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22、メイクアップアンデッド





 冒険者の荷物というのは、俺達にとって宝箱に等しい存在だ。

 売れば大金になるようなお宝が入っていることもあるし、そうじゃなくてもダンジョンでは手に入らない様々な面白い品を手に入れることができる。


「今回の冒険者はなにか良いもの持ってたの?」


 俺は輪になってなにやら騒いでいる吸血鬼とスケルトンたちに声をかけた。

 本来荷物の整理はスケルトンの担当だが、面白そうな物があると吸血鬼が目ざとく見つけてスケルトンの荷物整理に混ざるのだ。今回もなにか良い物を見つけたに違いない。


「レイスか、良い所に来た」


 吸血鬼はゆっくりと振り返り、ニヤニヤした笑みを浮かべながら俺に顔を向ける。

 彼のその顔を見て俺は首を傾げた。


「あれ……吸血鬼体調悪いの? クマができてるよ」


 そう指摘すると、吸血鬼は目を回して大袈裟にため息を吐いた。


「0点の回答だな。生前はさぞモテなかっただろう」

「な、なんだよ。人がせっかく心配してやってるのに」


 俺は改めて吸血鬼の顔を眺める。

 目には縁どられたように濃いクマが浮かび、元々青白いその肌は今や蝋と見間違えるほど白い。これが体調不良で無かったら俺はこれから何を体調不良と呼べば良いのか。

 正解がなんなのか分からないまま、俺は吸血鬼に尋ねた。


「体調不良じゃないならなんなの?」

「これだよ」


 そう言って吸血鬼は輪の中心に置かれた黒いカバンのような物を指差す。布製ではあるがその形は正方形であり、一見するとカバンというよりは箱のようだ。

 その箱バッグにギッシリ詰まっていたのは、色とりどりの美しい粉で満たされた小瓶や、大小様々な大きさの筆、そして綺麗な模様の描かれた小さな薄い箱の数々だった。


「綺麗だけど……なにそれ?」

「ふふ、これはメイク道具一式さ」


 吸血鬼はそう言って薄い箱を二枚貝のように開いて見せる。中には紅色の板が敷かれ、その下に文字を書くには心もとないほど細く短い筆が添えられていた。

 化粧品などほぼ見たことがない俺にもなんとなくだが分かる、恐らく口紅だ。


「へー、化粧品か。珍しいね……いやちょっと待って。もしかして吸血鬼、化粧してるの?」

「いまさら気付いたか。どうだ、格好良いだろう」


 吸血鬼はそう言って得意げに笑うが、俺には到底理解できなかった。


「なんで化粧なんか……女装趣味あったっけ」

「お前の目は節穴か! 僕のこのメイクが女装用に見えるか!」

「女装には詳しくないけど……パンクなお姉さんがよくやってる化粧だよね、それ。そういうの目指してるんじゃないの?」


 吸血鬼は「心底呆れた」とでも言わんばかりにため息を吐き、憐れみすらこもった視線で俺を刺す。


「これだから頭の固い無粋なダサダサスケスケ野郎は困る」

「おい、後半普通に悪口だろ」

「このメイクはここ数百年吸血鬼界で大流行しているメイクなんだぞ。君もアンデッドならそれくらいは押さえておきたまえ」

「女吸血鬼ならまだしも、男のメイクの流行廃りなんて知らないよ……」


 そう言いつつも、輪の中心に置かれた化粧品に興味がないわけではなかった。

 自分が使わずとも、ダンジョンではあまり見られない多種多様の明るい色彩やふんだんに使われたラメが輝いている様子には思わず目を奪われてしまう。吸血鬼などではなく、是非とも女性がその顔を輝かせるのに使っているところを見たいものだ。


「……いや、ちょっと待てよ」


 いるじゃないか、ダンジョン唯一の女性アンデッドが。




*********




「ヨンダ?」


 食事を終えたばかりなのだろう、口やワンピースを真っ赤に染めたままゾンビちゃんは現れた。俺はゾンビちゃんを椅子に座らせ、口を尖らせる吸血鬼の尻を叩く。


「ほら吸血鬼、早く早く!」

「なんで僕が小娘の世話など……」


 見慣れない化粧品の数々が机に並べられていくのが気になるのだろうか。ゾンビちゃんは落ち着かないようにあたりをキョロキョロ見回す。


「ナニ? ナニするの?」

「化粧道具一式が手に入ったからゾンビちゃんをメイクアップさせてみようって事になったんだよ!」

「『事になった』というか、君が一人で騒いでいるだけだろう」

「そう? でもスケルトンたちもノリノリだよ」


 俺はそう言ってゾンビちゃんを囲むスケルトンたちを指差す。

 彼らは湿らせた布で甲斐甲斐しくゾンビちゃんの血に塗れた体を清めている。やはり男の化粧より女の子の化粧を手伝う方が彼らも作業に身が入るに違いない。吸血鬼はそれを見るや悔しそうに唇を噛んだ。


