21、ダンジョン探索にもエチケットを
「ふははは。どうだ吸血鬼、俺が恐ろしいだろう!」
冒険者はそう言って勝ち誇ったように笑う。吸血鬼は目に涙をいっぱいに溜めながら絞り出すような声を上げた。
「頼むからもう喋らないでくれ……」
この冒険者、一見すると普通の中年男性冒険者だ。経験は豊富そうであるが戦闘技術やパワーはそれほど強くない。しかも吸血鬼の元に辿りつくまでの戦闘で怪我をしており、体のあちこちから血が滲んでいる。体力もだいぶ削られているようだし、もうあまり激しい運動はできないだろう。
普段ならばそれほど苦労せず倒せる相手であるが、この男には吸血鬼を苦しめる秘策があったのだ。
「苦しいか? そりゃあ苦しいだろう、なんたって俺にはこの秘伝の霊薬がついているのだから!」
男は首から下げた水筒を誇らしげに掲げる。そして蓋を開けて中の黒い液体をキュッと飲み込み、「ふう」と息を吐いた。刹那、吸血鬼はフラリとよろけ、壁に手をついて苦しそうに咳き込む。
「うえっ、お前それ……おえっ」
「ふふふ、気になるか? ならば教えてやろう。これは我が研究所の開発した究極の健康食品、スーパー健康にんにく黒酢だッ!」
「そんなことはッ、うぇ……臭いでッおえっ、分かるわ!! 良いからもう喋るな、うえっ……臭い!」
吸血鬼はえずきながら涙を流して訴える。
吸血鬼が思わず泣いてしまうのも無理からぬ話だ。その臭いは強烈で、この男がどこを通ったのか臭いでわかるほどなのである。これでは吸血鬼はもちろん、人間だって涙目になって直ちに彼から距離をとるだろう。
それを知ってか知らずか、男は文字通り鼻につく高笑いでダンジョンを震わせた。
「はっはっはっはっは、流石は我がにんにく黒酢。健康増進だけじゃなく退魔の力まで持っているとは」
退魔どころか退人の力まで持っているのだが、男はそれに気付いているだろうか。
男はうっとりと水筒を眺めながらさらに続ける。
「だが1つ困ったことがあってね、こんなにも素晴らしい食品なのに、なぜか売れないんだ……」
どうやら気付いていなかったようだ。だがもはや吸血鬼にその事を指摘する余裕はない。
男は瀕死の吸血鬼を前に剣を抜き、そして構えた。
「しかし吸血鬼を倒したとなればこのにんにく黒酢の人気もうなぎ上り間違いなし。わが剣の……いや、我がにんにくの露と消えろッ!」
男は剣を振り上げ、勇ましい声を上げながら吸血鬼に襲いかかる。壁に手を付いて目を回す吸血鬼に男は剣を振り下ろした――が、吸血鬼は彼の渾身の一撃を易々と受け止めた。吸血鬼は顔をそむけ、目だけで男をギロリと睨む。
「だから喋るなって――」
吸血鬼は手刀で男の剣を打ち砕く。柄だけを残した剣を手に、男は引きつった笑みを浮かべた。
吸血鬼は手が血だらけなのにも構わず、鬼の形相でその拳を振り上げる。
「言ってるだろうッ!!」
その拳は男の柔らかな腹部を貫き、血に濡れた吸血鬼の腕は彼の背中をも突き破る。
男は腹部と口から血を垂れ流しながら地面へと崩れ落ちた。
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「うわぁ、本当に凄い臭いだなぁ。しばらくダンジョン中に臭い残るだろうね」
「こんなのはまだマシな方だ、生きてた時はもっと酷かった」
そうは言うもののやはりこの臭いは耐え難いらしく、吸血鬼は死体から最も離れた部屋の隅っこで涙目になっている。着替える気力も起きないらしく、そのシャツは返り血で真っ赤だ。特に男の腹を貫いた右腕は肘のあたりまで赤く染まっている。
「大丈夫? なんだか顔色まで悪いような」
「大丈夫なわけないだろ。もう鼻がもげそうだよ」
そう言って吸血鬼は眉間に皺を寄せながら右手で鼻を擦る。その瞬間、吸血鬼は弾かれたように後ろへのけ反った。
「臭ッ!?」
「えっ、ちょっとどうしたんだよ」
「手が! 手が臭い!!」
吸血鬼は咳き込みながら汚い物でも持っているかのように自分の右手を顔から遠ざける。
「ううっ、アイツの血はにんにく黒酢でできているのか? 酷い匂いだ」
「本当に毎日飲んだり食べたりしてたんだろうね、凄いなぁ」
「殺し方を間違えた。いっそのこと殺さずにおけばよかったか」
「そんな事したら『吸血鬼を退治した』って触れ込みで、ダンジョン前ににんにく黒酢の店を出すかもよ」
「ああ……やりかねないな」
そんな事を話していると、通路からゾロゾロとスケルトンたちが宝物庫フロアへと入ってきた。その数は掃除や雑用をしに来たにしてはやけに多く、ほとんどがこの臭いの元を見物に来たのだろう。スケルトンたちの集団に交じり、ゾンビちゃんの姿も見えた。
「うわー、凄いニオイ」
ゾンビちゃんは口ではそう言いながらも、特に怯んだりすることなく地面に転がった死体へと駆け寄る。
「ねぇ、もう食べてもイイ?」
「食べるのかソレ……まぁ構わないが」
「まだ血抜いてないじゃん。良いの?」
