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23、お腹がすくとなんでも美味い




 硬いものがぶつかり合うガツンガツンという音が絶え間なくダンジョンに響く。結構な音量だが、このところずっと聞いていたからすっかり慣れてしまった。

 音の発生源はスケルトンたちだ。彼らは一箇所に集まり、一生懸命に剣や斧を振っている。その標的は冒険者ではなく、ごつごつとした巨大な岩を含む土砂である。土砂はダンジョン入り口をすっかり塞いでしまっている。いや、入り口だけではない。ダンジョン出口、さらには温泉客用出入り口をも塞がれてしまったのである。


「閉じ込められて何日になるかなぁ」


 ポツリと呟くと、ダンジョン通路に膝を抱えて座り込むスケルトンの一人が紙をこちらへと向けた。


『30年』

「そこまでは経ってないでしょ……せいぜい数週間か……いや、もしかして何ヶ月か経ってるかなぁ」


 こう何日も冒険者が来ないと時間の感覚が分からなくなってくる。30年というのは大袈裟だが、「半年」と言われたらなんとなく納得してしまうだろう。


「いつまでこの状態が続くんだろうね」


 スケルトンたちは紙もペンも出さず、ただガックリと肩を落とした。



 数週間か数ヶ月か、あるいは半年前。

 大雨が続き、冒険者も観光客も来ない日が数日続いた。とはいえ食料にはまだ余裕があり、誰も危機感など抱いていなかった。この程度の雨はたまにあることなのだ。暇な時間を我々は「長期休暇のようなもの」などと言いながら怠惰に消費していった。

 ところが、俺たちの静かな日常は脆くも崩れ去ったのである。

 相変わらず雨の降り続くある日、物凄い轟音がダンジョン最深層にまで響き渡り、地震のようにダンジョンが揺れた。慌ててダンジョン一階に上がってみると、ぽっかり空いた大きな口の様な入口が大量の土砂によって塞がれていたのである。入り口だけではない、出口も、観光客用出入り口もすべて土砂によって埋まっていた。恐らく降り続く雨によって崖崩れでも起きたのだろう。

 それからずーっとスケルトンたちが交代で土砂を掘り続けているのだが、未だに入口は塞がったまま。


 俺は物を食べる必要もないため、閉じ込められたところで特に問題は起こらない。

 スケルトンたちも物を食べる必要はないが、骨が折れた場合は新しい骨で補修をする必要がある。とはいえ冒険者との戦いがなければそれほど頻繁に骨が傷つくこともないため、今のところそこまで酷い衰弱は見られない。

 問題はあとの二人である。


「レイス……作業は進んでいるか」


 暗闇からふらりと現れた吸血鬼の姿はまるで――俺が言うのもなんだが、幽霊のようであった。

 瞳は光を失い、その周りには酷いクマができている。常に整えられていて少しの乱れも許されなかった髪も今や枯草のようにバサバサ。元々血色の無い真っ白な肌をしていたが、それが健康的に見えるほど今の顔色は酷い。

 こうなってしまった理由は単純明快、もう何日も血を飲めていないからである。


「起きてきて大丈夫なの? 棺桶で寝てた方が」

「眠れないんだ。眠ろうとすればするほど眼が冴えてきて、まるで自分が本当に埋葬されてしまったような気分になってくる。起きていれば狩りもできるしな」

「狩り?」


 その時、突然吸血鬼の眼がギラギラ輝いた。彼はその弱った体からは想像もできないほどの素早さで地面から何かをすくい上げる。その手の中でもがくのは、小さな小さなネズミであった。吸血鬼は躊躇うことなくネズミの柔らかな腹に齧り付く。「チュウ」と小さく鳴いた後、ネズミは動かなくなった。


「きゅ、吸血鬼……」


 なんと声をかけて良いか分からなかった。

 ネズミを食べる魔物は多い。現に温泉近くではスケルトンたちがネズミの串揚げを売っているし、ゾンビちゃんも空腹になるとその辺を這うネズミを丸齧りしている。

 しかし吸血鬼は違った。今までどんなに空腹でも人の血以外のものを口にしているところは見せたことがなかったし、そもそも彼はやや潔癖症の気があるのだ。汗ばんだ厳つい冒険者の首筋に歯を当てる事を嫌い、チューブを使って血液を抜いていたくらいである。そんな吸血鬼が、その辺を這う洗っていないネズミの腹に口を付けることなど考えられなかった。

