利けないように口と目を縫い付けて手足をバラして穴掘って埋めてやる!」
二人の戦いは激しさを増すばかり。
俺は二人をなだめることを諦め、彼らから少し離れる。
「あーあ、これはもうダメだな……ん?」
通路の隅でエルフたちがコソコソと何かをしていることに気が付いた。
見ると、短髪のエルフが長髪のエルフに回復魔法をかけている。恐らく体勢を立て直し、この混乱に乗じてダンジョンを抜けるつもりなのだろう。
どうする、今の二人はエルフなど眼中にない。このままではエルフが逃げてしまう。声を上げて知らせるべきか?
……いや、むしろ争いの種などない方が良いのかもしれない。
彼女たちがこのままダンジョンを抜けてくれれば争いは止むはずだ。別にこの子たちが可愛いから逃がすわけじゃない。ダンジョンの平和の為、ダンジョンの平和のために俺は彼女たちに手を貸すのである。
俺は地面に潜り、彼女たちのすぐそばでニュッと顔を出した。唖然とする少女たちを見上げながら、自分の唇に人差し指を当てる。
「静かに。ええと……俺、わるいレイスじゃないよ」
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ゾンビちゃんと吸血鬼は肩を落として頭を抱えながらため息を吐いた。
「あーもう! お前が余計な事するから逃げられたじゃないか!」
「ソレはコッチのセリフ!」
なおも言い争いを続けようとする二人。俺はその間に入り、彼らをなだめようと声をかける。
「まぁまぁ二人とも。運が良ければきっとまた来るよ」
「……ナンカ嬉しそう?」
「いやいや! そんな訳ないじゃん」
俺はゾンビちゃんから顔を逸らしつつ、彼女の視線から逃れるため天井近くを漂う。
「と、とにかく、二人とも獲物を確実に仕留めたいなら喧嘩しないことだよ」
吸血鬼は大袈裟にため息を吐き、顔を手で覆った。
「次の儀式は一体何年後なのだろうな。10年後か20年後か、あるいはもっと先か……」
「儀式? なにそれ?」
尋ねると、吸血鬼は暗い表情のまま話し始めた。
「この近くのエルフ集落に伝わる儀式で、何年かに一度山の向こうの祠に供え物をしなければならないんだそうだ。この前まで雨が降っていたから橋が落ちたか山が崩れたかして道がなくなって、仕方なくダンジョンを通ったんだろうな。こんなチャンスは滅多になかったのに……残念だ」
「へぇ、女の子なのに大変だね」
何気なく呟くと、吸血鬼はなぜかゆっくりと首を振った。
「儀式をするのは男だけだぞ」
「……ん?」
「アイツら男だぞ」
「……ん?」
「いやだから……っていうか君なんでそんな酷い顔してるんだ?」
「だ、だって。まさかあんな可愛い子が男なわけ……」
「まぁエルフは美形だからな。まだ子供のエルフだったし、勘違いするのも無理はない」
「う、嘘だ……信じられない。騙された気分だ」
吸血鬼は俺の言葉に怪訝な顔をして首をかしげる。
「騙されたってなんだ?」
「あ、いや……別に意味はないけどさ。ははは……はぁ」
去り際、笑顔でお礼を言ってくれたエルフたちを脳裏に描いてため息を吐く。まさかあの子たちが男だなんて。
俺は誰にも聞こえないよう、小さく小さく呟いた。
「エルフって怖い……」