「スケルトンめ、僕を裏切ったな」

「ほらほら、吸血鬼もその腕を存分に振るってゾンビちゃんを可愛くして見せてよ」

「はぁ、どうして人のメイクの面倒まで僕が。小娘にメイクなど2000年早いだろう」

「ナ、ナニ? コワイコワイ」


 ゾンビちゃんがダンジョンではあまり耳にしない「メイク」という言葉を理解したかは定かじゃないが、少なくともこれから何かされることを察したらしい。怯えたような表情を浮かべて体を固くしている。


「大丈夫だよゾンビちゃん、リラックスしてて」

「ああ、あまり動くと脳天に筆が刺さるから動くなよ。手元が狂って目を潰してしまったらすまない、先に謝っておこう」

「ヒエエエエ……」


 ゾンビちゃんは小さな小さな悲鳴を上げながらギュッと目を閉じる。怯えながらも力づくで逃げようとしないのは単に好奇心からか、それとも年頃の女の子らしく机に並べられたそのカラフルな煌めく粉に興味を持ったからか。

 どちらにせよ、ゾンビちゃんはメイク中意外なほど大人しく、メイクアップ作戦は順調に進んだ。

 そして――


「完成だ」


 吸血鬼は満足げに言いながら化粧筆を置く。

 生まれ変わったゾンビちゃんを見て俺は思わず目を丸くした。


「うわっ、生きてるみたい!」

「そうだろう、そうだろう」


 吸血鬼は誇らしげに胸を張る。吸血鬼も納得の出来ということだろう。

 蒼白だった死人の皮膚は、ファンデーションや紅により血色の良い生者の肌に生まれ変わった。ツギハギもほとんど気にならなくなっており、そのボサボサだった髪もスケルトンたちにセットされてすっかり綺麗になっている。遠目から見れば誰もがゾンビちゃんを普通の女の子だと思うはずだ。これならばダンジョンの外を歩いても騒ぎにならないかもしれない。


「すごいね、どこでこんなの覚えたの?」

「吸血鬼雑誌で特集してた。人の多い場所へ出掛けるとき、青白い顔のままでは吸血鬼だとバレる恐れがあるからな。吸血鬼ならば一つや二つは人間に化けるためのメイク法を知っていなければならないんだ」

「へぇ、吸血鬼って大変なんだなぁ」

「うー、ナンカ顔が重いよ」


 顔に色々と塗られたことで不快感もあるのだろう。ゾンビちゃんは眉間に皺を寄せながら顔に手を伸ばす。吸血鬼は慌てたようにゾンビちゃんの腕を掴んでそれを阻止した。


「触るなよ。かなり厚塗りしているから崩れやすいんだ」

「エエー、イツマデこうしてたら良いの?」

「そうだなぁ、20年くらいは……」

「いくら力作でもそれは無茶だよ」


 俺は思わず苦笑いを浮かべる。

 しかしそうは言ってもせっかく化粧をしたのだ。このまま落としてしまうのはもったいないという気持ちは分かる。

 女の子が綺麗に着飾ることに成功した場合、普通はどのような事をするのだろう。写真を撮るとか、街に出かけるとか? しかし我がダンジョンに写真機は無いし、さすがにゾンビちゃんを街に出すわけにはいかない。他には……男を誘惑する、とか――


「……そうだ、良いこと考えたぞ」


 俺はにんまりと笑って綺麗になったゾンビちゃんを眺める。

 ゾンビちゃんはなぜかブルリと体を震わせた。


「イヤな予感する」

「今度はどんな変なことを考えたんだ?」


 俺は怪訝な顔をする二人を前に、堂々と宣言した。


「題して! 生餌一本釣り作戦!」




*********




 考えた作戦はこうだ。

 ダンジョン入口にゾンビちゃんが立ち、通りがかった旅人に手招きをする。可愛い少女に釣られてダンジョンに足を踏み入れたところを、潜んでいた吸血鬼が背後からザックリいくという算段である。


「悪くはないが……美人局のようで少し気が引けるな」

「美人局じゃないよ、生餌一本釣り作戦!」

「分かった分かった。まぁ暇だし付き合ってやるよ」

「よーし。ほら、ゾンビちゃんも行くよ! 上手くいけば座ってるだけでお肉食べられるから」 

「ニク……分かった」


 こうして俺たちはダンジョン一階の入り口へと向かった。

 旅人が通りがかるのを待つだけのお手軽な作戦――そう考えていたのだが、そんな楽なものではないという事に気が付くまでそれほど時間はかからなかった。

 ダンジョンの中の気温はほぼ一定に保たれており、ほとんど季節を感じることは無い。しかしダンジョン入口から見える外の世界は今の季節をありありと映していた。攻撃的な日差し、まとわりつくような生暖かい空気、そしてけたたましい虫の声――久々に見る「夏の景色」がそこにはあった。


