24、催眠術
今日は朝から小雨がパラついていたからだろうか。
冒険者たちがやってくる気配もなく、俺たちはそれぞれ穏やかに一日を過ごしていた。しかし魔物は小雨など気にしないらしく、温泉客の入りは上々であるらしい。スケルトンたちはダンジョン内を忙しく走り回って温泉運営に精を出している。
スケルトンたちがいないと暇つぶしの方法もだいぶ狭まってしまう。吸血鬼は部屋に籠って何かをしているし、ゾンビちゃんはマイペースに良く分からない遊びに興じている。俺は行くあてもなく、浮幽霊のようにダンジョンを彷徨っていた。
「……ん?」
スケルトンたちが回収し忘れたのだろうか。ダンジョン一階フロアにポツリと小荷物が転がっている。宛名は吸血鬼、箱には大手通販会社「Danzon」の文字が躍っていた。
「吸血鬼め、また買い物したのか……」
色々と言いたいことが湧き出てきたが、取りあえずこんなところに荷物を転がしておくわけにもいかない。しかしスケルトンたちはとても忙しそうだ。
「自分で取りに行かせるか」
俺は早速地面に飛び込み、ダンジョン中層にある吸血鬼の部屋へと向かった。
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「おーい、吸血鬼」
「んー」
部屋に入るや、吸血鬼は生返事で俺を出迎えた。
彼は上等そうな革張りのソファに座り、なにやら熱心に本なんぞ読んでいる。
「一階に荷物届いてたよ。Danzonから」
「んー、その辺に置いておいてくれ」
「無茶言うなよ、俺に荷物なんて運べないの見たら分かるだろ」
「じゃあスケルトンたちに手伝ってもらってくれよ」
「スケルトンたち今凄く忙しいんだよ、そんなくだらない事頼めない」
「んー、よし分かった」
吸血鬼はようやく本から顔をあげた。
素直に荷物を取りに行くのか――そう思ったが、なぜか吸血鬼は一向に立ち上がる気配を見せない。
「……どうしたの?」
「レイス、僕の眼をじっと見てくれ。瞬きするなよ」
「な、なんだよ」
「良いから言うとおりにしろ……お前は荷物を運びたくなーる、運びたくなーる」
「……なんなのそれ?」
「どうだ、運びたくなったか?」
「いいや、死んでも運びたくなくなった。もう死んでるけど」
「はぁ、なんだダメか」
「一体なんなの今の? 怖いんだけど」
「これだよ」
吸血鬼は悪戯っぽく笑いながら熱心に読んでいた本の表紙をこちらに向ける。
赤い裏地が特徴的なマントを羽織ったやけに八重歯の長い男の子のキャラクターと共に「吸血鬼のための催眠術講座 ~初心者編~」とのタイトルが躍っている。
「さ、催眠術?」
「ああ」
吸血鬼は偉そうにソファにふんぞり返り、本をやや乱暴にテーブルの上へと投げる。
「吸血鬼ってのは催眠術を扱える奴が結構多いんだ。僕も昔齧ってたんだけど、もうすっかり忘れてしまっていてね。催眠術が使えるってなんかカッコイイし、また練習してみようと思って」
「ふーん、でも催眠術なんて本当に効くの? 俺、気功とか催眠術とかイマイチ信じられないんだよね」
「幽霊のくせに?」
「いや……まぁ、そうだけどさ」
「よし、じゃあ催眠術の凄さを教えてやろう! そこ座れ」
「ええっ、俺を練習台にする気?」
「どうせ暇だろ、いいからほらほら」
吸血鬼に促され、俺は渋々椅子に腰掛ける。まぁ椅子とは言っても空気椅子だが。
「よーし、本気で行くぞ」
そう言って吸血鬼が取り出したのは、中心に穴が開いた金色の丸い金属の板に糸を通してぶら下げたものであった。
「……すごい古典的な催眠術道具出してきたね」
「慣れてくると道具なしでもできるらしいんだが、僕はまだ初心者だからな。じゃあレイス、この金属板を目で追うんだ」
金属板はメトロノームのようにテンポよく左右に揺れ動く。俺は言われたとおり、絶え間なく動く金属板を見つめる。
「お前はだんだん眠くなる〜眠くなる〜ほーら眠くなってきたぞー」
俺はレイスであり、本来睡眠を取ることはない。しかし催眠術のせいなのだろうか、なんとなく眠くなってきたような、そうでもないような……