そう問いかけると、吸血鬼は思いっきり顔を顰めてこちらを睨みつけた。
「お前はアホなのか? こんなにんにく黒酢モドキみたいな血液が飲めるわけないだろ!」
「いや、そうだけどさ。血抜きしないでゾンビちゃんに食べさせたら部屋が血だらけになるじゃん。臭いがもっと酷くなると思うんだけど」
「うっ、確かに……飲まないにしても血抜きは必要か」
吸血鬼はゾンビのようにフラフラと歩き、どこからか空き瓶数本と太いチューブを引っ張り出してきた。
そして険しい表情を浮かべながら死体に恐る恐る近付いていく。
「うっ、ゲホッ……ううっ、スケルトンたち僕の代わりに血を抜いてくれないか?」
吸血鬼は遠巻きに見ているスケルトンたちに呼びかけるが、スケルトンたちは一斉に首を振ってそれを拒否した。
吸血鬼はガックリ肩を落として泣き言を言う。
「みんな酷いじゃないか、僕がこんなに苦しんでいるのに」
「吸血鬼の今後の課題はこういうとき助けてもらえるようなアンデッドになることだね」
「黙れ殺すぞ」
「ははは」
吸血鬼はふう、と息を吐きそして意を決したように太い針を死体に突き刺した。赤黒い血がチューブを通り、空き瓶をなみなみと満たしていく。
「そんなに臭いしないね」
吸血鬼は鼻をこすりながら首を傾げる。
「そうか? 鼻がおかしくなっていてよく分からん」
「嗅いでみなよ」
「嫌だよ、君が嗅げよ」
「血が臭かろうと臭くなかろうと俺には関係ないもん。でももし臭くなかったら吸血鬼は血が飲めるじゃん」
「いや……でも右手に付いた血は臭かったし」
「お腹を貫いてたし、胃の中のにんにく黒酢が付いちゃったんじゃないの?」
「うーん、そうなのだろうか……」
吸血鬼はしばらく思案していたが、覚悟を決めたらしい。ゆっくりと瓶の細い口に顔を近付けていく。
そしてある地点で吸血鬼は弾かれたように体を仰け反らせた。
「臭ッッ!?」
吸血鬼は鼻を抑えてもんどり打つ。
笑ってはいけないと分かっていたが、もう抑えることができなかった。
「あっははははは、臭かった? 臭かった? 一見臭くなさそうだけど鼻を近付けると一気に来ることあるよね」
「なに笑ってるんだ、ほんと殺したいわお前……」
「いやぁ、ごめんごめん。人が臭がってるのって面白くて」
吸血鬼は口で息をしながら瓶に蓋をしていく。まるで忌々しいなにかを封印しているような力の入れようだ。
「はぁ、とりあえず終わった。スケルトン、これ処分しといてくれ」
吸血鬼がそう言うと、何体かのスケルトンがガシャガシャ音を立てながら寄ってきて吸血鬼から瓶を受け取った。
「良いの?」
尋ねると、吸血鬼は怪訝そうな顔でこちらを見やる。
「まだ僕に血を飲ませて楽しもうとしているのか。その手には乗らないぞ」
「いや……別に良いけど、スケルトンたちにあんな致命的な武器渡して良いのかなーって」
「……あっ! やっぱり返せ!」
吸血鬼はそう言って手を伸ばすが、すでに瓶を持ったスケルトンたちは逃走してしまった。彼らの逃げた道はたくさんのスケルトンたちによってバリケードがはられており、突破は難しい。スケルトンたちは高笑いするように骨を鳴らした。
「くそっ、やられた」
「まぁスケルトンたちを怒らさなきゃあれも使われないよ」
「そうは言ってもなぁ……」
「ネェ、もう食べてイイ?」
ゾンビちゃんは死体の側に座り込み、上目遣いでこちらを見上げる。
吸血鬼は疲れ切った顔を見せながら頷いた。
「ああ、さっさと始末してくれ」
「わーい!」
ゾンビちゃんはにんにく臭など全く気にならないのか、モリモリ肉を食べてどんどん死体を骨にしていく。それに従って部屋に充満していた悪臭も多少マシになったようだ。
「いやぁ、本当にゾンビちゃんの食べっぷりは凄いなぁ」
「ああ、関心すらしてしまうな」
死体をすっかり骨にしたゾンビちゃんは褒められたことに喜んだのか、こちらに血塗れの顔を向けて満面の笑みを浮かべた。
「へへー、スゴイでしょ」
「ブガッ!?」
吸血鬼は突然弾かれたように体を仰け反らせる。そしてすごい勢いでゾンビちゃんから距離をとった。
「どうしたの吸血鬼?」
吸血鬼は鼻を押さえながらゾンビちゃんを指差す。
「臭い!! 臭いぞお前!」
「あー、にんにく肉食べたからか……」
「臭い! どっか行け!」
ゾンビちゃんは吸血鬼のあまりに失礼な言葉に心底腹を立てたらしい。フラリと立ち上がり、全力疾走で吸血鬼に迫る。
「クサイクサイ言うなッ! ハーッ!」
「ぎゃあああ! 寄るな! 息をするな!」
「マテッ!」
吸血鬼は必死で逃げ、ゾンビちゃんはその後を追いかける。走ることでたくさんの息を吸わねばならず、吸血鬼の顔色はみるみる白くなっていく。
本来の吸血鬼の速さならばゾンビちゃんを撒くことなど容易いが、満足に息ができないのと鼻に追った深刻なダメージのせいで運動能力が落ちているらしい。
この地獄の鬼ごっこはゾンビちゃんがにんにくフレーバーの息を吐ききるまで続いたとか。