 それほど飢えているということだろう。俺が思っている以上に限界が近いらしい。

 早くなんとかしなければならないが、作業は順調とは言えない。土砂には大きな岩が混じっており、掘り進めるのが難しいのだ。万全の状態の吸血鬼ならば岩を破壊できたかもしれないが、今の状態ではスケルトンより強い力を出せるのかも微妙である。

 コウモリが通れる程度の穴があけば近くにあるゴブリン鉱山へ伝書コウモリを飛ばして工事を依頼できるのだが、残念ながらその小さな穴すらまだまだ掘れそうにない。本当は俺が土砂をすり抜けて助けをよべれば良いのだが、この体になってから俺は一度もダンジョンを出たことがない。俺は今や霊体だけの非常に不安定な存在だ。外へ出たらそのまま風に紛れて消えてしまうのかも――そう思うと、怖くてとても外へは出られなかった。


 とにかく、まだ助けを呼べるようになるまでは時間がかかる。それを悟らせないよう、俺はあえて明るい声を上げた。


「スケルトンたちはまだまだ元気だし、きっとすぐに助けが呼べるよ」

「ああ……だと良いんだが」


 吸血鬼は真っ赤に濡れた口元を袖で拭い、ネズミの骸を投げ捨てる。どこからかそれを狙って待っていたのだろう。ゾンビちゃんが影の中から転がり出てきて、吸血鬼の投げたネズミを犬のように口で受け止めた。


「うわぁ、ゾンビちゃん!?」


 俺の声に反応しスケルトンたちがビクリと体を震わせた。

 ゾンビちゃんは極限までお腹が空くと知能がネズミ以下となり、スケルトンや、実体のない俺にまで齧り付こうとしてくるのだ。吸血鬼がまだ比較的元気だった時に鎖でゾンビちゃんを拘束しておいたのだが、とうとう鎖をも引きちぎる力を手に入れたらしい。空腹になればなるほど力が強くなるのである。


「ぞぞぞ、ゾンビちゃん落ち着いて……」


 今スケルトンたちを食べられるとマズい。作業できる人がいなくなり、本当に外へ出られなくなってしまう。

 ところが、心配をよそにゾンビちゃんはケロリとした顔で首を傾げた。


「ドウしたの、落ち着いてるよ?」

「えっ……あ、あれ?」


 ゾンビちゃんは口から出ていたネズミの尻尾をチュルリとすすり、あっという間に飲み込んだ。

 まさかネズミ一匹でここまで知能が回復するはずあるまい。大きなネズミの巣穴でも見つけたのだろうか。しかしそう都合よく飢えたゾンビちゃんを満足させられる量のネズミが手に入るというのも考えにくい。まさか部屋で休憩していたスケルトンを食べた? いや、彼らもゾンビちゃんを十分警戒している。なんのSOSも出さずみすみす食べられたりはしないだろう。

 では一体なにを食べたと言うのか――悩んでいると、吸血鬼が恐る恐ると言った風に口を開いた。


「なぁ、ここに来るまでの間知能なきゾンビを見なかったんだが……」

「ええっ……そ、そういえば声が聞こえないね」


 ここはダンジョンの一階フロア。

 ダンジョン上階は本来知能なきゾンビたちのテリトリーであり、少し前までは下の方からゾンビたちのうめき声が聞こえてきてくることも少なくなかった。だが今はいくら耳を澄ましてもスケルトンたちの工事する音以外は何も聞こえてこない。不気味なほど静かである。


「ま、まさかね。そんな訳ないよね、ゾンビちゃん?」

「エッ……ナ、ナニガ?」

「ええっ! やっぱ食べたの!?」


 問い詰めると、ゾンビちゃんはイタズラがバレた子供のような顔をして小さくうなずいた。

 吸血鬼も信じられないとばかりに目を見開き、静かに体を震わせる。


「な、なんてことをしたんだ」

「そうだよゾンビちゃん、いくらなんでも共食いは……」

「僕の分は!? 僕の分は残っていないのか!?」

「えっ、そっち?」

「ウン、多分ゼンブ食べちゃったよ」

「そんな……」


 吸血鬼は絶望したようにガックリと肩を落とした。しかしすぐに顔を上げ、小柄なゾンビちゃんをジッと見下ろす。その目からはなにか良からぬ企みが感じられた。


「……お前、怪我をすると血が出るよな。体が朽ちかけていても血は流れているんだよな?」

「ちょっと吸血鬼、馬鹿なこと考えるなよ」


 慌ててゾンビちゃんと吸血鬼の間に入るが、吸血鬼の目は俺の透けた体を通してじっとゾンビちゃんだけを見つめている。こんな体では吸血鬼を正気に戻すどころか目隠しにもならない。

