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プロローグ



「……あ、あれ?」


 慌ててあたりを見回す。

 暗く湿った土のトンネルの中に俺は立っていた。トンネルとはいえ、大男が背伸びをしても頭をぶつけずに済む程度の広さはある。

 ここはダンジョンの――恐らく地下3階くらいだろうか。

 確かこのダンジョンに入って……スケルトンの群れに囲まれて……必死の思いで出口に向かって逃げ出してそれから何かが上に覆いかぶさってきてそれから……それから……


「ダメだ、思い出せない」


 そう呟いたとき、なにか湿っぽい音が俺の耳に入ってきた。

 ふと振り向くと髪の長い女の子の後ろ姿が目に飛び込む。彼女は服や長い髪が土で汚れるのも気にせず地面にうずくまっている。冒険者だろうか、まさか道に迷ったのか。


「すいません、すいません!」


 返事はない。

 もしかしたら怪我をしていて声が出せないほどの痛みがあるのかもしれない。俺は慌てて彼女の正面へと周りこむ。


「大丈夫で……」


 思わず声を飲み込んだ。

 体が動かない。恐怖で息が止まる。皮膚が粟立つ。卒倒してしまいそうだ。


 彼女は口と手を真っ赤にして脇目も振らず一心不乱に咀嚼している。

 その傍らにあるのは血に塗れ、ところどころ欠損し、変わり果ててしまった――俺であった。


「は? えっ……なんで?」


 我を忘れ、思わず声を上げる。

 ピタリと少女の動きが止まり、滑らかな動きで俺を見上げた。その顔はツギハギだらけで、顔は青白く変色し、口には血の滴る俺の指を咥えている。

 少女は指をパクリと口内に収め、バリバリと音を立てながらニタリと笑った。 


「ようこそ、新人サン」


 恐怖のあまり後退りする。

 その言葉の意味に心当たりはない。俺はただの冒険者だし、気味の悪いモンスターに新人呼ばわりされるいわれもない。

 そうだ、逃げてしまおう。食事に夢中になっている今がチャンスだ。

 そう思ったその時、背後から突然声が上がった。


「おい! 貴様また勝手に獲物を食い荒らして――ん?」


 通路の奥の暗がりから白いシャツに赤いスカーフを巻いた青年がその黒い髪を爽やかに揺らしながら転がり出てきた。

 彼は俺の数メートル前でピタリと足を止める。一見まともそうななりをしているが冒険者にしては軽装備だしシャツは不自然なほど白く清潔だ。このダンジョンの奥には恐ろしい吸血鬼が待ち受けていると聞いたが……まさか。


「おお、新人君か。この馬鹿よりは幾分賢そうじゃないか。よろしく頼むよ」


 まただ。また「新人」というワード。

 迷ったが、襲ってくる様子はないしあの女に比べればずっと話が通じそうである。俺は思い切って口を開いた。


「なんなんですかその新人って……? あなた達は一体なんなんですか? ……これは何なんですか?」


 震える手で床に転がる肉片を指差す。

 一回口を開くとせきを切ったように疑問が溢れてきた。なおも口を開こうとする俺を、青年は手の平を向けるジェスチャーで黙らせる。そしてその手を軽く握り、人差し指を俺に向けた。


「まずは自分の事を知ったらどうだ?」


 促されて、自分の身体を見る。


「……なんだよ、これ」


 これ以上驚くことなんてないと思っていたが、それは大きな間違いだった。

 腕が、透けているのだ。まるで寒天やリンゴゼリーのように。

 恐る恐る壁を掴んでみるが、何の手触りも抵抗もなく俺の腕は壁に吸い込まれていった。よく見れば足なんて筆で線を引いたみたいにどんどん薄くなっていって、膝から下はまったく無くなっている。どういう事だこれは。これじゃまるで、まるで――


幽霊レイスだろうね。うちにはいないタイプだ。ま、せっかく気に入ってもらえたんだ。第二の人生を楽しもうじゃないか」

「気に入られたって、誰にだよ!」

「ダンジョンに、さ」


 青年はなんでもない風に言ってのける。

 ダンジョンに気に入られた? 冗談じゃない。俺は出口に向かって走り出す。こんなところ一秒でも早く出たかったし、こんな暗くて狭いところは大嫌いだ。早く光を、太陽の光を――


 しかし地上一階にたどり着いた俺を待ち受けていた日の光は、これまで感じていたものとは全く違って見えた。

 恐いのだ。暖かな日の光がとてつもなく恐い。それは真っ暗な夜の森に抱く恐怖に似ているようにも感じた。どうして太陽の光が恐いなんてことが起きるんだ。分からない。恐怖心を押さえて太陽の元へ身を晒せばその答えも分かるのだろうか。


「……やめておいたほうが良いぞ」


 気づくと、地下へと通じる階段から先ほどのツギハギだらけの少女と青年が顔だけ出して恐る恐ると言った風にこちらを覗いていた。


我々アンデッドは日の光を浴びるとロクな事が起きない。ただでさえ君は実体のないあやふやな存在なのだ。外に出れば消えてしまうかもしれない」

「外イタイよ、イタイよ」

「こんな状態なら、死んだほうがマシだ!」


 青年は半ばやけくそになった俺を宥める様に言葉を続ける。


「死ぬのではない、消えるのだ。もはや我々の魂は天に受け入れては貰えない」

「うっ……」


 ツギハギだらけの少女がその首をかしげる。


「今じゃなきゃ、ダメ?」

「今日は調子が良いじゃないか小娘。コイツの言うとおりだ、君は悠久の時を手に入れた。どうしてもと言うのなら止めはしないが、今やる必要があるのか?」


 なんだか急に、外へ出るのが恐くなってしまった。

 一度恐怖に支配されてしまえば、再度行動を起こすのは難しい。それに彼らの言う事はもっともの様な気がしてきた。

 ノロノロと地下へと降りる俺を、二人は笑顔で迎え入れる。


「ようこそ我がダンジョンへ」

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