「よーしレイス、お前は僕に隠し事ができなくなるぞ〜僕が尋ねるとなんでも答えてしまうぞ〜」
金属板の奥で吸血鬼の目が光る。なんだか雲行きが怪しくなってきた。
だが言われたとおり、俺はただ金属板を目で追うことに集中する。
「さぁレイス答えろ、金庫の鍵はどこにある?」
「金庫の鍵……金庫の鍵は……いやいや! 言わないよ!」
俺は慌てて金属板から目を逸らした。
俺が何も言わないと分かるや、吸血鬼は小さく舌打ちをして金属板を手の中に握り込む。
「あー、惜しかったのに」
「ふざけんな! 今度ダンジョンの金に手を付けたら体を灰にして海に撒いてやるからな!」
「はは、恐い恐い。しかし問題は僕にではなくダンジョンの金を盗まざるを得なくなるような財政状況にあると思わないか? 犯罪は貧困から生まれるんだ、僕の小遣いさえアップしてくれれば全て丸く収まるぞ」
「この状況でよく小遣いアップの要請ができたよね、その度胸には感心するよ」
思い切り嫌味を込めて言ったつもりだったが、吸血鬼は全く気にしていないようでヘラヘラと笑っている。俺にもし実体があれば少なくとも目潰しくらいはしていたであろう。それが出来なくて非常に残念だ。
「しかし物理攻撃はおろか魔法にも反応しない君を催眠術にかけるというのは少し難易度が高すぎたな。誰か他にいないか」
吸血鬼は椅子から立ち上がり、部屋の扉を開けてキョロキョロあたりを見回す。そして「ああ、ちょっと君来てくれ」などと言いながら半ば無理矢理一体のスケルトンを部屋に引きずり込む。温泉の方に荷物を運んでいる途中だったのだろうか。大きな木箱を抱えており、無理矢理部屋に連れ込まれたことに若干イラついているのが感じられた。
「スケルトンたち今日は凄く忙しいんだよ。手伝えとは言わないけど、邪魔するのはダメだって」
「すぐ終わるから。ちょっと協力してくれよ、大事な事なんだ。まぁ座って座って」
吸血鬼はそう言ってスケルトンを無理矢理椅子に座らせ、再びあの金属板を目の前にぶら下げる。
「さぁスケルトン、良いか。この丸いのを目で追うんだ。行くぞ」
吸血鬼は有無を言わさず金属板を揺らし始めた。スケルトンも押しに負けたのか、不承不承といった風ではあるが言われた通り金属板を見つめる。
「お前はだんだん眠くなる〜眠くなる〜ほーら眠くなってきたぞー」
スケルトンには表情筋もなければまぶたもない。催眠術が効いているのか分かりにくいが、なんとなく体の緊張が解けてリラックスしているように見えなくもないような、そうでもないような。
「よーしスケルトン、お前は……そうだな、キツツキだ。お前はキツツキにな~る、キツツキにな~る」
確かに「自分を動物だと思い込む」という催眠術はポピュラーなものではあるが、かなり難易度が高そうだ。これはさすがに無理だろう……そう思ったその時、スケルトンがフラリと椅子から立ち上がった。
「おおっ? どうしたスケルトうがッ」
スケルトンは一瞬喜びの表情を浮かべた吸血鬼に容赦ない頭突きを食らわせる。なかなか良い頭突きを貰ってしまったらしく、吸血鬼は痛みに顔を歪めつつそれでもやはり嬉しそうに笑っていた。
「これはまさにキツツキの動き! やったぞ、とうとう成功だ!」
確かにキツツキが木に穴をあける動作と今の頭突き、なんとなく動きが似ているようにも思える。しかしスケルトンは極めて冷静に紙とペンを取り出し、何かを書いて吸血鬼に投げつけた。
『くだらない事に付き合せるな!!』
どうやら吸血鬼がふざけていると思ったらしい。スケルトンは怒りのメッセージを残すと、さっさと荷物を抱えて出て行ってしまった。
明らかに失敗である。スケルトンは普通に怒って吸血鬼に頭突きをしたのだ。
「ほら、だからやめとけって言ったんだ」
「ううっ、だからって頭突きしなくても……」
吸血鬼は鼻を押さえながら大きなため息を吐く。鼻が赤くなってしまっているが、全く可哀想に思えない。自業自得である。
「まぁ忙しくない時ならスケルトンたちも協力してくれると思うし、取りあえず今はやめときなよ」
「……いや、まだこのダンジョンに忙しくないヤツがいるだろう」