 ゾンビちゃんもゾンビちゃんで俺の体越しに吸血鬼へ挑発的な視線を向けた。


「じゃあ血をアゲルかわりにニクちょうだい。カラダを捨ててクビだけになればお腹も空かなくなるよ」

「ちょっと、ゾンビちゃんもやめなよ! 今は喧嘩してる場合じゃないでしょ、共食いなんてもってのほかだよ」

「……そういえば君の血はどんな味だったんだろうな」

「えっ」


 いつの間にか吸血鬼の視線はゾンビちゃんではなく俺へと向けられていた。


「小娘に食い荒らされていたせいで飲めなかったんだよなぁ。惜しいことをしたなぁ、せめて一口でも飲んでおけば良かったなぁ」

「き、気持ち悪いこと言うなよ」

「レイスのニク、美味しかったよ。ムネを張って良いよ」

「嬉しくないよ……」

「アーア、また食べたいな。レイスのニク」

「あーあ、飲んでみたかったな。レイスの血」


 ゾンビちゃんも吸血鬼もそう言って俺の透けた体をジッと見つめる。

 駄目だ、お腹が空きすぎて俺の事すら美味そうに見えているらしい。二人が俺に危害を加えることなど絶対にできないと分かっていても、彼らの「獲物を見る目」には背筋が凍ってしまう。

 そろそろ潮時か。

 俺は最終手段にして諸刃の剣を出す決意を固めた。


「あのね吸血鬼、実は一本だけ……血液のボトルがあるんだ」

「ボトル……ボトルゥ!?」


 吸血鬼は血走った目を見開き、俺に掴みかかってきた。もちろん俺の体を掴めるはずもなく、吸血鬼は俺をすり抜けて地面を転がる。しかしそんなことはどうでも良いらしい。髪が乱れるのも、シャツが汚れるのも全てどうでも良いのだ。

 吸血鬼は地面に膝を付き、神に助けを乞うかのごとく空に手を伸ばした。


「頼む……どこにあるんだ。ボトルは……血液は……」

「あのね吸血鬼、よく聞いて。普通の血液ボトルなら俺はもっと早くに吸血鬼に渡しているはずだよね。つまり、ここまでそのボトルを吸血鬼に渡さなかったのは、普通の血液じゃないからなんだ」

「普通じゃなくたって構わない。汚れていても、腐っていても、今の僕はそんなこと気にしていられないんだ」


 ネズミの血を啜り、ゾンビちゃんの得体の知れない血液にまで手を出そうとしたのだ、その言葉は本心だろう。

 だが、その血液はそんな生易しいものではないのだ。


「吸血鬼、その血液はね……ニンニク血なんだ」

「なっ……!?」


 吸血鬼は目を見開いたまま固まってしまった。

 少し前、ニンニク黒酢を大量に摂取してダンジョンに乗り込んできた冒険者がいたのだ。彼自身は吸血鬼によって倒されたが、彼の死体や血からも吸血鬼の嫌う強烈なニンニク臭がして死してなお彼を苦しめたのである。

 その体はゾンビちゃんに食べられ、血はスケルトンによって回収された。吸血鬼がスケルトンを怒らせた際、吸血鬼に報復するための武器としてダンジョンのある場所に隠されたのである。

 しかし幸か不幸か、吸血鬼はスケルトンを怒らせないまま今日を迎えた。


「とうする? ニンニクが吸血鬼にどの程度害なのか俺には分からないけど、臭いを嗅いだだけで卒倒しそうになってたよね?」

「うぐっ……うう……」


 吸血鬼は額に玉のような汗を浮かべながらあちこちに視線を泳がせる。やはりこの極限状態でも口にするのを躊躇うほどニンニクが駄目なのだ。彼は今、毒で苦しむか飢えで苦しむかの狭間で揺れ動いているのだろう。