「うっ、眩しい!」


 吸血鬼は入口から差す光に怯み、岩陰へと身を隠す。天井からも光が漏れているし、入り口からの光が照り返してダンジョンを明るく照らしている。外よりはマシなのだろうが、気温もダンジョン深層に比べれば随分高い。


「アヅイよー」

「大丈夫、ゾンビちゃん? 取りあえずここ座って」


 俺はゾンビちゃんに入口付近の大きな岩を勧める。

 外からゾンビちゃんの姿が見えなくてはいけないが、あまり入口に近すぎると日の光に当たってしまう。その岩はちょうど良い塩梅の場所にあったのだ。


「じゃあここに座って、旅人が来たら手招きするんだよ。可愛くね」

「ウン……」

「吸血鬼は大丈夫?」

「ああ、なんとか。しかし旅人が影の下に入らないと僕は手出しできないぞ。灰になってしまう」

「じゃあある程度ひきつけないと駄目だね。ゾンビちゃんの手腕にかかってるよ、頑張ってね」

「ウン……」


 暑さで参ってしまったのか、ゾンビちゃんにはいつもの覇気がない。しかし少々しおらしくしているくらいの方が大人っぽく美人に見える気がする。きっと男も続々と寄ってくるに違いない。

 そう思って期待をしていたのだが、現実はそう甘くなかった。



 我々が罠を張ってから一時間。通りがかる旅人はいるが罠にかかってダンジョンへ入る者はいない。ゾンビちゃんの背後からこっそり旅人の反応を見ていたが、旅人はゾンビちゃんに気付くものの、皆すぐに目をそらして早足で行ってしまうのだ。やはり暗闇の中で手招きする少女と言うのに警戒心が働くのだろうか。


「ネェ、もう暑くて溶けちゃいそうだよ。身体から汁が出てきたよ」

「汁じゃなくて汗でしょ。もう少し頑張って……あっ、ほら来たよ」


 通りがかったのはいかにもスケベそうな中年男性である。ゾンビちゃんに気付いたらしく、こちらをじっと見ている。ゾンビちゃんがゆっくりと手招きをするや、男は足取り軽くダンジョンへと向かってきた。


「あっ、掛かった! 吸血鬼、準備して」

「ああ」


 吸血鬼は体勢を低くして岩陰にその身をかくし、男が影の内に入るのを息を殺して待つ。

 男はそんな事も知らずにニコニコと上機嫌でダンジョンに近付いた。大荷物を持っており、身なりも整っている。商人か何かだろうか。とにかくこのあたりの人間ではないようだ。ここがアンデッドのダンジョンだという事は知らないのだろう。

 哀れな旅人の姿がどんどん大きくなっていく。それに従い、吸血鬼は眼を鋭くして男に飛び掛かる準備を整えた。ゾンビちゃんも背筋を伸ばし、滑らかな動きで手招き続ける。

 あと一歩で男の身体が影に包まれる――その時、不意に男がその足を止めた。


「うっ……うう」


 男は目を見開き、前に進むどころか後退りを始めた。そしてついに彼は我々に背中を向けて大絶叫し、靴が脱げるのにも構わず一目散に走り去ってしまった。


「ど、どういう事だ?」


 吸血鬼はため息を吐きながら岩陰に座り込んで脱力する。せっかくうまくいきかけていたのだ、失敗のショックは大きい。


「惜しかったのに、ゾンビだってバレちゃったかなぁ」

「メイクドロドロになっちゃったからかも」

「ああ、汗で落ちちゃった?」


 俺はそう言ってゾンビちゃんの顔を覗き込む。

 その瞬間、俺の口からは意図せず絶叫が飛び出した。


「うわあああああああああああッッ!?」


 吸血鬼は汗を拭いながら迷惑そうな顔をこちらに向ける。


「おいうるさいぞ。どうしたレイ……うわあああああああああああッッ!?」


 吸血鬼もダンジョンに響き渡る大絶叫を上げる。

 「ドロドロになっている」のはメイクだけではなかったのだ。いや、むしろメイクがどうとかいう次元はとっくに超えてしまっている。ゾンビちゃんの顔はまさにドロドロであった。

 皮膚がずり落ち、赤い肉が剥き出しになっている上に白い骨のようなものまで見受けられる。その皮は一応まだ顔にくっついているものの、水を吸ってぶよぶよになった鳥皮のようだ。その表面からは赤みを帯びた液体が垂れ落ち、彼女のワンピースに水たまりを作っていた。これは確かに汗なんかじゃない。正真正銘「汁」である。


「ああああ暑さで腐ってしまったんだ!」

「うわあああああヤバいよコレ本当ヤバい! もう直視できない!」

「うう、顔が濡れてチカラが出ないよ……」


 ゾンビちゃんはそう言って仰向けに倒れてしまった。

 生ものを暑いところに放置してはいけない……俺たちはその教訓を胸にドロドロゾンビちゃんを温泉へと運ぶのであった。


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