「ええ、まだやんのかよ」
吸血鬼は力強く頷きながら再び椅子から立ち上がり通路へ顔を出す。
「やるに決まってるだろ、今やらないと熱が冷めて放り出してしまう。 小娘、小娘はどこだ!」
「ヨンダ?」
近くにいたのだろうか、ゾンビちゃんは割とすぐ吸血鬼の呼びかけに応じてその姿を現した。一体何の遊びをしていたのか、戦ってもいないのに彼女のワンピースは土だらけである。
「ゾンビちゃんなんでそんなに服汚れてるの?」
尋ねると、ゾンビちゃんはあっけらかんとして答えた。
「ダンジョンをホフク前進で散歩してた」
「またそんな良く分からない遊びを……まぁ良い、入れ」
例によってゾンビちゃんを椅子に座らせ、目の前に金属板をぶら下げる。見慣れない金属板に興味を持ったのか、ゾンビちゃんは大きな瞳でジッとそれを見つめ、興味深そうに指でつつく。
「ナニソレ、美味しい?」
「美味しくない! 喰うなよ、黙ってこれを目で追うんだ。良いな?」
「ウン、分かった」
「よし行くぞ」
吸血鬼の声を合図に金属板がリズムよく左右に揺れる。ゾンビちゃんは吸血鬼に言われた通り、真剣に金属板を目で追った。
「お前はだんだん眠くなる〜眠くなる〜ほーら眠くなってきたぞー」
その言葉に合わせ、ゾンビちゃんのまぶたが徐々に下がっていく。今にも本当に眠りに落ちてしまいそうだ。
「すごい、今までで一番効いてるみたい」
「ああ、これは期待できるかもしれない。よし小娘、お前は……そう、犬だ。犬になーる、犬になーる……」
「……ワン」
ゾンビちゃんは椅子から降り、両手両足を地面についてじっと吸血鬼を見上げた。その眼は眠気を我慢している時のようにまぶたが半分閉じられている。催眠状態という事だろうか。
「やった、成功だ! とうとう成功したぞ!」
「すごい……本当に催眠術にかかる人っているんだね」
「まぁこういうのには個人差があるからな。コイツは催眠術にかかりやすい体質なんだろう。さぁ小娘、お手」
「ワン」
ゾンビちゃんは吸血鬼の差し出した手の上に手のひらを重ねる。吸血鬼は嬉しそうに歓声を上げた。
「おお、これは良い! 普段の小娘よりよほど賢いじゃないか。いつもこれくらい人の言う事を聞いてくれると良いんだがな」
「まぁ気持ちはわかるけど、そろそろ催眠解いてあげたら?」
「はは、なにを言う。せっかく成功したんだ、もう少し遊ばせろ。ほら小娘、僕の周りをぐるぐるまわれ」
ゾンビちゃんは言われるがまま、吸血鬼の座るソファの周りを四足歩行でグルグル回る。
「やめなよ吸血鬼、悪趣味だよ。悪い大人が金の力で無理矢理させてるみたいで、もう俺見てられない」
「人聞き悪い事言うな! これはあくまで『人は催眠状態でどの程度僕の指示に従うのか』という試験をやっているだけだ。他意はないんだぞ」
「そんなに楽しそうにしておいて、よく言うよ」
「はっはっは。よし小娘、次は三回周ってワンと――」
ヘラヘラ笑う吸血鬼の顔にツウッと一筋の血が流れる。見ると、ゾンビちゃんが彼の後頭部に噛り付いていた。
「うわあああああああ、やめろ離せ!」
「グルルルルル……」
ゾンビちゃんは獣のように歯をむき出しにし、容赦なく吸血鬼に食らいつく。椅子から引きずり降ろされ、吸血鬼の身体はあっという間に血と歯型に塗れてしまった。
「クソッ、離れろバカ犬! ギャッ、痛い! 助けて!」
「あーあ、芸をしてるのにご褒美の餌がないから怒っちゃったんじゃない? 次に催眠術をかける機会があったら草食動物にすべきだね」
「そんな事は良いから早く! 助けを!」
吸血鬼は苦しそうに顔を歪めながら血に染まった手を伸ばして助けを求める。だがスケルトンたちは相変わらず忙しそうだ。
「今忙しそうだからもう少し待ってなよ。手が空いたらスケルトンたちもきっと助けに来てくれるからさ」
「そ、そんな……うっ、痛い痛い!」
ゾンビちゃんはまるで飢えた獣のように吸血鬼を食らっていく。
スケルトンが助けに駆け付けた頃には、体の半分が骨になった状態だったとか。
申し訳ありませんが少しの間投稿を休ませていただきます
二週間ほどで戻ってきますので少々お待ちください