「どうする? もし吸血鬼が欲しいっていうならすぐに持ってこれるよ」

「いや……しかし……うー……」


 吸血鬼は腕を組み、苦しそうに思案している。心なしか顔色も悪くなっていくみたいだ。

 長い沈黙を破ったのは、意外にも吸血鬼ではなくゾンビちゃんであった。


「イラナイなら私にちょうだい!」

「えっ!?」


 意外な申し出に吸血鬼は目を丸くする。

 ゾンビちゃんはそんなことも気にせず、屈託ない笑みを浮かべた。


「にんにく肉、スゴク美味しかったよ。血って、ニクには負けるけど少しはハラのタシになるし。イラナイならちょうだいよ」


 確かに生肉を食らうゾンビちゃんが血を飲めないはずもない。この極限状態の中、食べられるものを食べずに捨て置くなんて贅沢なことはできないのだ。

 俺はそっと吸血鬼に視線を移す。


「……どうする? 無理はしなくて良いよ、この状態ならゾンビちゃんも穴を掘る作業に参加できるし、きっともうすぐ助けがよべる。だから――」

「飲む」

「……本気?」


 吸血鬼は汗で髪を濡らしながらも、固い決意のこもった目で俺を見上げた。


「ああ……持ってきてくれ」





***********





 スケルトンによって目の前に血液のボトルが置かれるのを、吸血鬼は瞬きもせずにジッと凝視していた。

 一つ呼吸を置いたあと、吸血鬼は意を決したようにボトルを手に取り、栓を抜く。俺達には分からないが、やはり嗅覚の鋭い吸血鬼には臭いが分かるのだろうか。眉間に皺を寄せてボトルから顔を逸らす。

 その様はまるで服毒自殺を躊躇っているかのようだ。


「吸血鬼、無理しないで」

「ソウダヨ、私が飲んでアゲルよ」


 吸血鬼は俺たちの言葉にゆっくりと首を振る。


「心配には及ばないさ、ニンニクなど所詮野菜。吸血鬼の敵ではない」


 そう言って気丈に笑って見せたが、その顔は今や土気色をしている。


「一口飲んで無理だったらやめて良いからね」


 俺の言葉に小さく頷くと吸血鬼は大きく息を吸い込み、そして意を決した様に瓶に口を付けて一気に傾けた。


「グフッ」


 時々むせたりするような様子があったが、それでも吸血鬼は瓶を手放さない。瓶の中の血液はすごい勢いで吸血鬼の喉に流れ込む。彼が瓶から口を離したのは、瓶をすっかり空にしてからだった。


「だ、大丈夫……?」


 瓶を握りしめて俯いたまま動かない吸血鬼に声をかけると、彼はそのまま肩を震わせ始めた。


「ふ……ふふふふ」

「吸血鬼?」


 恐る恐る呼びかけると、彼は突然凄い勢いで顔を上げた。

 その眼は焦点が定まっておらず、口元は三日月形に歪んでいる。顔色は今やゾンビが健康的に見えるほどであった。


「うわあああああああああッ!」


 吸血鬼は奇声を上げながら立ち上がり、手に持っていた瓶を入口に向かって放り投げる。瓶は入口を塞ぐ巨大な岩に当たり粉々に砕け散った。


「ス、スケルトンたち逃げて!」


 工事中だったスケルトンたちは俺の言葉に従い、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。吸血鬼はちょうどスケルトンたちが砕いている途中だった巨大な岩に突っ込んでいく。岩にドロップキックをかました直後、轟音と共に土煙が舞い、彼の姿は見えなくなった。


「うわああ、吸血鬼がおかしくなった!」

「ニンニクパワー、スゲー」

「いや、きっと過度のストレスで脳のリミッターが外れたんだよ! 狂っちゃってる」


 ゾンビちゃんもそうだが、アンデッドというのは空腹になると正気を失う代わりに非常に強い力を得るという傾向がある。正気を失いながらも暴力の対象を「入り口をふさぐ土砂」に向けたのはさすがだが、彼の身体が心配だ。土煙で相変わらず見えないが、物凄い轟音が入口の方から聞こえてくる。脳のリミッターが外れて力が強くなっても肉体の強度は変わらない。この状態で体に傷を負えば回復には相当の時間がかかるだろう。


「まぁでも、飢餓の苦しみよりはマシなのかなぁ……」

「ネェ見て! 光が!」


 ゾンビちゃんが興奮気味に土砂を指差す。そこからは確かに日の光が漏れ出ていた。

 俺たちにとって恐ろしいはずの光が、今はこんなにも尊い。


「すごいよ、これで助けが呼べる! ねぇ吸血鬼……あっ」


 土砂を崩した際に日の光をもろに浴びたのだろう。

 吸血鬼の姿はどこにもなく、代わりにあったのは日を浴びて輝く灰の山のみ。


「無茶しやがって……」


 こうして尊い犠牲の元、俺たちは普段の生活を取り戻したのであった。


 ちなみに灰になった吸血鬼は後日、通販で買った「吸血鬼復活セット」で見事復活を果たした。アンデッドって凄いね。

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